仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

いいわけ?

2010-01-28 23:11:50 | 劇場の虎韜
秋学期の講義も月曜で終了。学生たちはテストを終えれば長期休暇だが、我々は1年で最も神経をすり減らす日々が始まる。そのストレスからか、授業を終えた安心からか、昨日からどうも体調がすぐれない。今日、豊田地区センターでの生涯学習の講義を終えたあたりから、さらに風邪の諸症状が悪化している。熱は微熱程度なのだが、頭痛や倦怠感が酷く、溜まっている仕事を片付けようという気力が起きない(ブログなんて書いている場合ではない)。卒論の最終チェック、1月末〆切の論文執筆と校正2編、雑誌の特集の企画書作成など、やることはたくさんあるのだが…うーむ。こうしている間にも頭痛が酷くなってきた(ところでこれは、仕事が遅れている言い訳ではありません。あくまで現状報告です)。

仕事に集中できないからというわけではないが、この数週間で、深夜に放送していた左の2つの映画を観た。『落語娘』は、いわゆる落語ブームの中核を担った、『ファイヤー&ドラゴン』や『ちりとてちん』、そして『しゃべれどもしゃべれども』とはちょっと毛色の違う作品。『ちりとて』と同じく女流落語家が主人公だが、内容はその修業と成長の日々というより、半ば怪談話に近い。話せばとり殺されるという禁断の噺の因縁と、それに挑戦する無頼の落語家の機転、反発しつつも師匠を心配する女の弟子。『シュトヘル』に関するもろさんのコメントで想い出させていただいたが、「誰かに語らせることで噺が自己の存在を主張する」という問題は、言霊論、ひいては歴史叙述の本質に迫る内容を持っている。その噺を語ると語り手は死んでしまうというのも、乗り移った怨霊が、失われてしまった自分の死の衝撃を現在に再現しようとしているのかも知れない。結局、かかる歴史叙述への欲望は噺家の機転により阻まれてしまうわけだが…。ぼくは落語好きでもあるので、その意味でも普通に面白く観た。監督は『桜の園』の中原俊。手堅い。
『デトロイト・メタルシティ』は、映画化されたときにモモがはまって、漫画もざっとは読んだ。「この漫画が好きだ!」という女性はそれなりにいるらしいが、「何で?」と訊いてみたい。渋谷系おしゃれポップスを目指しながらデスメタルのカリスマになってしまう主人公根岸=クラウザー。彼の歌う歌の歌詞は、とても宗教者+教育者が好きだといってはいけない内容である。正直、品のいいぼくは漫画にはついていけなかったが、映画はやや薄味になっており、松山ケンイチの熱演とも相俟って面白い出来に仕上がっていた。もちろん深みや考えさせられる部分は何もないが、観終わった後、気がつくと根岸の持ち歌ポップス「甘い恋人」(カジヒデキ提供)を口ずさんでいる自分がいる。独特の魅力のある作品だった。漫画のファンも、違和感なく観られる映画だったのではないだろうか。

それはそうと、先ほどネットで、シネカノンが民事再生法適用を申請したとの記事をみつけた。残念なことこのうえない。いい日本映画を作り、いい外国映画を配給してきたのに…。こういう会社を支えられないのは、映画ファンの問題でもあるような。そういう自分も、『ハルフウェイ』以来、足を運んでいなかったしなあ。ちなみに上の写真は、シネカノン有楽町でみた映画たち。みんな素晴らしかった。
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たくさんのことを考える

