仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

上代文学会シンポジウムへ向けて

2009-07-31 13:08:37 | 議論の豹韜
明日1日(土)は、午前中から上代文学会シンポジウムの打ち合わせ。午後から大山誠一さんの研究会があり、翌2・3日はオープンキャンパス。休日返上である。

ところで、上記シンポジウムの報告要旨を書いてこいというので、急いで下記のようにでっちあげた。まだ古代文学会シンポが終了して間もないし、他にやることがたくさんあるので方向が定まらない。本当は仏教の観相行と道教の存思との比較をやりたいのだが、上代文学会の趣旨には合わなそうだ。とにかく仏教関連でということなので、苦し紛れにまとめた。どなたかアドバイスを賜りたいところである。タイトルはとりあえず、「神身離脱の内的世界―救済論としての神仏習合―」(仮題)としておいた。
日本古代における神仏習合の開始が、中国的言説の援用である点については、近年の研究でほぼ明らかになってきた。しかし、その担い手が郡司層クラスの伝統豪族層であるのか、新興富豪層であるのか、それとも僧侶たちの活動がより重要であるのかについては議論がある。前者は社会経済史的視点に偏り、神仏習合が宗教的実践であることを全く考慮していない。後者も、高僧伝類をテキストとする山林修行の可能性を指摘した吉田一彦氏説以降、大きな進展をみせていない。また、その主要な言説形式のひとつである神身離脱が、在来信仰を解体する目的で政治的に創出されたのか、それとも、近年神話的想像力の源泉として注目されている成巫譚などと同じく(第三者が)一種の宗教的境涯を示したものなのかも、ほとんど研究されていないのが現状である。神仏習合がいかなる実態を持つのか考えるうえでは、主体として実践を担った僧侶の内的世界を明らかにしてゆかねばならない。しかし管見の限り、そうしたアプローチは折口信夫の『死者の書』以外には認められない。この創作作品においては、非業の死者である滋賀津彦の死霊が南家郎女によって浄化・救済され、仏へと昇華されてゆく。その姿は、仏教に帰依することで悪身=神身を離脱する神々の姿と重なるが、神仏習合を実践した僧侶たちには、郎女のように真摯な〈救済〉の意思があったのだろうか。また、南家郎女の実践には、シャーマニズムを基底とする様々な情動が絡み付いている。僧侶の周辺にも、そのような心的世界が認められるのだろうか。神身離脱言説を生み出した中国の六朝期をみると、江南地方を中心に、山林での道教/仏教の交渉が盛んに行われている。西域より伝わった禅観経典が活発に研究・実践され、観想のなかで受けた啓示(感応)により様々な疑偽経典が誕生した。神身離脱も、そうしたなかで、最新の教説を反映しつつ創出されたと考えられる。その最初期に位置するのは廬山教団による宮亭湖の廟神救済譚だが、主人公の安世高は、かつての同学を救済したいという個人的意志で同廟を訪れる。僧伝類の常套的形式となることでやがて希薄化してゆくが、その成立時(物語の初源)において、神身離脱は明らかに個人の情動に基づく救済の意志を示していたのである。その背景には、家制度を核とする中国の祖先崇拝、非業の死者を厲鬼として忌み、祀るべきもの以外の奉祀を淫祠として斥けながら、しかし彼らを祀り鎮めざるをえなかった宗教的心性の歴史がある。中国の廟神は、かつて人間であったものが、(神仙思想の展開により様々な修行の階梯を経ることになるが)天帝や泰山府君の命を受けて任に就いたものである。中国では、祟り神を鎮める際にも、神身離脱を進める際にも、死者をどのように扱うか、救済するかという思考が前提に置かれていたのである。しかし、古代日本の神身離脱で語られる〈神〉は、自然を表象する神霊であって人の霊ではない。中国的神の苦しみは死者の苦しみだが、山や川、海や野の苦しみとは何なのか。そこに仏教的〈救済〉は成り立つのか、成り立つとすればどのような具体相を持つのか。〈草木発心修行成仏論〉の展開までを視野に入れて論じたい。
今日はこれから、自主ゼミの1年生を連れて四ッ谷周辺の散策である。心配していた雨も上がり、かえって涼しくいい陽気になった。
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新番組の整理

