仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

〈親子〉と〈難産〉をめぐって:宮崎駿をみながら

2007-03-28 07:24:24 | 生きる犬韜
26日(月)は、昨日から引き続いて31日(土)の朝日カルチャー、「良弁・漆部直伊波と東大寺創建」の準備(歴博の神社通史は思ったより時間がかかり、4月の1週目に仕上げる方向で仕切り直し。本当は今年度中に出さなくてはいけないのですが…)。良弁はちょうど10年前にに研究していたテーマなので、細部についてはかなり忘れてしまっています…。当時の資料や学会報告レジュメなど、ファイルしているはずがみつからないものもあり(重要なものほど出てこない)。仕方なくまた関係書籍を並べ、論文化した内容を軸にレジュメを書き始めましたが、遅々として進まず。やりかけのまま出勤し、夕方はゼミの追い出しコンパに出ました。すでに4年生は卒業式を終えているので、(学籍は3/31まで残るとしても)最初の同窓会といったところでしょうか。仕事が気になったものの、学生にはそれなりに愛情を注いでいるので、ついつい2次会のカラオケまで付き合ってしまいました。帰宅の電車のなかでは、新川登亀男さんの『聖徳太子の歴史学』の紹介文(『仏教史学研究』用)を作成。

27日(火)、昨日電車のなかで打ち込んだ原稿を軸に、『聖徳太子の歴史学』紹介文を脱稿。昼過ぎに佐藤文子さんへ送信。久しぶりに両親と語らい(父親が自宅付近の上郷深田製鉄遺跡について講演する準備をしていたので、製鉄の古代的環境や五十戸制について。家族が学者だと、日常会話も学問の話です)一休みした後、良弁のレジュメを続行。しかし、一日かかってもなかなか波に乗れません。朝方、早めの食事を摂りながら、録画しておいたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を視聴。今回は、新作映画に挑む宮崎駿を追うドキュメント。相変わらず無意味な質問と注釈を付ける茂木健一郎に首を傾げつつ(文章を書いている人間だって、「脳のなかに釣り糸を垂らす」という感覚、表現は分かりそうなものだが)、難産にうめき、自分を追い込んでゆく宮崎駿に共感。一方で、安易な逃げ道を探してばかりいる最近の自分を反省しました(かといってすぐに更正できるわけでもありませんが)。しかし、「やっぱりね」と思ったのは、宮崎駿の、息子五朗が監督した映画『ゲド戦記』に対する本音。上映前後、さまざまなメディアで語られていた感想は、「素直な作りでよかった」という肯定的なものでした。息子には甘いことをいうのかなと疑問に感じていましたが、今回初めて公開された映像では、初号試写の途中と直後、カメラの前で痛烈な批判を口にしていたのです。すなわち、「気持ちで映画を作っちゃいけない」「まだ大人になっていない」「映画は世界を変えるつもりで創らなきゃいけない」云々。こういう形でお互いの本音を知ることになる親子関係は厳しいな…と、半日前の団欒を思い出しながら考えました。

左の写真は、先日ご恵送いただいた三浦佑之さんの最新刊『古事記のひみつ―歴史書の成立―』(吉川弘文館、2007-03)。旺盛な執筆活動には本当に圧倒されますが、今回も『古事記』の序文を9世紀まで引き下げるインパクトのあるもの。ちょうど『歴史学研究』の4月号が国史特集なので(知り合いばかりが書いている)、歴史書なるものの意味について総合的に考えるいい機会かも知れません。人間はなぜ歴史を求めるのか、なぜ歴史を描こうとするのかという、欲求の本質的なところまで追究してゆきたいですね。
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イベント続き:東奔西走というほどではないにしろ

2007-03-25 11:34:27 | 生きる犬韜
23日(金)は、卒業式のため1日延ばしていただいた豊田の講義。『古代文学』46号に書いた樹木の歴史を軸に講義しているのですが、1月から始めたものの、枝葉が付いてなかなか終わらず。合計6時間は話しているのですが、この日は木鎮めの解説のみに終わり、最後(木霊婚姻の問題)までたどりつけませんでした。伐採儀礼と中臣祓、鎌足の鎌の関係にも言及したかったのですが…ちょっと猶予をもらったので、来月はもう少し深く追究しましょうかね。帰宅してからは、翌日の栄区古代史セミナーの準備。きっちり2時間弱で話し終えなければならないため(理由は後述)、史料の取捨選択、話の流れの把握に苦労。ぼくの場合、不測の事態に対応するため、講義や講演の内容はいつも大体暗記して臨みます。そうでないと、どうも話のペースがもたつき気味になってしまう。レジュメはそのきっかけを作る意味しかないですね。

