仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

恐山をめぐって考えたこと:2014年度ゼミ旅行から

2014-09-10 12:47:17 | 生きる犬韜
先週の3~5日、幾つかの仕事を抱えながらではあったが、ゼミ生たちに引率され、毎年恒例のゼミ研修旅行へ行ってきた。今年度の目的地は青森県、具体的には、三内丸山遺跡と恐山の周辺である。久しぶりにお会いする美術系キュレーター、飯田高誉さんのお話を伺うのも大事な予定であった。詳しいことは追々書いてゆくことにして、まずは、2日目に訪問した恐山の印象についてまとめておくことにしよう。

毎年ゼミ旅行に行くと、直前まで携わっていた研究が妙にピッタリと訪問地にはまりこみ、歩きながら頭をフル回転、新鮮な思考体験のできることが多いのだが、今年もまさにそうだった(それゆえ、いつも「引率する」のではなく「引率される」のである)。
宗教や民俗に絡む研究をしていながら、恥ずかしいことに、これまで恐山については、いわゆる一般的な霊山信仰のイメージ、イタコの口寄せ、地獄信仰の印象しか持っていなかった。しかし、学生の報告を聞きつつ田名部周辺の観音霊場を散策し、過疎化の進む港町の情況をみているうち、恐山の原像というべきか、その地獄信仰の別の面がみえてきたのである。観音が水難救助の効験を持つことは『法華経』観世音菩薩普門品に明らかだが、田名部の観音霊場も、大部分は海上交通の安全と漁業の守護を願うものだった。しかし、成城大学民俗学研究所の共同研究で調べていた四川省の磨崖仏群によれば、同地では地蔵・観音並列形式の造像が多く行われ、地蔵にも治水や水上交通の守護が期待されていたらしい。もちろん、中国の一地方の事例を安易に列島文化へ敷衍することはできないが、列島でも地蔵が治水の機能を持ったらしいことは、近年の黒田智氏による勝軍地蔵の研究でも明らかにされつつある。地蔵信仰の所依経典『地蔵十輪経』にも、水難救護に関する霊験は記されている。弥勒の到来までの衆生救済を担う現世利益の権化にとって、地域の事情に応じて水域の守護神となることなど容易なメタモルフォーゼだったのかもしれない。とすると、海難救護の観音信仰が取り巻く恐山の地蔵信仰も、本来は海上交通や漁業の守護という性格を強く持っていたように思われる。
ではなぜ、それが地獄信仰へと変わっていったのか。まずは地蔵信仰全体の枠組みが、地獄救護へと大きく転換することが一因だろう。四川でも12世紀以降、地蔵は地獄との関わりのなかで把握されてゆくし、列島でも『十王経』の普及や『延命地蔵菩薩経』の成立のなかで、賽の河原のイメージとともに地蔵/地獄の結びつきが強まる。田名部周辺では、例えば青森の善知鳥神社に象徴されるように、漁業文化との関わりにおいて殺生罪業観が高まり、本来漁業守護の役割を担っていた地蔵が、その漁業によって罪業を背負ってしまう人々を救済する存在へ転化していったものと考えられる。そこへ、苛酷な環境により死を余儀なくされた人々への哀悼の念、サバイバーズ・ギルトの心性などが収斂してゆき、現在の恐山信仰を構築していったのではなかろうか。
そう推測してゆくと恐山の形成には、長年にわたる中央の〈東北植民地化〉が、間接・直接に作用していることになる。恐山を参詣する我々は、そこに広がる〈地獄〉の風景が、自らの無自覚の罪業によって現出しているのだということを、強く肝に銘じておかなければならない。観音の霊場に重なるように分布している斗南藩(再興会津藩)の痕跡、ほとんど人通りのない飲み屋街を歩きながら、その植民地化が現在も進行中であることを痛感せずにはいられなかった。

左の写真は、恐山菩提寺をとりまく、カルデラの宇曽利(山)湖である。ものすごく美しいのだが、これは生命活動の乏しさから来る美しさだ。湖底から流出する硫化水素のために、棲息魚類はウグイ一種のみ。多少のプランクトンや水生昆虫も住むが、水中をじっと覗き込んでいても何ひとつ動くものを確認できない。
以前誰かと話をした記憶があるのだが、人間は、あらゆるものが死に絶えた世界でさえも美しいと思える生き物である。人間の美的価値観と、生物多様性とは一致しない。フロイトなら死の欲動論によって説明するかもしれないが、このあたりのことも、環境文化史・心性史において議論せねばならない問題のひとつだろう。
いうまでもなく、古今東西の歴史・文化において、水と神霊とは密接に結びつくことが多い。六朝の洪水終末論には、死者の霊が疫病や洪水をもたらすとの議論があり、これは仏教・道教の言説を通じて日本へももたらされているが、日本における神社の淵源のひとつをなす古墳時代の水の祭祀には、このような考え方が影響を与えているかもしれない。先にポストした地蔵と水との関係は、死者と水との関係とも複雑に絡み合っている。
宇曽利湖の白砂なす湖畔には幾つかの供花がみられたが、誰かこの穏やかな湖水の向こうに、大事なひとの面影を幻視していたのだろうか。

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なおなお、恒例(!)のゼミ旅行怪奇現象は、どうやら今年も確認できた。遅れて合流した院生のSさんが宿泊を余儀なくされた某ホテル。むつ中のホテルが満室のなかたったひとつ空いていた「暗い」部屋で、Sさんは明け方までイヤな雰囲気に悩まされ続け、一睡もできなかったらしい。だからというわけではないが、ぼくは恐山境内を参詣中、繰り返しゼミ生の人数が曖昧になる感覚に襲われた。「あれ、これで全員だっけ。もうひとり誰かがいなかったかな…」という印象が、何度も何度も去来したのである。安易な物語で整理しようとは思わないので、まあ、あくまで事実の報告として書き留めておく。
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