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仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」第5回:「亡霊論1―亡霊の概念―」

2014-07-27 10:58:58 | ※ 四谷会談
どうなってんの?という声を多数?いただきました、申し訳ありません。遅ればせながら、人文学系情報発信型ポッドキャスト「四谷会談」の第5回をアップ致しました。テーマは「亡霊論」で、今回を含め3回にわたってお送りします。また、多数の方からご要望をいただき、今回より45~60分程度にと時間の短縮に努めました。またご意見をお聞かせください。
さて内容は、前回最後に触れた東琢磨さんの『ヒロシマ・ノワール』から語り起こし、人文学において「亡霊」の持つ意味について考えてゆきます。亡霊が出る/出ないのは、いかなる情況・理由によるのか。亡霊をみる/迎えるとはどのようなことなのか。東日本大震災を経由しつつ、『遠野物語』99話の世界へと迫ってゆきます。
なお、時間短縮により核心部分は次回へと受け継がれますが、「亡霊論」全編はすでに収録済ですので、1週間ごとに第6回、第7回を公開予定です。ご期待ください。

《第5回収録関係データ》
【収録日】 2014年7月11日(金)
【収録場所】 上智大学四谷キャンパス北條研究室
【収録メンバー】 山本洋平(司会:英米文学・環境文学)/工藤健一(トーク:歴史学・日本中世史)/岩崎千夏(トーク:日­本文学・中国語)/堀郁夫(トーク:株式会社勉誠出版編集部)/新飼早樹子(アシスタント・トーク:歴史学・日本古代史)/北條勝­貴(技術・トーク:歴史学・東アジア環境文化史・心性史)
【主題歌】 「自分の感受性くらい」(作詞:茨木のり子、曲・歌:佐藤壮広)
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7月、上半期/下半期、折り返し

2014-07-05 09:22:00 | 議論の豹韜
もはや今年も半分を過ぎた。春学期も終わりに近付いているので、4月以降のもろもろを振り返っておきたい。

まず研究面。さすがに授業が始まると、もはやまったく進まない。春学期の授業は6コマ+α(幾つかの輪講、毎月1回の生涯学習の授業)で、うち講義が恒常的にあるのは「日本史概説」「日本史特講」だけだが、それでも準備にはかなりの時間がかかった。例年のとおりのプリント配付・ブログでの質疑応答に加え、今期からは毎回パワーポイントも用意したので、それぞれ平均1~1日半を要する。プレゼミ・ゼミ・院ゼミの予習に、校務・研究会などで土曜出勤も多い。そこへ各種委員会の校務を加えれば、もう1週間経ってしまうのだ。したがって、かなり強引にねじ込まないと研究の時間は確保できない。それでも徹夜を重ねて、5月には上智史学会の例会で、昨年のサバティカル中に行ったシンポジウムその他の報告、雲南調査から得た知見などについて概略をレポートした。とくに後者については、東巴から提供された卜書『以烏鴉叫声占卜』の読解を中心に行い、その形式・内容が、敦煌文書や古チベット語文献に残る鴉鳴占卜書に共通することを突き止めるところまでは到達した。今後は東巴経典自体のさらなる読み込みと、環境文化的に烏表象の問題を追跡すること、また鴉鳴占卜のアジアにおける展開を跡づけることが必要である。『看聞御記』などをみると、時折烏鳴きの占文に関する記事がみえるし、現在列島各地に広がる烏鳴きの習俗には、前近代の禁忌・卜占世界と繋がるものも多い。ずっと続けている卜占研究の一環として、しっかり取り組んでゆくべきだという展望、決心を得たところだ。そのためにも、東アジアにおける亀卜の展開を扱った単行本は早くにまとめたいのだが、実質的に時間を捻出することができない。大学に勤めている限り自分は本を書けないのではないか、と焦燥に駆られることもしばしばである(まったく、単行本を連発している人たちは、どのように時間を確保しているのか…)。環境や秦氏の単行本も、そろそろリミットが近付いている。8月にはすでに大きな原稿の〆切が2本入っており、身動きが取れないので、何とか9月に賭けたいが…月末のシンポジウムの仕切りもあるし、やっぱりけっこう大変だな。
研究と密接に関わる教育の面では、やはりポッドキャスト「四谷会談」を始めたことが大きい。たくさんの人に聴いてもらう、という意味では未だ軌道に乗っているとはいえないのだが、少々スケジュールはずれるものの、ここまで2週間おきに打ち合わせ・収録を重ね、第4回までを公開に漕ぎ着けることができている。ご一緒している盟友の工藤健一さん、山本洋平さん、岩崎千夏さん、院生の新飼早樹子さん、そして主題歌を提供してくださった佐藤壮広さんの貢献が、当然のことながら甚大である。方法論懇話会が休会になって以来、思想や理論の方面の勉強を続ける余裕がなく、一方で非常な飢餓感を覚えていたのだが、現在は「緩く」ではあるもののある程度目配りができるようになってきている。メンバーに感謝したい。番組の技術、議論の質という点ではまだまだだが、今後も、かつての方法論懇話会、四谷会談のメンバーにも声をかけ、賑やかにやってゆきたい。
院ゼミを母胎とした『法苑珠林』の注釈についても、恒常的に話し合う場を設け、半ば強引にではあるがweb更新の作業態勢を整えようとしているところである。こちらも、近日中には結果が出せるだろう。