24日(土)、正午頃に地球市民かながわプラザホールへ。古代史セミナー代表者のMさんと打ち合わせ、昼食を採りながらなぜか学生運動の話題(そういえばこの日の夜、教育テレビで団塊の世代と「あしたのジョー」との関係について、夏目房之助さんを案内役にドキュメンタリーをやっていましたね。やっぱりマルエンよりもジョーなのか)。自坊の仏教文化講座でお世話になっているTさんにご紹介をいただき、13 : 30より講演開始。250名収容の立派なホールでしたが、運営に関わっている方、聴衆として集まってくださった方々、皆さん顔見知りの方が多かったので、ほとんど緊張せずにいいペースで話をすることができました(かな?)。タイトルは「夢解きの古代史―東アジアから日本へ―」。古代中国に遡る占夢・解夢の事例を、殷代の甲骨卜辞や春秋・戦国の伝世史料、敦煌文書、道教経典、中国撰述仏典などから紹介しつつ、夢という不可思議なメディアが拡大してゆく過程を粗述しました。しかし、リラックスして口を滑らせているとやはり時間が…。最後の方はちょっと駆け足になり、ほぼ終了時刻の15 : 30ちょうどに講演を終えました。もう10分くらい早めに終了し、質問の時間を設けるつもりでいたのですが、やはりいつものごとくの長話になってしまいましたね。中途半端な終わり方だったかなあ。ごめんなさい。

それから運営委員の皆さんに気を遣っていただき、降り始めた雨のなかを駆け足で本郷台駅へ。実はこの日は、愛妻の妹の翠さんの結婚式だったのです。16時からの式にはとうてい間に合わないので、せめて17時からの披露宴にはと思ったのですが、会場の錦糸町にたどりつくためには、15 : 39の大船行き京浜東北線に乗り込まねばなりません。35分頃ホールを出て、それでも2分でホームには到着したのですが、なんと「架線に異物が引っかかったのを除去していた」とかで、電車が20分強の遅れ。こんなことなら質問を受けるか、せめて感想でも聞ければよかったなあと後悔しつつ、しかし電車を乗り継いで、なんとか17 : 30の乾杯には間に合いました(よかった…!)。
秋田のお父さんお母さん、久しぶりにお会いする親戚の皆さん、翠さんのお相手の清水家の皆さんにもご挨拶して、ほっと一息。幸せそうなお2人を眺めつつ、胃炎のためここ数日口にしていなかった、ちゃんとした(というのも変ですが)料理をいただきました。しかし、清水家の地元山梨はご近所など横の繋がりが強いらしく、披露宴会場には"お父さんの友人のテーブル"なるものも。陽気で面白い方々ばかりで、翠さんの未来も明るそうです。新郎の雅也君は純真な青年で、最後の挨拶のさいには大泣きしていました(いい子だねえ)。ぼくの愛妻はといえば、晴れ着を着て、お色直しに向かう翠さんの介添えを務めたりしていましたが、清水家のおばあちゃんに「美人だねえ」と誉められご満悦(よかったね)。

20時頃にはお開きとなり、ホテルに宿泊する妻を残してひとり帰ってきましたが、やっぱり病み上がりにフルコースはいけなかったか…。帰宅後しばらくは胃がもたれていました。
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卒業式と謝恩会:なんとなくいたたまれない

2007-03-23 02:27:16 | 生きる犬韜
22日(木)は、J大学の卒業式と謝恩会。東京国際フォーラムで行われた式のあと、大学構内へ会場を移した学科集会より参加。他の先生方が「老眼で字がみえない!」と仰るので、卒業生の名前を読み上げる役を引き受けました。「藍鈴」と書いてアイリーンと読ませる女子学生もいて、ネーミング感覚に隔世の感(といっても、付けたのはぼくより年上の親御さんですよね)。学位記の授与後は、研究室にて卒論を返してもらいに来る卒業生たちと、しばし歓談。握手しながら写真に写ったりしました。しかし、なぜかどうも居心地が悪い…。

