仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

右往左往の毎日

2010-06-15 13:02:52 | 生きる犬韜
このところブログの過去記事やサイドバーの文字が極小化し、各方面から苦情をいただいていたのだが、自分では設定を変更したつもりもなく「gooのバクだ」と思っていた。それがどうやら、2~3回前の記事の最後のsmallタグを閉じていなかったことが判明し、PC歴27年の老舗ユーザーのつもりがただのクレーマーとなってしまった。恥ずかしい限りである。

さて、40歳を過ぎて一気に無理が利かなくなり、睡眠をとっても疲れがとれない状態が続いているので、〆切を過ぎた原稿を捌ききることができず忸怩たる思いでいる。大学の業務は何とか支障なくこなしているが、今日も期末試験アンケートの入力を忘れるポカをやった。最近、こういうことがよくあるので困る。内容自体は面白くなりそう?なので、何とか3本、月末までに仕上げたいものだ。そうしないと、7月〆切の2本が被さってきて身動きが取れなくなる。ただし、この時期は大学の諸書類の〆切が重なっており、輪講も一つ二つ引き受けているので普段より授業コマ数が多い。何とか乗り切らねばならない。
昨14日(月)は、「日本史概説」の講義を終え、カウンセリングセンター主催のシンポジウムに途中まで出席したあと、中央線に飛び乗って横浜へ向かった。実は、父が胃癌を患っており、この日が手術日に当たっていたのだ。進行性のものではなく、内視鏡で切除できる範囲なので心配はないといわれていたのだが、ちょっと顔を見るだけでもという気持ちが強くあったのだ。しかし、講義を休講にしたり、初年次委員の役柄上シンポを欠席することもできず、18:30過ぎに大学を出る格好となってしまった。ところが、19:00頃に品川の手前まで来ると長兄からメールが入り、「面会時間は19:00までなので、今から来ても会えない。手術は無事終了」とのこと。安心するやら肩すかしを食うやらでちょっと呆然としたが、会えないのなら仕方がないので、面会については日を改めることにした。
そこで今度は、山手線・総武線を乗り継いで飯田橋方面へ逆戻り。毎年参加している首都大オープン・ユニバーシティの輪講企画がスタートしていたので、そちらに顔を出すことにした。今年のテーマは「怪異と怪談の文化史」。講師は、前半を佐藤壮広さんと土居浩さん、後半を猪股ときわさんとぼくが務める。この日は佐藤さんの2回目で、沖縄の幽霊話が主題。とくに面白かったのは「風」の問題で、沖縄では風を悪霊と捉え、ヤナカジなどと呼んで怖れるという。「ですから沖縄では、『千の風になって』の捉え方が、本土とは違うと思います。『風』になるのだけはやめてくれって」(佐藤さん談)。終了後の飲み会でも話題になったのだが、風がこれほど爽やかなイメージで語られるようになったのは、かなり新しい出来事だろう。そういえばジブリは常に風を肯定的に描いているが、あれは「前近代性」の破壊を意味するのかも知れない。気の合う仲間と楽しく話して帰ってきたが、気疲れしたのかこの日はダウン。また原稿の提出が遠のいた。

さて、左の写真は、12日(土)に行われた地域懇談会のあと、モモと待ち合わせして立ち寄った吉祥寺のカレー店「まめ蔵」の豆まめカレー。肉も入っておらず大変ヘルシーで、たくさん入った豆の食感が心地よかった。リニューアルしたばかりの店内も落ち着いていてよし。またぜひ来たいものだ。以前、常連になれるようなカフェを探していると書いたが、そうした意味で注目しているのがさらさら。まだ行ったことはないのだが、涼しげなお茶の緑に心を惹かれる。喫茶店が開いている時間に帰ってこられないのが難だが、いずれぜひ出かけてみたい。

