モモに誘われて始めた。確かに、ここに書き込んでいるとブログを書かなくなるかも知れない。
公私ともに親交のある花園大の師茂樹さんが、第53回日本印度学仏教学会賞を受賞したようだ。いやー、めでたい!おめでとうございます!お祝いしようお祝い。師さんがいなくてもやろう。
京都の清水寺で、江戸初期に再建された国宝本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち、12本にシロアリ被害が発生しているという。さてさて、清水寺はこのシロアリをどうするつもりなのだろう。虐殺するのか、それとも被害の柱を切り取り他に移すなどの措置を取るのか。駆除したうえで虫供養でも行うのか。まさか、殺生功徳論は唱えないだろうが、もし法要が催されるなら表白文など確認したいところだ。
先日、角川書店から「角川財団学芸賞」「角川源義賞」の推薦依頼が送られてきた。へー、こういう風に決まるものなんだ。初めて知った。
今日、大学のメインストリートのベンチで独りコーヒーを飲んでいたら、雀が餌を探して頻繁にぼくの周囲を飛び跳ねる。何度も飛んできてはうろうろしていた一羽が、ついにすぐ側までやって来て、ベンチについた右手の人差し指を3回ほど噛んでいった(つついたのではない)。「君たちって、そうなの?」と訊いたら、首を傾げていた(ほんとに)。学生たちに、しっかり餌付けをされているんだろうなあ…。
「三田村雅子検定」なるものがある。恥ずかしながら満点でした(当然か)。
今日、大学のメインストリートのベンチで独りコーヒーを飲んでいたら、雀が餌を探して頻繁にぼくの周囲を飛び跳ねる。何度も飛んできてはうろうろしていた一羽が、ついにすぐ側までやって来て、ベンチについた右手の人差し指を3回ほど噛んでいった(つついたのではない)。「君たちって、そうなの?」と訊いたら、首を傾げていた(ほんとに)。学生たちに、しっかり餌付けをされているんだろうなあ…。
「三田村雅子検定」なるものがある。恥ずかしながら満点でした(当然か)。
ほとんどの時間を自宅や研究室での原稿執筆に費やして心は熊野古道を辿り、会議のときだけ現実に戻って事務処理に努め、通勤電車のなかでは死者忌避に思考を凝らしてhTcZに打ち込み、帰宅の電車のなかでは『恋文の技術』を読んでやはり森見登美彦は変態だと痛感する。この日々を充実といわずして何といおうか。誰だ、徒労といっているのは。
そうそう、先に書いたスピリチュアル・アビューズの件。運動家が天職の妻(〈敵〉を得ることによって水を得た魚のようになる人)が早速町田市と日蓮宗に苦情を申し立てたところ、町田市が敏感に反応し、葬儀を取り仕切った某団体に問題の僧侶を依頼リストから外すよう指導したようだ。それから間もなく、義伯父の家から「坊さんが謝りに来た」との連絡があった。どういう謝罪だったのだろう。気になる。
そうそう、先に書いたスピリチュアル・アビューズの件。運動家が天職の妻(〈敵〉を得ることによって水を得た魚のようになる人)が早速町田市と日蓮宗に苦情を申し立てたところ、町田市が敏感に反応し、葬儀を取り仕切った某団体に問題の僧侶を依頼リストから外すよう指導したようだ。それから間もなく、義伯父の家から「坊さんが謝りに来た」との連絡があった。どういう謝罪だったのだろう。気になる。
この休み中、白川静、クリフォード・ギアーツの訃報に接しました。お二人とも、拙稿で引用し、また概念を検討したことのある研究者です。謹んで哀悼の意を表します。しかし…サイードやブルデューの件で9月にも書きましたが、彼らが流行として見向きもされなくなる日はいつのことか。ま、白川氏については甲骨卜辞や金文の文法に関する研究は捨象されて漢字の解釈だけが、ギアーツ氏については認識論や叙述のあり方への省察は無視されて〈劇場国家論〉だけが、それぞれ独り歩きしてゆくことは目にみえていますが…(今だってそうなんだから。『字統』なんてもはやサブ・カル化しているし…)。そうそう、ポール・モーリアも亡くなったんですね。自分も過去のものになってゆく気がするなあ。