続いて、ニューオータニで行われた謝恩会にも出席しましたが、やはり居心地の悪さは変わらず。
団塊の世代のO先生、T先生、Y先生は、ぼくらが学生の頃から「感謝をされる覚えはない」と出席されませんでしたが、その姿勢は現在も貫かれていました。ぼくも考え方としては同じなのですが、恐らく学生たちは本当の意味で「謝恩会」を開こうとしているわけではなく、同期の仲間たち、そして少しは教員と、4年間を振り返りながら語り合う場がほしいだけなんですよね。そう理解して、一応は顔を出すことにしました(来年度からはぜひ、「卒業パーティー」と改称し、教員からも会費をとるよう提案します)。ゼミの学生たちや、会社を定年して学士入学し、熱心に授業に参加してくれたAさんらと言葉を交わし、それなりに楽しかったのですが、やはりどうもいたたまれない。最後に立派な花束をいただいたときには、早く退散したい気持ちでいっぱいになりました。原因はもちろん、たった1年の関わりで、充分に指導してあげることができなかったという慚愧に尽きるのですが、しかしこれが4年間の付き合いであっても、きっと同じ思いをすることになるんでしょうね。
ずっと謝恩会に参加されないでいる先生方も、もしかしたら同じような気持ちを抱いていらっしゃるのかも知れません。やっぱり、花束は貰うより渡す方がいいですね。

ちなみに例の胃炎のため、ホテルの美味しそうな料理はまったく口にすることができませんでした。
それから関係ないですが、ノマディック美術館で開かれるコルベールの写真展『Ashes and Snow』……観たい。
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ストレス?:急性胃炎でダウン

2007-03-21 03:47:51 | 生きる犬韜
18日(日)の未明にPCに向かって作業中、とつぜん胃に全身が引きつるような激痛を覚えて昏倒。痛みが治まるまで半日かかり、病院で診察してもらったところ急性胃炎とか。現在も未だに違和感が残っており、大量の薬を飲んでいます。〆切の波と行事の山を前に、やっぱりストレスが溜まっていたんでしょうかね(繊細な神経の持ち主であることが証明されました)。うどんとお粥しか食べられない日が続いていますが、22日(木)は卒業謝恩会がありますし、24日(土)は義妹の結婚式です。少しでも胃の調子を回復させねば。しかし、そんなこんなで仕事は思うようにはかどらず、ストレスはさらに募ってゆくのでした…。

さて、左は、〈詩歌文芸をビジュアルで魅せる〉をコンセプトにした、美研インターナショナル刊の文芸アート誌『華音』。その存在を夏目房之介さんのブログで知り、さっそくAmazonで購入。『太陽』みたいに大きくて分厚い、それなりに志を持ったいい雑誌だと思います。写真は3号の宮澤賢治特集ですが、まず山口晃氏の表紙に「へぇ~」。これ、銀河鉄道ですよ。こんなデザイン初めてみましたけど、多宝塔が描かれているところからすると、ちゃんと『法華経』から発想されたものなんでしょうかね。パラパラめくると、別役実、天沢退二郎ら懐かしい面々が…。学生時代、『春と修羅』の詩を1日1編読み、ノートに鑑賞文を書いていた頃を思い出しました。思えば、天沢氏の賢治論からブランショに進み、ブランショからバルト、構造主義へと分け入っていったのですから、ぼくの方法論を形成した契機も賢治にあるのかも分かりません。
しかし、この号で最も印象に残ったのは、賢治特集とは関係のない「World Word Report スペイン人がみる日本文芸の粋」という記事。スペイン領カナリア諸島で行われた日本詩歌の展覧会「愛と自然のことば展」を、現地の人々がどのように受けとめたか。とうぜん、俳句や短歌などをイスパニア語にどう訳すか、その翻訳文が鑑賞されるということは俳句が鑑賞されたことになるのか、といった根本的な問題はあるわけです。しかしそれを前提にしたとしても、ひとつの文芸を通じて異なる文化の言語感覚、自然観を比較、了解しうるフィールドが生じるのは素晴らしいし、面白い。また、そういう研究者の目とは別に、同展で紹介された増田久美子さんの俳句、
蜘蛛の囲のどこか乱れて雨催ふ
には素直に感動。それに付された11才のスペイン少女のコメント、「普段何気なく見ている風景をこのように言葉で表現できるなんて、すごいと思った。私も何気ないことを詠えるような感性を持ちたい、磨いていきたいと思う」にも素直に納得。投稿も含め、他にもたくさんの俳句や短歌が掲載されています。歴史学者の目で言語をみていると〈表象の限界〉ばかりが気になってしまうので、ことばの生み出す〈表象〉自体の美しさを再認識させてくれるこの雑誌は、ぼくにとって貴重ですね。
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通販生活?:〆切生活?