授業以外の校務の関係では、サバティカル中から担当してきた文学部横断プログラム、とくにジャパノロジー・コースの開発に関する業務が煩瑣になってきた。現在は来年度にスタートする共通基礎科目の事務作業と、9月末に開催するスタートアップ・シンポジウムの準備にかかりきりである。とくに後者については責任者を務めているので、多くの先生方に助けていただきながら、企画書の作成、打ち合わせ、書き直しを繰り返している情況である。某放送局との連携である点等々、いろいろ難しいのだが、なんとかよい形で実現させたい。また、その共催も得るかっこうで、12月にはアジア民族文化学会の大会シンポジウムも上智で開催することになっている。雲南省モソ人の呪師ジパを招き、病祓の実演をしていただくことが目玉だが、高知県のいざなぎ流神道とアジアの呪術の比較など、こちらも濃厚な内容を企画中である(いま、企画書の作成中)。昨年は講演・シンポジウムの報告行脚に明け暮れたが、今年は逆に主催者側に徹している。最近自分の処理能力の低下に愕然としているのだが、何とか頑張りたい。

それにしても、特定秘密保護法から集団的自衛権閣議決定に至るこの情況、なんとも心をざわつかせる。小泉政権の頃からとくに感じるようになった「意味の不在」が、言論の世界でより顕著に進行している。政権、メディア、有識者、一般社会がそれぞれ幾つかの小集団、そして個人に分断され、コミュニケーション不全を起こしてしまっている。他者との会話を必死に図ろうとする者もいれば、他者との対話のの価値自体を認めず、自己への盲信・正当化の言説のみで凝り固まっている者もいる。最悪の事態が訪れる前に、言葉は力を取り戻せるのか。取り戻すにはどうするか。今後の研究・教育は、このあたりを第一の課題として一層強く認識せざるをえなくなったようだ。
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東琢磨『ヒロシマ・ノワール』を読む

2014-07-03 11:47:10 | 書物の文韜
東琢磨さんの新著『ヒロシマ・ノワール』。前回の「四谷会談」でも駆け込みで紹介したのだが、ちょっとだけ感想を書いておきたい。「ちょっとだけ」というのは、いろいろ内的・外的な事情があって、まだ全部を読み終えることができていないためだ。しかしそれは、難しいとか読みづらいとかそういう意味ではなく、読み終えるのがもったいないような、とっておきたいような感覚とどこか似ている気がする。言葉の使い方や内容自体ももちろん刺激的なのだが、その文章の端々に表れてくる東さんの感情、感性の方向性が、きわめて心地よいのである。とにかく、帯に書かれた「なぜ広島には幽霊が現れないのか」という魅力的な問いに対応する、第2部に当たる部分のみを読んでみた。

