仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

一年をふりかえって

2005-12-30 11:04:06 | 生きる犬韜
久しぶりにブログ更新です。
とにかく年末というのは、やることがたくさんあります。
締切を延ばしてきた原稿に決着をつけ(やっと災害史終了!いろんなアプローチを試してみたいと思っていましたけど、結局追い詰められるままに勢いでまとめてしまった。校正で少し補足修正せねば……)、来年度のシラバスを書き(来年度はコマ数が3~4倍になる)、送っていただいていて読めていなかった抜刷に返事を認め(皆さんごめんなさい。ちゃんと書けなかった人もいます)、年賀状を送り(今年は350通は書いた)、あとは大掃除(今日から開始!)、そして除夜の鐘で締めくくり(毎年、地元の友人たちが駆けつけてくれるので、懐かしい話に花が咲き、私は後半は仕事放棄状態になってしまいます)。いつの間にやら年明けとなります。

しかし、年が明ける前から、新年の忙しさ、きつさが分かっているというのも嫌ですね。1月は三宝絵研究会の報告(長谷寺縁起における伐採抵抗の話になりそうです)、2月は歴博共同研究の報告(避けたいところですが、そうもいっていられません。中国の宗教文化との関係から、中臣や卜部の成り立ちを再考する方向でまとめられるかどうかですね)と方法論デリダ講読会の担当、5月は神田明神と将門に関する講演(将門の首塚がなぜ千代田にあり、神田明神に祀られることになるのか。兵法の関係からも考えたい)、6月は古代文学会の報告(中澤さんと環境論をめぐる対論です。人間にあるのは、殺生をめぐる後ろめたさか快楽か。環境倫理に関する近代の言説も扱いたいと思っています)、7月は中国の夢信仰に関する輪講(『周氏冥通記』と敦煌の解夢書、道宣の感通経験などが主な対象です)と、新しく取り組まねばならない課題が山積です。ぼくは準備に1ヶ月以上かけるタイプなので、夏休みまでほとんど休む間がありません。この間、通常の校務や原稿の締切も入ってくるので、機会をいただけることに大いに感謝する反面、少しゆっくりと物事を考えたい……という希望もあります。院生の頃は時間があって良かったなあ。ま、とにかく順々にやってゆくしかないですね。学問は快楽ですから、休むことなく何かを問い続けることほど、喜悦のときはないともいえます。
また、ちょうど1年前くらいでしょうか、仲間と環境/文化研究会という新しい集まりをたちあげ、多くの方々にご賛同をいただいて、その後、隔月の例会開催も軌道に乗ってきました。来年1月には関西例会もスタート、3月には関西・関東合同の合宿も行われます。多様な分野から自由に環境に取り組む研究会を持つというのは、『環境と心性の文化史』準備会以来の念願でしたので、方法論と同じく、大事に育ててゆきたいと思っています。方法論がいろいろな意味でキツキツの会(その分学問的喜びは大きかったりするのですが、それにたどり着くまでの道のりが険しい)なので、こちらはもっと余裕をもって、細く長く維持してゆくつもりです。雑誌や論集を作るとなると、とたんに疲弊してきますからね。

このブログも、9月に再開して後、とぎれとぎれですが何とか続けてきました。研究会のコメントなどが多くなっていますが、「書かねば!」と思ったネタがうまくまとめられす、先送りになってしまっていますね。最近でも、韓国のES細胞捏造事件など、以前言及した手前、書くべき問題がかなりあったのですが、ほとんど立ち消え状態となっています。一生懸命読んでくださっている方もいるようで恥ずかしいのですが、こちらはもう気負わずに、気の向くままに書き散らしてゆくつもりでおります。来年は、まずは正月ドラマの批評でしょうね。どうかご容赦をいただき、またお付き合いください。
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国学院COEシンポ「神道の形成発展」1日目

2005-12-10 13:02:20 | 議論の豹韜
1週間遅れになりますが、先週の12/2(金)に出席した、国学院大学のCOEシンポジウム「神道の形成発展―異文化・仏教との関わりを中心に―」の感想を記しておきます。私も以前協力したことがありますが、国学院のCOEプログラム「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」は、定期的に非常に質の高い研究会・講演会・シンポ等を開催しています。今年は神仏習合が大きなテーマとのことで、5月にも古代の情況をめぐる重厚な集会が持たれました。今回も3日間連続の充実した内容ですが、土日は他の(多少責任のある)研究会と重なっていたため、残念ながら金曜のみの参加となってしまったわけです。

