仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

韓国時代劇とラジオドラマ『古事記』

2005-10-30 03:12:20 | テレビの龍韜
チャングムの誓い』が地上波でも観られるようになった。BSでの放送に乗り遅れた私は、喜び勇んでDVD録画している次第。
木曜、S大学の講師室で、韓国出身の先生方と、なぜか『チャングム』の話になる。新大久保駅の近くに、5000円ほどで、李朝の宮廷料理を食べさせてくれるお店があるらしい。以前、増尾さんに連れていってもらったことがあるけれど、確かにあの界隈には韓国料理のお店が多い(増尾さんとご一緒したのは、当然安くてたくさん食べられる屋台料理のお店)。こんど探して行ってみましょうかね。
しかし、テレビで観ていると、あれこそ宮廷料理だという気がします。当然のごとく、同時代の天皇は、あんな豪華なもの食べていません(将軍家はどうだったのかな?)。

BSでの『チャングム』の放送は、先日めでたく(?)終了。来週からは韓国製武侠アクション、『チェオクの剣』が始まるようです。本家本元、中国の『笑傲江湖』や『天龍八部』なんかもやってくれないかなあ(かなり場当たり的、絶対全体の構成を考えながら作っていない物語ですけどね。それこそ金庸、というべきでしょうか)。それから、今週の3日には、NHKFMで『古事記』のラジオドラマが放送されるみたいですね。稗田阿礼が戸田恵子(女性説ですね)、太安万侶が石坂浩二、藤原不比等が江守徹。今回は「神代篇」で、来年が「ヤマトタケル篇」、再来年が「雷帝篇」と、3年連続で製作されるそうです。理知的な安万侶が、次第しだいに阿礼の語りの世界に引き込まれて……という内容らしいですが、音声劇は映像より自由度があるので楽しみです。こちらの想像力もかきたてられますしね(それにしても「雷帝」って?)。
録音せねば、と思うと同時に、進んだAV環境を手に入れながら、FMのCD録音さえできない状態であるのに気づきました。今さら、テープやMDには録りたくないなあ。PC用のチューナー買ってこようかな。
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講師の憂鬱

2005-10-28 12:09:30 | 生きる犬韜
宗派の関係の学校から、来年から、日本仏教史の通史を担当してほしいというオファーがあった。
最近、自坊の法務以外に宗派との繋がりを持っていないので、責任ある仕事を回してくれるというのはありがたいことではある。ただ、来年から学務が爆発的に増えそうなので(非常勤もひとつ整理させてもらいました)、単純に時間があるかどうかという問題と、1年かけて通史を語る準備が、自分のなかで充分できるかどうかという問題がある。さらに、「親鸞聖人の信仰していた聖徳太子像は古代国家が政治的に構築したものですよ」とか、「仏教公伝の物語は中国の廃仏経験に倣って創作されたものですよ」などという話を、これから僧侶の世界へ入ってゆく人たちにしていいのかという危惧もある(ぼくはそういう話しかできないので)。しばらく考えましょう。

ところで、S大学で担当している日本思想史の件。後期は暖簾に腕押しの状態が続いている。
質問・意見が百出していた前期の学生と比べ、明らかに授業に参加する態度が「ゆるい」。登録数だけは多いけれど、半数以上が授業時間の半ばを過ぎてから現れたり、やって来てもすぐ寝てしまっていたりする。自分の言葉が届いていない、という虚しさが常にある。
昨日は授業審査のアンケートが実施されたが、案の定、「理解しにくい」「講義にまとまりがない」といった回答が目立つ(これも前期と正反対)。半分も出席していないんだから、そりゃ分からないでしょ。なかには、「ひとつの例にかける時間が長い。雑談が多い」との感想も。具体例を丁寧に説明しないと、「進め方がはやい」という苦情が来るのは目にみえている。それに、雑談なんて、まったくといっていいほどしていないんですけどね。「これは講義に直接関係ないが」と補足説明をすることはあるけれど、それをみんな雑談だと思ってしまうんでしょうか。
こういう学生をこそ惹きつける講義をしなきゃいけないんだよな、と自戒する反面、最初から聴くつもりのない人間にどう語ればいいのか、という憤りもある。フラストレーションが溜まって、昨日は他のことが手につかなかった。何度も経験したことだけど、なかなか慣れはしませんね。
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古代なら物忌みの日