2010-01-23 23:31:17 | 議論の豹韜
なんだか間の抜けたタイトルになってしまったが、まさにそういう情況なのだ。22日(金)は最後の院ゼミで、『法苑珠林』六道篇畜生部の講読を終えた。報告担当は、ぼくと特別参加の藤本誠君。仕事で忙しい合間を縫って準備し、報告してくれた。ありがたいことである。ぼくの担当したのは『捜神記』から引用の、『里見八犬伝』の元ネタになった盤瓠説話。犬と人間の婚姻譚で生まれた子孫が「蛮夷」となる、明らかに少数民族のトーテム神話のオリエンタリズム的表象だ。「全学共通日本史」でも述べたが、近世の日本では漢籍の物語が翻案される際、原話になかった「トーテム的要素」が追加されることがある。複数の物語の合成と考えれば別段問題はないのだが、どうも小松和彦さんの指摘した憑き物信仰の隆盛が絡んでいるように思う。例えば「鍛冶屋の婆」の昔話だが、これは、中国における人虎変身譚を人狼変身譚へ読み替えた事例として著名だ。原話は『太平広記』巻432所引『広異記』逸文だが、『新著聞集』『南路志』などの初見に近い翻案には、「婆の子孫は背中に狼の毛が生えている」など、原話にはないトーテム的要素が加えられている。翻案の物語が生み出される元禄年間前後は、狼害が激化し人/狼の争闘を描く資料が急増する時期で、一般の狼イメージが大きく変質する。貨幣経済の拡大により動揺する農村において、特定の家や一族(突如富裕になったような家)に対する批判的言説として、狼憑きや狼筋の物語が生まれたとしても不思議はない。恐らくは、中国の異類婚姻譚が憑き物筋の物語として捉え直され、その表象としてトーテム的言説形式が想起され援用されたのだろう。問題は想起されたものが漢籍の言説か、それとも列島の狩猟採集神話に由来するかだが、後者であれば面白い。いかに稲作中心主義が蔓延しようと、猟師や山村生活者の間にはその種の思考、伝説が残っていたはずだ。『八犬伝』など、その実態と再活性化を考えるうえで重要かも知れない。藤本君の担当してくれたのは『大唐西域記』所収の獅子/人婚姻譚であるが、両者の間に生まれた子が父を殺して追放され、やがてセイロンに王国を築くという壮大な建国神話になっている。ナーナイの動物の主神話にも似ているから〈ユーラシアの普遍的神話世界〉を幻視することもできるし、仏教思想による改変の跡を辿ることもできそうだ。『宇津保物語』に近い描写もあり、列島の古典文学における西域伝承の影響も語りうる。このような言説が中国へもたらされたときも、上記のような列島の情況と同じく、文学表現に爆発的変化が生じたに違いない。いろいろ多くのことを考えさせられた。

簡単な打ち上げを終えて帰宅すると、敬愛する猪股ときわさんから新刊『古代宮廷の知と遊戯』が届いていた。目にみえない世界(そして、目にみえてはいるが現代人が捉えるのとは異なる世界)と交感する古代人の知と技、それらを主体的に了解し、一編の音楽のように奏でた論文集である(「あとがき」にはレヴィ=ストロースへの思いも綴られている)。現代人の自分と対象としての古代の間には、埋めようもない断絶があるとよく自覚していながら、それでも古代人の心と共振し、向こう側へ届く言葉を紡ぎ出す。猪股さんのその姿勢には切ないほどの感動を覚えるし、〈作家=研究者〉としての資質に憧れを抱く。そのこととの関係で想い出すのは、ぼくの対象へのスタンスを決定的に変えることになったある研究会で最初に報告したとき、「非常に歴史学者っぽい発表で、どこに(誰に)視点が置かれているのか分からない」という批判をいただいたことである(もう10年近く前だが、強烈な記憶として残っている。初対面に近かったのではないだろうか)。それ以降、自分なりに、客観主義・客観的叙述自体を客観化しうるようになったと思う。いろいろなご恩のある方なので、その後ろ姿を拝しつつ、置いてきぼりにされないように進んでゆきたい。

