仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

第2回四谷会談:左門町~若葉町を歩く

2007-10-27 03:55:34 | ※ 四谷会談
9~10月は混乱を極めていたためなかなかアップできなかったが、以下、第2回四谷会談の記録である。すでにもろさんmonodoiさんのブログにコメントが出ているが、とりあえずここはぼくの視点から。

今回、9/10(月)の四谷会談は真怪研究会。テーマ設定は非常に緩いのであるが、とりあえず於岩稲荷に参拝して、怪異について語り合おうという趣向。京都からはるばるのもろさん、関東からは猪股ときわさん、武田比呂男さん、三品泰子さん、工藤健一さん、monodoiさん、野村英登さんが集まった。小雨の降るなか、まずは丸ノ内線の四谷三丁目駅前に集合。この駅は、ぼくにとっては個人的な恐怖体験(怪異ではなく、リアルな)と結びつく場所なのだが、まあそれについては語るまい。そこからほど遠くないお岩稲荷へと進んだ。途中、「日本伝統医療科学大学院大学」なる建物を発見、新宿鍼灸柔整専門学校が発展したものとのことだが、いやいや、凄い学校があるもんだ(こういう思わぬ発見のあるのが町歩きの楽しいところ)。みんなで電脳コイルごっこをしつつ、早くもお岩稲荷へ到着。

さっきまでは都市の真ん中だったのに、ひとつ裏路次へ入ると江戸っぽい町並みが残っているのが、この四ッ谷界隈の不思議なところである。於岩稲荷はいわずと知れた、『四谷怪談』のお岩さんを祀る神社。代々田宮家が神主を務めているとのことだが、ここが持っている伝承は『怪談』のものとは大きく違う。お岩さんは、窮乏した田宮家を復興した功績ある女性として祭祀されているのである。このあたり、史実と伝承、そして噂話や世間話、戯作物語が複雑に絡み合っているので、もともとの位置づけが何だったのかはよく分からない。しかし、江戸の一女性を祀る神社があり、彼女に関する祟りの物語が強く伝えられてきたことは確かである。ひとつ興味深かったのは、田宮家の家紋が「陰陽勾玉巴」であったこと。巴類は神社などでよく使用される家紋だが(北関東に多いらしい)、勾玉巴をみたのは初めてだった。きっと、田宮家が神社化してゆくプロセスと関係があるのだろう。稲荷との習合も興味深いところ。
境内で遅れてくる猪股さんを迎えると、時折激しく降っていた雨が不思議と上がった。お岩さんに歓迎されていないのかと思ったが、シャーマンの登場とともに情況が変わってきたようだ。
続いて、お岩さんを鎮めるために建てられた日蓮宗陽運寺へ。境内には、お岩さん産湯の井戸などもあり(お岩さんというよりお菊さんが出そうだった)、やはり英雄扱いである。縁結びの祈願所となっているのも、ある意味生々しい。近世以降の日蓮宗の展開についてはほとんど無知なのだが、浄土真宗とは正反対に、民間信仰みたいなものをうまく取り込みながら教線を延ばしている感がある。義母の葬儀で伺った秋田のお寺でも、明らかに霊魂の存在を認めている印象の説教を聞いた(ま、そんなに珍しいことではないか)。現代の創価学会はどうなんだろう、などとふと考えてしまう。公明党本部のある信濃町の近辺は、最近創価学会系の建物が異様に増えているのだ。

