仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

新作続々:とはいえ、不精確さも目立ったり

2008-03-29 02:23:32 | 書物の文韜
忙しいなかでなんとか仕上げた原稿が、年度末に来て次々と活字化されている。喜ばしいことだが、こちらが充分に校正できなかったり、あるいは媒体の関係で初校のみしか機会がなかったりで、充分推敲できずに世に出してしまったものもある。時間がないと、どうしても仕事が精確さを欠く。仕方のないことではあるが、やはり水準は保たねばならない。

左は、上智大学史学科編『歴史家の散歩道(プロムナード)』(上智大学出版・ぎょうせい)。『歴史家の工房』の続編で、同僚の先生方、先輩、同期の研究者らが執筆した、史学科の現総力を結集した内容である。ぼくは「〈積善藤家〉の歴史叙述―『周易』をめぐる中臣鎌足/藤原仲麻呂―」と題し、以前に早稲田古代史研究会や上智史学会大会で報告させていただいた(もう2年以上前になる。筆が遅いなあ)『家伝』と『周易』の関係について、東アジアの前近代的歴史叙述を解き明かす視点からまとめた。
右は、中部大学国際人間学研究所編『アリーナ』の第5号(近日中にamazonでも買えるようになるはず)。第二特集として、「天翔ける皇子、聖徳太子」が組まれている。大山誠一さんの呼びかけで、榎本淳一・曽根正人・八重樫直比古・本間満・増尾伸一郎・加藤謙吉・瀬間正之・吉田一彦・野見山由佳・榊原史子・藤井由紀子・小野一之・早島有毅・脊古真哉・小峯和明氏ら、錚々たるメンバーが執筆。ぼくの書いたのは「『日本書紀』と祟咎―「仏神の心に祟れり」に至る言説史―」で、『書紀』崇仏論争記事と『法苑珠林』との関係に触れた前稿を下敷きに、中国文献における「祟」記事の系統と、『書紀』の祟り神記事との繋がり/断絶について論じた。不注意から校正に失敗したので、ここで少々訂正させていただきたい。
207頁上段1行目「兵死者」の前に、「一部には、」を挿入。
209頁上段6~9行目「おおむね自然災害型のバリエーションとみてよいが、最後の事例のみ、」の後に「対象が王でも共同体でもない一個人である点、」を挿入。
4月に入れば、上智の教職員組合の広報紙『紀尾井』に、喰違見附の怪異を綴った短文が載る。5月までには、早島有毅先生還暦論集に書いた『三宝絵』の論文、『儀礼文化』誌に書いた供犠論研論集の書評も刊行されるだろう。いろいろあって原稿が遅れまくり、関係各位には大変なご迷惑をかけたが、なかなか時間の取れないなか、今年度もそれなりに頑張ったといえるのではないか...と、今日だけは自分を慰めておきたい。ま、いちばん出さなければいけなかった原稿がまだ完成していないのだけれど...(ごめんなさい!)
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いたたまれない日:今年も卒業生を送る

2008-03-25 16:50:51 | 生きる犬韜
さて、22日(土)は追い出しコンパ、25日(火)は学位授与式で、今年も無事に卒業生を送り出した。

今年の卒業生は、上智に赴任したときの3年生(と一部4年生)で、夏季旅行や卒論合宿など、一緒にゼミのベースを築き上げてきた仲間である。演習で『日本書紀』の写本を読み校訂の作業を始めたときには、「大丈夫かな」と不安だったが、1年間でめきめきと実力を蓄え、卒業論文はなかなかに質の高いものを書いてくれた。口頭試問や返却時に貼付したコメントではかなり厳しい評価をしたが、批判的な目線で読めるのもよく書けているからこそである。

何事も最初に当てられて困惑しつつも頑張ってくれたAさん、か細い体にホルンを吹く力を秘めたEさん、完璧な報告でゼミその他の授業を牽引してくれたHさん、ゼミ長として先頭に立ちイベントを切り盛りしてくれたTEさん、そしてアドバイスした課題に2年越しで解答を出してくれたUさん、ひとつのテーマに真摯に取り組みついに代表論文を書き上げたTRさん。おめでとう。本当にお疲れさまでした。こちらもいろいろ手探りだったので、「仲間」とは思いつつもちょっとした溝を感じていましたが、やはり卒業となると淋しい限りです。
みんながんばって。新しい出発を心から祝福します。