2009-07-22 17:07:55 | テレビの龍韜
20日(月)、「日本史概説 I」が無事終了。それなりに「やりきった」感覚はあるが、予定の個所まではたどり着けず、最後はとても早口になってしまった。今年から、講義の本筋とは異なるコラムのようなものを「おまけ」として散りばめたので、やむなしというところか。リアクションをみると、とくに古代史専攻を考えていない学生たちは、この「おまけ」の方が楽しかったようだ。古墳壁画や六道絵、成巫譚や神殺しなど、むしろこちらの方がぼくの専門の領域なのだが…。まあいずれにしろ、今年の1年生は自主ゼミを担当したし、研究室へ遊びに来る学生も多かったので、例年より思い入れが深い。日本古代史ゼミへ入ろうという人間がほとんどいないのは少々へこむが、どこのゼミへ行っても頑張ってほしいものだ。

22日(水)、「歴史学をめぐる諸問題」終了。読書と注釈について3人の先生方にお話しいただき、最後はトンパの問題を取り上げて、読むことの一回性について強調して話した。この科目のコーディネーターは2年目だが、今年度の受講生のマナーの悪さには唖然とした。後ろ半分の席に陣取った全体の1/4程度の学生は、内職をしているか、漫画や小説を読んでいるか、机に突っ伏して寝ている。起きていてもだたぼーっとして、ノートも何も取っていないものもいた。また、遅刻が恐ろしく多く、ひっきりなしに扉が開閉する。何人か、あまりにもひどい学生には注意をしたが(出席カードを貰ってから教室を出て行き、終了後に入ってくるなど)、授業に妨げのない範囲では黙っていざるをえなかった。非常勤で来ていただいた先生方に、非常に恥ずかしく思った時間であった。自分自身を磨くことを放棄し、周囲も自分も軽んじていて平気なのだから仕方ない。気付いたときには遅かった、ということのないようにしてもらいたい。

ところで、テレビも番組改変が進み、新しいラインナップが出揃ってきた。最近、ちっともサブカル関係を書いていなかったので、少し雑感を述べておくことにしよう。
ドラマは相変わらず魅力に乏しい。日曜劇場の『官僚たちの夏』は観ているが、演出に重みが足らず、どこか再現VTRのような印象がある。官僚にも官僚の言い分があるだろうが、どうも善人にばかり描かれているのが鼻についたりもする。『オルトロスの犬』『華麗なるスパイ』は面白いのだろうか(『イケ麺そば屋探偵』は観てるけどね)。
そうしたなかで、韓国ドラマの『一枝梅』が地上波で放送開始になったのは歓迎したい。登場人物みんなが因縁の糸で繋がっている、「なんて狭い世界なんだ!」と叫びたくなる設定だが、「次はどうなる」と思わずにいられない物語作りは流石といえよう。ぐうたらで何をやってもだめな青年ヨン(顔だけはよい、そしてバクチはできる)は、実は幼い頃に無実の罪で父親を殺され家族を失った、両班のおぼっちゃんである(『王の男』のイ・ジュンギが演じている)。トラウマとして封印されていた記憶が甦ったとき、彼は義賊一枝梅(イルジメ)となって、家族の敵を探し求めてゆく。…それにしても、ヨンの体技は一気に上達しすぎだろう。チュモンでさえあんなに修行したというのに…。

アニメは、アキバ系が多くて食指が動かないが、新房昭之が『絶望先生』『化物語』でひとり気を吐いている。彼の演出は独特で(まあ、あえてカテゴライズすれば庵野系か。『化物語』のモノローグは『彼氏彼女の事情』のようだ)、1カットの情報量が尋常でなく多い。それは、宮崎駿や大地丙太郎のような動きの精密さ・豊かさではなく、押井守のような語りの氾濫でもない。背景の壁に貼られた貼り紙・黒板に書かれた書き込み、登場人物の心象を文字化したフラッシュなど、刹那的に出現するテキストの過剰性である(前者を、作品世界の心象を文字化したものとみることもできるだろう)。それはもう、視聴者に読まれることを前提とはしていない。しかし努力して?それに触れることで、視聴者は世界を相対化しより豊かなイメージを持ちうるし、逆により一層テキストの網の目のなかに絡め取られてしまうことにもなる。注釈自体を本質とする演出法とでもいおうか、なかなかに面白い感覚である。