お岩さん関係の遺跡を後にして、続いて一行は周辺の寺町廻りへ。左門町から若葉町へかけての周辺は、江戸期からの寺院が多く残っていて、墓地などをみると歴史的有名人の墓が多くある。塙保己一の墓がある愛染院など、史学科の学生は一度は訪れておくべきところだろう。これらを周遊しているうち、あるお寺で動物供養墓を発見。犬用と猫用に分かれていて、写真は猫用。なかなか精悍な顔の像が載っている。付近に有名な動物病院があるとかで、どうもその関係らしい。他にも、戒行寺坂の宗福寺にて、工藤さんが尊敬する新々刀の刀匠源清麿の墓などを発見。後から知ったことだが、どうも戒行寺自体には長谷川平蔵の墓があったようだ。また今度参拝してみよう。一応、次なる目的地として定めたところは、若葉町にある浄土宗西念寺。服部半蔵が出家して開いた寺院で、半蔵をはじめとする服部家代々の墓(写真は半蔵のもの)に、彼が使っていた槍があるという。もろさんらの交渉で本堂に上がらせていただき、余間に飾られていた問題の槍も拝見。東京大空襲の被害によりやや焼けてしまい、重さ7.5kg・長さ258cmの現状だが、本来はあと60cmほど長かったらしい。柄の類焼部分からは、太い鉄芯が覗いていた。工藤さんのお見立てでは、半蔵本人のものであっておかしくない代物とか。これを自在に振り回したとしたらかなりの胆力だったのだろうが、実際は馬上で腰の辺りに抱え持ち、左右に振ることで敵をなぎ倒すという使い方だったという。坊守さんからは、大空襲などの話も伺った。ちょうど母の実家である林光寺もすぐそばで、当時の戦災の話は子供の頃からよく聞いていた。ちなみに、嘉永年間の古地図によれば、林光寺の周辺は伊賀者の集住地となっている。何か関係があるのかも知れない。

さて、その後は「わかば」で名物の鯛焼きを買い込み、上智に戻って懇話会。残念ながらネタを持ってきた人が少なかったので、ぼくの準備しておいた『The Eyes』と『化け猫』を観てもらった。前者は、前にも書いたが、洗練された成巫譚との印象がある。講義で成巫譚の話をするときには、谷川健一『神に追われて』から分かりやすい事例をピックアップして紹介していたが、この映像作品も利用できる気がする。後者は、もののけに他者了解の視点を当てはめた作品と考えている。人とはまったく異なる存在の持つ悲しみ、彼が〈もののけ〉にならざるをえなかった理由を理解できるかどうか。その残酷さ、哀切さが胸を打つ。何度観ても、観終わった後に非常な疲労を覚える内容である。
もともと、来年度パネリストを引き受けている物語研究会のシンポで〈怪異〉について語らねばならないこともあり、この懇話の場を設けた。コーディネーターからは、「言語論的転回以降の歴史学で怪異をどう捉えるか」という難しいお題を貰ったのだが、それに取り組む糸口すらまだ見つけられていないのである。幸い、一時期停滞していた四谷会談のブログでも、近代オカルティズムに関する新しい情報が入り始めた。そろそろ腰を据えて考えてみようか。
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疲労気味:宮内庁から報恩講へ

2007-10-25 22:57:23 | 生きる犬韜
24日(水)も忙しかった。いつものように、徹夜で1限「全学共通科目:日本史」の準備をし、6時過ぎには出発。講義終了後、労働者過半数代表の不在者投票を済ませ、提出期限の迫った書類を各部署へ回し、12時半前には非常勤先の大妻女子大へ移動。その講義が終わった14時半早々に校舎を出て、千鳥ヶ淵を横切り乾門前を通過、北桔橋門前へ。宮内庁書陵部の特別展示「宮内省の編纂事業」へ、ゼミ生たちを引率することになっていたのである。妻と、研究者仲間の野口華世さん、鈴木織恵さんも駆けつけ、一緒に観覧した。

内容はというと、少し学生には難解過ぎたか。一般向けに公開されている展示ではないので、やむをえないところではあるが。しかし彼らにとっては、宮内庁書陵部の建物に入るというのもそれなりにいい経験になったのではないか(な?)。目玉というべき史料はなかったが、面白かったのは、まず「図書頭医学博士文学博士森林太郎」の花押がある「六国史校訂準備委員会関係録」(大正八年一月九日)だろうか。鴎外の作品は限られたものしか読んでいないが、六国史の時代を扱ったものがあったかな、と考えてしまった。むしろ、「掌典」として名のある「佐伯有義」の方が、古代史研究者にとっては重要な名前である。ご子息の佐伯有清先生は一昨年に亡くなられたが、お手紙はいただいていながら、結局一度もお会いすることができず「お別れの会」での対面となった。他に「五味均平」「田邊勝哉」「秋山光夫」の名があったが、これも家学か!と、思わず現在の歴史学者・国文学者の名前に結びつけて考えてしまった。もうひとつ注目したいのは、『幼学綱要』に載せられた月岡芳年の挿絵と、それを受け継いだ松本楓湖の挿絵で、シチリア島火山噴火の際に老父を助けた孝行息子を描いたもの。芳年は役者絵や無惨絵なども描くので大迫力の画面、爆風に吹き飛ばされる住民たち、舞い散る火の粉や立ち上る噴煙がリアルに展開されている。一方の楓湖は、明らかに芳年の構図を写しているのだが、画力も劣るし迫力に欠ける。面白かったのは、芳年版では吹き飛ばされる人々と火の粉、噴煙が連なるように描かれている挿絵の中心部分が、楓湖版ではなぜか枝を張った樹木に変えられていること。この樹木、構図的にも文脈的にもまったく意味を持っていないので、火の粉と噴煙を思うように描けなかった楓湖が、ぼろ隠しのためにしつらえたものと想像される。