2007-03-15 22:00:52 | 生きる犬韜
12日(月)、なんとか『国文学』の原稿を仕上げてメール送信。まとまりが悪く得心がいかない出来だったのですが、月刊誌ですから、あまり〆切も延ばせません。編集部のご意向を伺ってもう少し手を入れるか、と考えていると、歴博から作業の催促のメールが…。なんと、文献目録の最終〆切が明朝で、その時点で原稿が届いていないと本に穴が空くとか! 慌てて体裁を整えたものの、こちらも完成とはほど遠い内容。自業自得なのですが、〈不本意のダブルパンチ〉に打ちのめされました。
13日(火)は、歴博へ目録の原稿を送信してから、学燈社編集部より電話あり。「文字を小さくして行間を詰めれば、このままでも載せられますが…」との好意的なお申し出に、「いや、やはりリライトしましょう」ときっぱり(どうせするつもりだったので)。割り付けされたファイルを送ってもらい、晩までになんとか完了。2頁分で約1600字削った計算ですが、初回時より格段によくなった?のでひと安心。言語論的転回や歴史の物語り論といった文学/歴史学の論争のなかから、共有の課題とすべき主体や実存を問う方向性が生まれてきた経過を跡づけ、(〈テクスト外というものはない〉ことを警句にしつつも)テクストの向こう側に実存を想定することの重要性を指摘。また、失われた過去の可能性の反復=取り戻しという鹿島さんの考え方に、ベンヤミンの「歴史を逆なでする」実践を重ね合わせ、その最上のあり方こそ〈動植物にポジショニングしながら歴史を語りなおす〉環境史だとぶちあげました。結局、『古代文学』46号掲載の拙稿の理論編みたいになっちゃいましたね(妻は、「何より動植物自体の物語るテクストが存在しないこと…」のくだりで、犬がペンを持って何か書いている絵を想像し吹き出していましたが…理解されていないなあ)。
14~15日(水~木)は、ギリギリで確定申告を終え、歴博の作業に没頭。とりいそぎ火曜に提出はしたものの、やはり納得がゆかず、頁数に変動の出ない範囲で増補を続行。歴博のYさんのバックアップのおかげで、最低限の形に仕上げることができました。古代神社関係の研究文献目録、1484件。一応は再録情報も付いています。当然穴は多いわけですが、調査の契機くらいは作れるはず(そう思いたい…)。あとは、古代神社の通史の原稿の手直しのみ。週明けまでに脱稿したいのですが、24日の講演のレジュメも作成し、担当の人に送っておかなければなりません(なんでも250部必要なそうなので、前もってお渡しして印刷していただくことにしたのです)。お彼岸の手伝いもしたいし、31日の朝日カルチャーもあるし、3月はフル活動のまま新学期に突入か…。ああ、最近購入した『於于野譚』をゆっくり読みたいというのに。『野生時代』の今月号も森見登美彦特集なのになあ。

ところで、最近の私はほとんど通販生活状態です。
古本やなかなかみつからない新刊本、DVDなどはこのところずっとネットで購入しているわけですが(そういえば、新宿の畸人堂潰れちゃったんですよね。さびしい…)、2月に入ってからはスマートフォンhTcZ(これはネットのみの販売)、ホワイトデーやら結婚記念日やらのプレゼントとして買った噂の(そろそろ流行も下火か?)ロデオボーイII、ホットしてクール…。最後のホットしてクールは、USBに繋いで、飲み物を保温・保冷できる装置。飲み物を傍らにPC作業する人間にはかかせません。妻は史料編纂所の自分の机に持っていったようですが、果たしてお役に立っているのやら。それにしても、この商品を開発しているサンコーという会社は異常ですよ。USBの妙な製品ばかり売っている。電動ファンで快適に呼吸ができるというUSBスッキリマスク、いつでも肌や頭皮の健康状態が確認できるUSBデジタルマイクロスコープDino-Liteには笑いました。皆さんも一度ご確認ください
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ぜいたくな時間:〈Le Vant〉と椎名林檎