まあ、そんなことはどうでもいいが、今季はドラマもアニメも不作なようだ。テレビばっかりみてないで仕事をしろ、ということかな。
春学期の講義も、木曜の豊田地区センターの生涯学習の講義、金曜の特講と院ゼミ、月曜の首都大OUの講義を残すばかり。あ、来週の金曜に1年生の自主ゼミ生を連れて四ッ谷史跡めぐりもやるのであった。…「ばかり」どころじゃない、まだけっこうあるな。

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議論の場への関わり方

2009-07-16 02:25:34 | 生きる犬韜
春学期もいよいよ最後の週に入ろうとしている。もろもろの講義をどのように締めくくるか苦心するところだが、一方で、9月から始まる各種入試の役割分担や来年度カリキュラムの編成など、会議で走り回らなければならないことが多い(今日も終日会議であった)。すでに、8~9月もほとんど休みがないことが分かっているが、仕上げねばならない原稿も多いので調整が厄介だ。とりあえず、先に依頼を受けたものから順に片付けてゆくしかない。

12月の上代文学会シンポ、来年3月の近代学問シンポの件も動き出した。前者は今月中に報告要旨をまとめなければならないようだが、まだ古代文学シンポが終わったばかりなので、まったく妙案が浮かんでこない。後者は、近代学問が成立する際自らに課してゆく歴史構築をとりあげ、「アイデンティティー形成(自己正当化)と無関係な歴史叙述は実践しうるか」をテーマに掘り下げてゆくことになりそうだ。歴史的営為の根幹に関わる難問なので、準備に充分時間を割きたいところだ。1月には環境国際シンポもあるので、めいっぱいがんばらねばなるまい。

少し早いが春学期の授業を振り返ると、1年生の自主ゼミ、2年生のプレゼミ、3・4年生のゼミ、院生の院ゼミ・修論演習と、あらゆる世代の演習を担当したことが印象深かった。1年生の自主ゼミは、当初集まった17人から13人にまで絞れてきたが、それぞれにやる気のある学生が残ってくれてこちらも気合いが入る。前回はテーマを決めてフリー・トーキングを行ったが、五月蝿くなるくらいに議論が百出し、学生たち自身も大いに盛り上がっていたようだ(懸命に頭を働かせてくたくたになっていたが)。その前の時間にゼミ報告の仕方について話し、
【他の人の発表を受ける、参考にする】
・自分と比較し、良い点・悪い点を考えてみる。自分だったらこうする、と常に意識する
・ひとつの文献を輪読したり、ひとつのテーマを繰り返し報告する場合 →先の発表者の内容を把握し、その問題意識や課題を引き継ぐ。自分の報告のなかにリンクを設け、復習しながら進める
【質疑応答の態度】
・原則として、質問にはすべて回答できるようにしておく →該当する知識のない質問でも、推測して答える訓練を積む
・批判に対する姿勢 →自分を発展させてくれるもの、ありがたいことと受け止めねばならない
・質問者の礼儀 →報告者への攻撃ではなく、その場の議論を活発化させるような質問、報告者の視野を広げてあげられるような質問を心がける
といった諸注意を強調したのだが、ひとりひとりがちゃんと受けとめてくれたようだった。上記のことは、上級生のゼミはもちろん、近年は学会においても守られていないことが多い。みんな自分のことだけしか考えておらず、興味本位の質疑に終始して、関心がなければまったく発言しない。結果、報告の場は極めて非生産的なものに堕してゆく。これは参加者個々人の自覚の問題で、ゼミの場合は先輩や後輩との繋がり、学会の場合は(過去から未来へわたる)学問共同体や社会全体への意識の持ちようとも関わってくる。自分の参加している議論の場を活性化することが、結局、いちばん自分自身のためにもなるのだ。
上級生のゼミではこのところ議論が停滞気味だが、これはぼく自身が沈黙に耐えられず、最終的に補足説明をしてしまうこととも関わりがあろう。ぼくも一切発言をせず、重い沈黙が流れたままでゼミが終了したら、参加者それぞれはどんな気持ちになるだろうか。学生にも研究者にも、「お互いに切磋琢磨する責任」がある。