昨年以上に「いたたまれなくなる」ことが明らかだったので、今年は謝恩会への招待も辞退した。研究室にいても落ち着かず、帰宅しても集中して原稿を書くことができないので(どうも卒業生のことが気になる)、積んであるDVDの山から『しゃべれどもしゃべれども』を取り出した。師匠の粗製コピーしかできない二つ目の噺家が、他人とのコミュニケーションが苦手な美女、関西弁をからかわれる小学生、解説下手に苦しむ元プロ野球選手を相手に落語教室を開くことになる。彼自身がその交流のなかで、相手に話を聞かせるとはどういうことか、笑わせるとはどういうことか、自分とは何なのかを学んでゆくという「セロ弾きのゴーシュ」的な物語。「しゃべれどもしゃべれども...」というフレーズは、大学の教員にも通じるものがある。毎日の講義のなかで、学生との関わりのなかで、ぼくらはどれだけ大切なことを伝えられているのだろうか。今日はとにかく、どこにいても針の筵の一日のようだ。

ところで、新入生は定員を20名もオーバーしそうな気配。担任なのだが...、こちらも不安が募る。

※写真は、赤坂プリンスより眺めた富士山の遠景。15年前の卒業式の日、当時の同期生たちと一泊し、朝まで騒いだ想い出がある。
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共同研究「人間の尊厳」:考えをめぐらせていること

2008-03-24 13:02:40 | 議論の豹韜
現在参加している文学部の共同研究「〈人間の尊厳〉を問い直す」で、5月に報告をしなければならない。さて、何を題材とするか。別に原稿を要求されているわけではないらしいので、来年5月締め切りの倉田実さんの還暦論集へ出す論文に繋がればいいな、というところである。
いま、漠然と「書きたいな」と思っていることは次の二つ。

ひとつは、先日のモノケン・シンポの一柳さんの報告にあった、臨終に際して出現する親しい者の霊について(お爺さんが別れの挨拶にやって来た、出征している兄が枕元に立ったなど)。明治に欧米オカルティズムの影響下で心霊学が流行するとき、近世的な幽霊がさまざまな検証によって否定されるなかで、この現象のみが〈テレパシー〉という概念を介し、科学的に承認されるという。なぜ、それほどまでにこの現象が重視されたのだろうか。心性史として考えると面白いテーマである。
ぼくは同じシンポで、死者の霊が祭祀を受ける祖先となるか、それとも祓除される厲鬼となるか、その峻別の動揺について考えたのだが、伏線として「死者が親しい者のもとへ帰ってくるという観念は、言説によって構築されたものである」ことを立証しようとした。もちろん、あまりうまくはいかなかったが、一柳さんの提示された史料はこのことと関連するのである。六朝の志怪小説や唐代の仏教説話などをみていると、官僚どうしの友情を題材とした物語がよく出てくる。漢詩などにも友情を歌ったものが多いわけで、『懐風藻』や『万葉集』の友人に関する歌はこれをまねたものに違いない、いやむしろ、古代における友情(とくに同僚や文人の間に生じるもの)とは中国的言説によって構築された可能性が高いのではないか。いわゆる「菊花の約」的な怪異譚は、志怪の世界ではかなり早くまで遡れる。中国で創出された「親しい者を訪れる亡霊」が、漢籍の受容を通じ、あたかも列島に既存のもののごとく構築されいったのだろう。

