29日(日)は、最近体調の悪いぼくには応える猛暑だったが、かねてから決めていたとおり、脱原発の集会・デモ・国会包囲行動へと足を運んだ。15:00過ぎに日比谷公園に到着すると、集会の行われる図書館前には、もはや多種多様な市民団体のノボリが立っている。全学連や革マル派など、一見して運動家と分かる御仁もいるが、70~80歳と思われるお年寄りから10歳前後の子供たちまで、まさにフツーの老若男女が、個人や2~3人の小集団で参加しているのを、非常に印象深く感じた。
山本太郎氏や落合恵子氏の熱のこもった演説のあと、大集団はデモ行進のため順々に車道へ。しかし、警察がその動きを規制しているので、なかなかスムーズに出てゆくことができない。16:00にデモがスタートしたのだが、ぼくは公園の門を出るまでに90分かかった。その間炎天下に立ちっぱなしだったので、脱落する人もちらほら。威勢のいい全共闘世代は警察に食ってかかっていたが、交通量も多い日比谷・新橋周辺だから、まあこれは仕方がないだろう。東電本社前や経済産業省(資源エネルギー庁)前を通りながらのシュプレヒコール。もともと人と同じことをするのが好きではないので、自分の納得できない呼びかけには応じず、口にするのはもっぱら「原発やめろ」「再稼働撤回」のみ(「フクシマは怒ってるぞ!」「被爆者(被曝者)は怒ってるぞ!」といった言葉には、代弁不可能性の問題から一切呼応せず)。しかし、イルコモンズの関係者なのかな、ぼくの紛れ込んでいた集団に11歳くらいの少年がいて、途中シュプレヒコールの音頭を取っていたのが、そのオリジナリティが微笑ましく可愛らしかった。「お魚食べたい」「お魚返せ」「野菜も食べたい」「野菜を返せ」「食べ物の恨みは恐ろしいぞ!」といった一連の流れや、「放射能がいっぱいになると、生き物は地球に住めなくなっちゃうんだぞ、知らないのかー!」「地球以外に、人間の住める場所を知っているなら、教えてみろー!」「国際宇宙ステーションは住めるかもしれないけど、小さすぎるんだぞー!」などなど、単発のシャウトもあった(最終的にはエスカレートして、「子供を殺すな」「人を殺すな」「植物殺すな」「動物殺すな」「いのちを殺すな」まで来たときは、うーん、君は何を食べて生きているのかな、と首を傾げてしまったのだけれど)。
さて、40分ほどかけて日比谷公園に戻ってきたあとは、三々五々に国会議事堂へ。国会包囲にはモモや次兄夫婦も参加することになっていたので、合流できるよう電話で連絡を取ったのだが、周辺にはすでに警察の規制が入っていて自由に動くことができない。モモたちは首相官邸前に足止めされているというのでそちらへ移動しようとしたが、結局、包囲の最前線である議事堂正門前へやって来てしまった(次兄は、道路の幅と参加者1人の占める面積などから、冷静に全参加者数を計算していたらしい)。横断歩道を含め車道はすべて封鎖されてしまっているので、群衆は狭い歩道に閉じ込められ、正門正面に「ふきだまって」身動きが取れない。暑苦しさや息苦しさのために周囲は騒然とし、シュプレヒコールを繰り返すうちに、車道を封鎖している警官との小競り合いも始まった。そして19:20~25頃、一部の若者が封鎖を破ったのを契機に、正門前の車道へ群衆が雪崩れ込み、まさに「大包囲」の様相を呈した。しかし、一様に明るい顔で脱原発を叫んでいるのは、ヘルメットにタオルで顔を隠した過激派の運動家ではない。ちょっと散歩に出てきたような身なりの一般市民だ。友達どうしの女子大生もいれば、カップル、親子連れや老夫婦もいる。これはなかなかに面白い。先頭の方には各市民団体ののぼりが挙がっていたが、なかには「津田塾大学学生自治会」というのもあり、けっこう勇ましかった。
デモ終了の予定時刻である20:00近くになって、後方から警官隊の介入が始まったので、そろそろ潮時かとお濠の方へ出てきたが、主催者の「終了」の声と同時に、比較的速やかに包囲は解かれたようだ。行儀のよいことである。反安保闘争や成田闘争を境に、行政による一般社会と「運動」との分断が進み、ここ数十年の間は、「デモをする人は特殊な人」といったイメージが政治的に構築されてしまっていた。何でも政府のいうとおり、唯々諾々と従う(あるいは無関心を貫く)市民の姿は、国際的にみても極めて歪といえる。今回の脱原発運動は、そうした情況を払拭するよい機会となるに違いない。気に入らないことには、はっきりと文句をいわなければならない。
しかし、日本のデモ行動が、未だ充分熟成されていないのも確かだ。まずマナーが悪い。フラストレーションのはけ口を警官への罵詈雑言に求めたり、集団の力を笠に着て自分を大きくみせようとする人、声を挙げる自分に酔っているアジテーターなども散見されて、気持ちが萎える。国家対市民という二項対立ができあがってしまっていて、今まで原発による電気を湯水のように使ってきた自分たちへの反省は微塵も感じられず、そういう意味では、ぼくのような人間には極めて居心地の悪いところもあった。革命論的歴史観には否定的なので、「紫陽花革命」というスローガンも好きじゃない。内閣や東電を敵と定めている限りは、その目的が果たされなかったとき、「何をしても変わらない」という無気力状態に逆戻りしてしまう恐れもある。内閣は倒れなくても、変化はすでに、確実に起きているのだ。デモが日常化し、そこで様々な境遇の人々が出会い、交流することで、新しい何かが開けてゆく、そうした社会の形の到来を切に願うばかりである。