23日(土)は、新居周辺の皆さんへの挨拶回りに武蔵境へ。水曜日からリフォーム工事が始まっており、多少騒音も出ているというので、早くお詫びに伺わねばとずっと気になっていた。しかし、蓋を開けてみれば親切な人たちばかりで、ほっと一安心。一度大学へ寄って、帰宅してからは森話社『日本神話の視界』に寄せたコラムの校正を進めた。担当は「環境論と神話」「神話とCG表現」の2編だったが、後者がなかなか納得のゆく出来にならず、水曜〆切のところ先延ばしにしていたのだ。〈現実にありそうなもの〉を追求するCGが神話と齟齬をきたすのは、その象徴性の侵犯にあることは誰しも気付くことだろうが、そもそもCGのリアルと神話のリアルとは存在する位相が異なるのではないか? 遅ればせながらそれに気がついて、何とか話をまとめることができた。あとは『古代文学』の初校がもう来ているし、『上代文学』も早く脱稿せねばならない。前者は穴をめぐるアジアの聖地論、後者は初期神仏習合論である。「御柱シンポ」の報告についても、まったく方向性が定まっていない。授業最終日である月曜の特殊研究(長屋王の変の周辺の再検討)の準備もしなくてはならない。
まったく、考えねばならないことが多岐にわたって多すぎる。

…しかし、仮面ライダー・アクセルは、あまりに温暖化を促進しそうじゃないか?なぜいまどき?
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『遠野物語』の狼譚

2010-01-18 04:08:32 | 生きる犬韜
16日(土)で『古代文学』の論文を脱稿し、続いて30日〆切を厳命されている『上代文学』の論文にとりかかった(研究棟の1階下に委員の方がいらっしゃるので、始終プレッシャーをかけられている…?)。ま、報告レジュメの段階である程度仕上がってはいるので、無駄な部分を削除し、未完成の部分を補足し、全体を繋げて文章化すればよい。卒論の口頭試問や期末の採点もあるので多少は遅れるかも知れないが、何とか間に合うだろう。17日(日)は授業準備に明け暮れたが、先ほどf-MAKI氏から、一昨年早稲田で行った僧伝シンポの論集の原稿依頼が届いた。〆切は4月末日になった。3月末は苦しいよと泣きついたのだが、25日には御柱シンポがあるので情況はほとんど変わらない。どこかで時間を作って早めに書き進めよう。…と書いたところで、御柱の報告要旨が今月末までだったのを思い出した。何も考えていない。こちらもどうにかしなければ。

しかし、筆の速い人は本当に続々と本を出す。畏敬する三浦佑之さんもそのおひとりだが、新年早々左の新刊『遠野物語へようこそ』を送っていただいた。こうしてカバーをよくみると、遠野からの手紙という体裁になっているんですね。洒落ている。そのものズバリ、『遠野物語』のよき入門書で、まるで旅行のガイドブックのような趣である。巻末には「遠野への行き方」も付いている。高校生にも分かる内容となっているが、彼らがこの本を手に遠野を散策している姿を想像するのは楽しい。
授業準備の傍ら繙いてみたが、やはり動物を講じている関係上、オオカミの記述に興味を惹かれた。飯豊村の人間に子供を殺された狼が村を襲うようになったため、村人たちは狼狩りを行うが、そこで力自慢の若い衆「鉄」と雌狼との死闘が繰り広げられる。講義でも話したのだが、この物語で注意したいのは、まず鉄が雌狼を撃退する方法である。なんと、衣で刳るんだ腕を狼の口のなかに突っ込んでしまう。こうした撃退法は文書によく出てくるのだが、ここで想起されるのが、『MASTERキートン』4巻収録の「長く暑い日」というエピソードだ。主人公のキートンが追ってくる軍用犬を退治するため、犬を川へ誘い込んでから布で保護した腕をわざと噛ませ、口のなかへ手を突っ込んで舌を掴んでしまう。こうすると犬は口を外すことができなくなるので、そのまま水のなかへ浸けて窒息させてしまうというわけだ。浦沢直樹がどのようにあの物語を作ったのか、もしかするとどこぞの軍のサバイバル教本にあるのかも知れないが、狼に対する民俗的知識と共通しているのが面白い。それからもうひとつ注目したいのが、狼の巣穴がある場所が「萱山」と表記されていること。先日の立教シンポでも話が出たが、中世後期の物語世界で動物たちが活躍し始めるのは、小峯和明さんの指摘どおりいわゆる「大開発時代」と関わりがある。近世には草肥確保のため、農村周辺の里山はほとんど草山・芝山となり高木はほとんどなくなってしまう。元禄年間頃から狼と人間との争闘を語る資料が増えてくることは柳田国男が臭わせているが、その背景には、彼らの住処を喪失させてゆく稲作中心主義の環境改変があるに相違ない。その意味でこの『遠野物語』の狼譚は、争闘の契機に萱山の問題が出てくる点、非常に興味深いのである。また、狼害の記録を探していて気付いたのだが、狼の被害の残酷さを伝える物語的な資料には、どうも襲われる子供の年齢を「七歳」「十三歳」と表記しているものが多いように思う。まだちゃんと統計をとったわけではないので不正確だが、ヨーロッパと同様に作為的なものを感じる。
狼は、狩猟採集社会と稲作中心主義との関係を考えるうえで重要な対象である。彼らが絶滅に追い込まれてゆく過程と、「負債」の観念が希薄化してゆく過程とは必ずリンクしている。まだ文章を書ける段階ではないが、今後もいろいろ調べてゆきたい。
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ベストセラーを疑う?