2005-10-25 04:26:24 | 生きる犬韜
今日・明日と、浄土真宗最大の年中行事、報恩講が自坊で営まれます。
しかし、ぼくは夜に大学で演習があったので、寺のことはほとんど手伝わず、夕方には『霊異記』片手に飛び出しました。それがいけなかったのでしょうか……。

いくら待ってもバスが来ない。
ようやく来た「神奈中バス港南台行き」に乗り込むと、なんとぼくの後のお客さんのカードが機械に挟まって故障、本郷車庫に緊急停車。機械はさほど時間はかからずに復旧したものの、狭い通りを今日に限って水道工事していたりして、ふだん15分かからないところに30分近くを費やしてしまいました。
駅に着き、急いでエスカレーターを駈け降りようとすると(やっちゃいけませんね)、左右に広がっている人々がいてうまく通れず、ちょうど来ていた「京浜東北線大船行き」にあと一歩及ばず。もはや、予定していた「新宿湘南ライン」には間に合いません。
仕方がないので1本遅らせ、ようやく7時過ぎに大学に到着。授業開始まで30分ちょっと、ふだんなら軽食を摂っている時間ですが、妻から頼まれていた論文をコピーしに中央図書館へ。本はすぐみつかったものの、なぜかコピー機の調子が悪く、4度も機械内部で紙詰まり。それでもなんとかコピーを終え、時間ギリギリで講師室に入り、気を落ち着かせようとコーヒーで一服。
その後、演習は無事終わりましたが、帰りの電車に最大(?)の難関が……。
ボックス席の通路側に座って本を読んでいたところ、妙な気配を感じて横をみると、通路を挟んで反対側に座っていた若い男(酔っぱらい)が、とつぜん××××! 乗客一同騒然、ぼくの周囲2メートルほどにぽっかり空間ができました。様子をうかがっていると、まだ吐きそうな気配もあります。おかげで、大船駅までまんじりともできませんでした。

古代人なら、本郷車庫の時点で物忌みです。方違えをすればよかったかも。
本当は、その帰りの電車でぼくの隣に座っていた、スーツの胸ポケットにプリッツをまるごと入れて、ポリポリ食べていた奇怪なサラリーマンの話もあるのですが、疲れるので止めにします。
なんにしても、無事に家までたどり着けてよかったよかった……。
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仏教史学会大会

2005-10-24 02:27:11 | 議論の豹韜
土曜日、京都の龍谷大学にて行われた仏教史学会の大会に出席してきました。
朝一の新幹線で上洛、終電ちょっと前に帰宅という、日帰りの厳しい日程です。おまけに災害史の原稿を仕上げていたために前日は完徹、日曜も〆切を遅らせている霊異記の初校を終え、月曜の講義の準備をしておかなくてはなりません(やや死にそう)。新幹線のなかの記憶はまったくないものの、なんとか初秋の気配(10月も終わりというのに)漂う京都駅に到着しました。

なぜそれほど無理をして参加したかというと、昨年から仏教史学会の委員を拝命しており、ご報告をお願いした新川登亀男さんの司会を担当しなければいけなかったため。新川さんは午後の合同部会のトップバッターですが、いつも委員会自体に欠席しまくっているので、大会くらい働かなくては!と朝一にやって来たわけです。しかし、やはり勝手が分からないため、残念ながらまったくの役立たず。午前中は若い方々のご報告を伺って過ごしました。とくに、同じ委員の江上琢成さんによる、「覚一本『平家物語』の語る暴力と宗教」が面白かったですね。9.11以降の世界情勢を前に、宗教の暴力性を、中世史研究者の目で正面から見据えようとしたものです。彼自身僧侶ですから、真摯な情熱が溢れていて内心拍手を送りました。ぼくの隣に座っていた稲城正己さんが質問されたとおり、確かに暴力概念の定義はうまくいっていないようでしたが、近代人による断罪にならないよう注意していれば、いろいろ新しい切り口を開拓しうる方法と思います(ぼくもいま、第2期ケガレ研で暴力研究をやっていますので)。