1時間ほどで宮内庁を後にし、4時には門前で解散。本当は学生たちとお茶でも飲みながら感想を聞きたかったのだが、まだ仕事が終わっていないのだ。鈴木さん、野口さんと別れてから、妻と2人で一路自坊へ。この日から2日間、浄土真宗最大の年中行事〈報恩講〉が営まれるので、6時半頃までには帰り着いていなければならなかったのである。
帰宅早々、妻は参拝にみえた門徒さんの接待の準備に駆り出され、ぼくは法衣に着替えて出勤(法要に出て勤行することをそう呼ぶ)。翌25日(木)も法要は続き、妻ともども立ち働いたが、少々風邪気味らしい。読経の声も張りがなく、異常に疲労感が残ったのであった(よって、最終的には、あまり戦力にならず…)。いま明日の特講の準備をしているが、少々テンションも下がり気味。先週の講義は波に乗れなかったので、今週は少し盛り上げておきたいところではある。
ちなみに報恩講では、覚如の作った親鸞の伝記『御伝鈔』が読み上げられるが、これは天児屋命から鎌足、不比等、房前、真楯らを経て親鸞へと至る系譜が出てくる。
それ聖人の俗姓は藤原氏、天児屋根尊、二十一世の苗裔、大織冠 鎌子内大臣 の玄孫、近衛大将右大臣 贈左大臣 従一位内麿公 後長岡大臣と号し、あるいは閑院大臣と号す。贈正一位太政大臣房前公孫、大納言式部卿真楯息なり 六代の後胤、弼宰相有国卿五代の孫、皇太后宮大進有範の子なり。
といった具合。僧侶の世界と古代史とが交錯する瞬間である。
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列島逍遥:学会・法事、寝台特急に新幹線

2007-10-23 01:34:06 | 生きる犬韜
20日(土)早朝、5時には家を出なければならないのでまったくの徹夜。父に駅まで送ってもらって、新横浜からN700系のぞみ1号に飛び乗り一路京都へ。花園大学で行われる、仏教史学会第58回学術大会に出席するためである。ここ数年委員を務めているにもかかわらず、遠方のためあまり戦力にならないので、大会にはできるだけ出席するようにしているのだ。去年は聖徳太子シンポの(強引な)司会を担当したが、今年は日本部会の第2報告「道鏡と『続日本紀』」(牧伸行氏)の司会を受け持つことになっている。本でも読みながらゆこうと思ったが、さすがにあまり読み進めることもできず、ただうとうとしているばかりであった。あえて新型車両を選んで乗ったのだが、乗り心地は別段「いい」とは感じなかった。やはり、グリーン車でなければ違いは分からないか。

