仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

雑誌『環境/文化』を出すべきか

2011-06-26 16:12:46 | 議論の豹韜
今週もけっこうフルに活動した。定例の会議のほかに、サークルからの助成金申請を審査する課外活動検討小委員会(職責で委員長。昨年の『もののけ姫』シンポでご一緒した田中治彦さんも委員である)があり、ホフマンホールのサークル用小会議室(いわゆる部室)の使用許可証手交も行った。木曜は東奔西走で、午前中に鎌倉へ出て生涯学習の講義を行い、午後に大学へ戻って夕方の上南戦慰労会に出席した。その間何とか授業の準備をし、土曜も上智史学会の例会へ参加。ようやく一息ついた…といいたいところだが、来週はプレゼミ・院ゼミでも自分で報告をしなければならないので、今日の日曜も時間を無駄にできないのだ。そろそろ7月末の講演の準備を本格化し、単行本執筆もまとめにかからねばならないのだが、…うーむ、やはり時間がない。

ところで、最近責任をもって実現したいと思うのは、標題に掲げた雑誌の刊行である。何年か前から某出版社より、「そろそろ『環境と心性の文化史』の第2弾はどうですか」と提案されており、環境/文化研を起ち上げたのも「そのうちに論集を」という気持ちがあったためである。しかし経験からいって、論集の発刊は必ずしも此界の議論を活発化するに至らず、類書の山のなかへ埋もれて長期間発掘されない場合もあまたある。また環境/文化研も、メンバーの高職化や各地への就職移転に伴い半ば空洞化してしまっており、常連は昔からの仲間のみとなっていて、議論の拡大・発展に欠ける点は否めない。この分野の研究に社会の注目を集め、さらなる「同志」を獲得してゆくためには、持続的なアピールを可能にする雑誌の発刊が理想的ではないかと思うのである。しかしそれが、精神的・身体的・金銭的・時間的にいかに大変であるかは、『研究と資料』『紀尾井史学』『GYRATIVA』『上智史学』などの刊行に従事してきて、身に沁みてよく分かっている。今回は、関心のある出版社を巻き込みたいと考えているので、事務的な部分は楽になるだろうが、果たしてちゃんと売れるのかという問題は極めて大きい(『GYRATIVA』などはかなり「持ち出し」でやっていた)。昨年の中村生雄さんの追悼シンポで、赤坂憲雄さんから、「『季刊 東北学』の編集・発刊は本当に辛かった。終了したあと、ぼくは空っぽになってしまっていた。やはり研究者がやるべき仕事ではなかったのかもしれない」というお話を伺ったときは、非常に身につまされる思いがした。しかし、例えば発刊を年1回とし、4人程度の専攻分野の異なる世話人(例えば、哲学・倫理学・宗教学、生態学、人類学・民俗学、文学・地理学・歴史学など)が順番で責任編集を担うようにすれば、負担は大きく軽減できるし視野も内容も豊かになるのではないかと思う。価格は1500~2000円程度におさえて、学生にも「年1回なら買ってもいいかな」と「錯覚」してもらえるようにする。何より、ぼくらが学生時代に受けた数々の書物(『叢書 史層を掘る』、『ルプレザンタシオン』、初期の『環』など)からの恩恵を、いまの若者たちへ返したいのだ。

それにしても、いまのような「持ち時間」ではどうしようもないか。大きな約束ごとを全部片付けてからということかな。

※ 写真は、田口ランディさんの新作。面白いことは分かっているが、いま時間がなくて読めないのがつらい。しかし、考えていることが近いような気がするのは、それこそ気のせいだろうか。向こう様には失礼かな。この目前の現実自体が、アルカナシカ。しかし、たとえそれがコトバでしかなくとも、存在することを信じて語るとしよう。
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「閃光少女」がモチベーションを上げる理由