さて、午後の新川さんの報告は、「飛鳥池遺跡出土木簡と仏教事業」。8000点に及ぶ飛鳥池遺跡出土の木簡のうち、多心経の書写と活用に関するものを読み解き、同所で行われた仏教事業の意味を考えるものです。新川さんには、やはり同じ遺跡で出土した「天皇」木簡を東アジアの文化的コンテクストのなかで読み解き、文明を超越する意味を与えられた「天皇」概念の成立を、隋唐の儒・仏・道三教の交渉過程を経た一局面として考える、力業の論考があります。そこまで議論ができればよかったのですが、質疑応答10分では無理な話です。こちらで指名させていただいた松本信道さんのご質問で、仏教の清浄性などへ議論が広がりかけたのですが、あえなくタイムアウトとなりました。新川さん、非力な司会で申し訳ございません。

大会終了後の懇親会では、先ほどの江上さん、櫻木潤さん、大田壮一郎さんら、若手の優秀な研究者といろいろ議論することができ、有益でした。いや、やっぱり関西は人材豊富ですね。宗教史懇話会でいつもお会いしている先生・先輩方、方法論懇話会の稲城さん、平野さんとも情報交換できました。しかし一番驚いたのは、古代史学界の最長老、横田健一先生がいらっしゃっていたことでした。もう卒寿は越えられているでしょう、思わず伏し拝んでしまいました。
ぼくもまだまだ青二才、がんばらねば……。
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『三宝絵』研究会

2005-10-19 22:39:12 | 議論の豹韜
昨日は、妻の高松と一緒に、成城大学の『三宝絵』研究会に出席してきました。
いつもお世話になっている増尾伸一郎さんからのご紹介で、夫婦ともども『三宝絵』などほとんど扱ったことがないのですが、とにかく勉強させていただきにうかがったわけです(しかし、1月の報告を引き受けてしまっているんですよね。どうしたもんかなあ……)。

成城の駅に降り立つと、ホームで小峯和明さんと遭遇。大学まで、「小峯道」をご一緒させていただく。民俗学研究所に入ると、篠川賢さん、勝浦令子さん、藤井由紀子さん、榊原史子さんら、いつもお世話になっている方々ばかり。増尾さんも出現。先週ケガレ研でお会いしたとき、「増尾さん長髪になったなあ」と思っていましたら、今夜はサッパリ。うかがうと、月曜にお嬢さんの三者面談があったので散髪されたとのこと。お父さん業もしっかりなさっているのです。お嬢さんに心配かけないよう、お酒はほどほどになさってください。

研究会の責任者は、日本文学の小林真由美さん。院生時代からご論文は拝見していましたが、ようやくご本人にお会いすることができました。
ご報告は、平安文人貴族研究の権威、小原仁さん。『六度集経』との関係が指摘されている『三宝絵』ですが、六波羅蜜の名称などに関しては『六波羅蜜経』の影響が考えられることを、同じ源為憲『口遊』の分析などから指摘されました。また、空也が念仏の立場から創建した〈西光寺〉が、勧進聖的な中信によって〈六波羅蜜寺〉に整備されてゆく過程を、『空也耒』の執筆などの関係から為憲が注目しており、それが『三宝絵』の六波羅蜜重視にも繋がっている、と結論されました。
とにかく何も知らないので、勉強させていただくばかり。ちょこっと発言しましたが、まったく役立たずで申し訳ない限りです。

研究会終了後は、近くの「きた前」で飲み会。
小原さんと篠川さんから、北海道大学時代の楽しいお話をいろいろうかがう。また、小林さんと、高松の研究仲間(親友?)のSさんとが、同郷で、しかも同じ曹洞宗のお寺のお嬢さんであることが発覚。小林さんは中学生時代、赤ん坊のSさんを抱っこしてあげたこともあるとか。いやはや、世間は狭いものです。
高松は、おみやげに成城名物のおまんじゅう「成城散歩」をたくさん貰ってホクホク顔。帰りの電車では終始ご機嫌でしたが、「いままで出た研究会のなかで、いちばん上品な会だった。みんなすてき。わたし場違い?」としきりに首を傾げていました。
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ケガレ研究会10月例会