初日のプログラムは、末木文美士氏と義江彰夫氏の基調講演「神道と仏教」。東大系で固めてありますが、お二人とも、日本仏教学・日本中世史の重鎮的存在です。神道学の側からの発言ではないところが、なんとも面白いですね。

末木氏の報告は、「神道学と仏教学」。神仏関係と二者択一的/二項対立的に併称される神と仏ですが、教学的もしくは宗教学的対象としては、これまで等価に扱われてこなかった。神仏関係を実証的に分析するうえでも、仏教学・神道学の協同が図られねばならないとのことです。まったくそのとおりで、一部のコアな研究者集団を除き、歴史の世界でも両分野は隔絶してしまっています(神道史学会、仏教史学会など。逵日出典氏の日本宗教文化史学会は、そのあたりの超克を目指したものらしいですね)。しかし、両分野の相互交渉をはかる前に、〈学〉としての成り立ち自体、もう少し考えてみる必要があるでしょう。
義江氏の報告は、「神仏習合史の歴史的展開―ヨーロッパ・中国との比較をとおして―」。宗教の一般的特徴であるシンクレティズムについて、ゲルマンやアイルランド・ケルトとキリスト教、中国の儒・道・仏の重層的関係をスライド・史料を駆使してパワフルに説明、日本の初期神仏習合から反本地垂迹説・神道書の成立に至る流れも概観されました。義江さんといえば、アジアにおける自然観の研究もなさっているので、私とは研究のスタンスがかなり近い。神仏習合も開発史の流れのなかで位置づけられるので、視角的にも共通するところが多く、先駆者として尊敬もしています。しかし今回の講演は、ヨーロッパについては表層的・一般的説明にとどまり(ご自身の調査を踏まえて話されている点、迫力はありましたが)、中国については限定的で(五台山を事例に、「仏教は先行する信仰の弱いところへ入っていった」と主張されていましたが、神身離脱説の発祥である廬山は、後漢期から道教の聖地とされていたのでは?)、日本についても90年代以降の研究動向がほとんど反映されていないという憾みがありました(これほど外来/定着が課題とされているのに、なぜその傾向を無視されるのでしょうか)。
〈比較〉という方法も、有効に機能しているようにはみえませんでした。今後の宗教史のあり方としては、繋がりを捨象した比較史より、伝播と多様性をめぐる交流史へ展開した方が、未知の扉が次々に開けてゆく気がします。すでにギンズブルグは、ユーラシア全域に分布する〈灰かぶり〉伝承のなかにシャーマニズムの世界的展開をみていますし、アーサー王伝説群の原型が、スキタイを介して西域からもたらされたとする研究成果もあります。私自身、4~5世紀のキリスト教聖人伝に、『書紀』や『風土記』と酷似した物語を発見したときは驚愕しました。個人の能力を超える部分もありますが、方向性としては見据えていたいものです。
……といいつつ、鈴木靖民さんからストックホルム大学のUlf Drobin氏を紹介されたとき、言葉がうまく出てこず、語学力(とくに会話力)の低下(使ってないもんなあ)を思い知らされた情けない私なのですが。

講演終了後、藤井弘章さんや新井大祐さんから玉稿抜刷やご高著をいただき、重い鞄を抱えてほくほく帰りました。
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ことばのちから