2011-06-19 08:59:47 | ディスクの武韜
ぼくのなかでは、5月以来「椎名林檎ルネッサンス」が続いているが、数多ある楽曲のなかでも、やはり「閃光少女」が自分のモチベーションを引き上げてくれることを再確認した。「閃光少女」は、もちろん楽曲自体のスピード感、躍動感がすばらしいわけだが、かつて映像作家を目指した人間としては、まずそのPVの出来のよさにやられてしまったのだ。UNIQLOCKでもお馴染み、石津悠と松永かなみの出演で繰り広げられるストーリーは胸を打つ。ストーリーといっても、映像はそれなりに抽象度のある断片でしかなく、物語の構成はむしろ視聴者に委ねられている。つまり解釈の自由度は大きいのだけれども、ぼくにはなぜか、2人の少女が疾走する姿は次の詩を通してしか捉えられないのである。
もしも、おまえが 枯れ葉って何の役に立つのってきいたなら
わたしは答えるだろう 病んだ土を肥やすんだと
おまえは聞く 冬はなぜ必要なの?
するとわたしは答えるだろう 新しい葉を生み出すためさ
おまえは聞く 葉っぱはなんであんなに緑なの?
そこでわたしは答える なぜって、やつらはいのちの力に溢れているからだ
おまえはまた聞く 夏が終わらなきゃいけないわけは?
わたしは答える 葉っぱどもがみんな死んで行けるようにさ
おまえは最後に聞く 隣のあの子はどこに行ったの?
するとわたしは答えるだろう もう見えないよ
なぜなら、おまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ
以前にも引用したことのある、『今日は死ぬのにもってこいの日』掲載のインディアンの言葉である。憧れだった友人の死を受け入れて、少女は顔を上げて歩き出す。その一歩一歩は、友人の一歩一歩に重なっている…。ここにも、ジョバンニとカムパネルラがいる。41歳にもなってどうしたんだと思われるかも知れないが、そう感じることが、きっとぼくのなかで「やるべきこと」に取り組む動機付けを強くしているのだろう。ぼくの学問が、ぼく独りの手で築きあげられたものではない、幾つもの手が背中を押してくれていると実感するからだ。都合のよい自己正当化であることは否定しないが、いいかえれば、これもひとつの「負債」なのである。ぼくの学問は、負債を返すことによって成り立っている(…という「物語」を作っておこう。実際、住宅ローンに追われているわけだし)。
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この1週間の反省

2011-06-19 07:58:35 | 生きる犬韜
上南戦からこっち、今までにない事務的な忙しさを経験している。事務系に所属している職員の皆さんからすれば当然なのだろうが、とにかく会議、書類確認、場合によっては書類作成の繰り返しである。毎週開催されるセンターのミーティング、奨学金申請者の面接、こちらも毎週のようになっているホフマンホール運営協議会、学生生活委員会、それぞれに本会議とブリーフィングが行われる。6月後半からは、ホフマンホールの方は一段落となるが、今度はボランティアビューロー運営委員会、課外活動検討小委員会等々が加わってくる。センター長補佐になる以前も委員会仕事はいろいろこなしてきたが、今回は委員長や副委員長という立場なので、会議の場だけに出て意見をいっていればよいというわけにはいかないのだ。その他、初年次教育検討小委員会をはじめ、上智史学会の大会シンポの準備等々、学部・学科関係の仕事も多々あるので、時間的余裕が何も持てない情況だ。毎日、複数の会議のあることも少なくない。研究室に電話がかかってきて、センターに呼び出されることもままある。当然、これまで授業準備に使っていた時間が大きく割かれるわけで、教育のクオリティーに支障が出て来ていることは否めない。とくに、毎年金曜に開講している「日本史特講」については、質疑応答のブログ更新をはじめとして、充分に作業を進めることができていない。これまでは木曜を研究日に設定し、充分な準備をして特講に臨んでいたのだが、木曜に研究日が取れないことが増えてきたのだ。毎週、何とかぎりぎりで準備を間に合わせているが、全体のスケジュールに合わせて内容を調整し、深さと広さのバランスをとることができていない。これはひとつの責任として、最後の章まで解説したレジュメだけでも配付しておかねばならないだろう。レポートを出しにきた学生に、「お土産」として持って返ってもらうよう作成しておくか。とにかく、学生には申し訳のない気持ちでいっぱいである。