もうひとつも死者関連で、以前も少し書いた、浄土教と草木成仏説をめぐる問題である。列島的アニミズムでよく言及される「草木言語」は、主体である人間をとりまく環境について述べている言葉で、決して草木に主体を認めたものではない。アニミズムにも地域固有の性格があり、古代日本のそれは、近年の環境倫理における生命圏平等主義とは大きく異なると思われる。大乗仏教の『涅槃経』に頻出する「一切衆生悉有仏性」とのスローガンも、厳密には草木を除外した思想であって、やはり生命圏平等主義を主張するものではない。草木成仏説も中国においては、主体と環境(器世間)との不二という論理で説明されるしかなかった。しかし、日本天台宗が発展させた草木発心修行成仏説は、初めて草木に、自ら発心し修行する存在としての主体を認めた見方であった。ゆえに、これは列島的アニミズムの影響というより、日本仏教が独自に展開した論理であったというべきだろう。
ところで、浄土はやはり有情がゆくべきユートピアであって、一般に草木を対象とはしない。法然から親鸞のラインに成立する鎌倉浄土教も、〈悪人〉を正機とする時点で草木を排除している。親鸞の著作は『華厳経』を多く引用しているといわれるが、吉蔵的な解釈であれば、やはり草木は依正不二ゆえに仏と考えられており、〈悪〉の介在する余地はなかっただろう。ここに、悪と人間の尊厳との関係もみえてくる。悪ゆえに人は〈人間〉たりえ、悪ゆえに救済される。逆説的だが、考える必要のある問題である。

いずれも未だ憶説に過ぎないが、4月以降、気合いを入れて組み立ててゆくことにしよう(たぶん、前者は『物語研究』の論文にそのまま活かせそうだし、後者が共同研究と倉田論集論文の母胎となるだろう)。

※ 写真は「九条せんべい」。5枚の瓦煎餅に、憲法9条の全文が書かれている。食べれば暗記できる...、ということではないらしい。
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彼岸中日まで:日々の雑感

2008-03-21 02:35:23 | 生きる犬韜
古代文学会叢書の論文を書いている。しかし、史学科の他の先生方はほとんど休みだというのに、ぼくだけ会議続きで出校してきている。編集の方々からすればかなり切迫した事態のはずだが、なかなか集中して作業にとりかかれない。申し訳ない限りである。とにかく一日も早く書き上げねばならない。

17日(月)はぎりぎりで確定申告の書類を提出、なぜか驚くほどの追加納税をするはめになりかなりへこんだ。18日(火)は進学希望の学生と面接。19日(水)は、50ページに及ぶ学生生活関連の調査報告書を前に、学生生活委員会の最後の会議。2時間半もかかってなかなかに疲れた。しかし、本当にどっと気分が落ち込んだのは、そのあと研究室へ届いた「全学共通科目」授業評価アンケートの集計結果をみたときだった。もちろん評価自体が悪いわけではなかったのだが、自由記述の少数意見に次のようなコメントが載っていたのである。
教職課程関係の科目だというのに、中高で教えるような内容は何も話されなかった。環境史がしたいのなら、「環境史」という講義を立てればいい。少なくともこれは「日本史」ではなかった。
全学共通科目の「日本史」は、教職課程関係科目であるからこそあえて一般的な通史を講じず、新しい視点で歴史を見直してゆくような内容を組み立てている。環境史は、その格好の題材なのだ。限定された時間内で事実の羅列のみを余儀なくされる中高の授業にあって、教員が柔軟な視点を持ち常に工夫を加えてゆかなければ、生徒に歴史を学ぶ魅力を伝えることはできない。そうした趣旨は初回のガイダンス、そして最終日にも述べている。大部分の受講生はそのことを充分に理解し、課題にも主体的に取り組み、こちらがハッとするようなリアクションを寄せてくれているのだが(例えばこのブログ。「逆説的だけど、歴史が「確定」したと見做された時点で学問としての「歴史」は意義を失ってしまうのかもしれない、と感じた。歴史的エピソードを「そうであった」と硬直した一元的な視点で捉えた時点でもう歴史の意義すらなくなってしまうのではないだろうか、と感じさせてくれる講義の仕方だった」とのメモには、ちょっと目頭が熱くなった)、やはり上記のような学生もなかにはいるのだ。彼/彼女は講義の趣旨に関するぼくの説明を聞き逃したか、遅刻したか、あるいは欠席したのかも知れない。聞いたうえで書いたのなら、半期続けてきた講義の意味がまるでなかったということで、こちらは落ち込むばかりである。メッセージがまったく通じなかったということだし、こうした固定的で狭隘な視野しか持ちえない人間が中高の教員になるのかも知れないと思うと、非常にやるせないからだ。自分の非力を反省するばかりである。