会場の花園大学には、9時前に到着。方法論懇話会などで、院生のときから一緒に勉強していたもろさんが勤めているので、もう何度も来たことがある場所である。実は、ぼくが院生の頃(9年前か?)、初めて仏教史学会の大会で報告させていただいたのもココだった。受付の設営を終え、担当する発表のレジュメに目を通し、集まってくる知人たちと言葉を交わしているうちに、あっという間に開始時刻となってしまった。慌てて会場に戻り、業務を全う。牧さんの報告は、〈道鏡政権〉なるものの実態を問うもの。中西康裕氏の研究以来、道鏡事件を『続日本紀』の記事どおりに〈史実〉と受け取ることはできなくなった。しかし、関連記事には桓武朝修史事業の産物が多いとして、では実際はどういう情況だったのかを明らかにしてゆかねばならない。牧さんの分析によれば、道鏡の法王就任は、僧綱を超えて仏教界全体を統括する目的を持ったもので、法王宮職はそのための職務遂行機関であった。道鏡の側近ともいえる円興・基真は、それぞれ仏教界・世俗界との交渉を担当しており、隅寺の仏舎利出現捏造事件で処分された基真に対し、円興は道鏡が下野薬師寺に移った後も中央に留まり出世を続けてゆく。道鏡が世俗的にも権力を保持しているようにみえるのは『続紀』の演出であり(ゆえに皇位継承云々という話はありえず)、実際は称徳政権下で仏教の統括を担い、称徳崩御後も仏教界では批判を受けた形跡がない、ということである。面白い報告であった。称徳/道鏡の関係を云々するのも、我々が『続紀』以降の〈女帝の恋愛〉イデオロギーに規制されているからで、称徳にとっては(寵臣ではあっても)一機関の長以上の存在ではなかったのかも知れない。議論も盛り上がりかけたが、時間も迫っていたので強引に終了。やはり、発表30分、質疑応答10分は短い。
その後は合同部会、講演会、懇親会と無事推移。合間合間に、師さんや、同じ方法論で研鑽した稲城正己さん、去年まで関東にいた東城君たちと、休会中の方法論懇話会を復活させようという話になった。東城君が発表するというのでテーマは一任だが、個人的には、人文学界に蔓延する〈倫理至上主義〉を検証しておかなければならないという思いがある。もちろんぼく自身は、この傾向に批判的というより、むしろ積極的に推進している口である(『環境と心性の文化史』でも、環境史分野は環境思想・環境倫理と分離して語ることはできない、と主張した)。寺院という環境で育ち僧侶になってしまったせいで、この思想傾向からは逃れられない。しかしだからこそ、その足下を批判的に見つめることは必要であろうと思う。東城君の頑張りに期待したい。卒寿を超えられた横田健一先生の力強い歌声(シューベルトの「野ばら」をドイツ語で!)に励まされつつ、次の目的地へ移動すべく、7時半過ぎには懇親会場を後にした。

京都駅0番ホームで待つこと30分、9時少し前に、青森行き寝台特急日本海3号へ乗り込んだ。義母の四十九日(正確には三十五日。秋田ではこちらの方が重視されるらしい)に出席するため、一晩かけて秋田県能代市へ向かうのである。A寝台とはいえベッドのなかは狭く、しばらく本など眺めていたが、前日が徹夜だったせいかいつの間にか眠ってしまった。東能代の駅に着いたのは10時前で、義父と、一足先に来ていた妻が迎えに来てくれていた。この日、朝一のこまちで秋田入りした両親も交え、その後は滞りなく予定を消化。忙しないことだが、夕方4時頃には横浜への帰途に就いた。新幹線のなかでは、翌月曜日の「原典講読」を準備。車内の明かりで細かい写本を読むのはけっこうきつかったが、3時間弱でチェック終了、ずっと読もうと思っていて読めず、携帯してきていた小南一郎氏の論文「史の起源とその職能」にも目を通すことができた。中国の史官の起源には、射礼の際に的中した数を数える計算の職掌があるという。確かにそうだが、その技術・能力が卜占へ引き継がれるのではなく、卜占と不可分のものとしてあったと考えたい(射礼だって卜占の一種だろう)。数こそが最古の文字のありようとするが、史の成立について語る場合、その観点から歴史叙述をどう考えるのかも視野に入れておかなければならないだろう。

自宅に着いたのは12時過ぎ、やはり、本州の半分を2日で一回りするのは骨が折れる。それが可能になっている世の中というのも凄いが…。
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8コマ終わる:気を抜いたら失敗した

2007-10-19 20:49:25 | 生きる犬韜
さて、今日19日(金)で、恐怖の8コマ講義週が終わった。明日は仏教史学会で司会をしに京都出張、そのまま夜行で秋田へ移動し、明後日は義母の四十九日という強行軍なのだが、まずはよしとしよう。

