仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

師走になってしまった…

2012-12-03 12:46:57 | 生きる犬韜
あっという間に、12月である。毎年のことだが、するべきことが何もできていないなあと焦りが募る。今年は、秋にシンポジウムを引き受けていなかった分、時間があったのではないかと思うのだが、気がつけば翌日の準備をするだけでどんどん月が過ぎてしまっている。丹念にブログをチェックしていただいている方もあるようなので、最繁忙期(卒論8本、修論1本、200本を超えるレポートが待っている!)へ向けて気持ちをリセットするためにも、夏から数ヶ月の動きを概観しておこう。

実は6~7月にかけては、ずっと胃の調子が悪く、最悪の事態を疑っていた。我が家の血統は、父方にも母方にも癌で亡くなった人があり、父もこのところ毎年のように胃の部分切除を行っている。ぼく自身も胃痛持ちで、胃痙攣を起こして救急車で運ばれたこともあるほどだ。もし胃癌で症状が進んでいるとしたら、今後何を優先して何を切り捨てるべきか、妻のことはどうするか…等々。半ば真剣に、半ば冗談めかして、いろいろと考えをめぐらせていた。かかりつけの医院でも検査の必要があるというので、8月下旬、別の病院へ紹介状を書いてもらって内視鏡検査を受けた。結果は「問題なし」。拍子抜けすると同時にひとまず安心したが、自分も常に「終わり」を意識しておかなければならない年齢になったのだと、あらためて実感した。
とはいえ、さまざまな仕事を引き受けながら、それを迅速にこなしてゆく能力はなく、かといって切り捨ててゆく勇気も傲慢さも持ち合わせていない。なるべく誠実にこなしてゆこうと心がけるが、その分作業は停滞し、別の作業へも波状的に広がってゆく始末。9月以降は、懸案の災害危険度調査報告書を提出したほか、学内学会誌『上智史学』の昨年度大会シンポジウム開催報告、勉誠出版の『アジア遊学』の原稿を脱稿した以外、なかなか研究面では仕事を進められないでいる。学内共同のネットワーク研究しかり、『法苑珠林』訳注稿しかり、来年度在外研究の準備もまたしかり。依頼原稿の書評、『源氏物語と災害』、『近代学問の成立』、学科で刊行する歴史研究入門書『歴史家の窓辺』も進捗していない。来年度は来年度で、2・3・4月と雑誌論文などの〆切があり、現行の作業を遅延させると大変なことになる。毎年同じような事態を招き、その度に来年こそはと思うのだが、本当に成長しないどころか、退化する一方である。それでも何とか、各個撃破を果たしてゆかねばなるまい。書く内容がある程度固まっている『近代学問』と『窓辺』はまあよいとして(うーむ、前者はシンポにて報告済みとはいえ、やはり手直しが必要か…)、いちばんの問題は『源氏』である。時間を作って先行研究を集め、『源氏物語』を一から読みなおしているのだが、なかなかこれはというネタがみつからない。災害関連記事は須磨・明石に集中して現れるのだが、それをあえて外して、あるいは扱うにしてもかなりの変化球にしなければならない理由がある。少なくとも年内には脱稿したいが、頭が痛い。

校務に関しては停滞させられないので、調整して何とかこなしている情況である。今年で任期を終える学生センター長補佐の仕事は、一昨年までの流れをかなり改革したので、引き継ぎのための資料をしっかり作成しておかねばならない。ここへ来て、関連委員会の規程等々、網羅的に再検討したうえで改正の手続きをすべきものも出てきた。最後まで気が抜けない。しかし、任期中に全学規模の防災訓練を実現できなかったのは痛恨の極みである。四谷キャンパスのバリアフリー化と厳密な防災計画の策定、防災訓練の実施を何とかできない限り、100周年も何もこないというのが個人的な意見だ。これはしっかりと引き継いで、関係する人たちに動き続けてほしいと思っている(もちろん、ぼく自身も訴え続けるつもりである)。
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