16日(木)も、夕方開催の防災講習会のため、授業準備もそこそこに出勤していた。この行事は、毎年課外活動団体を対象に開いているのだが、今年は東日本大震災を経て抜本的な見直しを行い、全学生、教職員にも案内を出した。センターの目論見としては、学生個人個人の自衛意識を高めることにある。大学は震災対応の公式原則を定め、各教室に貼り出し、学生にも縮小印刷して配布しているが、当局が常に的確かつ迅速な指示を出せるとは限らない。結局は、自分の身を自分で守らねばならず、そのための知識・方法をどれだけ知り、身につけているかが生き残るポイントになってくる。できれば、サークルの仲間たちや友人どうし誘い合って、キャンパス内や四ッ谷周辺、よく活動している学外の施設周辺を歩いて回り、地域別危険度調査やハザードマップなどの情報も集めて(インターネットで入手可能)、土地の見方、都市の見方を学び、自分たちなりの危機管理マニュアルを組み上げていってほしい。そのチェックやフォローは、学生センターが責任をもって担当させていただく。学生からオファーがあれば、ぼくがくっついて行って地域の説明をしてあげてもいい。この日お話しいただいた防災ソーシャルワーカーの宮崎賢哉さんは、毎年この講習会を担当してくださっているのだが、現在防災講座等々で大学や企業、各自治体から引っ張りだこらしい。こちらの意図をご理解いただき、学生に「考えさせる」ことを主眼に講義をしてくださった。今回は本当に「きっかけ」に過ぎず、これを本当の意味で活かしてゆくためには、継続的な取り組みが不可欠となってくる。今後も学生、そして教職員(とくに教員の責任は絶大なのだが、彼らの注意を喚起することはかなり難しそうだ)への呼びかけを続けてゆきたい。また、センター自体の防災活動はもちろんだが、大学当局へも、自治体との折衝や関連設備の整備など、いろいろ働きかけをしてゆかねばなるまい。
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服藤早苗さんの講演

2011-06-18 14:00:00 | ※ 告知/参加予定
ぼくら夫婦にとっては仲人的存在の服藤早苗さんが、東京歴史科学協議会の歴史学入門講座でお話をされる。下記に東歴研の告知をそのままコピペしておいたので、関心のある方はぜひご参加を。ちなみに服藤さんには、今秋の上智史学会大会ミニ・シンポジウム「歴史教育の未来をひらく:高大連携と歴史学」(仮)でも、基調講演をお願いしている。こちらには、古代史ゼミの大先輩である戸川点さんも、パネリストとしてご参加いただく予定である。戸川さんは、都立高校で教鞭を執られる傍ら、研究はもちろん、教育テレビ「歴史でみる日本」のパーソナリティーも長年務められていた。地歴科教員を目指している学生さんは必見である。刮目して待て。

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【東京歴史科学研究会 歴史学入門講座】
今と向き合う歴史研究―女性史・ジェンダー史研究から―
講師:服藤早苗氏(埼玉学園大学)

【概要】
 歴史研究とは、単に昔の出来事を調べればいいというものではありません。多くの研究者にとって、現代社会におけるさまざまな疑問を問題意識とすること、つまり、「今と向き合う」ことが、歴史研究を進める大きな原動力となっています。
 女性に関して言えば、男女共同参画や女性のキャリアアップが多く話題にのぼる昨今ですが、根本的な「女性の生きにくさ」の解消には至っていないと言われています。なぜそもそも歴史的にみて、「女性は生きにくい」のでしょうか? 服藤早苗さんはこの問題に、平安時代における「家の成立」の解明を出発点として、取り組み続けてきた研究者です。そして現在では、日本のジェンダー史の第一人者として多くの著作がある一方、杉並に居住されていることから、教科書運動にも深く関わっています。
 古代史・ジェンダー史を専門とする研究者は、現代社会といかに向き合ってきたのでしょうか。今回は服藤さんのこれまでの研究および、研究人生におけるご経験を交えて、お話しいただきます。

【日時】 2011年6月18日(土) 14:00~(開場13:30)
【会場】 学習院大学目白キャンパス 2号館(文学部研究棟)10階大会議室
【参加費】 600円
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切符

2011-06-12 03:40:18 | 議論の豹韜
金曜の特講で『銀河鉄道の夜』の話をしたのだが、どうも感傷的になりすぎたようで、重要な「切符」の問題を取り上げるのを忘れてしまっていた。
そもそも、切符とは何だろうか。バスや電車に乗車する際、自分が目的地までの運賃を支払ったという証明書であるというのが、まあ大方の定義だろう。しかし切符の重要なところは、所有していることが明確な場合は、多くその存在を忘却してしまっているということなのだ。逆にその存在が否応なく意識されるのは、自分が切符を持っていないかもしれない、なくしてしまったかもしれないという不安のなかにおいてなのである。改札の手前で青くなり、体中のポケットや鞄のなかを引っかき回した経験は、誰しもが持っていることだろう。