昨日18日(木)はコミカレ「千代田学入門」の2回目の講義。17日(水)が1限から2コマの授業、さらに19時まで会議続きだったので、その夜すでに「限界な感じ」になっていたのだが、なんとか夕方までに準備を終えて出講した。テーマは「江戸期の災害と心性」。北原糸子さんの研究に完全に乗っかって、幕末の材木町商人による日記『虎勢道中記』にみる善光寺地震の記録、安政大地震との関連による歌川広重『名所江戸百景』の新しい読みを紹介(いずれも、神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議『年報 人類文化研究のための非文字資料の体系化』に掲載)。江戸東京博物館早稲田大学古典籍総合データベース日本社会事業大学図書館デジタルライブラリーなどのお世話になり、今回もPCを使った解説を試みた。オリジナリティーもなく、またいい加減な説明の多い講義になってしまったが、それなりにインパクトのある話にはなったのではないかと思う(すべて北川さんのおかげである)。しかし『江戸百景』については、すでに神大COEのホームページに「「名所江戸百景」と江戸地震データベース」が存在し、絵画と災害情報とを併せてみられることに後から気づいた。講義で紹介できればよかったなあ。
帰りの電車では、表象文化論学会『表象』創刊号を斜め読み。シンポジウムの記録は、それなりに触発されるものがあった。大上段に振りかぶって、「人文学の危機をどうにかしよう」という気概はぼくにはないのだが、かつて『ルプレザンタシオン』の薫陶を受けた者としてそれなりに思うところはある。史学科で歴史学を講じていながら(ついこの間もゼミの報告に対し、「これは歴史学的じゃないよ」といちゃもんをつけた)、最近自分の研究については「歴史学である」という自覚がない(事実、王道的な立場からは、内容的にも方法論的にも遠ざかっている。越境というよりは、境界が分からなくなっている状態だろう)。しかし、そうしたぼくでも史学科教員でいられるこの情況、雰囲気を、なんとか歴史学のフィールドに位置づけたいと考えているのだ。大きな物語で現場を規定し区別するのではなく、現場から新たな物語を紡ぎたいのである(これは「現場論」か?)。そのための試みとしてポジショニング構想を立ち上げてみたが、これはどうやら、現在のカリキュラムのなかで生産的に運営してゆくのは難しそうだ(と最近分かってきた)。いまは、正課を補うような課外の研究会として、フィルム・スタディーズやフィールドワークを訓練する場を設けられないかと思案中である(実は、そのために研究室へモニターも購入した)。それらが盛り上がっていけば、ぼく自身も、何か歴史学へ新しい局面が開けそうなのだが。これを読んでいる学生諸君、「ぜひやりましょう!」という人は声をかけてください。まずはぼくのおススメのフィルムを鑑賞しましょう(しかし、歴史学界で研究者としてやってゆこうと志している人は、間違いなくブランショしてしまいますので注意してください。教員志望の人は、かえってご推奨かも)。

……などという妄想に囚われて帰宅したら、今日の特講の準備が思うようにできなかった。これでは本末転倒である。講義もなんとなく波に乗れない。やはり、一週間終わるまで気を抜いたらいけない。冒頭、30分以上かけて質問に答えているのも、リズムを作れない原因のひとつになっている。早く質問回答用ページもスタートさせて、講義全体をうまく回転させてゆこう(全講義を一括してブログにしてしまおうと計画中。コメントは受け付けないようにしないと、運営できないだろうと思うけど)。

※ 写真は、水曜に研究室の窓からみた、新宿方面の夕焼け。映り込んだ蛍光灯が葉巻型UFOのようである。
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金木犀香る:早くも...の今日この頃

2007-10-13 09:50:51 | 生きる犬韜
いや、早くもピークである。とにかく8コマ、毎日1~2時間の睡眠で講義の準備をしている情況だ。来週も似たような忙しさなので(土曜は京都の仏教史学会で司会、そのまま夜行で秋田へ移動し、義母の四十九日の法要に出る)、秋学期開始早々ちょっと息切れ気味である。帰宅する度に甘く濃くなる境内の金木犀の香りが、少しだけ気分を爽やかにしてくれる。水曜に妻が連れていってくれた自然食バイキング「はーべすと」にも、ずいぶん心が和んだ(写真)。来週もがんばろう(休みはないが)。