20日(木)は春分の日で休みだが、お彼岸の手伝いで檀家さん回りに駆り出された。冷たい雨の降るなか、鎌倉の関谷周辺を歩く。このあたりはまだ専業農家が多く、一面カエルの卵でいっぱいになった田んぼがみられた(写真)。関谷は自坊からはずいぶん離れた距離にあるのだが、檀家が寺院の周辺どうしで交錯する現象がたまにあり、それは江戸幕府が宗教勢力の強大化を警戒したためといわれている。歴史を考える材料は、本当にどこにでも散らばっているものだ。
それはそうと、この日の明け方、こたつでウトウトしている短い間に大変気味の悪い夢をみた。ぼくは妻と二人で台湾かタイのようなところへ旅行に来ているのだが、そこでひょんなことから粗末な紙袋に入った遺骨を手に入れる。なぜそれが手元に来たのかは覚えていないのだが、何か不吉なものを感じたぼくは、帰国する前に現地の霊媒師のところへ相談にゆく。50歳くらいの女性の霊媒師が、霊に憑かれ身心を害された人々の治療に当たっている場所で、ぼくは骨の件を訊ねる。すると彼女は、「このまま帰国したら、あなたはそのうち、恐怖のあまり目を閉じて眠ることもできなくなる」と警告するのである。「長い時間がかかるが、ここに残って治療を受けなさい。」「残念ながらその時間はないのです。どうすればいいですか。」それなら、と彼女は遺骨の紙袋のなかに灰と塩を入れ、「今すぐこれを抱きしめなさい」と決然と云う。「抱きしめたらどうなるのですか」。「霊があなたに取り憑く」...そこでハッと目が覚めた。気味が悪い。別段巫病にかかっているわけでもなかったが、それにしても最後はどういう意味だろう。駆り移し(平安朝に行われた、霊を病者から依童に移して目的を語らせ、そのうえで祓除する方法)かな、などとしばし無駄な考察を続けた。

最後にまたマンガの紹介。左は『ハチクロ』の羽海野チカの新作『3月のライオン』。天才少年棋士と不思議な三姉妹の交流を描いたナイーヴな作品。やっぱり少女マンガの手法の方が、登場人物の細やかな心の動き、深い傷の痛みや癒しを表現するのには適しているようだ。本筋とは別に、子供や猫の描写が素晴らしい。右は、島本和彦の大阪芸大時代を描いた自伝的作品、『アオイホノオ』。現在巨匠として君臨する漫画家たちの胎動、同級生だった庵野秀明や山賀博之、矢野健太郎らとの交流が描かれる。島本和彦らの方が少し世代が上だが、1980年代前半、ぼくも『少年サンデー』に投稿するマンガ少年だった。小学生で新人コミック大賞の第3審査まで残り、編集部からサンデー用のまんが原稿用紙(独特の引っかかりがあって、滑らかなケント紙よりも画きやすかった)を貰って勉強していた時期もあった。確か年齢的にはいちばん下だったはずである。中学生のときに画いた最後の投稿作品について、審査員の岡田斗司夫さんが、「まんがを画く才能の低年齢化には驚くべきものがある」と評してくれたのを想い出す。いま現在、将来の夢と不安の狭間に佇んでいる学生たちにも、「そうだよな、そうだよな」とノスタルジックな共感を呼ぶ内容だろう。

ところで今日はマイシカの最終回だった。危惧していたように、藤原君の重みでラストの爽やかさが少し薄れたが、それを差し引いても非常によいシーンであった。確か原作では、イトの気持ちを知った鼠が、顔を元に戻す方法を教えてくれることになっていたと思う。鼠自身が、鹿に対してほのかな想いを抱いていたからだ。藤原君はいいキャラクターだが、その魅力は、イトと鼠の純愛を吸収して成立しているわけである。個人的には、そういう改変はどうなのかな、と少し首を傾げてしまう。『鴨川ホルモー』も映画化するらしいなあ。森見作品はどうなんだろう。
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物語研究会ミニ・シンポジウム:うれしい出会いは久しぶり

