仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

韓国における輪廻転生の想像力

2013-07-04 23:23:37 | テレビの龍韜
6月は、5日の龍谷教学会議大会シンポジウムから始まって、11日の寺院縁起研究会例会、23日の上智大学キリスト教文化研究所連続講演会、28日の法苑珠林研究会と、ほぼ毎週講演や研究会報告があり、気持ちの休まらない月だった。しかしまあ、報告の準備を通じて自分のこれまでの考えを整理できたり、新しい検討材料を得られたりしたので、おかげさまで実りの多い月であったことも確かだ。7月末、8月半ばにはまた講演があり、前後に各種学会や研究会の合宿があるほか、8月末には雲南の調査が始まる。その諸準備を考えると、7月後半から2ヶ月はまた余裕のない日々になるだろう。現在も原稿に追われて焦燥感ばかりが募っているが、6月を乗り切り精神的にちょっと余裕ができたので、久しぶりにブログを更新しておくことにしたい。

さて、今回話題にしたいのは、6月までのクール、TBSの地上波で午前中に放送されていた韓国ドラマ、『屋根部屋のプリンス』についてである。韓国ドラマはそれなりに好きで、時代劇を中心によく観ている方だ。「一応は」史実に沿った真面目な作品だけでなく、『イルジメ』や『成均館スキャンダル』など、伝奇色やファンタジー色の濃い作品も楽しんで観ている(日本の大河ドラマなどでもそうだが、ぼくは、歴史ドラマに対し「史実に沿っていない」などと文句を垂れるのは、近代歴史学の生み出した弊害以外の何ものでもないと思っている)。ところで『屋根部屋のプリンス』は、転生とタイムトラベル、そして韓国ドラマお得意のすれ違い、親族の愛憎、隠された血縁関係などが複雑に絡み合う筋立て。内容はまあ他愛ないラブコメなのだが、興味を引くのは、物語の主軸となる〈転生〉の扱い方である。10年以上前、ようやく『シュリ』で韓国映画が一般化した直後に、『シュリ』と同じカン・ジェギュ監督による『銀杏のベッド』というファンタジー映画が公開された。単館ロードショーの映画館に観にいったものの、詳細はほとんど覚えていないのだが、時空を超えて転生し続ける恋人たちとその恋敵との愛憎劇だったと思う。続篇『燃ゆる月』も観にいったが、こちらはさらに過去の古代の物語で、ほとんど神話的な内容だった。この転生へのこだわりには、韓国文化特有の、宗教的もしくは土俗的なリアリティがあるのだろう。日本と何が違うのか。当時からその点を不思議に思ってはいた。『屋根部屋のプリンス』では、朝鮮王朝時代の人々がみな同じ姿で現代に転生していて、しかも同じような人間関係を取り結んでいる。前世の因縁が、現世でもそのままに作用しているといったところだろうか(つまり、「歴史は繰り返す」)。そのため、過去に解けなかった事件の鍵が、転生後の現代で紐解かれてゆくことになる。設定としてちょっと受け容れがたいところもあるのだが、韓国ではすんなり腑に落ちる土壌があるのだろう。日本でもかつて、戦国武将の転生譚である『炎のミラージュ』などがカルト的人気を博したが、概ね前世の因縁との葛藤を経てそれから解放される道を模索するものだったように思う。この相違は、日本のドラマツルギーが欧米化されているということなのだろうか。興味は尽きない。
なお『銀杏のベッド』では、かつての恋人たちが2株の銀杏に転生している。一方は恋敵の妨害で落雷に遭って枯れてしまい、一方もやがて切られてベッドに作りかえられる。恋人どうしのうち男の方は、その前の世では、伽椰琴を奏でる宮廷楽士だった。樹木への転生、落雷、琴、寝台…いまから考えると、この話、樹木伝承を研究する人間には垂涎の要素が詰まっている。このことをFBで呟いてみたところ、近代文学専門のFさんが、萩原朔太郎にも草木との恋愛を幻想する作風があると教えてくれた。早速『月に吠える』などを読み返してみたが、確かに草木の姿を官能的に捉え、口づけや愛撫する表現が散見される。このあたりの近代文学の想像力も、樹木婚姻譚の系譜に組み入れて考察する必要があるかもしれない。
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