山本太郎氏や落合恵子氏の熱のこもった演説のあと、大集団はデモ行進のため順々に車道へ。しかし、警察がその動きを規制しているので、なかなかスムーズに出てゆくことができない。16:00にデモがスタートしたのだが、ぼくは公園の門を出るまでに90分かかった。その間炎天下に立ちっぱなしだったので、脱落する人もちらほら。威勢のいい全共闘世代は警察に食ってかかっていたが、交通量も多い日比谷・新橋周辺だから、まあこれは仕方がないだろう。東電本社前や経済産業省(資源エネルギー庁)前を通りながらのシュプレヒコール。もともと人と同じことをするのが好きではないので、自分の納得できない呼びかけには応じず、口にするのはもっぱら「原発やめろ」「再稼働撤回」のみ(「フクシマは怒ってるぞ!」「被爆者(被曝者)は怒ってるぞ!」といった言葉には、代弁不可能性の問題から一切呼応せず)。しかし、イルコモンズの関係者なのかな、ぼくの紛れ込んでいた集団に11歳くらいの少年がいて、途中シュプレヒコールの音頭を取っていたのが、そのオリジナリティが微笑ましく可愛らしかった。「お魚食べたい」「お魚返せ」「野菜も食べたい」「野菜を返せ」「食べ物の恨みは恐ろしいぞ!」といった一連の流れや、「放射能がいっぱいになると、生き物は地球に住めなくなっちゃうんだぞ、知らないのかー!」「地球以外に、人間の住める場所を知っているなら、教えてみろー!」「国際宇宙ステーションは住めるかもしれないけど、小さすぎるんだぞー!」などなど、単発のシャウトもあった(最終的にはエスカレートして、「子供を殺すな」「人を殺すな」「植物殺すな」「動物殺すな」「いのちを殺すな」まで来たときは、うーん、君は何を食べて生きているのかな、と首を傾げてしまったのだけれど)。
さて、40分ほどかけて日比谷公園に戻ってきたあとは、三々五々に国会議事堂へ。国会包囲にはモモや次兄夫婦も参加することになっていたので、合流できるよう電話で連絡を取ったのだが、周辺にはすでに警察の規制が入っていて自由に動くことができない。モモたちは首相官邸前に足止めされているというのでそちらへ移動しようとしたが、結局、包囲の最前線である議事堂正門前へやって来てしまった(次兄は、道路の幅と参加者1人の占める面積などから、冷静に全参加者数を計算していたらしい)。横断歩道を含め車道はすべて封鎖されてしまっているので、群衆は狭い歩道に閉じ込められ、正門正面に「ふきだまって」身動きが取れない。暑苦しさや息苦しさのために周囲は騒然とし、シュプレヒコールを繰り返すうちに、車道を封鎖している警官との小競り合いも始まった。そして19:20~25頃、一部の若者が封鎖を破ったのを契機に、正門前の車道へ群衆が雪崩れ込み、まさに「大包囲」の様相を呈した。しかし、一様に明るい顔で脱原発を叫んでいるのは、ヘルメットにタオルで顔を隠した過激派の運動家ではない。ちょっと散歩に出てきたような身なりの一般市民だ。友達どうしの女子大生もいれば、カップル、親子連れや老夫婦もいる。これはなかなかに面白い。先頭の方には各市民団体ののぼりが挙がっていたが、なかには「津田塾大学学生自治会」というのもあり、けっこう勇ましかった。
デモ終了の予定時刻である20:00近くになって、後方から警官隊の介入が始まったので、そろそろ潮時かとお濠の方へ出てきたが、主催者の「終了」の声と同時に、比較的速やかに包囲は解かれたようだ。行儀のよいことである。反安保闘争や成田闘争を境に、行政による一般社会と「運動」との分断が進み、ここ数十年の間は、「デモをする人は特殊な人」といったイメージが政治的に構築されてしまっていた。何でも政府のいうとおり、唯々諾々と従う(あるいは無関心を貫く)市民の姿は、国際的にみても極めて歪といえる。今回の脱原発運動は、そうした情況を払拭するよい機会となるに違いない。気に入らないことには、はっきりと文句をいわなければならない。
しかし、日本のデモ行動が、未だ充分熟成されていないのも確かだ。まずマナーが悪い。フラストレーションのはけ口を警官への罵詈雑言に求めたり、集団の力を笠に着て自分を大きくみせようとする人、声を挙げる自分に酔っているアジテーターなども散見されて、気持ちが萎える。国家対市民という二項対立ができあがってしまっていて、今まで原発による電気を湯水のように使ってきた自分たちへの反省は微塵も感じられず、そういう意味では、ぼくのような人間には極めて居心地の悪いところもあった。革命論的歴史観には否定的なので、「紫陽花革命」というスローガンも好きじゃない。内閣や東電を敵と定めている限りは、その目的が果たされなかったとき、「何をしても変わらない」という無気力状態に逆戻りしてしまう恐れもある。内閣は倒れなくても、変化はすでに、確実に起きているのだ。デモが日常化し、そこで様々な境遇の人々が出会い、交流することで、新しい何かが開けてゆく、そうした社会の形の到来を切に願うばかりである。