……しかし、来週月曜から2回の「書物文化論」、どうしようかな。まだ何も内容を考えていない。最初は占いでやろうかとも思ったが、今は頭が兵書で一杯になっている。占いの文句がたくさん出てくる種類の兵書があるので、そのあたりで攻めてみようか。受講生の皆さん、乞うご期待?
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また、研究会発足

2010-06-08 23:42:06 | 議論の豹韜
先日紹介した『王朝人の婚姻と信仰』(実は、大妻女子大学の倉田実さんの、還暦記念論集)の刊行をお祝いして、7日(月)、アルカディア市ヶ谷の日本料理店「いちがや」に論集の執筆者が集まった。ぼくはなかなか原稿が書けずにご迷惑をおかけしたので、正直いって顔を出せるような「身分」ではないのだが、やはり執筆者であるモモの背後に隠れて出席することにした。倉田さんは終始ご機嫌で、この論集を大変お気に召したご様子。確かに、錚々たるメンバーによる極めて中身の濃い本で、ぼくも(原稿を落とさなかった分だけ)何とかご恩返しができたのではないか…と無理矢理胸を撫で下ろした次第である。
美味しい料理とお酒(ぼくは飲まないけれども)に舌鼓を打ちつつ、服藤早苗さんがいらっしゃるにもかかわらず?、会は終始和やかなムードで進んだ。執筆者ひとりひとりがお祝いの言葉をお送りする段になり、席順の関係で、なぜかぼくがトリを務める羽目に。一体何をお話ししようかと思い悩んだが、結局「この集まりをこの場だけで終わらせないために、研究会を起ち上げましょう!」とぶちあげてしまった。モモと出逢ったケガレ研究会をはじめとして、ぼくには、文学/歴史学の合同の研究会で育てていただいたという強い気持ちがある。倉田さんと初めてお会いしたのも、論集刊行後の第2次ケガレ研だった。この研究会は、その後「暴力」を扱う方向へ形を変えたが、メンバーが忙しくなりすぎて例会の日程調整がうまくできず、いつの間にか立ち消えになってしまっていた。ぼくはモモと2人でずっと事務局を務めていたが、中心だった服藤さんから「いつか復活を」と頼まれていたのだ。
倉田さんも大変に乗り気で、文学・歴史学双方から関わりやすい「儀礼」をテーマにすることに決めた。歴史学では、一定のスパンのなかで変化を捉えるという方法になりがちだが、具体的な所作や祭具が何を意味するかなど、一回の儀礼そのもののなかにまだまだ解明されていないことがたくさんある。今回はそれに拘って考えてゆこうという趣旨だ。みんな忙しいので、とにかく手許にある材料を持ち寄るだけでもよい。負担があまりかからないようにしながら、気長にやっていければということである。事務局は、今回の論集でも縁の下の力持ちの役割を担った深澤瞳さん。9月頃に第1回目の例会が予定されている。

皆さんと別れて、モモと2人、バスの終わった武蔵境駅から自宅まで「散歩」した。このところ、2人で夜の散策に繰り出すことがある。未だ馴染みのない自宅周辺を歩いていると、さまざまな発見があって面白い。日曜の夜は、一応の最寄り駅だがまったく利用していない、西武多摩川線の新小金井駅まで歩いた。途中、天神社や稲荷社もあり、駅自体もなかなか雰囲気のある場所だった。どこかに、行きつけの場所になりうるような気持ちのいいカフェでもないかと探しているのだが、なかなかにみつからない。今度はどこを探検してみようか。

※ 写真は、記念品のプリザーブド・フラワーを手にご満悦の倉田さん。意外にも?、こうしたものがお好きだそうである。
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惑い続ける人生