『銀河鉄道の夜』のなかで、ジョバンニは、「ほんたうの天上へさへ行ける」切符の持ち主として描かれている。それは彼が「ほんたうの幸福」を探す旅を続けてゆく証なのだが、宮澤賢治は、他の乗客たちのジョバンニへの羨望を記すことで、切符の所持がある種の優越であることもはっきりと示している。そして注意しておきたいのは、ジョバンニが、車掌の出現まで切符の存在をまったく意識していないこと、車掌の「切符を拝見いたします」という声を聞いた途端不安に駆られること、周囲の羨望を受け切符を上着のかくしに入れてからまたその存在を意識しなくなることである。彼は、自分の切符を褒めそやした鳥捕りへ憐れみの眼差しを向け、物語は、タイタニック号の沈没で水死した青年と妹弟との会話へと移ってゆく。
……ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまへてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあはてゝほめだしたり、そんなことを一一考へてゐると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持ってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい、もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の川原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいゝといふやうな気がして、どうしてももう黙ってゐられなくなりました。……(『新校本全集』11巻、150頁)
このくだりを読むと、ぼくはいつも、切符などないほうがいいのではないかと考えてしまう。ジョバンニにとって本当に必要なのは、切符ではなく、「自分は切符を持っていないかもしれない」と意識した際に沸き上がってきた不安の自覚なのではないだろうか。それを通してこそ、彼は、鳥捕りという乗客のありようをより深く理解できる。そして、幻想第四次の世界ではまったくその存在を忘却されている私たち、切符を持たない存在である「ザネリ」の立場に身を置くことができるのである。

切符を持つことが安心感を生み、さらにその安心感が切符の忘却によって成り立っているなら、切符は感受性を鈍らせ思考停止を招くものともいえる。「考え続ける」ためには、切符など持たない方がいいのかもしれない。しかしその際、「切符を持たない乗客」の存在を鉄道のルールが許容するかという、新たな問題も起ち上がってくる。切符を拒んで乗車するという行為には、当然のごとく、それ相応のリスクと覚悟が要請されるのである。
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土曜日なのに研究室

2011-06-11 16:41:49 | 生きる犬韜
先週の終末は上南戦のため南山大学にいたが、今週は地域懇談会のためにやはり出勤してきている。教員には代休はない。出張のために休講したりすると、逆に「補講をしてください」といわれる始末だ。
まあそれはいいとして、昨日、特講の時間に『銀河鉄道の夜』を媒介に震災の話題に触れたり、学生センターで危機管理の意見交換をしたりしていた関係で、やはり頭の片隅に東北のある状態が続いている。ふと、「今年のゼミ旅行は東北」という選択肢はないのかな、と考えてしまう。どうなんだろう…。
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学生の避難経路を考える

2011-06-11 01:00:45 | 生きる犬韜
学生センター長補佐の職責として行っている、いわゆる部室棟であるホフマン・ホールの管理業務も、どうやらひとつの山を越えそうだ。上智では、各サークルにホールの「小会議室」を割り当てるが、部室としての占有は許さず、毎年活動報告書等々の提出を義務づけて「小会議室」の総入れ替えを行っている。近年目立つ現象は申請に必要な書類の不備で、毎年のことであるにもかかわらず、そして全課外活動団体対象の説明会でも口を酸っぱくして念を押し、極めて分かりやすいマニュアルを配布しているにもかかわらず、必ず書類の不備で「小会議室」に入室できなくなる団体が出てくる。これはゼミなどの報告を聞いていても感じることだが、上級生からの充分な引き継ぎがなされていないためだろう。緊張感や責任感の希薄さの表れでもある(どこかで「忘れてしまった」で済む、何とかなると思っているのだろう)。彼らが卒業して以降、きちんとやっていけるのかどうか心配でならない。なーなーで甘えてやっていると、こんなふうに、いつも原稿の〆切を破って顰蹙を買う人間になっちゃうんだよ。気をつけよう。