まずこの問いについては、以前、形だけは同じような問題意識を抱いたことがある。ぼくが怪談、怪異譚に関心を持つのは、もちろん単に好事家的な性分もあるわけだが、時おり、個々の主体に還元できない、「生者を打つ過去からの声」に遭遇することがあるからなのである。2008年、デリダの亡霊論に触発されながら「死の美学化に抗し」て『平家物語』を読む高木信さんに誘われ、「亡霊とエクリチュール」なるシンポジウムに参加したとき、フロイト『トーテムとタブー』と古代中国の鬼祓除書を架橋しつつ、死者の主体を語ることの政治性について注意喚起する〈サバルタンとしての死者論〉を披瀝した。死者を自己正当化のツールとして消費しないことは、生者が持つべき最低限のマナーだが、個人から国家に至る種々のレベルにおいて、それは多く遵守されることがない。過去について語る歴史学者であり、死者について語らざるをえない僧侶であるぼくの周りには、意のままに死者を操ろうとしながらそのことに無自覚な、ネクロマンサーのような人々が蠢いている。高木さんは、アンチであるがゆえに中央集権を強化してしまう「怨霊」ではなく、主体の目の端に消えつ現れつしながらその根本の枠組みを動揺させる、「亡霊」の存在に着目していた。高木さんの指摘をまつまでもなく、生きている人間と同じように、幽霊も政治の力学に影響を受ける。地下鉄サリン事件で多くの犠牲者を出した築地周辺では、サリン事件に関する怪談はほとんど語られないし、東日本大震災においても、幽霊譚が「遺族の日常への復帰に重要」として採り上げられるようになったのは、ここ2年ほどのことであろう。逆説的なようだが、マイナスの磁場を表現するもののように扱われる怪談は、歪な力動の支配する現場には生まれえないのではないか(もちろん、「政府広報」的な幽霊は例外である)。幽霊が現れない場所には、何かが抑圧されているのではないか。
東さんの言及する「幽霊」は、上に述べたぼくのアプローチより、よほど複雑で多層的な内容を持っている。そこにはデリダの亡霊論も含まれることが「付記」で示されるが、冒頭では、石原吉郎がシベリア抑留経験を共有した友人から聞かされた最期の言葉、「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」が置かれる。個々に分断された人間が最後にすがりつくような同種間アイデンティティさえ本当はまやかしに過ぎない、それこそが我々の生きる日常の本当の姿なのである。対話不可能な〈他者〉とは隔絶した世界にあるのではない、あなたの隣人が、家族が、そしてあなた自身が〈他者〉なのである。「幽霊」という概念は、そうした我々の「人間」としての前提が破壊されたグラウンド・ゼロの地平に、ゆらりと起ち上がる。その「幽霊」に憑依されたかのように、東さんの筆は、さらに「人間」を丸裸にしてゆく。いや、我々自身が、人間を間にしてゆく情況があぶり出されてゆくといった方がいいかもしれない。権利/義務の二項対立のなかでしか把握されない、生得的な尊厳を剥奪された「人間」のありよう。リオタールの「非人間的なもの」。そして、よってたかって過去の記憶を奪われようとしている、広島という〈場所〉(この灯籠流しの問題は、前回「四谷怪談」で扱った、レルフの〈没場所〉という概念を介した方が分かりやすいかもしれない)……。しかし絶望と怒りから生み出されたかのような「幽霊」、あるいは「人間でないもの」には、かすかな希望も託されている。柳田国男や折口信夫が神霊や芸能に認めたもの、トーベ・ヤンソンがムーミンに仮託したもの。ムーミンにカタストロフィの影を読み取る東さんの分析からは、帰還した兵士たちの心身症を治療するなかで、第一次世界大戦の厖大な死者に向き合うため、フロイトが死の欲動論を紡ぎ出したことを想起させた。そして東さんの筆致は、次第に、メルロ=ポンティ的な〈みえるもの/みえないもの〉、あるいはブルデュー的な〈考えられるもの/考えられないもの〉の問題、その彼方へと収斂されてゆく。人間の認識なるものは極めて限定的であり、それを成り立たせている要件さえ自覚できないにもかかわらず、いまみえている世界、考えている世界が〈すべて〉だ、〈真実〉だと思い込もうとする。しかしそのようにして作られる安心立命こそ、〈世界〉から捨象されてしまうもの、こぼれ落ちてしまうものへの感受性を鈍らせ、劣化させる元凶なのである。認識の外に積み重なったものは、やがて〈世界〉に牙をむき、〈世界〉を崩壊させてゆく。「なぜ幽霊が出ないのか、なぜ我々はもう幽霊を見られなくなってしまっているのか」という東さんの問いのなかで、みられないもの、考えられないもののメタファーとしての「幽霊」は、(「未来の犯罪」としての)放射能とも重ね合わされる。「もう一度私たちの精神的な構えとして、見えないものとどのように向き合っていくのかということが、これからのひとつの重要なものになっているし、その重要度は増していくのではないかと思います」。
東日本大震災の直後、我々の世界はこれまで死者を蔑ろにしすぎてきた、これからは生者の世界を動揺させるベクトルとして、死者の視点をどう盛り込んでゆくかが必要だ、という議論が起こった。ぼくも幾つかの拙文で述べたことがあるが、いつの間にかその方向性は消え去り、浅薄な、そして自己正当化の情愛に酔うような、癒しの死者論ばかりがはびこる情況になってしまった。震災に突き動かされてようやく「みえかけて」いたもの、いま、それをみようとする行為自体が放棄されようとしているのである。東さんの新著は、もう一度、自分と世界をみつめなおすきっかけを与えてくれる。多くの人に読まれ、論じられることを期待するばかりである。