2010-06-01 20:27:25 | 生きる犬韜
気がついたら、40歳になっていた。
先週金曜の院ゼミ、今週のプレゼミ、ゼミでは、学生たちが気を遣っていろいろお祝いしてくれた。申し訳のないことである。しかし、その場でも話したのだが、自分がついに不惑を迎えたという実感がまったくない。もの忘れが多くなった(今日も、4年生のYさんの就職先が決まったことを忘れていて叱られた)、傷の治りが悪くなった、疲れがなかなかとれなくなった、徹夜が苦しくなった…などなど、身体の衰えを感じることはしょっちゅうだが、精神的に成長したという気はまるでしない。ただ、もうあと20年で還暦なんだ、そろそろ人生終えるつもりでいなきゃなあ、という漠然とした「終末感」がある程度だ。
あと20年で何ができるのか。まあ、目の前のことに夢中になっている間に、また「気がついたら」60歳になっているのだろう。せいぜい、惑い続け迷い続けて命を明かそう。

さて、講義は学生たちの興味に支えられて、原稿の方もその相乗効果で、何となく上り調子になってきた。概説はいよいよ広嗣の乱から良弁の活動に入り(どんどん仏教的にコアな領域へ入ってゆく。1年生、付いてこられるかな?)、特講は中国少数民族のトーテミズム分析へと踏み出す。未踏の領域である。
兵法の研究の方は、張家山漢簡の兵書『蓋廬』を読み込むなかで、壬申の乱に関する新しい解釈ができそうな雰囲気になってきた。何丙郁他『敦煌残巻占雲気書研究』も重要なので併せて読み進めているが、こちらはあと2週間で仕上げないと原稿を落としてしまうことになるため、それほどゆっくりしていられない(それにしてもこの本、絶版になっているようで、古本屋にもないし、Webcatで探しても4館くらいしか所蔵がない。こんなに重要な本が…)。吉川弘文館から出る『藤氏家伝』の論集に載るのだが、さて間に合うか。なおこの出版計画の母胎である成城大学民俗学研究所の共同研究は、次年度は寺社縁起へ対象を移す予定である。まだ本も出ていないのに、「調査旅行どこに行きましょうか!」とワクワクするような話が出た。
あとは、やはり同時並行で、修行の論文(こちらも〆切を過ぎてしまった)、『アジア遊学』掲載の「神仏習合と自然環境」なる論文を書いている(両方とも勉誠出版だった…)。4月の御柱シンポの要旨(原稿用紙10~15枚、6月末〆切)も、通勤・帰宅の車中でケータイ論文として執筆中。とにかくいろいろ頑張ってはいる。


しかし、映画や芝居を観にいっている時間はまったくない。幾つか押さえておきたいものはあったのだけれども、せいぜい、漫画を読んでストレスを解消するしかない状態だ。このところ購入したのは上のもの。『無限の住人』はいよいよ佳境、『GANTZ』も凄まじいことになってきた。『聖おにいさん』は、また少し盛り返した感じ。『ヒストリエ』は、やや中だるみ中かな。『7人のシェイクスピア』『バガボンド』は買ったけれども未読。モリミーの新作『ペンギン・ハイウェイ』は、ようやく今日購入。バスのなかで少しだけ読んだが、非常に引き込まれる語り出し。今回は京都も四畳半も変態も関係なく、装幀もスタイリッシュだ。『スピヴェット君』のような雰囲気、今年は秀才(もしくはそう思っている)少年が流行なのだろうか(…と書いてしまったが、読み進めたらやはり変態が爆発していた。さすがである)。

※ 追記。NHK教育の「歴史は眠らない」で、「お経巡礼」なるシリーズが始まった。偶然視聴、ひろさちやが出てきたので嫌な予感がしたが、案の定、『華厳経』の相即相入の世界を「日本的アニミズム」に直結させてしまった。アニミズムの日本人には、『華厳経』が理解しやすかったのだろうというのだ。そもそも、奈良時代に『華厳経』を読めた人間、何が書いてあるのか分かった人間が何人いるのか。これでは、日本天台の草木発心修行成仏論も歴史的意義を失う。来週は『法華経』だそうだが、良源も泣いているだろう。
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