明日1日(土)は、午前中から上代文学会シンポジウムの打ち合わせ。午後から大山誠一さんの研究会があり、翌2・3日はオープンキャンパス。休日返上である。
ところで、上記シンポジウムの報告要旨を書いてこいというので、急いで下記のようにでっちあげた。まだ古代文学会シンポが終了して間もないし、他にやることがたくさんあるので方向が定まらない。本当は仏教の観相行と道教の存思との比較をやりたいのだが、上代文学会の趣旨には合わなそうだ。とにかく仏教関連でということなので、苦し紛れにまとめた。どなたかアドバイスを賜りたいところである。タイトルはとりあえず、「神身離脱の内的世界―救済論としての神仏習合―」(仮題)としておいた。
ところで、上記シンポジウムの報告要旨を書いてこいというので、急いで下記のようにでっちあげた。まだ古代文学会シンポが終了して間もないし、他にやることがたくさんあるので方向が定まらない。本当は仏教の観相行と道教の存思との比較をやりたいのだが、上代文学会の趣旨には合わなそうだ。とにかく仏教関連でということなので、苦し紛れにまとめた。どなたかアドバイスを賜りたいところである。タイトルはとりあえず、「神身離脱の内的世界―救済論としての神仏習合―」(仮題)としておいた。
日本古代における神仏習合の開始が、中国的言説の援用である点については、近年の研究でほぼ明らかになってきた。しかし、その担い手が郡司層クラスの伝統豪族層であるのか、新興富豪層であるのか、それとも僧侶たちの活動がより重要であるのかについては議論がある。前者は社会経済史的視点に偏り、神仏習合が宗教的実践であることを全く考慮していない。後者も、高僧伝類をテキストとする山林修行の可能性を指摘した吉田一彦氏説以降、大きな進展をみせていない。また、その主要な言説形式のひとつである神身離脱が、在来信仰を解体する目的で政治的に創出されたのか、それとも、近年神話的想像力の源泉として注目されている成巫譚などと同じく(第三者が)一種の宗教的境涯を示したものなのかも、ほとんど研究されていないのが現状である。神仏習合がいかなる実態を持つのか考えるうえでは、主体として実践を担った僧侶の内的世界を明らかにしてゆかねばならない。しかし管見の限り、そうしたアプローチは折口信夫の『死者の書』以外には認められない。この創作作品においては、非業の死者である滋賀津彦の死霊が南家郎女によって浄化・救済され、仏へと昇華されてゆく。その姿は、仏教に帰依することで悪身=神身を離脱する神々の姿と重なるが、神仏習合を実践した僧侶たちには、郎女のように真摯な〈救済〉の意思があったのだろうか。また、南家郎女の実践には、シャーマニズムを基底とする様々な情動が絡み付いている。僧侶の周辺にも、そのような心的世界が認められるのだろうか。神身離脱言説を生み出した中国の六朝期をみると、江南地方を中心に、山林での道教/仏教の交渉が盛んに行われている。西域より伝わった禅観経典が活発に研究・実践され、観想のなかで受けた啓示(感応)により様々な疑偽経典が誕生した。神身離脱も、そうしたなかで、最新の教説を反映しつつ創出されたと考えられる。その最初期に位置するのは廬山教団による宮亭湖の廟神救済譚だが、主人公の安世高は、かつての同学を救済したいという個人的意志で同廟を訪れる。僧伝類の常套的形式となることでやがて希薄化してゆくが、その成立時(物語の初源)において、神身離脱は明らかに個人の情動に基づく救済の意志を示していたのである。その背景には、家制度を核とする中国の祖先崇拝、非業の死者を厲鬼として忌み、祀るべきもの以外の奉祀を淫祠として斥けながら、しかし彼らを祀り鎮めざるをえなかった宗教的心性の歴史がある。中国の廟神は、かつて人間であったものが、(神仙思想の展開により様々な修行の階梯を経ることになるが)天帝や泰山府君の命を受けて任に就いたものである。中国では、祟り神を鎮める際にも、神身離脱を進める際にも、死者をどのように扱うか、救済するかという思考が前提に置かれていたのである。しかし、古代日本の神身離脱で語られる〈神〉は、自然を表象する神霊であって人の霊ではない。中国的神の苦しみは死者の苦しみだが、山や川、海や野の苦しみとは何なのか。そこに仏教的〈救済〉は成り立つのか、成り立つとすればどのような具体相を持つのか。〈草木発心修行成仏論〉の展開までを視野に入れて論じたい。今日はこれから、自主ゼミの1年生を連れて四ッ谷周辺の散策である。心配していた雨も上がり、かえって涼しくいい陽気になった。