2005-10-19 15:12:38 | 議論の豹韜
立て続けに研究会があり、ブログも怠け気味になっています。

先週の金曜は、立教大学で第2期ケガレ研の11月例会がありました。今回は、『ケガレの文化史』の書評会です。引き受けてくださったのは、第2期からのメンバー・高山秀嗣さん。専攻はもともと中世仏教史、いまは宗教社会学で、関東~関西を飛び回り、様々な横断的研究会を立ち上げているフィクサーでもあります。若手の注目株。多方面にわたる本ですから、読むのさえ大変だったでしょうに、果敢に批判をしてくださいました。
本全体に関わるご批判としては、やはり統一性がとれていない、ということでした。もう、執筆者全員が自覚していることですが……。ただ、私の立場からすれば、方法は問題意識と対象に応じて構成されるべきものですから、ひとつの方法が研究会の全員に共有されなくてもよい、と考えます。もちろん、分野を超えた議論は大切ですが、そこで得たものを自己の領域にもちかえり、多様な視線で対象に向かってゆく……そのことこそが、対象の豊かさを多少なりとも明らかにしてくれるのだと信じます。しかし、一般読者のためには、ケガレ概念の生成と展開をたどる通史みたいなものは、やっぱり必要だったかも知れません。理論・通史・各論が、それぞれの領域に支えられつつ相互に相対化しあう。この構成こそ、歴史研究書の王道(は嫌いなんだけど)でしょう。
内容的には、平雅行さんの殺生罪業観をめぐる議論への接続について。私的には、奈良時代には殺生罪業観は定着していなかったという、平さんの考え方にはやや疑問があります。『日本仏教34の鍵』にも書きましたが、思想としては存在していて、喧伝もされていた。問題は受容する側の認識ですが、何をもって〈定着〉ととるのかがけっこう厄介。ある意味では、日本の歴史上、定着したことなど一時期たりともないともいえるでしょう。このあたり、何か新しい切り口をみつけたいものです。

報告のあとは、高山さんの質問・批判に、執筆者ひとりひとりが反省とともに回答、新しいメンバーの方々からもコメントを頂戴しました。倉田実さん、稲本万里子さん、中澤克昭さん、土居浩さん、山口えりさん、貴重なご指摘ありがとうございました。ケガレ概念を現前する儀礼や儀式、そこにみえる仏教や陰陽道の融合と実践における分担の問題、殺生罪業観の展開の実証的確認と殺生滅罪論の位置づけ、中国文化との比較研究、動植物に対する認識の変化など、これからの研究課題が山積みとなりました。第2期は、物理的/象徴的暴力全般へと対象を拡大する予定ですので、これからの議論が楽しみです。

飲み会では、門馬幸夫さんと、社会学/歴史学の認識論をめぐって少々議論。中澤さんと、来年の某学会での〈環境〉討議?について、「殺生と後ろめたさ」をめぐる意見交換(環境史における現在の私のアポリアはもうひとつ、「人間が関わった方が自然も豊かになる」言説の分析。できれば、こちらも報告に反映させたいと思ってます)。
その他もろもろのバカ話をしまして、最終の湘南新宿ラインで帰宅。東京組は場所を変えて飲み会を続けた様子ですが、服藤さん、小嶋さん、増尾さん、お元気ですねえ……。
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『6000人の命のビザ』と『エンジェル・ハート』

2005-10-12 06:03:06 | テレビの龍韜
ずいぶんと肌寒い陽気になってきましたね。
月詣りでお経をあげていると、喉の調子で、「ああ秋が来たな」と分かります。まだ汗ばむような日でも、湿度が変わってきてるんですね。おかげて、少し風邪気味になりました。
深夜、妻と一緒に〈葛根湯〉ドリンクを飲む。妻は就寝。ぼくの時間はこれから。