2010-01-16 17:25:55 | 書物の文韜

今日は土曜なのに、卒論発表会のため出勤。ま、センター試験で駆り出されている人々よりはいいか。代表者の4年生は、みんな頑張った。中世史・近世史は、実証的な(すぐ使えそうな)研究が多く好感触。質疑も積極的になされていたし、アットホームないい会だった。参加した皆さん、お疲れさま。うちのゼミの代表者は、進学を希望しているI君。毎年古代史はトップバッターになるので、少し緊張していた様子。ま、追々鋼鉄の心臓が形成されてゆくだろう。

ところで。昨日の帰宅電車のなか、昨年最終号(2009年12月25日号)の『週刊金曜日』「特集〈ベストセラー〉にダマされるな」を読んだ。村上春樹『1Q84』と小熊英二『1968』に対する批判である。ぼくは、両書とも実際に読んでいないので責任のある意見はいえないが、この売れ方についてはずっと胡散臭さを感じていた。『1Q84』は、モモからあらすじを聞いた時点で、その粗雑さ、陳腐さにまったく関心を失ってしまったので、この時点で論じる資格はないかも知れない(ゼミ生にも熱心なファンがいるようなので黙っておこう)。『1968』については、以前から小熊氏の言説分析のスタンスに疑いを持っていたので、ちょっとだけ書いておこう。『週刊金曜日』も「読み方注意!」なところがあるのだが、田中美津さんによる小熊批判には重みがあったと思う。それは田中さんが小熊氏に「書かれて」いる当事者だからで(『1968』には運動の当事者からの批判が多い。確かに現場に真実があるとは限らないが、小熊氏の場合、どうやら書き方にも問題がある)、両者の間には「書くことと倫理」に関わる問題が横たわっているからだ。言説分析を方法論として用いる研究者のなかには、ものごとの実存をまったく否定してしまったり、構築主義的観点から矛盾が生じるので、存在についてまったく語らない人もいる。しかし、本当にそれでいいのか、そのスタンスが正しいのかどうかは問い続けなければならない。小熊氏は、どこかで存在への問い、自己のスタンスへの問いを失ってしまったのかも知れない。