2008-03-18 03:12:49 | 議論の豹韜
15日(土)は、モノケン・シンポの当日。朝まで完徹でなんとかレジュメを仕上げ、妻に印刷とホチキスどめを手伝ってもらって家を飛び出した。翌日も早朝から大学新聞の取材が入っていたので、最初は東京に泊まることも考えたが、その準備もできない切迫した状態だった。電車のなかでレジュメを見なおし、12時少し前には御茶ノ水に到着。15分に明治大学近くの喫茶店で高木さんたちと待ち合わせをしていたのだが、「まだ時間はある」と、このところご無沙汰していた東方書店まで足を伸ばした。速攻で『中国研究集刊』の最新号を購入、湯浅邦弘さんによる古代兵法研究の新刊にも手が伸びかけたが、古本屋に出回るまで...ととりあえず我慢。走って打ち合わせ場所に駆け付け、パネリスト、コメンテーターの方々とご挨拶。皆さん初対面の方ばかり、おまけに歴史学者はぼくひとりなので(いつものことだが)、やや緊張する。しかし、ほとんどコーヒーを飲みながらの雑談となってしまい、さしたる段取り確認もなく会場への移動となった。

コーディネーターの高木信さんによる趣旨説明(これがなかなかお腹いっぱいの提言だった)のあと、トップバッターは一柳廣孝さん。「幽霊」から「心霊」への言葉の変化を、世界大戦という極限的な社会不安を背景に、科学による霊現象の補完という視点で描ききった。心理学や精神医学によってオカルトの真偽が判定されるなか、常に「知人が空間を超えて現れる」(夢枕に立つ、虫の知らせなど)が注目されているのが面白かった。ぼくも「霊が身近な人のもとに戻ってくる」ことの構築過程を扱っていたので、この点で、一柳さんともう少し意見交換ができればよかった。
樋口大祐さんの報告は、『平家物語』『太平記』を核に、怨霊史観の展開と衰退を跡づける緻密な内容。『太平記』では、事件の多様性や核の拡散によって、怨霊による説明付けが追い着かなくなるという議論は興味深かった。近親のもとに訪れる亡霊は、デリダのいう「亡霊」とは少し文脈が違うのではないか、という指摘はぼくも共有している。
ぼくの報告は、当初の予定よりかなり矮小化し、睡虎地秦簡の「詰」にみる死霊の現れ方・撃退の仕方を分析しながら、祭るべき祖先と撃退すべき厲鬼との境界線の揺れ、祭祀すること/排除することと歓待との関係を問う内容となった。近親者は死者を内部化しようとする欲求が強いので、亡霊的なものはむしろ言語化・内部化されやすく、「怨霊」/「仏」の両極端に回収されてしまう。むしろ近親性を超えたところ、歓待/排除の二項対立が意味を失ったところに、死者の主体が成立しうるのではないかと考えたが、説明不足もあってうまく伝わらなかったようだ。聴いてくださった方々の多くには、「すべては結局共同体に回収される」という印象を与えてしまったらしい。ぼくはただ、共同体の対立項として「個」を理想化するのも間違いだと思っているだけだ。二項対立を作り出す思考自体を問題化してゆくのは、ぼくの一貫したスタンスである。
長島弘明さんは、数多ある怪談と『雨月物語』との相違点を、〈ことばの力〉という印象的なキーワードでまとめた。以前から近世怪談には関心があり、前に書いた喰違の一件も含め素人研究を始めているが、ハッと気づかされる視点であった。
最後に、コメンテーターの中丸さん・西野さんが、それぞれ内容的部分、方法論的部分について論評を加え、フロアーも交えての討論となった。ぼくの報告が冗長だったせいもあり(一向に改まらないなあ。ゼミ生には時間厳守だ!と怒っているのに)、予定より時間がずいぶんと短縮されてしまい、中丸さん・西野さん、高木さんには大変な迷惑をかけてしまった。さぞやまとめづらかったでしょう、ごめんなさい。討論ではやはりデリダの「亡霊」概念(しかし、意外にも方法論、思想的なところではあまり大きな議論にならなかった)、個々の細かな論点が検証された。個人的には、三田村雅子さんから、折口の鎮魂論との関係でいただいた質問がいちばんためになった。一昨年の特講で「死者の書」を神仏習合の視点から詳しく分析したが、折口にはやはり悲哀と憎悪に揺れる怨霊を癒し、解放する〈救済〉のベクトルが強い。今回の報告では、その〈救済〉自体が本当に死者主体で語りうるものなのかを問題にしたかった。ぎこちなく回答している間に、寝不足で混乱した頭も整理され、「そうそう、そういうことがやりたかったんですよ」とひとり納得してしまった。