それはそうと、今日は『6000人の命のビザ』と『エンジェル・ハート』を観ました。

『6000人……』は、第二次大戦下、ナチスの侵攻から逃げようとするユダヤ難民に、外務省の命令に逆らってビザを発給し続けた外交官、杉原千畝氏の物語。2000年には生誕100周年を迎えられています(1900年1月1日生まれ!)。単純に、やはり立派な人だなあと思います。
ただし、ドラマとしては臨場感に欠ける皮相な演出で残念。何か、ドキュメンタリーに挿入される再現ドラマみたいでした。
ぼくは原作を読んでいないんですけど、終戦後に不遇の日々を過ごした杉原氏の心情こそ、もっと知りたかった、ドラマとして深く描いてほしかったですね。彼のなかに、「ユダヤ人を助けたのは間違いであったのか」という葛藤があったのかどうか。助けることの叶わなかった人たちには、どのような思いを抱いていたのか。それを踏まえてこそ、ラスト、自分の救ったユダヤ人が多く平和な生活を送っていると知り、訪ねてくれたそのひとりと握手を交わしたときに溢れる言葉、「いま、私の人生は幸せであったのだと知りました。あなたのお陰です」が生きてくると思うんですよね。
イスラエルをめぐる中東情勢を晩年の杉原さんがどのように捉えていたのか、ということにも興味がわきました。本、買ってみようかな。

『エンジェル……』の方は、ぼくらが中・高生の『ジャンプ』黄金時代、一世を風靡したコミック『シティ・ハンター』の続編です。すでに原作コミックが何巻か出ていますが、そのアニメ化ですね。
ぼくは『シティ……』を読んでいなかったので、〈続編〉ということにまったく思い入れがなく、とうぜん原作本も買っていなかったのですが、なかなか面白い設定を組み立てたものです。前作のヒロインがいきなり事故死、その心臓を移植された某国の工作員が、心臓に残された記憶をたどって、主人公冴羽リョウに会いにくる……。記憶とアイデンティティをめぐる物語という意味では、この時間帯の前作『S.A.C. 2nd GIG』にも共通するものがありますね。ましてやこれも、〈死者からのことば〉の物語。
この、数年前から日本を席巻する文芸思潮?は何なんでしょうね。いつか、心性史的にアプローチしてみたいものです。
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FFIIV アドベント・チルドレン

2005-10-10 03:47:48 | 劇場の虎韜
昨日の明け方、気分転換に『FFIIV アドベント・チルドレン』を観た。
日本のCGアニメーションが、ゲームを拠点として発展していることをあらためて理解。アクションシーンのカット割り、パースのとり方には独自のものがあります。アクションそれ自体も、『マトリックス』の物まねでしかない最近の実写作品に比べれば、数段優れていると思われます(ドラゴンボールなんだけど……)。
ただ、ストーリー的にはぜんぜん新鮮味がないですね。ここ数年の傾向である、〈死者からのことば〉パターンを濃厚に反映した作品です。FF版『世界の中心で、愛をさけぶ』。

今日の徹夜のおともは、ミニッツメイドの新製品『TRIPLEBERRY』。
クランベリー・ブルーベリー・ラズベリーを配合。まさに、ぼくのためにあるような飲みもの。美味、デザインもよい。
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新番組

2005-10-08 22:32:17 | テレビの龍韜
この1週間で、アニメーションの新番組(主に深夜)はだいたい出揃いましたね。
一応、ざっと観てみましたが、あまり引っかかるものはありませんでした。ぼくの場合、決め手はオリジナリティ(つまり新鮮さ)で、あとは絵・動きがちゃんとアニメーションとして成立しているかということですが、今クールは(番組数は多い割に)かなり酷い気がします。やはり人材不足、でしょうか。来週も観てみようかな、と思わせるのは、『クラスター・エッジ』くらいしかありませんでしたね。

そのなかで、今クールの目玉のひとつ、『BLOOD+』は及第点。新鮮味はありませんけど、絵・動き・ドラマはしっかりしています。米軍との関係という設定も、ちゃんとオリジナルから受け継いでいる。沖縄が舞台というのも面白い。でも、タツノコは途中で失速するからなあ……。今後、どう繋げるかですね。主人公の日常に、一話完結的にヴァンパイアが介入してくる、なんて枠組みでは保たないでしょう。