これ以上書くと自分を棚に上げることになるので止めておくが、ベストセラーにはあまり手を出したくない。本当に自分にとって価値のある書物は、恐らく万人受けなどしないと思うからだ。…しかしそう思った途端に、その考えを否定するかのような記事に出会った。『金曜日』に続いて開いた、『Newsweek』の1月20日号、62~63頁の見開きに、「世界を席巻する中国ヒット小説」とある。そこで紹介されているのは、なんと、ぼくがこのブログでも『歴史評論』でも絶賛した姜戎『神なるオオカミ』ではないか! 記事によると、何カ国語にも翻訳されて世界的ヒットとなり、中国国内では200万部を売り上げ(海賊版を考慮すると実売部数はそれ以上)、『毛沢東語録』に次ぐ史上2番目のベストセラーとなったそうだ。試しにamazonで検索してみると、上に並べてあるような訳書がヒットした。あの反共産主義、反漢民族的立場で貫かれ、偽名で書かれてさえいる本が…と驚くばかりだ。『薔薇の名前』のジャン・ジャック・アノーによって映画化もされるらしい(楽しみ)。

ぼくも万人と意見が一致することもあるんだな(この言い方は傲慢か?)。ベストセラーも馬鹿にできないか。
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折り返し点を過ぎる:「エコクリ」シンポ終了

2010-01-15 14:25:12 | 議論の豹韜
すでにどゐさんからリクエストが来ているので、遅ればせながらエントリしておこう。9・10日(土・日)、立教大学・青山学院大学・コロンビア大学共催の国際シンポ「エコクリティシズムと日本文学研究」が開催された。1日半で40人に及ぶ報告者を捌こうという驚天動地のプログラムであったが、それぞれの発表時間は10~15分で、次から次へと番組が切り替わり、飽きさせない構成にはなっていた(いつもながら長く喋りたがるぼくには、あまりにも短い時間であったが…)。趣旨についてはあらためて述べないが、日本文学研究にエコクリティシズムを導入しようという試みである。この方法論については、以前、稲城正己さんから教えていただき勉強したことがあった。そのときの印象は、歴史の代替物(アイデンティティーの根源)を自然へ求めようとするアメリカならではの方法論、という印象だったので、正直参加の依頼が来たときは、日本文学であえてこの名前を冠さなくてもいいのではないかと首を傾げた。この疑問は、当日、主催者のひとりでいらっしゃるネイチャーライティング研究の第一人者、野田研一さんにぶつけてみたが、やはり注目度の向上を狙った試みのようだった。それについては、ぼくらも方法論懇話会でやってきたから納得できる。たとえ「日本文学が自然を対象に論じ始めたのはずっと以前からだ」といいうるとしても、新しい視点や方法論を導入することで、これまでの道のりを再検討し、従来とは異なる糸口を見出せることもある。しかしそうであれば、幾つか設けられた部会のうち最初の方に、理論的なことを整理し課題を提示するグループを設けた方がよかったかも知れない(議論の枠組みが規制されるのを避けるため、あえて設けなかったのだろうか)?