シンポ終了後はもちろん懇親会。物語研究会は初めての参加だったので、今まで多大な学恩はいただいてきたもののお会いしたことのなかった方々、先ほどの三田村雅子さん、深澤徹さんらとお話できたのはありがたかった。三田村さんは、このブログも時々みてくださっているとかで、本当に恐縮してしまった(うぅむ、これからは滅多なことが書けない)。静岡から駆け付けてくださった小二田さんともお会いすることができた(なかなかにワイルドな風貌に、ブログからも痛いほど伝わる繊細さ、ナイーヴさの醸し出されるひとでした)。以前ふの会や方法論懇話会で一緒に勉強した、助川幸逸郎さんとも本当に久しぶりに言葉を交わした(ぼくのモノケンのイメージは、多分にこの人に拠っている。それゆえに恐ろしいのかも知れない)。大妻の深澤瞳さん、京都の米村仁君も顔を出してくれていた。もちろん、一柳さん、樋口さん、長島さん、中丸さん、西野さん、高木さんも素晴らしかった。
高木さん、誘ってくださって本当にありがとうございました。またこの人たちと仕事がしたい!と強く感じたが、今回の報告は論文化しなければいけないという...。やはり〆切はなくならないものなんだなあ(3月で長く続いた〆切地獄からもついに解放されると思ったら、この1ヶ月で3つも原稿依頼が増えたのだった)。それにしても、久しぶりに「うれしい出会い」のたくさんあった一日だった。
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フル回転:いまは春休みですか?

2008-03-14 03:45:10 | 生きる犬韜
10日(月)は、文学部教員研修会にて報告。学生への授業評価アンケートの結果について、現状分析と展望提示が各学科よりあり、討論が行われた。ぼくは史学科全体の意見のとりまとめと、基礎ゼミの必要性および、地域連携のエコ・ミュージアム構想について提案した。後者については吟味もされないだろうとは思っていたが(実はお金などかけなくとも、地道な活動によって作れるものなのに...。構築・維持過程が学生の勉強にもなる)、全体の雰囲気として、基礎ゼミや導入教育の必要性がいまひとつちゃんと認識されていない、危機感が足りないという印象を受けた(ふだんの教授会同様、出席だけして内職しているひとも見かけたし)。結果として、「我々はがんばっている、上智はまだ大丈夫」という話になってしまうのである。最近、もろさんのブログでも触れられていたし、岡部さんのブログでは時折克明な状況描写があるが、初年次にどのような学習態度・意識を醸成することが出来るか、学生/教員の間にどれだけ密な人間関係、信頼関係が作れるかによって、その後の学生側のモチベーションもずいぶんと変わってくるはずだ(とうぜん、必要以上の期待を抱いてはいけないが)。精神不調の学生についても、少なくとも今よりはきめ細かい対応ができるだろう。「導入教育でいいのだろうか」ではなく、「導入教育をいかに行うか」が問われているのだ。我々の取り組みは遅れに遅れている。