2007-03-10 04:28:51 | テレビの龍韜
『国文学』の原稿が追い込みに入り、机の周囲に本とノートの山が築かれています。週明けにはできるかな、という見通しもついてきました。よかったよかった。しかし、なんとか〆切をさほど過ぎずに書けた(いや、書けそう)なのはhTcZのおかげ。9日(金)は、通勤・帰宅のホームの上、電車のなかで、すべて原稿を打ち込んでいました(ちなみに帰りは横浜まで立ちっぱなし)。大船を経由して港南台で妻と合流、タクシーに飛び乗って、小山台のフランス料理店〈Le Vent〉へ。実は今日は、4年目の結婚記念日なのです。デザートを含めて7品目のコース料理、近所にこんな美味しいフレンチのお店があったのか…!と驚きました。お酒も肉もだめなぼくも大満足、妻はワインが進んで、帰るなりひっくりかえっていましたが…。それにしても、食事を堪能していた1時間半ほどのあいだ、客がぼくらだけしかいなかったのは残念な話です。皆さんどうぞ、一度お試しください。

10日(土)は、とにかく原稿の執筆。歴研中世史部会の合宿に参加している妻が、作りおきしていってくれたシーフード・カレーを食べつつ、深夜にはテレビで『椎名林檎お宝ショウ@NHK』を堪能。いやあ、中島みゆきの次の歌姫は中村中だと思っていましたが(ちょっと前までは橘いずみだと思っていた)、あらためてじっくり聞いてみると、やっぱり椎名林檎はいいですねえ。今回の番組では、斎藤ネコとのコンピ・アルバム『平成風俗』の関連で、カルテットやオーケストラをバックにしての熱唱。「劇場への招待」をパロディ化した洒落た演出、大正ロマン?溢れる舞台設計で、今までの彼女の、どのPVよりもよかったんじゃないでしょうか。乱歩を思わせる文字使いの歌詞も一層艶を放って色めき立ち、退廃と耽美のなかに芯の強さと奥深さを感じさせました。化粧と照明の加減でクルクル変わる、まさに猫の目のような表情も魅力。兄上純平とのデュエット『この世の限り』など、心中と輪廻転生をあっけらかんと歌い上げているようで、ドキリとさせられましたね。このテーマを、「この世に限りはあるの? もしも果てが見えたなら 如何やって笑おうか愉しもうか もうやり尽くしたね じゃあ何度だって忘れよう そしてまた新しく出会えれば素晴らしい 然様なら初めまして」 と語れる人は希有でしょう。曲の合間には茂木健一郎との対談が挿入されるのですが、年上の茂木さんの方が手玉にとられている感じ。じっと見つめて話す林檎に対し、ほとんど目を合わせようとしない茂木さんの緊張ぶり。小林賢太郎(ラーメンズ)出演の短編キネマじゃないけれど、書生とパトロンという〈イメエジ〉でしたね(しかし、何かと理論や類型に当てはめて安心しようとする、茂木さんの科学者的言説はつまらんなあ)。いやいや、贅沢な時間を過ごさせていただきました。

そうそう、夕方には拙稿「樹霊に揺れる心の行方」の載った『古代文学』46号も届きました。〆切をずいぶん遅らせてしまったので心配だったのですが、ちゃんと刊行されたようで何よりです。編集委員の皆さん、申し訳ありませんでした。それにしても、人間による自然の圧伏に絶望するように筆を進めておきながら、最後に「しかし同時に、その注意こそが人間の浅慮、傲慢であるともいえる。〈楽園〉を嘲笑とともに破壊する自然の力は、常に我々の傍らに息づいているのである」と付け加えたのは唐突でしたかね。
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進学やら就職やら:日常的交流圏の組み換え