講義の内容自体は、いずれも未だ「乗り切れていない」状態である。月曜の「原典講読」は、第二外国語の単位になるので、主に日本史専攻の学生が押し寄せている。東洋史や西洋史の手前、そう安易に単位を出すわけにはいかないので、写本を読んでの報告を課したが、「1時間程度は使って発表してください」といったらドンびきされてしまった。しかし、ほとんど2~3人のグループで担当することになるのだから、実質1人20分程度であろう。楽なことこのうえない気がする。
火曜のゼミは、相変わらずの堅実な報告で始まった。安心して聞いていられるのだが、もう30分くらいは議論に使いたいな~と思ってしまう。学生は嫌かも知れないが、それだけの準備をしてきてくれるわけで、頼もしい限りだ。しかしもう少し、発表者が質問に答えられるようになってくれるといいかな。みんな目一杯のプレゼンをして、底の底まで出し尽くしており、ストックの余裕がない感じである。プレゼミの場合は、まだ研究の仕方、発表の仕方自体が身に付いていないせいか、その傾向がさらに著しい。やっぱりブログを有効に使って訓練したい。報告者がその日の感想・反省などを書き込み、それへみんながコメントするというのはどうだろうか。やはり学生は嫌がるかも知れないが、面白いかも。
水曜、全学共通の「日本史」は、まだ環境史の概説に当たる "さわり" の部分。昨年度の「日本史」や「概説」でイントロに使った話題に、ちょっとずつ新しい知識を組み込んで話している。これらを重複して履修している学生も何人かいるが、その点に敏感に反応してくる子もある。今週は、いつも必ず行う里山の図解をしたが、「千代田学」のために勉強した草山・芝山の話題を組み入れた。どこまで本気で聞いてくれているか、分かったつもりでいるのか本当に理解しているのか、こういうときのリアクションを読むとよく分かるものだ。来週の「『もののけ姫』を読み解く」も、昨年度の内容は短くまとめ、新しい資料を増やしてある。この講義自体の重複履修は認められていないため、原則として二度聞きになる学生はいないはずなのだが、まったく同じ分析だとこちらが喋っていて面白くない。
今週・来週だけあるコミカレの「千代田学入門」は、「環境史からみる江戸の成り立ち」「江戸の災害」というテーマで話をすることになっている。今回は前者だが、水本邦彦さんの『草山の語る近世』、小椋純一さんの『絵図から読み解く人と景観の歴史』『植生からよむ日本人のくらし』に大変お世話になった。近世の絵図は極めて情報量が多く、植生や災害のありようまでが具体的に分かるものもある(古代の荘園絵図も、比較して考察すると何か新しい事実がみつかるかも知れない。ちょうど『日本荘園絵図聚影』釈文編1が届いたので、時間を作って眺めてみるか)。また、『江戸明治東京重ね地図』にもご登場願い、台地と開析谷が交錯する江戸の領域を限界まで使用し、庶民の過密に集住している様子をモニターへ映し出した。GoogleEarthと組み合わせれば、さらに効果がある。考えてみたら、PCを講義で使ったのは初めてだ(PowerPointが好きになれないので)。せっかくなので、今後はいろいろと使い途を考えてみよう。
豊田の地区センターの方では、『書紀』や『古事記』における夢告の分析を終えた。神の意志を知るための手順、作法、抽象性、表現形式などに注目してみてゆくと、天神の政治性/地祇のリアルが明確に浮かび上がってくる。奈良期のアマテラスは創られた神として未だ充分な神威を発現しておらず、徐々に認知の進むなかで、平安期に最高の祟り神として君臨するようになるのだろう(とはいいすぎか)。途中からは王朝女流日記の読解へ入ったが、今回は男性の日記と女流日記との形式、内容等の相違について話しているうちに時間がきてしまった。次回からは、『蜻蛉日記』の夢関係記事を最初から読んでゆく。ぜひ、愛妻にも講義をしてもらいたいところである。
日本史特講(古代史)II は、藤原仲麻呂による『家伝』叙述の背景。今回は、前提となる不比等→四子の政治的・文化的業績を解説していたら、あっという間に終了となってしまった。宇合や麻呂には多くの詩歌が残っているが、史学科の学生にはあまり馴染みがなかったらしい。大して時間はかけられないが、次回、幾つか紹介しておこうか。

さて、一週間の仕事が一段落した12日(金)夜は、同期の齋藤貴弘氏、同期でしかも同じゼミの原弘子さんと食事にいった。この日、齋藤君も上智のコミカレを受け持っているのだが、なんとその講義に原さんが出ているのだという。3人で美味しいピザを頬張りながら、近況などを話し合った。原さんとは7月以来だが、相変わらずパワフルである(卒業式の謝恩会で、二人でニカッと笑いながら肩を組んでいる写真があったのを想い出した)。齋藤君は翌日上智史学会例会の報告だったのだが、結局11時過ぎまで飲んでいた。案の定、今日はちょっとテンションが低かったみたいだが、やっぱりぼくのせいだろうか...。深淵へと続くバラトロン(重罪者を投げ込んで殺す深い穴)のイメージは、ぼくの想像力を多分に刺激してくれたのだが。
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雑感:ほんとうに雑感