21:30前に大学を出て横浜へ下り、いつものとおり23:08港南台駅発のバスに乗り込むと、最後尾の空いている席へ座ろうとした途端に「北條君」と声をかけられた。はっとして顔を上げると、そこにはK学院大学のS先生が。住所はすぐ近くなのでいつ顔を合わせてもおかしくないのだが、言葉を交わすのはずいぶん久しぶりであった。
「今日、ちょうど君の噂をしていたところだったんだよなー。こういうことってあるんだな」
「え?何ですか(…こ、怖い)」
「いやいや、さっきまで横浜でB社のY君と本の打ち合わせをしてたんだけどね、君の論文は難しいという話をふたりでしてたんだ」
「……」
その後は、昨今の大学の情況など世間話をしつつ、「君の論文はカタカナ言葉が多い。ああいうのは表に出してはダメ」などとお小言を賜ったのであった。うぅ…。

※ 写真は森公章氏の新刊で、出土文字資料を駆使すればこれだけ具体的に奈良貴族の日常生活が描き出せるという、古代史学の知的刺激に満ちた一冊。春学期の日本史概説・日本史特講でやろうとしたこと、秋学期の特殊研究でやろうとしていることに近い。しかし、それでも四神相応に関する鈴木一馨説を踏まえていないのは、社会経済史と思想史や宗教史の間に横たわる溝が、意外にも未だに深いことを感じさせる。
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大妻女子大学 草稿・テキスト研究所見学

2009-07-12 02:31:03 | 書物の文韜
諸々の事務仕事に追われている。ぼくが中心になっているプロジェクトがひとつの節目を迎えているのと、来年度カリキュラムの人事関係が騒がしくなっているためだ。上智がグローバル・トップ30に採択されたことも、今後さまざまに影響を及ぼしてくるだろう。来年1月には国際シンポもあるし、ちょっと錆びついてきた言語能力を磨き直さないといけない。どさくさに紛れて?、『歴史評論』の最新号も刊行。サブカルチャーの連載も1年を終了し、残すところあと2回となった。だいたい当初書きたかったことはすべて書き終えたので、最後はジブリで締めようと思っている。

ところで、先月の18日(木)に伺った大妻女子大学 草稿・テキスト研究所の件をずっと書いていなかったので、ここに記録を留めておきたい。

この研究所、詳しくは上記にリンクを張ったホームページを参考にしていただきたいが、このところ方法・理論が急速に整備されてきた生成論の基盤を確立するため、直筆原稿等の資料収集と調査・研究を目的に設立されたスポットという。上智でも、キリシタン文庫のほかに、所蔵している漢籍の整理が進んでいるが、大学が入手した文学や歴史関係の典籍を管理・活用する意味もあるのだろう。ぼくの院ゼミに参加してくださっているFさんが同所で非常勤助手をされており、また院ゼミのテキストである『法苑珠林』の寛文9年版本の複製があるという話を伺ったので、院ゼミメンバーでお邪魔させていただいたわけである。
まずは問題の『法苑珠林』をみせていただき、現在輪読中の六道篇部分の複写をお願いした後、所蔵資料からそれぞれ希望のものを出していただき閲覧。Fさんのおかげで、本当にこれでいいのかと思うほど好き勝手に(?)、貴重な典籍を拝見させていただいた。現在、明治書院から刊行されている中国古典小説選の底本となっている『遊仙窟』の刊本(そういえば、「穴」の報告で扱うのを忘れた)から、浅井了意の『観無量寿経鼓吹』、『観音霊場記図会』、写本の『馬医書』、『関ヶ原軍記』など。ぼくは近世仏教史についてはちゃんとした知識がないのだが、『鼓吹』の持つ三国的広がりには驚かされた。やせ細った近代教学に矯正される以前の浄土真宗には、儒教や道教、中国神話をも包摂した豊かな宗教世界が広がっていたことを確認。観想に関係することでもあるし、いずれちゃんと取り組もうと心に決めた。『馬医書』は本当に実践的な馬医の覚書だが、斯界では非常に貴重な資料なのではないかという印象を持った。ちゃんと研究されているのだろうか。されていないだろうな。院生のH君が眺めていた『関ヶ原軍記』は、研究所のデータでは刊本扱いだったようだが、明らかに写本であることを確認。しかし、奥書も識語もなく、来歴がまったく不明である。表紙に偽書である旨の書き込みがあったが、一体誰がどのような目的で書き写したものなのだろう。同書についてはそれなりに研究があるようで、上智出身者にも専門にやっている人がいるようだが、興味は尽きない。