ところで、課外活動中の学生たちのリスク管理も重要な仕事になっている。3.11時点での大学側の対応は、お世辞にも誉められたものではなかった。これはかなり構造的な欠陥であるような気がするので、災害時、突如として機敏な指示が出るようになるとはとうてい考えられない。学生は自衛の努力をすべきであり、個々のサークルが独自の危機管理マニュアルを作って、常に緊急時の対応について部内で話し合っておくべきだろうと思う。来週は課外活動団体向けの防災講習会があり、学生センター内で例年以上の効果を生むよう種々準備中だが、その他、学生たちの初期避難の方法やルートについても検討中である。現在、上智は看護学科の増設などによって過剰な人口を抱えており、休み時間にはメインストリートに人が溢れる。この時点で災害が起きたら極めて危険だし、授業中に災害が起き、学生が一斉に外に出ようとしても大混乱になること間違いない。地震などの場合、まずは教室にあって揺れが収まるのを待つのが定石だが、そのあとは順次広域避難場所へ移動させねばならない。上智の場合、四ッ谷キャンパス内で最も広いのはE棟前の広場、そして真田堀グラウンドであるが、前者は全学生を収容しうるキャパシティーはなく、自ずと後者の重要性が高まってくる。しかし、通常キャンパスからグラウンドへ出るためには細首の正門を通り、見通しの悪い車道を横断してゆかねばならない。早急に都や周辺自治体と相談して、緊急時にはこの道路の交通を制限し、また江戸期から事故の多発する食違見附を閉鎖したうえで、ニューオータニ側通用門・正門・イグナチオなどへ分かれ速やかに移動を行うべきだろう。グラウンドへ降りる階段自体も、危険のないように整備し、場合によっては幅を広げるなり場所を増やすなりしておきたいものだ。

上智周辺には、幾つか避難場所に適した広い空間が認められる。八重洲方面へゆけば皇居や日比谷公園があり、新宿方面へゆけば明治神宮や新宿御苑がある。早期に開放されれば、迎賓館もかなり広大な空間だ。しかし、皇居は半分から東がかつては海底であった場所で、八重洲はもちろん埋め立て地であり、お世辞にも地盤がよいとはいえない。安政大地震の際にも大きな被害が出ている。日比谷にしても溜池にしても赤坂にしても、沖積低地で大きな揺れが予想される場所である。耐震構造のしっかりした建物だから大丈夫との声が聞こえてくるが、「想定外」が生じることは今回の震災で証明されている。新宿御苑は台地上にあるので地盤はしっかりしているが、そこへ至るまでにはビル群が林立した細い道を通らねばならないので、やはり避難するのは困難だろう。明治神宮は至近でよいが、新宿通りや青山通りを大人数で移動するのは恐ろしい。周囲の企業や家々から相当数の避難者が溢れ出てくるとなれば、やはり上智大生が安易に一般道へ出てゆくのはかえって危険かもしれない。四ッ谷キャンパスの立地する麹町台地は周囲に比べ安全ではあるので、校舎自体に倒壊の危険がなければしばらく動かない方が無難だろう。帰宅困難者が溢れる街へ出るのは危険極まりないので(3.11の際、多くの企業や学校が一斉に帰宅を許可したあの指示は、とても適切であったとは思えない)、情況が落ち着くまでは校舎内か真田堀で静かにしているのがベストかと思われる。

※ 写真は上智大学を中心にした東京の航空写真。Googleより。
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再評価?

2011-06-08 19:05:14 | 書物の文韜
このところ、なぜかブログをむやみに更新し続けているが、今日ももうひとネタ書いておこう。
哲学・環境思想史の浜野喬士さんが、twitterで『環境と心性の文化史』について触れてくださっている。「知られざる名著」とのご評価をいただいた。「知られざる」という形容が悲しいところだが、当時、企画・編集・執筆に全精力をつぎ込んだ本なので、やはり嬉しい。文学方面からはさまざまにお誉めの言葉をいただいたのだが、歴史学関係者からは大いに無視された。最近になって、なぜか想い出したようにこの本の書名を聞くことが多くなったので、何か、ずっと背負い続けていた荷物がやや軽くなった気がする(だって、微々たる原稿料〈勉誠さん、ごめんなさい!〉で協力してくださった皆さんに、本当に申し訳ないと思っていたのだ。ちなみに、一般にあまり読まれなかったのは、ぼくの「理解されることを拒否している」〈飯泉健司氏談〉総論のせいだといわれている…)。
浜野さんとはお会いしたことがないが、中村生雄さんのお仕事にも関心をお持ちのようだ。いずれ機会をみつけて、ぜひお話をしてみたい(つぶやいてくださったのが、なんと偶然にもぼくの誕生日。人間というのは、こうした符合に特別な意味を付したがるものなのだ)。
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清水寺の対応を注視したい