それと、これはアニメじゃないですが、まったく注意していない方向から変なものが現れました。雨宮慶太原作・監督の特撮ドラマ『牙狼(GARO)』です。魔界の獣を狩る騎士の話ということで、ま、『デビルマン』か『スポーン』か『コンスタンティン』という、まるでオリジナリティはない作品なんですけど(相変わらずリアリティもない。それは追求していないのか)。深夜のテレビ番組にしてはけっこうお金をかけて作り込んでいて、CGもバリバリに使っています。でも雨宮慶太って、なんで芝居のできないイケメンを主人公にしたがるのかなあ……。『ハカイダー』の悪夢を思い出してしまう。『未来忍者』以来の横山誠のアクションも、相変わらずやぼったい(演出のせい?)。ハリウッドで修行してきたと、最近もっぱらの話題だけど、『マトリックス』をリスペクト(ものまね?)するより、日本の刀剣にあった新しいアクションを研究した方がよいのでは。
文句ばっかり書きましたが、でも来週も観ちゃうんだよね、きっと。
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金木犀散る

2005-10-08 21:59:48 | 生きる犬韜
昨日の雨で、境内の金木犀もずいぶん散ってしまいました。
「君はいい友人だったが……」とは呟きませんでしたが、ここ数日、部屋のなかへもいい香を運んでくれていただけに、残念です。
しかし、猫じゃないけど、この湿気は眠気を誘いますね。月参りでお経をあげながらカックン、PCに向かいながらカックン……。
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史敏来る!

2005-10-06 01:14:10 | 生きる犬韜
災害史の原稿の執筆が、だんだん軌道に乗ってきた。

いま書いている部分は、1999年に発表した「山背嵯峨野の基層信仰と広隆寺仏教の発生」(『日本宗教文化史研究』3-1)がもとになっている。でも、6年も前に書いた原稿。構想していたのはもっと前になるから、そのときの状態へ頭脳を復帰させ、さらにブラッシュ・アップしてゆくのは結構大変。4月の段階で内容はほぼ出来ていたけど、念入りに再考を重ねながら執筆しているところ。

気分転換に、一昨日、水口・榊夫妻からいただいた中国のお土産〈西湖龍井茶〉を試飲。なかなかにデリケートな味で、美味。カテキン、カフェインはどのくらい入っているのかな?

それはそうと、西湖といえば『白蛇伝』ですね。3年前、上海京劇院の日本公演を観劇したのだけど、あの舞台は素晴らしかったですね~。このところ、あれ以上の感動には出会えていません。なんといっても、白蛇の精=白素貞を演じる史敏が素晴らしかった。清潔な妖艶さ、凛とした美しさ。ひとめでファンになってしまいました。
昨日届いた『京劇ニコニコ新聞』秋季号によると、その上海京劇院が、来春またやってくるという。万歳! 演目は『楊家将』の一節『楊門女将』。夫たちの弔い合戦に立ち上がった楊家の女性たちが、西夏軍を徹底的に打ち負かすという内容です。主演はもちろん史敏さん。

今から楽しみ、そのために頑張って原稿を仕上げましょう。
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再生医療と生命倫理

2005-10-05 05:26:02 | 議論の豹韜
NHKの『クローズアップ現代』で、ヒトES細胞(embryonic stem cells)の使用をめぐる再生医療の特集を組んでいた。ES細胞は、適当な電気刺激を加えることで、神経・臓器・筋肉など、多様な人体組織へ成長しうる。アメリカでの培養成功以来、再生医療における万能細胞として注目が集まったが、こんど韓国のソウル大学チームがクローンのES細胞の作成に成功、生命倫理の問題も含め一気に議論が活発化している。

再生医療については、臓器移植と同じく、治療に他の生命の犠牲を前提とする点で、様々に批判もある。障害者を差別し、優生思想的な方向へ進んでゆく危険も否定できない。しかし、治療を望む患者を前にして、結局医学は立ち止まることはできないだろう。すでに日常的な医療行為自体が、大量の実験動物の死を前提としている以上、生命倫理をめぐる現在の議論にも、人間中心主義的なバイアスがかかってしまっている。ES細胞作成では、クローンの件はもちろん、大量の卵子を必要とすることが問題視されている(ソウル大学チームの成功の背景には、韓国社会が女性の卵子売買に寛容であったことがあるという。儒教・キリスト教の強い韓国社会が、なぜそうした現状を生じているのだろうか)。答えを出すのは、本当に難しいことである。