見学会終了後は、Fさんからお茶を煎れていただき談笑。まったく今回は彼女にお世話になりっぱなしで、感謝してもしきれないほどだったが、ふだんは非常に物静かで文学少女然としたこの人の、本当は極めてはじけたキャラクターがこのときに全開になった。これまでいい方向に誤解していた院生諸君はア然としていたが、やはり、人間というものはちゃんと付き合ってみなければ分からないものだ。彼女の婚活のために?、ぼくはこのブログに山本耕史を応援するコーナーを作成しなければいけないらしい。Fさん、お願いですから自分で作ってください。
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走り出す方向

2009-07-08 01:47:57 | 生きる犬韜
古代文学会のシンポジウムが終わり、そのために後回しにしていた勤務校の諸業務に追われている。今週はプロジェクトの書類作成と調整作業、溜まっている講義の回答ブログの更新に忙殺されそうだ。
京都造形芸術大学の『地域学』の初校も、「7/14まで」ということで送られてきた。つい4ヶ月ほど前に書いたものだが、こんなに自分を赤裸々に出していたか、と少々驚くような内容である。歴史学の論文ではありえまい。ぼくのなかでは、一昨年に亡くなった義母に対する〈喪の仕事〉の、とりあえずは節目となる原稿だったので、とくに丁寧に仕上げたい気持ちがある。その点、角川書店の編集さんがずいぶん綿密に編集者校正をしてくれているのでありがたいのだが、正直ちょっと鬱陶しい面もある(…ごめんなさい)。正鵠を射た指摘はもちろん嬉しい限りだが、どうして分かってくれないのかな、と首を傾げるコメントも多い。ま、最初の読者だと思って真剣に対応することにしょう。

それにしても、この〈喪の仕事〉は、自分ではずいぶん順調に進めているつもりでいたのだが、実はそうでもなかったらしい。昨日、首都大学のOUで「死者への恋慕―宮澤賢治の世界と近代オカルティズム―」という講義をしたのだが、冒頭、テレビ版『世界の中心で、愛を叫ぶ』に登場する詩を読んでいる際、思わず(本当に突然に)泣きそうになってしまった。『物語研究』とこの『地域学』の〈死者もの〉を仕上げて、そろそろあの世からは遠ざかろうか(遠ざかっても大丈夫かな)と思っていたのだが、どこかでもう少し付き合うことになるかも知れない。
一方で、ぼくの意識を違う方向へ向けさせようとするベクトルも働いている。昨年早稲田大学高等研究所で行った僧伝シンポ以来、「修行の実践とテクストとの関係」というポストモダンの根幹に関わる問題が頭をもたげてきているのだ。先日の古代文学会シンポでの報告もこの延長線上にあるが、〈穴〉などという厄介な対象を扱うと、やはりいつの間にか死・死者の方向へ引っ張られてしまう。11月の上代文学会シンポでは、もう少し実践の根幹に迫る議論を展開せねばなるまい。高等研究所のf-maki氏からは、さらに近代学問の成立に関するシンポへも誘われているのだが、こちらは死者と関わることはなさそうだ(オカルティズムに走らない限りは…)。
また、古代文学会シンポの懇親会では、来年開催予定という、諏訪大社の御柱祭に関するシンポのお誘いを受けた。そうそう、伐採抵抗の件もちゃんと進めておかなければならない。日本人の樹木表象の究明はぼくにとってのライフワークなのだから。決意を新たにしていると、本日某大学から、1月に環境関係の国際シンポをやるので何か報告してくださいという依頼が舞い込んだ。うー、スケジュール的にはそれこそ死ぬ思いをしそうだが(年に何回パネリストをやっているのか)、絶妙なタイミングの提案ではある。頭脳的にはしばらく停滞を続けているので、あえて活性化させてやろうという天譴…いや配剤だろうか。