さて、上の研修会に出ているあいだに、ようやく『土地の記憶をひらく―千代田学入門―』が出来てきた。心配していたのだが期待以上の刷り上がりで、やはり白峰社に頼んでよかったと一安心。翌日、公開学習センターの協力を仰いで関係各所へ配布。多くの人にみてもらいたいが、部数が300部と限られているので、あまり流通させられそうにない(本当は地域に大量に頒布して、連携の雰囲気を盛り上げてゆきたいところではあるが)。正式な出版計画もあるやに聞いているので、関心のある方は暫時お待ちください。史学科・国文学科の来年度新入生には頒布するもよう。在校生は可哀想だな。内容は下記のとおり。
I 江戸の成り立ちをひらく
 青山英夫「太田道灌とその時代-中世東国史の一齣-」
 北條勝貴「〈中心なるもの〉を批判する物語り
      -神田明神に至る将門イメージの変遷-」
II 江戸の生活・文化をひらく
 渋谷葉子「尾張徳川家の江戸屋敷-麹町邸の変遷と諸相-」
 新井巌「麹町の赤穂浪士-麹町は、討入りの作戦本部だった-」
 橋口侯之介「江戸のアーカイブズ-読書のための基盤-」
 西田知己「江戸の寺子屋教育-国語・算数・理科・社会という視点から-」
 滝口正哉「江戸の錦絵-三代歌川豊国を中心に-」
III 歩いて歴史をひらく
 新井巌「知られざる『幻の文人町』番町文人通り」
 佐々木英夫「千代田区の博物館」
IV 『ソフィア』212号「特集・紀尾井町きのうきょう」再録
 シンポジウム「上智大学界隈を語る」
 平田耿二「麹町台地の歴史を探る」
「千代田学入門」講義の記録

12日(水)は組合の広報委員会の会議。『紀尾井』の原稿ののレイアウト、使用写真・図版などを具体的に話し合う。来週も学生生活委員会、ボランティア・ビューロー運営委員会、オリエンテーション・キャンプ実行委員会などの会議が続く。本当の春休みは25日(火)の卒業式後、1週間に満たないくらいだろう。
13日(木)には、予定を大幅に遅れたものの、朝までかかって『狩猟と供犠の文化誌』の書評を完成させた。...といっても不充分な出来で、初校時に少し手を入れたい気持ちが強い。広汎な問題意識に多様な内容、まとめるのが極めて大変で、結局50枚近い長さになってしまった。論文並ですよ。

さて、以上の予定が押しに押して、けっきょく15日(土)のモノケン・シンポの準備を、わずか1日半でやることになった。作業をしていると、静岡大学の小二田誠二さんからトラックバックが入り、ブログを通じて不思議なご縁が結ばれた。小二田さんから話を聞いたと、同じパネリストの一柳廣孝さんからも、「私も同じ情況です。がんばりましょう」と激励のメールをいただいた。ありがたいことである。気持ちも盛り上がってきた(などと書いているが、実はこの記事を増補している現在、もうシンポジウムは終了している。非常に「うれしい」会となったが、この話はまた次回)。

ところで、今日のマイシカはなかなかよかった。リチャードの投げた"目"をキャッチするイトのシルエットは、原作を読んだときのイメージそのまま。美しかった。
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勉強と逃避と:ここ最近の読書など

2008-03-07 14:26:32 | 書物の文韜
『アリーナ』の校正を終え、組合広報紙『紀尾井』の原稿、10日(月)のFD研修会の報告書を書き上げた。しかしまだ、『狩猟と供犠の文化誌』の書評が終わらない。早島先生還暦論集献呈論文の校正も含め、土・日に仕上げねばなるまい(ちなみに9日(日)は結婚5周年の記念日であった)。