2007-10-07 02:30:01 | 生きる犬韜
5日(金)、ここ数日、毎日のように催促の電話がかかってきていた原稿の校正を返送。今まで扱ったことのない題材で、しかも精神的に集中できなかった8月末~9月初に書いたものなので、一応は脱稿したもののまったく自身のない解説になってしまった。ゆっくり書き直したいと手もとに置いておいたが、まったくその余裕はなく返さざるをえなかった。結局1週間の遅れとなってしまい、それは私が悪いのだが、こちらの都合を考慮してくれない出版社にも、生まれて初めて大いに反感を抱いた(決して原稿料が出ないからではない。研究分野においては、見返りのないのは普通のことで、むしろ新しい勉強の機会を与えてもらえることを感謝すべきなのだ)。初めて仕事をするところなのだが、最初からもののいいようが高飛車で、電話等の印象が悪かった。原稿を送っても受け取りをよこさないくせに、こちらの連絡がないと執拗に責めてくる。編集者としての立場はよく分かるが、余裕のないなかに無理矢理仕事をねじ込んでいる、我々(あえてそういっておこう)の情況への配慮はない。向こうもそう思っているかも知れないが(「悪質だ」とかいっているに違いない)、もう一緒に仕事をすることはないだろう...というのは傲慢だろうか(傲慢だろうね)。
この日は特講を終えた後、10時半まで研究室に居残り。帰宅したのは12時半を回っていた。

今日、6日(土)は、朝から江戸期自然環境の勉強。来週から2回に渡って行う、コミカレ「千代田学」の準備である。ちなみに、1回目が「江戸の成り立ち」、2回目が「江戸の自然環境―歴史と災害―」。まったくの専門外である江戸時代の話をしなければならないうえに、来週は豊田の講義もあって授業が8コマにもなる。土日を有効に使わねば乗り切れないが、これを書いている時点でかなりピンチ色が濃い。1回目は、必要以上に環境史に偏った〈成り立ち〉になりそうである。

勉強のかたわら、『機動戦士ガンダムOO』、『電脳コイル』、『トップランナー』を観た。ガンダムは、文明と武力との繋がりを問う内容。『沈黙の艦隊』以来、サブカル分野では度々採りあげられてきたテーマだが、前作『SEED』シリーズでも重要なファクターになっていた。今回は正面から扱う模様で、どんな解答を出すのか興味を繋ぐ。絵作りは丁寧で良い(しかし、主演の宮野真守は使いすぎでは?)。
『コイル』は、だんだん異界との関係を問うスピリチュアルな話になってきた。ドラマとしてもとても出来が良く、いつか講義でも取り扱ってみたい質の高さである。来年の首都大OUのテーマが〈あの世の文化誌?〉になりそうなので、具体的に考えてみようかな。先月の四谷会談街歩きでも、参加者は口々に「古い空間が...」「眼鏡をはずすと戻れなくなるぞ」などどいいあい、いい大人(しかも研究者もしくは教員)がコイルごっこに興じていた。
『トップランナー』のモリミー氏は、割合に想像したとおりの人であった。司会のふたりのものの訊きようには少し違和感があったが(本当に愛読者なのか?)、「作品が映像化された場合、特定の芸能人に演じてほしいキャラはいるか」との会場からの質問に対する、「あくまでも文字で綴っているもので、映像をイメージして描いていないのでありません」という回答は面白かった。

そうそう、今週、同年齢の友人がひとり就職したことを知った。知り合いになってまだ日は浅く、顔を合わせることも少ないのだが、なぜか近しい感情を抱いている人である。クールにみえるけれども実は情熱家?、業績も立派で学位も持っている(ぼくとは対照的だ)。任期制助教ということだが、まずはめでたい。おめでとうございます。
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秋期開始:とりあえず更新

2007-10-04 04:19:24 | 生きる犬韜
ずいぶん更新が滞ってしまった。
先月最後の記事が義母の亡くなった件だっただけに、関係各方面にご心配をおかけしたようである。書かなければいけないコトはそれなりに溜まっていて、書きかけのまま放置してある草稿(四谷会談など)もあるのだが、とりあえずは近況を報告しておこう。