「後ろは振り返らない主義なんで」といってみると恰好いいが、ぼくの学問は、要はやりっぱなしの書き捨てなのだ。時期的に、そろそろまとめをしなければいけないのだけれど、とにかくその時々の機縁で野放図に広がり突っ走ってゆく。もはや、(学生に指導するのとは正反対に)学界における必要性などまったく考えていない(本当は、「学界における必要性」より必要なことがある、と思っているわけです)。それでも、北條に書かせてやろう、報告させてやろうという依頼を次々いただけるのだから、これは幸せなことだ。期待には応えなければなるまい。
自分がこれから何を明らかにしてゆけるのかは、きっとぼくを支えてくれる人たちが教えてくれるだろう。とりあえず、走り出してみよう。

※ 写真は、モリミー氏の新作と、『幽』の最新号。後者は遠野物語の特集だが、ちょうど購入した日に講義で遠野の話をする予定だったので、ちょっと驚いた。おまけに安藤礼二さんも書いていて、その主題が「死者の再帰」とメーテルリンクだったのだ。うーむ、このシンクロは…。
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繭の中身

2009-07-05 03:10:09 | 議論の豹韜
7月に入って、今年最大のヤマ場が続いている。このヤマ場は山脈のようで、ひとつ越えるとまた次のヤマが待っているのだから、なかなか安らげない。ほとんど寝られないし、どうしても眠くなると仮眠を取るが、30分後には起きねば、1時間後には起きねばと思って横になっているので、結局は疲れが取れない。勢い、ブログにも「おことわり」を表示して更新をストップしていたが、今日学会で「北條さんがブログにあんな掲示を出すのは初めてなので、みんな心配している」との噂を聞いた。あんまり心配をかけては申し訳ないので、少し近況をアップしておくことにする。順番からいうと、6/18(木)に大妻大学の草稿・テキスト研究所を見学させていただいた件、6/27(土)の上智史学会の例会の件を先に書かねばいけないのだが、まずは記憶の新しい今日のことから。

今日4日(土)は、かねてから準備を進めていた、古代文学会の連続シンポジウム「トポスの引力」の当日だった。6/8の打ち合わせ以来、ようやく方向性は定まったのだが、準備に割ける時間がなくレジュメの作成は困難を極めた。それこそ、通勤・帰宅の電車のなかでも研究文献・漢籍資料を読み込んでいったが、予行演習に当てていた前日金曜の院ゼミの時点でも、未だ内容が完成していない。これは困ったと思ったが、だからといって、方針を変更し内容をコンパクトにする感性は持ち合わせていない。金曜の完成度80%の時点でレジュメ枚数はA4版17ページに及んでいたが、さらに資料を付け加えたうえで全体を整理し、徹夜で16枚程度にまとめることができた。しかし報告時間は30分なので、通常の講義なら半期は喋れるこの内容を、全体の主旨を損なわずかいつまんで説明できるかどうかがポイントとなる。会場へ向かう電車のなかでも予行演習してみたが(観相行!)、なんとか30分強で話せそうなラインを掴むことができた。