2007-03-08 15:07:35 | 生きる犬韜
ちゃんと期日に決済できないので、負債が溜まりに溜まってきています。といってももちろんお金のことではなく、本や雑誌の原稿。今週は、『国文学』の原稿をメインに、歴博の作業を続行。それからなぜ始めたのか分かりませんが、なかなか邦訳の刊行されないブルデュー『世界の悲惨』の英訳本を、本当にちょっとずつ翻訳しています(やっぱりブルデューの本は、英訳がいちばん読みやすいんじゃないか)。
『国文学』の方は、2月の末から通勤・帰宅の電車のなかで、関連する本を読んだり、hTcZに文章を打ち込んだりしていたのですが(これ、ホームで電車を待っている間にも原稿が打てるからいいですよ。重宝しています)、ここへ来て、今年度怠けていた歴史をめぐる理論的動向の総ざらい。積み上げていた本を片っ端から開いてノートを取りつつ、原稿を出力しています。新しい動向を反映させているというより、自分の立ち位置を確認しながら書き進めている、という感じですね。テーマはなかなか絞れなかったのですが、やはり〈主体を問い、実存を語る〉歴史学の可能性を、文学との関係から照射する方向へ進んでいます。ベンヤミンに「歴史を逆なでする」という言葉があり、歴史学における脱構築のような意味で用いられているのですが(ギンズブルグの論集のタイトルにも使われています)、ポストモダン歴史学がナショナル・ヒストリーを〈逆なでする〉実践ならば、環境史こそはヒューマン・ヒストリー全体を〈逆なでする〉試みといえるでしょう。逆なでされると気持ちの悪いものですが、違和や不快こそは転回の兆候となる感覚です。いたずらにではなく、真剣に不快な情況を呼び起こしてゆきたい?ものですね。
写真は鹿島徹さんの『可能性としての歴史―越境する物語り論―』(岩波書店、2006-06)。この人の、「歴史を物語るとは、抑圧・排除された過去の可能性を救済する行為だ」というテーゼは単純に"好き"ですね。つまり、過去は〈歴史〉として顕現せずとも、可能態として遍在しているという…。ただし、この言明は救済する対象がマイノリティであることが前提なので、その顕在化がさらなる隠蔽を生むことには常に注意、自覚が必要です。

さて、世の中は年度末。J大では22日に卒業式が行われますし、希望の大学院へ合格して東京を離れる後輩や、ようやく専任職を得て近畿へ向かう友人、海外へ去ってしまう友人など、ぼくの周囲でも日常的交流圏の組み換えが起きています。しかし、学問の〈世間〉は驚くほど狭いもの。これからもよろしくお付き合いください。
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はるか、ノスタルジィ:『地球へ…』がテレビアニメ化!

2007-03-03 19:07:40 | テレビの龍韜
久しぶりに、サブ・カルチャーの話題ということで(最近、いろいろな方がみてくださっているので、あまり変なこと書けないのです)。

大学の仕事が一段落したので、今、いろいろな原稿を急ピッチで進めているところです。『佛教史学研究』の聖徳太子シンポの校正に目を通し、この土・日では、中途になっていた歴博の「古代神社通史」を仕上げるべく作業中。しかし、間の悪いことに「ここぞ」というところで風邪をひいてしまい、投薬(タミフルではないですが)による眠気、集中力散漫と戦っています。
さっき、気分転換にTBSの『天保異聞 妖奇士』を観ていたのですが、このアニメ、今クールで終わっちゃうみたいですね。白川静の漢字学を基礎にするというコアな内容で、文字の蒐集のため主人公のひとりが薬問屋で卜甲を仕入れたり(ちゃんと「竜骨」といっていました。日本のアニメ史上、卜甲が初めて描かれた記念すべき作品なのです)、成田亨デザインのような〈堕ちた神〉妖夷を主人公らが最上のご馳走として食べていたり、妖怪画師として有名な河鍋暁斎が出て来たり、漂泊民と国つ神とが平田霊学を使って結びつけられたり…。名場面の続出で気に入っていたのですが、残念です。
しかし、その後番組を聞いて驚きました。なんと、竹宮恵子の名作『地球へ…』が、30年ぶりにテレビアニメとして復活するそうです。思えば小学生のとき、初めて読んだ少女まんががこれでした。夏休みに家族旅行でいった浜松からの帰り道、新幹線を待つ間、駅の近くの書店で親に全巻買ってもらったのです(このとき、現在は武蔵野大学で社会学を教えている兄は、『STAR TREK』のフィルムコミックを買ってもらっていました。TATSUMI MOOK の「危険な過去への旅」「光る目玉」の2巻、かなりのレアものですよね。我が兄弟のマニアぶりが分かろうというものです)。早速、列車のなかで兄弟回し読み。環境破壊の進んだ地球を再生するため、人間を地球から隔離し、その誕生から死までの全生涯をコンピュータ管理するSD(superior dominant)体制。その徹底した支配からこぼれ落ちる、自然力の発現としてのミュウ。SD体制の申し子として、遺伝子レベルからコンピュータによって生み出されたキースの葛藤。ソルジャー・ブルーの遺志を受け継ぎ、五感を失いながら、ミュウの悲願である地球への帰還を果たそうとするジョミィ。地球から宇宙へ飛び出してゆくSFの流れが一段落した時期で、宇宙から地球へという逆方向の視点を打ち出したところも新鮮でした(『マンガ少年』での連載開始は77年、『STAR WARS』公開の年ですね)。間もなくアニメ映画化されましたが(80年だったかな)、声優や(井上純一や沖雅也、秋吉久美子、志垣太郎らの一般俳優が挑戦)デザインなどにはいろいろ批判があったものの、原作の味はよく活かされた作品だったと記憶しています。ダ・カーポの歌う主題歌も秀逸でした(歌詞を思い浮かべると、いまでも涙が滲みます。写真はそのEPレコードのジャケット=私物)。