2011-06-08 13:56:59 | ※ 雑感
京都の清水寺で、江戸初期に再建された国宝本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち、12本にシロアリ被害が発生しているという。さてさて、清水寺はこのシロアリをどうするつもりなのだろう。虐殺するのか、それとも被害の柱を切り取り他に移すなどの措置を取るのか。駆除したうえで虫供養でも行うのか。まさか、殺生功徳論は唱えないだろうが、もし法要が催されるなら表白文など確認したいところだ。
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まずは前提を疑う

2011-06-07 10:54:43 | 議論の豹韜
大震災後、研究者の仲間うちでいちばん耳にしたのは、「後からみたら、時代の転換する大きな画期となる出来事かもしれませんね」という発言である。4月5日付Ustreamでの鼎談を単行本化した『大津波と原発』のまえがきでも、中沢新一氏が、「今回の出来事をきっかけとして、日本人が大きく変わっていくだろうということ、また変わっていかなければならないということについて、私たちは認識を共有していた」と述べている。しかし、本当にそうだろうか。

これらは、古今東西において惹起したあらゆる自然災害を捨象し、東日本大震災のみを特別視しようとするベクトルを持つが、その核にあるのは原子力エネルギーをどうするかという問題である(上記の本の第5章「原子力と〈神〉」は酷かった。日本の宗教文化に対する中沢新一の思考は、一神教×多神教の二項対立に縛られていて大変に浅い。神仏習合についても、基本的な理解の仕方自体が間違っているし、もちろん現在の研究水準はまるで押さえていない。この人は、口寄せをしないと本当にダメなのだ)。ぼくも原発には反対だが、注意したいのは、分節したい、画期を作りたいという〈歴史学的欲望〉である。これはまさに物語りの構成で、過去のさまざまな事情を整理してポイントを浮かび上がらせ、未来をいかに変えてゆくかという提言を打ち出す。「歴史」という語が冠されると、その目線は過去にばかり向いていると誤解してしまうが、実は歴史を構築することとは、特定の未来を実現させようとする戦略なのである(殷代甲骨卜辞以来、歴史はそのために叙述されてきたといっても過言ではなかろう)。しかしその欲望が巨大な分だけ、時代的思潮によって正当化されている分だけ、「構成」の過程でこぼれ落ちてしまうものも多い。自覚がない場合がほとんどだろうが、時には意識的な過去の〈修正〉が許容されることもある(まあ、いかなる歴史構築にも、どこかしらに修正主義的なベクトルは作用しているものだ)。「後からみたら、時代の転換する大きな画期となる」のではなく、人間が整理・分節して画期に「する」のである。上記の錚錚たる語り手が集った本からも、何か、東日本大震災の肝腎なところが、ごっそりと抜け落ちているような気がする。ヒロイズムへの陶酔がちらつくのも、いやだった。中沢氏は本文で、「ぼくはですからね、数十年先に日本史を書く人がですね、『2011年に起こった出来事が、日本においては第7次エネルギー革命にひとつの挫折を生じさせて、そこから別のエネルギーの形態がはじまった』というふうに記述するようにしたいんです」とも述べている。「数十年先」の歴史学が、革命というレトリックに依拠せず過去を語れるようになっていることを願ってやまない。

とにかく、ぼくがみつめたいのは〈こぼれ落ちてゆくもの〉だ。今回の騒動で自分に振られた役回りにおいて、ぼく自身がやるべきこととして納得できるのは、画期作りのなかで捨象され、こぼれ落ちてゆくものを掬いあげる作業だろうと思う。原発についても意見は持っているが、それを口にすることは、自分を〈被害者〉化し、時代思潮と同一化しているがごとき高揚感と、極度の〈自己正当化〉をもたらす。現状を形作った経緯を検証するのは大切だが、予言を喧伝する柄ではないのである。
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スイッチを切りかえる