秋田より戻った週からもう大妻の講義は始まり、慌ただしく後期(最近は「秋期」という)が始まった。上智の方は、授業開始は10月だが、各種会議が入り始め、9/23(日)にはカトリック校AO入試・海外就学経験者入試もあった。帰国生は語学は堪能だが、やはり歴史の知識に問題がある。カトリックAOの受験者はそれなりに優秀であった。面接の際に他の先生方と話をしていて想い出したのだが、いつだったか、学生たちと宗教紛争について話をしていたとき、「宗教間に衝突が起きるのは宗教が枝分かれするからであり、紛争を抑止するには単一の宗教であればよい」という意見が出てきたことがあった。以前、歴史認識の対立について問うレポートに、「国連が統一的歴史認識を裁定すればよい」と書いてきた受講生もいた。今回の受験生の何人かにも、やはり同じような印象を抱いた。責任ある多様性を目指そうというのに、どうも個として立つことに耐えられない若者が多いようで、安易に〈一つになること〉を求める傾向が見受けられる(ぼくは彼らを〈エヴァンゲリオン世代〉と呼んでいる)。画一的〈生産体制〉を改め個性を重視するようになった教育が、必ずしも成功していないのは確かである。個であることが伴うべき責任は失われ、根無し草になった子どもたちが繋がりを求めて怯えている。とりあえずの安心を与えてくれる共同性であれば飛びついてしまいそうになる、ちょっと危険な情況であるような気がしてならない。

9/28(金)~29(土)には、高尾の森わくわくビレッジにてゼミの卒論中間報告合宿があった。会場となった研修施設は、もとは高校の校舎であったということで、工作室や音楽室などもある。きれいなうえにバリアフリーも徹底されていたが、宿泊室は病院の個室のようで、なんとなく圧迫感があった。4年生の報告の方は極めてレベルが高く、危機感を持って、早めに準備を始めた努力がちゃんと実っているようだった。ここで油断しなければ、かなり完成度の高い論文が書けるだろう。ひと安心である。

9/30(日)の午前中は、妻と、金沢文庫の特別展「陰陽道×密教」の最終日に出かけた。ダキニ天の修法に関する集中的な展示で、かなりコアなものである。知らないことが多く大変に勉強になった。最近の興味との関係でいえば、柳にまつわる呪法があったこと。やはり男女の出会いに関わるもので、中国・朝鮮・日本を股にかけて展開する〈柳イメージ〉解明の新たな糸口を得た。早速、後期の特講で扱うことにしよう。
この日の午後は、あと数年で廃校になる出身高校の文化祭に参加。全世代の同窓会も動きだし、元生徒会の連中も集まるというので顔を出してきた。この高校の門をくぐったのは実に18年ぶりだったが、もはや知っている先生もなく、生徒たちにも別段シンパシーを感じなかった。高校生活を送ったのは確かにこの場所なのだが、不思議なことにあまり懐かしさを感じない。やはりぼくは、場所よりも人に対する共同意識が強いのかも知れない。解体される校舎にも、「これだけ老朽化していれば仕方ないか」といった程度の感慨しか湧かなかった。現役生には申し訳ないが、文化祭自体が魅力に乏しいものだったからかも知れない。

そんなこんなで、今週から上智の秋期授業も始まった。やるべきこと、夏期休暇中(休暇だったのか?)にやり残したことが山積しているので、とにかく気忙しい。学園祭を迎える頃には、少しは余裕ができているだろうか。温泉にでもいってリフレッシュしてきたいものである。

ちなみに先日、気晴らしに脳内メーカーとにゃんこメーカーを試してみた。北條勝貴の脳内、にゃんことしてのイメージは上のとおりである。なかなかに意味深、そして笑える。妻の方は、脳内は「金」ばかり、にゃんこは寝姿であった。
そうそう、関係ないが、森見登美彦の新作『有頂天家族』はとてもよい。いずれちゃんとした感想を書きたいと思うが、余裕のない日常に一服の清涼剤?を与えてくれる。モリミー氏は今週の「トップランナー」に出演するそうなので、一ファンとしては、氏憧れの本条まなみとの対談を見逃すわけにはゆかない。必見である。
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