2005-12-06 16:51:35 | 書物の文韜
宮城谷昌光の文章は格調が高い。
美文であるのはもちろんですが、文体そのものの持つ高貴なちからを感じます。

ご存知のように、宮城谷の主著は中国古代、主に夏から統一秦までの歴史小説。激動の時代を生き抜いた政治家や武将たちの生涯が、文字や古典への深い造詣を通じて理知的に語られます。北方とは対蹠的な位置にいる作家ですが、どちらもすばらしい(宮城谷の最新作は『三国志』。後漢書の世界から始まる雄大な構想で、二巻の後半でようやく曹操の生年に入ってきます。北方『三国志』と比べると、その方法論の相違が歴然としますね)。北方の作風は徹底したリアル感、立体的な描写が特徴。宮城谷にはそうしたベクトルは希薄なものの(活劇とも無縁)、一文一文の極めて思索的なところに心を打たれます。登場人物がお互いをみるまなざし、理解しようとする心の動き、発することば、自らの生き方を振り返る述懐などに、深く重たいものがちりばめられているのです。それらに触れたとき、読者のわたし自身も登場人物と同じように考え、自らの生を反省し、厳粛かつ静謐な時間を過ごすことになります。

先日、早稲田などで報告した「鎌足像の構築と中国的言説」では、過去を対象としてのみ扱う近代的歴史観を相対化し、過去に失われた生の可能性を現在に引き受けて生き直すという、前近代的な歴史叙述/読解の方法をあぶりだそうとしました。このあたり、実は宮城谷の小説にヒントを貰っています。宮城谷の作品に登場する人物は、彼ら自身が古典的でもあるのですが、神話や伝説上の人物、過去の英雄・偉人たちを崇敬していて、自らの生涯のさまざまな局面でその生き方を想起し、彼らの思想や心情を深いところで受けとめようとします。伊尹は禹に繋がり、太公望は伊尹に繋がり、楽毅は孟嘗君に繋がり、范雎は管仲に繋がる……といった具合。もちろん、この高尚な世界は中国古代の現実ではなく(平勢隆郎さんなどの議論参照)、あくまで古典の内的な読みに拠っているわけですが、実は、歴史の物語り論をめぐる最近の議論にも、大いに通じる内容を持っているのです。

宮城谷作品はほとんど読んでいるのですが、『青雲はるかに』と『奇貨居くべし』のみ購入しておらず、北方『水滸伝』終了を受けて手にとりました。最後に、前者の上巻で身につまされた文章を引用しておきます。

「もともと范雎は胆知のすぐれた男であるが、以前は、その胆知を過信し、なにごとについてもつまさき立つような心のありかたをしめした。その心の姿勢から発せられるのは大言壮語であり、人を屈服させずにはおかない論述であった。べつのみかたをすれば、それは饒舌であり、ことばの過多は人としての格の低さと質の悪さをあらわす場合が多い」(『青雲はるかに』上、集英社文庫、210頁)
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椿屋珈琲店新宿茶寮

2005-12-06 16:08:23 | 生きる犬韜
12月2~4日は、国学院大学COEシンポ、古代文学会、歴博共同研究と、やはり3連続の学会・研究会参加。もう疲れ切ってへとへとです。このあたりの感想は、後ほど書きます(とくに義江彰夫さんの講演について)。

さて、写真は土曜日のお昼に妻といった、「椿屋珈琲店新宿茶寮」。談話室滝沢のあったビルに、最近オープンしたばかりの喫茶店です。外からみて興味をひかれていたので、ぜひ入ってみたいと思っていたのですが、学会へゆく途中で寄り道してみました。
店内に入ると、和風・洋風のミックスした大正ロマン、レトロな雰囲気。ひいきにしている「面影屋珈琲店」に近いなあと思ったら、同じ東和フーズさんの系列でした。メニューもほとんど同じ。名物のスペシャル・カフェオレ(テーブルでミルク・コーヒーを併せ注ぐパフォーマンスあり。普通のカフェオレよりかなり濃い)、特製アイス・カフェオレ(ミルクのなかに、角氷のコーヒーが浮かぶ。溶けてくると冷たいカフェオレに)もどちらでも楽しめます。店員の制服(椿屋はカフェの女給さん風、面影屋はシックなイメージです)と店内の雰囲気(椿屋は窓があり明るい〈あくまで新宿の話〉。面影屋は窓がなく薄暗い。夜にゆくなら面影屋の方がムードがありますね)がちょっと違うのかな。椿屋は銀座・新宿・池袋にありますが、面影屋は新宿のみ。もともとは後者がオリジナルなのかもしれません(面影屋がガンダムで、椿屋がジムみたいな……違うか)。

入ったことのない方、普通の倍くらいの値段がしますので、どうぞご注意を。
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