2011-06-06 23:36:55 | 生きる犬韜
昨晩上南戦から帰ったときは、さすがにしばらく意識を失ったが、夜明け前には復活して授業の準備を進め、夜行バスで大学へ帰還する学生たちを出迎えるべく、6:00前には自宅を出た。早朝から強い陽差しにさらされた学生たちの顔は一様に「淀んでいた」が、何とか行方不明者は出さずに到着したと聞いて一安心。朝のミーティングに参加し、奨学金や100周年記念事業など長期的問題について話し合ってから、研究室にこもって、何とか授業ができるまでのレベルへ講義の内容を彫琢した。しかし、疲労のせいか頭の働きはいまひとつよくない。やはり、コトバがうまく出て来なくなっている。
講義終了後は、1週間分のブログを書いて混乱している情況を整理したが、上南戦のあいまあいまに言葉を交わす「関係者」から、自分が政治的な世界へ否応なく引き寄せられているような印象を持ったことを想い出した。これはよくない。大学教員などという充分に「権力」的な職業に就いてしまったのだから、これ以上は中枢に近寄らないようにしなければ。自分のアイデンティティーが「反権力」にあることを、あらためて自覚しなおした。
さて、原稿の校正をたびたび中断して考えるのは、やはり東北に持参するコトバのあり方である。不正確ないい方になるが、現在の原発・震災をとりまくあらゆる言説がうさんくさく思える。すでに、これらを核に収斂されてゆくコトバは「消費」される段階に入ったようだ。すりきれない強靱さを持つコトバを、どう探すか。どう選ぶか。それらによって構築される物語りとはいかなるものか。それは自分に語れるのか。スイッチを切りかえて、深いところへ潜ってゆかねばならない。
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「日常的でない」日常の一週間

2011-06-06 17:24:55 | 生きる犬韜
以前のブログに、「どうも日常がループ化して感性が鈍化している、どうにかせねば…」といったようなことを書いたが、先週は、ふだんとはまったく異なる動きをした1週間だった。

まず30日(月)は、いつものように朝9:00からの学生センター・ミーティングに始まり、授業を経て、18:00から儀礼研究会の第4回例会。報告は、水口幹記君による「弘仁の『日本書紀』講書をめぐって」であった。近年の講書研究が、中世日本紀・中世神話に代表されるように『書紀』のなかでも「神話」にしか注目せず、しかも各時期における講書の独自性を捨象して総括的にしか論じていない点を問題視し、弘仁講書における文人官僚の知的実践の具体性、背景となる嵯峨朝の文章経国思想、歴史叙述に対する考え方に迫った力編であった。とくに、フルコトの重視という問題圏は、『日本霊異記』成立のまったく新しい視点をも提供する。よい発表とは聴く側の妄想を駆り立ててくれるものだが、報告後の質疑応答はまさに風呂敷の広げあいで、大いに知的興奮を覚えた。彼の分析視角をよくよく吟味してみると、やはり根底にはシャルチエの読書論がみえかくれしていて、20代の終わりに方法論懇話会の発足準備会で出会った頃のことを想い出した。やはり、研究を続けてゆくうえでは、憧憬の対象となるような〈学〉を持つ友人の存在が大切である。

31日(火)のプレゼミ・ゼミでは、前回の院ゼミに引き続き、学生たちが41歳の誕生日を祝ってくれた。ありがたい反面、やっぱり負担をかけているなあと恐縮してしまう。毎年のことだが、何か埋め合わせをしなくてはなるまい。1日(水)は、9:30から会議の連続。ホフマン・ホールのサークル用小会議室割り当てについて、やはりいろいろな問題が生じてくる。担当のセンター職員Yさん、Tさんと書類をやりとりし、ひとつずつ課題を片付けていった。