また、さらに問題を複雑にしているのは(今回の番組が興味深かったのはまさにその点なのだが)、上記のプロジェクトに国家の政治的・経済的思惑が大きく絡んでいることである。韓国はソウル大学のプロジェクトを全面的に支援し、クローン医療を国家的産業にすべく、世界中で特許の申請に余念がない。クローン医療が現実化した曉には、韓国には莫大な特許料が支払われることになる。バイオ先進国のアメリカはこの点に危機感を覚え、議会でもクローン医療支援に関する法案が提出されたが、保守派キリスト教を支持基盤とするブッシュは、これに反対せざるをえないらしい。東南アジアなどのエイズ治療では、アメリカの医薬品会社に支払わねばならない高額の特許料のため、充分に治療薬を揃えることができず、多くの生命が失われているという。韓国も、アメリカと同じ道を歩もうというのだろうか?

医療、倫理、宗教、政治、経済……ひとりの人間の頭脳で考えるには、どうにも限界があってやりきれない。
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易をめぐる〈縁〉

2005-10-01 02:40:50 | 議論の豹韜
易と縁、というのも妙な話ですが……。

7月、首都大学東京のオープン・ユニバーシティで、「交渉し合う神と仏」という講座を担当させていただきました。日本文学の猪股ときわさんからのお誘いで、私が古代部分、仏教大ドクターの舩田君が中世部分、猪股さんが全体のコーディネートと古代/中世の調整を担当する、という仕掛けでした。私は石原都政のあり方には反対ですが、彼が排斥する人文学の、しかもマイナーでコアな講座を、その支配領域のなかから発信するのもひとつの抵抗になる、とお引き受けしたわけです。高い受講料を払って集まってくださった皆さんは、大変に熱心。「日本の神と中国の神とはどのように違うのか」「なぜ日本では神よりも仏の方が支配的地位についてきたのか」などなど、深いご質問をいただいた次第です。
自分の研究においても、吉田一彦さんの提言を受けて始めた「神仏習合外来論」をいま一度みなおし、猪股さんや舩田君の講義をうかがって、神と仏の交渉を通史的に捉えて初めて分かる、様々な発見をすることができました。また、以前、宗教言説研究会でご一緒していた武田比呂男さん、三品泰子さん、古代文学の飯泉健司さんがサクラとして集まってくださり、毎週講義終了後は議論百出の飲み会。いや~、本当に、久しぶりに楽しかったですね。皆さん、心より感謝します。
その話のなかから出てきた、猪股さんの「更級日記」宗教論。早く論文として拝読したいですね。

そうそう、脱線していました。易の縁の話でした。
7月末、その首都大OUに通うついでに、十条にある占い専門書店〈鴨書店〉を、初めて覗かせていただいたのです。
『家伝』の読み込みから易の重要性を再認識し、また別の方向から中国の亀卜書を調べていたこともあって、どうしても筮竹を手に入れたかったのですが、あるとき、ネット上でこの本屋さんをみつけたのですね。台湾から卜占関係書を輸入し、宗教的にも学術的にも、真面目に考えているお店の様子。筮竹も売られていたので、これ幸いと出かけたわけです。
HP上の地図を頼りに探しだし、扉を開けて入ってみると、目の前にどこかでみた顔が……。
「あれ、北條先生じゃありませんか?」
なんと、鴨書店の若旦那は、私が某大学で「日本思想史」を講じていたときの学生さんだったのです。古本屋などで修行をし、いまは、お母様を助けながら働いていらっしゃるとか。びっくりするやら感激するやら。お母様の「日本の占いの知識、技術を向上させてゆきたい」という立派な志もうかがい、またまた感動。気持ちよく筮竹を買い求め(高いので中古にしました)、中国書の顧頡主編『卜筮集成』一・二(重慶出版社。いろいろ私にとって重要なことがまとめてあるのですが、出典が何も書かれていない!中国にありがちな、ちょっと?な本かも)も購入。後日、美しい手作りの布袋(筮竹を持ち歩くためのもの)もサービスで送ってくださり、三度感謝感激(でもまだお礼状も出していません。ごめんなさい)。
卜筮に関心のある方、ぜひ一度、訪ねられてはいかがでしょう。

いろいろな縁があるものだ……と感慨深く思いながら、帰宅してさっそく易を立ててみると……これが驚くべき卦が出てしまったのです。長くなりましたので、この話はまた次の機会に。
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