そして、共立女子大学での本番。30分は越えたが、40分弱でまとめることができた。それで聴いている側は分かってくれるのか?、報告として無理があるのではないか?、という批判が出るのはもっとものことだろう。しかし、それでもちゃんと受けとめてくれるのが古代文学会の恐ろしさである。質疑応答で次々繰り出された本質的な質問が、そのことを証明してくれていた。天皇なるものの誕生の問題(これを、歴史学のように政治や制度のみから語っても回答にはならない)、祭儀に関わる湧水・流水の意味の相違、都に穴がある意味、王と穴の関係などなど、頭をフルに回転させなければ答えられない質問が続出した。これこそが古代文学会だ(呉さんにいただいた天皇への昇華の質問は、歴史学的には答えようもあったが、それで満足いただけないのは分かっていた。自分で限界が分かっているので消極的な答えとなったが、やはり以前も「樹霊に揺れる心の行方」で述べたように、自然神を越える新たな神としての立場を喧伝する祭儀の繰り返しに意味があろう。そして、その〈事実〉を人々の身心に刻印する大規模開発である。今回の報告ではシンボリズム的分析に終始したが、伊勢や熊野が苦行の果てに現れるように、造都事業の重要さを忘れてはならない)。
一緒に報告した安藤礼二さんのご報告も面白かった。ライフワークである折口信夫の『死者の書』『死者の書 続編』が持つ意味を、中上健次の創作活動における折口との格闘から明らかにし、現在ベストセラー中の村上春樹『1Q84』へと繋げてゆく。彼らが発見し、再構築することで文学的営為の再生を試みた想像力の源泉こそが、うつろな穴の持つ求心力とコモリによる転生の問題なのだ。量は多いが浅薄なぼくの語りと異なり、安藤さんのひとつひとつの言葉には力が籠もっていた。
中上の折口学も、そして安藤さんの折口論・中上論も、茅山道教の修行者が洞天と一体化するために自分の身体の隅々へ心の眼を凝す存思の行、空海が一如と一体化する境地を目指した即身成仏の行に重なるものがある。折口が書くことができなかった「頼長のみた空海の姿」は、どんなものだったのか。質疑応答のなかでも触れたが、中国の屍体不壊伝承でも、最終的にはその記述=物語化を拒否してゆくベクトルがある。繭のなかには何があるのか、箱の中身は何なのか。戦慄を呼ぶその秘密の開陳にこそ、穴というものの持つ本当の意味が隠されているのだ。歴史学というディシプリンでどこまで立ち向かえるかは別として、それを明らかにすることにはきっと大きな意義があろう。

安藤さんとぼくの話が噛み合い過ぎており、対立点がほとんどなかったので、シンポジウムとしては少し盛り上がりに欠けたかも知れない。しかし、90分に及ぶ質疑応答の長丁場も間断なく議論が続き、それなりに意味のある内容にはなったと思う。終了後は、頭も体もフラフラになった。懇親会では、古代文学会の重鎮の方々から、さらにいろいろなご意見をいただくことができた。新たなシンポジウムの仕事も舞い込み、来年度以降の研究の方向性もみえてきた。毎年2~3回シンポのパネリストを務める状態が続いているので大変だが、その都度見聞を広めることができているのでありがたい限りだ。
それにしても、今回の報告は、周囲の仲間たちの研究やアドバイスに支えられて成り立ったといっても過言ではない。安藤さんはもちろん、運営委員のうち今回の担当の津田博幸さん、山田純さん、首都大OUの後に話を聞いてくださった猪股ときわさん、三品泰子さん、院ゼミで示唆を与えてくれた早藤美奈子さん、松浦晶子さん、深澤瞳さん、林直樹君に感謝である。また、会場には卒業生のM君とN君が駆け付けてくれた。企業の荒波に揉まれる彼らが、学問に真剣に取り組む人間たちの姿から、何かを感じてくれればよかったのだが…。徹夜の準備中BGMとしてずっとテンションを維持してくれていた、東京事変「閃光少女」にも感謝しよう。

※ 写真は、中沢新一訳のレヴィ=ストロースの講義録集と、ユリイカのメビウス特集。レヴィ=ストロースは、ぼくのナラティヴの起源でもあり、その意味でとても巨大な穴だ。メビウスは、ぼくがマンガ家修行をしていた頃、生きた伝説として手塚治虫より遠くにいた。行きたいが行けなかったシンポの記録が出ており、感激。
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