何だか、東さんの意図を強引にねじまげながら、自分の話ばかりしてしまった気がする。ご容赦を願いたい。また、第2部で得た興奮の余勢を駆って第3部の頁も開いてみたのだが、なぜか心のなかがザワつき、まだきちんと読めていないことも、あわせてお詫びしておきたい。東日本大震災に直接関わる内容については、その核心に感性をもって触れる文章であればあるほど、ぼくにとっては未だ生々しいのかもしれない。
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適材適所

2014-07-02 21:33:31 | 議論の豹韜
しばらく更新を怠ってしまっていた…と始まるのがもはや定式と化しているのは、非常に申し訳ない気持ちである。これまで何度か宣言をしつつも守れないまま現在に至っているわけだが、今後はできるだけ、1週間に1回は更新する形へ戻してゆきたいと考えている。というのは、ブログを書かない理由のひとつをなしてきたfacebookが、やはり刹那的なメディアにすぎず、ある程度の内容を持った長目の記事はブログへ載せる方が向いている、と思い至ったからである。

facebookは、SNSの代名詞になっているだけはあり、コミュニケーション・ツールとしてはブログより優れている。何か記事を書けば多くの人の目に触れるし、常に繋がっている「友達」にはコメントを付けてくれる人も多い。そこで意見交換ができたり、新しい「友達」ができることも少なくない。メッセージやグループの機能はチャット的に利用でき、離れた「友達」と簡単に会議することも可能だ。ぼく自身、さまざまな研究会を催し、またシンポジウムなどを企画・運営するなかで、非常にfacebookのお世話になってきた。facebookがなければ絶対に知り合えなかった異分野の人たちと、意見を交わせるようになったのも確かだ。しかし「友達」が多くなるに連れて、その「いま繋がっていること、繋がること」を重視するがゆえの刹那性がみえてきたことも、また確かなのである。例えば冒頭に書いたように、長目の文章。何人もの「友達」の記事が次々にアップされてゆくなか、長目の記事が現れたらどうだろうか。自分に時間的余裕があればゆっくり読んでもいいわけだが、何かの目的で閲覧をしている場合は、「とりあえず後回しに」と、「いいね」のみを押して放置しておくことが多いのではないだろうか。するとその記事は、次々にアップされるポストの奔流のなかで、どんどん過去のものになっていってしまう。facebookには、ブログのように記事の検索機能がないため、一度消えてしまった記事を見つけ出すのは、時が経てば立つほど非常に面倒になる。つまり、多くの人に「書いたこと」は周知されるものの、内容まで読んでくれているかどうかは極めて不透明なのだ。「ノート」の機能を使って提示しておくとという手もあるが、それではブログよりも機動性がない。また、長目のポストをし続けることは、かえって(本当は読んでいない)「いいね」のみを増やす結果となり、刹那的・表面的なコミュニケーションを助長するということになりかねない。それならば、ブログとfacebook、それぞれのツールの適性に応じた使い分けをしなければなるまい。

というわけで、これからは、ある程度まとまった内容はブログに書いてゆくことにしたい。facebookには、twitterに毛の生えたサイズくらいのものを。
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