『地球へ…』の描く世界は、確かに、環境破壊の進む今でこそ、より現実味を帯びて受け取られることになるかも知れません。ホームページをみてみますと、今度はキャラクター・デザインも原作に近いですね。主題歌はダ・カーポの復活、もしくはリメイクを期待(無理かな)。
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中沢新一:シャーマン=研究者?

2007-03-01 03:00:11 | 書物の文韜
あの中沢新一が、読売新聞土曜朝刊で小説を連載しています。タイトルは、『無人島のミミ』。成長した〈私〉が、幼い頃にみえていた精霊のミミを探す物語。宗教学や人類学の知見に基づきながら、宮澤賢治風の文体で書かれています。それなりに面白いのですが、「連載開始」の報を聞いたとき、昨年友人のA氏から聞いた話を思い出しました。

A氏は、中沢新一とは以前からの知り合い。氏がいうには、中沢はずいぶん前から創作に強い熱意を持っていたそうです。その彼のところへ、渋谷の道頓堀劇場から、ストリップの台本を書いてほしいという依頼が舞い込んできた。歓喜した彼は勢い込んで台本を書き上げたものの、力が入りすぎていたせいか、難解なうえにまったく面白くないものが出来てしまった。リハーサルをその目でみた中沢は、自分に創作の才能がないことを痛感した…というのです。ぼくがこれを「面白い話だな」と思ったのは、ある意味で、中沢新一の研究における本質を伝えているように感じたからです。
彼の作品の大部分は、ある哲学者、文学者、研究者の生もしくは方法を基底に書かれている。例えば、『森のバロック』は南方熊楠、『哲学の東北』は宮澤賢治、『カイエ・ソバージュ』はレヴィ=ストロース…。ひょっとして彼は、オリジナルの文体(というものがあるかどうかは別として)では、文章が書けないのではないか。〈中沢新一〉としては物語ることが不得手で、何者かにポジショニングすることで初めて真価を発揮できる、彼自身シャーマン的素質を持った研究者なのではないか。そう考えると、著作のなかで、「いったいこの言説は、彼のものなのか、それともリスペクトする先人のものなのか、区別がつかなくなる」ことも納得がゆきます。事実、『僕の叔父さん 網野善彦』(個人的には、この本がいちばん好きです。「つぶて」のくだりでは、「これこそ学問の生きた姿だ!」と感激して本当に泣きました)のあとがきでは、執筆中ずっと何かが憑いていたとの告白があります。確かにあの細かな記述、情況の再現は、個人の記憶に頼って客観的に描けるものではない。中沢新一の作品は、研究書としてではなく、一種の〈シャーマニズム文学〉として読まれるべきではないのでしょうか。…そう考えてゆくと、今回の創作連載についても、必要以上に興味が湧いてくるのです。

中沢新一は、いったいどのようにして『無人島のミミ』を書いている/書いてゆくのか。物語はどのような結末にたどり着くのか、あるいはたどり着けるのかどうか。宮澤賢治的文体は、ひょっとして賢治を憑依させて書いているのかも知れませんね。

ところで関係ないですが、飛鳥時代の上棟式って何なんだ。
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