ところで、ぼくがパネリストとして参加したのは、ハルオ・シラネさんの基調講演を前提にしたシンポ1「二次的自然と野生の自然」であった。シラネさんの講演は、古代・中世の環境史研究を充分に踏まえ、自然の表象の変遷を追った興味深いものだった(もちろん、その前提になっている義江彰夫さんや飯沼賢司さんの議論には、賛同しかねる部分もあるけれども)。とくに冒頭、日本文学、日本的自然観に関する通説的イメージ(いわゆる「美しい日本の私」的な)を〈神話〉として喝破したあたりには、心のなかで拍手喝采を送った。シンポ1の各報告はそれぞれに興味深かったが、印象に残ったのは山里勝己さんによる宮澤賢治への論及である。「注文の多い料理店」で鍵穴から覗く山猫の目は、人間に、自らも生態系の食物連鎖のうちにいることを気づかせるものという。賢治論としてはもちろん、ちょうど「全学共通日本史」のために猫の勉強をしているところだったので、報告されている幾つかの民俗事例と結び合わせることができ刺激になった(キーワードは、「文化のなかの野生」である)。西行の和歌表現の革新性を述べたジャック・ストーンマンさんの発表、廃墟の美をめぐる心性を批判的に捉えた佐藤泉さんの発表も心に残った。
ぼく自身は、納西族における祭署の調査の折に老東巴から聞いた「負債」という言葉と、かかる観念を反映する前近代の文学表現を追いかける報告を行った。とくに今回は、動物の主をはじめとするいわゆる対称性の神話が、稲作中心主義のなかで解体されてゆく過程に注目した。失楽園的歴史叙述になるのは避けたかったし、いわゆる野生は現在も潰えているわけではないので、稲作中心主義によって対称性の言説は周縁に追いやられてゆくが、狩猟採集を主な生業とする地域では近代まで受け継がれてゆくと結んだ。どうやら動物の主を表すらしいもの、トーテミズムの痕跡らしきものは古代の文献に発見できた。実は、動物の子孫である人間を語る言説は近世にもあるのだが、漢籍の翻案か、あるいは憑きもの信仰による可能性が高そうだ。狩猟採集社会のはっきりした形は、かなり早い時代に支配的言説ではなくなってゆく。あとは、稲作中心主義に則して生まれた神話・伝承に、対称性と呼びうるものがないかどうか丹念に調べなければならないだろう。
それにしても、報告時間15分というのは初めての経験だった。案の定、かなり間を端折らざるをえず、こちらの意図を充分に伝えることはできなかった。しかし自分自身、後ろめたさ/負債の概念を整理することができたし、シラネさんや野田さん、結城正美さんが関心を持ってくださったのは幸いだった。議論のなかで気づいたことだが、後ろめたさは具体的な行動に繋がらないことも多いが、負債は応答のアクションを必ず要請される。負債を踏み倒す正当化の言説が吐き出されるのは、後ろめたさというより、重くなりすぎた負債の意識をリセットする意味があるのかも分からない。自然に対する負債の概念がどのようにして払拭、解消されてゆくのかは、日本列島の環境文化を考えるうえで重要なポイントになるだろう。なお、野田さんは『環境と心性の文化史』を持参してくださっていて、おお、あの本がとうとう受け容れられたか…!と嬉しくなった。異分野の研究者の卵の方にもアピールできたようで、何とか首の皮一枚で繋がった感じである。
翌日は所用があって午後からの参加となった。総括では、小嶋菜温子さんの、いつもながら文学の独自性を大切にするお話に心を打たれた。ミハエル・キンスキーさんのまとめも重要だが、漢籍がいかに日本文化の構築へ影響を与えているかは、それこそ古典文学に膨大な研究の蓄積があり、ぼく自身も関わっている問題だ。参加者のなかには、「我が意を得たり」と思った人と、「今さら何をいうか」と思った人が両方いただろう。「前近代の日本にNatureを示す語はないはず」という発言も同様で、現在の研究情況では、「山川草木」「森羅」などの用法の広がりを探った方が意味がある(ちなみに別稿でも触れたが、「一切衆生」が限定的な概念であり、植物を含意しないことは広く認識されるようになってきた)。

とにかく、大変だったが新しい出会いに溢れたいいシンポであった。これでシンポ・ラッシュも半ばを終えたので、しばらくは繁忙期の校務に集中しつつ、催促の加速する原稿を書き上げるとしよう。

※ 上の写真は、稲城さんに教えてもらって以前に読んでいた本と、今回初めて知った読んでいなかった本。勉強しなければいけませんな。
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恭頌新嬉

2010-01-03 14:32:19 | 生きる犬韜
暮れは、30日(水)までかかって1本の論文をまとめたものの、他の2本までは中途半端にしか手が回らなかった。これで、1月〆切のものも含め、3本のノルマをこなさねばならなくなった。うち2本は雑誌掲載で絶対に遅らせることはできないので、シンポ・卒論査読・授業準備の合間を縫うのはかなりきついが、とにかく頑張らねばならない。脱稿した論文は50枚程度の小編で、『書紀』や祝詞にみえる、ヒトが神霊を〈汝〉と呼ぶ形式の成り立ちを追ったもの。「汝」はナムチ・イマシなどと訓むが、原義からすれば尊敬の意味を含むはずが、実例はほとんどなく対等以下の対称として用いられる。すなわち、そうした使用法の定着は神観念の変化を背景とするはずで、「神々の没落」などと印象論的に語られてきた現象を具体的に論じうる題材なのだ。動物の精霊についても話が及んだので、トーテミズムの衰滅過程にも言及したかったのだが、収拾が付かなくなりそうで今回は止めにした。9日(土)のシンポジウムで、少し触れることにしよう。