2日(木)は、月曜に腫瘍摘出の内視鏡手術を受け、入院している父を見舞うため横浜へ。父も、(住職のかたわら)長年東洋大学アジア・アフリカ文化研究所で西域・華南の研究に従事した学者(シルクロード史)なので、神田の東方書店に立ち寄り、最新の西域研究書を2冊ほどお土産に購入し持参した。彼は、実は昨年の同じ時期にも同様の手術を受けているので、今度は少々心配だったのだが、おかげさまで何とか元気を回復しつつあるようだった。こんなことをブログで書くのはどうかとも思うが、火曜には大量の血を吐いて2パック分の輸血をしたらしく、最初はさすがに疲労して眠っていた。起きてからはいろいろ話ができたが、ぼくが子供の頃からふざけて彼の太鼓腹を触っていたからか、スマートになった腹部に手を当てて、「へっこんじゃったよ」とおどけていたのが心に残った。それゆえに大人になりきれていないのかもしれないが、ぼくは、親に対しては悪感情を持ったことがない(もちろん、多少の反抗期はあったけれども)。常に尊敬すべき父であり、母であり、一生かかってもこの人たちを乗り越えることはできないと思っている。いや、乗り越えようとさえ思わない。父には、早く全快し、今までのように縦横無尽に活躍してほしいものである。

3~5日の終末は、上南戦(姉妹校の南山大学とのスポーツ交流戦)のため、学生センター長補佐の職責で名古屋へ出張。開会式・閉会式やレセプションへの出席のほか、各種の試合や催し物へ足を運び応援に明け暮れた(応援の各種フレーズが耳について離れない)。残念ながら上智は惜敗したのだが、学生たちは、震災の影響で練習場が使えなくなるなどの悪条件のなか、一生懸命に頑張って大いに健闘してくれた。心から拍手を贈りたい。日本古代史ゼミでは、N君がラグビー、Aさんが合気道、Mさんが応援団チアで活躍していた。
Aさんの演武には、生真面目さと凛とした美しさが溢れていた。眼差しが痛いほど真剣なので、知らず知らずのうちに感情移入し、彼女が倒されたり投げられたりする側に回ったときには、つい腰を浮かしかけてしまった(まあ、駆け寄っていったところで返り討ちにあうだけなのだが…)。Mさんは、開会式の演技から始まり、無数の試合で声を張り上げ、笑顔を振りまき、身体を酷使して応援をし続けていた。上南戦で、いちばん精神力と体力を消耗したのは、やはり応援団の彼女たちに違いない。ときには、痛み止めを飲んで演技に臨むこともあると聞いた。Mさんたちの頑張りがなければ、上智の黒星はもっと増えていただろう(ゼミ生ではないが、去年自主ゼミに参加してくれていた2年のM君も、炎天下に黒のスーツでドラムを叩き続けていた。ふだんは色白の完全草食系男子なのだが、この日は日焼けしてとても逞しくみえた)。N君は、文武両道に長けた申し分のないゼミ長だが、残念なことに、ラグビーの試合時間とレセプションの時間が重複しており、彼の試合のいちばんおいしいところを見逃してしまった。終了後に多少話をすることはできたが、傷だらけで起ち上がったところへ、「大きな怪我がなくてよかったね」などと馬鹿な言葉をかけてしまう始末。ごめんなさい。とてもカッコよかったですよ…。
ベタな表現だが、学生に感動させられっぱなしの3日間だった。しかし、教え子の試合をみるという経験は、異様に肩が凝るものなのだということを思い知らされた。
もうひとつ特記しておきたいのは、やはり学生センターの皆さんの献身的な活躍である。まさに縁の下の力持ちといってよく、いてもいなくても同じぼくなどとは違って、きびきびと立派なものだった。この3日間を通して、4月以来、職員の皆さんとの間に何となく感じていた心の〈壁〉も、ちょっとは薄く、もしくは低くなったように思われた。今後も仲良くしてもらいたいものである。そしてもちろん、実行委員会の学生たち、ホストの南山大学の皆さんには心よりお礼を申し上げる。…しかし、ふだんは授業準備に使っている土日がなくなるというのは、ぼくにとっては大ごとである。昼間の空き時間や夜のホテルでは眠気と闘いながらレジュメを作り、何とか今日の「日本史概説」も講義することができたが、上南戦がどんなに感動的でも、やはり休日はほしい。

ちなみに、南山には人類学博物館が存在し、2013年にはリニューアル・オープンとなるらしい。土曜になかを覗いてみたが、何と、元上智史学科教授白鳥芳郎氏の少数民族資料は、ここが保管していたのだった! うちに博物館がないばっかりに…と悔しくなり、上司のK氏へ久しぶりに上智博物館構想をぶちあげてみたのだが、案外に好感触で、「それ、いずれ書類を提出してもらうかもしれませんよ」といわれてしまった。果たして、具体化するのかどうか…。
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