さて、強靱な意志の持ち主でないぼくは、仕事が煮詰まってくるとどうしても逃避してしまう(このあたりは似たもの夫婦である)。帰宅途中に神田のブックファーストに寄り、どうでもよい小説を買ってきて読みふけったりする。以前にも少し書いたが、まずは、ラブクラフトのクトゥルー神話をモチーフにしたドナルド・タイスン『アルハザード』。魔道書『ネクロノミコン』を生み出すことになる〈狂った詩人〉の生涯を描く上下巻で、双方たっぷりのボリュームがある。最近のクトゥルー関連作品にはオリジナリティの欠如が甚だしく、少々食傷気味になっていたのだが、これは中世の西アジアを舞台にした冒険伝奇小説として充分楽しめる(ただし、題材が題材だけに表現が少々グロテスクな面もある。苦手な方は注意されたし)。まだ上巻の途中までしか進んでおらず、旧神・旧支配者との繋がりにはあまり触れられていないが、ナイアーラトテップの僕となった主人公がいかなる運命を辿ることになるのか、興味を持って読ませてくれる。ホラー小説における魔術の扱い方は、宗教学や人類学、歴史学の立場からするとどうしても物足りないものだが、〈外部〉を源泉とする力と主人公との緊張関係(誘惑、陶酔、そして恐怖など)がきちんと描写されていればいいと思う。なお、翻訳の大瀧啓裕の日本語には少々問題がある気がした(文章自体は読みやすいのだが、言葉の使い方が少々おかしい)。
続いて、同じラブクラフトの流れで、品川亮監督の映像作品『ダニッチ・ホラーその他の物語』。ラブクラフト本人のオリジナル小説「絵の中の家」「ダンウィッチの怪」「祝祭」を15分程度のシナリオに単純化し、山下昇平の立体造形をメインに人形アニメ風に仕上げている。日常が〈外部〉によって侵蝕されてゆく恐怖、そして快楽までは描けてはいないが、その雰囲気は楽しめる。最近の過剰なSpFX、VFXでは表現できない怪しさが漂う。
最後は、岩明均のコミック『ヒストリエ』。前々から気になっていたのだがようやく読み始めた。単なる戦記アクションではなく、哲学や歴史学の交錯する展開に期待。日本史や東洋史を扱ったものは、ゲームの影響か、どうも一騎当千・国士無双的なものが多くなってしまっているので(それが嫌なわけではないが)、こういう知的な傾向を持つ作品は大歓迎である。ところで、古典古代にも都市には多くの書店が存在したらしいが、描写はあれでいいのだろうか。ちょっと縁日の古本屋の屋台みたいだが...。

専門書は左のようなものだが、すべてちゃんと読み込めていない。ブルケルトの『ホモ・ネカーンス―古代ギリシアの犠牲儀礼と神話―』、ヴィヴィオルカの『暴力』、フェーヴルの『"ヨーロッパ"とは何か―第二次大戦直後の連続講義から―』、菊地章太さんの『悪魔という救い』。前二著は『狩猟と供犠』の書評を仕上げる必要性から。フェーヴルは訳者の長谷川先生よりの頂きもの(「早速来年度の『上智史学』で書評しましょう」と申し上げると、「フェーヴルを書評できる人はなかなかいないでしょう。ぼくも解説書かされて大変だった」と一言。そうかも知れない。専門を同じくする人の方が、その巨人性は痛感されるのだろう)。最後は『環境と心性』にも寄稿してくださった菊地さん(お会いしたことはないのだけれども)の新著で、上智大学では叱られそうなタイトルだが、悪魔憑き/悪魔祓いという当事者においては極めて切実な問題に、正面から取り組む意欲作である。「○○のゴーストバスターズ」などと宣伝されると一気に読書欲も減退するが、研究者として教育者として、こういう問題に正面から取り組む姿には共感を覚える。

さて、おまけに、教材にも使おうと考えているDVD2本を挙げよう。左は、以前に紹介した大絶賛の『死者の書』。ようやくDVD化された。来年度の特講では「喪葬と冥界の古代史」を扱う予定なので、ぜひ学生たちに観せたい。想像力と感受性の試される作品。右は和本を題材にしたドキュメンタリー『和本―WAHON―』。上智の先輩であり、千代田学入門にも出講していただき、またぼくの方法論的傾向を決定づけた恩師の一人橋口倫介先生のご令息でもある、古書店誠心堂代表取締役橋口侯之介先生も出演されている。ぼく自身は歴史学者にあるまじき人間で、あまり本物志向は強くないのだが、しかしこういったアーカイブズの世界をみると物神主義的性向もうずく。やはり、本物に触れるのは大事なことではある。

ところで。昨日の『鹿男あをによし』だが、アポイントメントもなくずかずか奈文研の収蔵庫に入ってゆけるあの人たちって、いったい...。
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