31日(木)、年賀状を書きつつ自坊の大掃除を手伝い、例年どおり除夜会へ突入。不景気のせいか今年も参拝客は多く(つまり地元で年を越す人が増えている)、合計320発の鐘が打たれた(世の中、なんと煩悩に満ちていることか)。久しぶりに幼なじみのT君(保育園より)とF君(小学校より)もやって来て、昔話に花が咲いた(ほとんどサブカルの話だが)。お互いずいぶんとおじさんにになったものだが、会話の内容は中学生の頃とほとんど変わりがない(ありがたいというか、困ったものというか…)。
1日(金)は、四ツ谷の叔父の家(林光寺)で新年会。モモにはあろうことか、指導教授から年賀状で学位論文の公開審査日時(1/14)を知らされるというハプニングが。事前に日程の調整も何もなかったらしく大慌てであった。一体、首都大(旧都立大)の学位審査態勢はどうなっているのか。
2日(土)は朝から晩まで年賀状書き。年々増える。ぼくは宛名もコメントも手書きなので、200通を越えるとさすがに疲れる。
3日(日)からは、9日のシンポに使う資料の作成を始めた。原稿やら授業準備やら、とにかくもうとりかからないと間に合わない。授業は明後日からで、冬休みもだんだん短くなる。夏休みも春休みも同じことで、大学という場所から、研究をするための余裕が少しずつ失われてゆくのは辛い。研究ができなくなれば授業の質も落ちてゆくのが道理だが、当局や文科省は授業の向上ばかりを求めてくる。勢い、休養を犠牲にして身心を酷使せざるをえないわけだが、そんな状態から優れた成果が生まれてくるかどうかは疑問である(ま、余裕があったらあったで、怠けてしまうのが人間なのだけれども)。

さて、上の写真はアラン・ムーアの伝説的コミック『フロム・ヘル』。正月からなんだが、切り裂きジャックがテーマの作品である。ジョニー・デップ主演で映画にもなったが、やはり原作の方が数段内容が濃いようだ。日本の漫画に慣れた目にはこの画は厳しいかも知れないが、静謐なデッサンと淡々としたコマ割は、やがて映画をみているような陶酔を生じてゆく。多くの人が語るように、名作には違いない。しかし、いかにムーアがビッグ・ネームであろうと、作画者はあくまで挿し絵画家のように扱われ、原作者だけが強調される宣伝のあり方には疑問を感じる。両者がどのように連携してこの作品が生まれたのか、その過程にこそ注意を惹かれる。ちなみに、ぼくの海外コミック体験は、まずは1979年映画『エイリアン』のアメコミ版に衝撃を受け、『スターログ』誌に紹介されたフラゼッタやゴンザレスに感動したところから始まっている。その後バンド・デ・シネと出逢い、メビウスやビラルを読み漁った(いちばんのお気に入りは、Emmanuel Guibertの『BRUNE』。作画の精密さは恐ろしいほどだ)。どちらかというと、書き込まれた精密な画が好きなのかも知れない。

そうそう、3月に早大高等研究所で開かれるシンポ「近代学問の起源と編成」のポスターデザインが出来上がり、企画者の藤巻和宏さんからお送りいただいた。ぼくはご覧のとおり、異様にデカいタイトルで報告予定(つまり、まだ内容を詰められていないわけだ)。言語論的転回以降の歴史研究の現場を爆心地=グラウンド・ゼロと捉え、過去を扱うこと自体にどのような意味があるのか、言葉を介して過去にアクセスできるのかをあらためて考えてみたい。…が、さてどうなることか。
本年もよろしくご教導のほど、心よりお願い申し上げます。
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