仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

がんばれ若者たち:将来への格闘

2009-01-31 13:31:55 | 生きる犬韜
1月後半の2週間ほどは、4年生が卒論がらみ、3年生が卒論登録、2年生がゼミ登録、1年生がプレゼミ登録で、ひっきりなしに研究室を訪れる時期でもあった。

まずは17日(土)の卒論発表会。ぼくのゼミからは、「日本古代の医師と家記」を書いたM君、「日本古代における死体不壊信仰の研究」を書いたT君が代表として参加した。トップバッターだったM君はかなり緊張していた様子。いつもは何事もソツなくこなす(隠れた)キレモノなのだが、思ったように言葉が出て来ないようだった。内容は、古代の医学の実態を概観しつつ、主に『水左記』の疱瘡関連記事に注目して、日記に描かれた処方が言談を通じて説話化し、医家を喧伝するメディアになる情況を実証的に追ったもの。視角はマニアックだが、近年における貴族社会の政治文化史的研究にきちんとアクセスしうるものだった。T君は日頃からプレゼンに問題がある男なので、事前に発表の練習をしてもらっていろいろと訂正を入れた。何しろ400字詰めで450枚の大作だから、20分の発表時間に内容を収めること自体が困難なのだが、今回は練習の甲斐あってきちんと風呂敷を畳むことができたようだ。しかし、途中から自分の世界に没入してしまった彼は、「菩薩さま」「如来さま」「お大師さま」といった尊敬表現?を連発。悪いことではないと思うが、内容のマニアックさと相俟って、聴衆を思いっきり引かせていた。視角・内容自体は東アジアの宗教史研究に大きく貢献しうるものなのだから、それを周囲に理解させる技術を獲得していってほしいものだ。
...それにしても、この日発表した古代~近代の4年生は、ほとんどアクの強い面々であった気がする(史学科とはこういうものかも)。他の先生方は、北條ゼミの2人こそ変だった、とお思いだろうが。M君はコーエーのシナリオライターに就職が決まっており、T君は京大の大学院に進学が決まっている。ぜひそれぞれの世界でもがんばってもらいたい。

今週は、ゼミ生のI君、Kさん、Mさんらが相談に来た。I君は現在ゼミ長として仲間を牽引してくれているが、将来的には、ぼくに近い分野で研究を続けたいと思っているようだ。中学・高校などの教員になる道を排除してしまうと、就職はほとんど不可能な領域である。いずれにしろ、あらゆることを研究に収斂させ、常に文章を書き続ける覚悟がなければ大成しまい。教員としては次代を担う研究者を育てることが責務なのだが、彼の人生のことを考えるとあえて「進学すべきだ」とは勧めがたい。これから半年間、よく考えてほしいところだ。Kさん、Mさんは、あることで相談に来たのだが、思いがけずMさんの「宗教パニック」の経験などを聞き面白かった。宗教アレルギーになりそうなものだが、よくもまあ上智に、しかもぼくのゼミに入ってきたものだ。この2人の人格は、対立する要素をさまざまに抱え込んでいるので、話す度に「こんなところもあったのか」と吃驚する。これから就職活動も本格化するし、卒論の準備も進めなければならない。いろいろな関門が待ち受けているが、負けずに気張ってほしい。

プレゼミは、2年周期の法則に従って(1年ごとに受講者の多寡が入れ替わる。赴任した2年前は7人、昨年は5人、今年は8人)、来年度は人数が少なめである。編入が決まっている女子を加えて5人の予定だ。最後に登録に来た男子学生が豊田ゼミ(西洋古代史)と掛け持ちだというので、「豊田先生のところとぼくのところを一緒にやるのは大変だよ」と確認したら、「友達からも、北條先生のところは厳しいといわれました」との返事。なるほど、やっぱりそういう噂(事実?)が流れているんだな。とすると、それでも入ってくる学生は覚悟のうえで古代史がやりたいのか、それともそういう事情に疎いのかどちらかというわけだ。まあ、前者の方で受け取っておこうか。それにしても、毎年オリキャンの時点で訊いてみても、日本古代をやりたいという学生がほとんどいない。みな、「現代に役立つ」という理由で近現代史方面へ流れてゆく。それはそれでひとつの問題意識であり、近現代史の価値を否定するつもりも毛頭ないが、やはり実学重視の世論の影響を強く感じる。人文科学の基盤が大きく動揺しているのだと思わざるをえない。ま、そういう子供たちを古代史に目覚めさせることのできない、教員としての自分の力量にも問題があるのだろうが。やはり、〈分かりやすさ至上主義〉との戦いは困難である。
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秋学期授業終了:バタバタとすごす月末

2009-01-30 03:44:24 | 生きる犬韜
26日(月)で、ようやく秋学期の講義も終了。最後の週は、全日缶詰会議日が2日あってぐったりしたり、倉田実さんの研究会に出てブレイン・ストーミングしたり(中国から帰ってきていた水口幹記氏とも再会)、「歴史学とサブカルチャー」の原稿を書いたり、本当に忙しなくてぐったりした。しかし、2/3(火)までのメイン・テーマは卒論の精読で、こちらも一喜一憂している。成績評価や入試業務が無事に済んだら、今度は3/10(火)に初年次教育の研修会があり、またパネリストを務めることになりそうだ。

28日(水)は、教員研修会に出たあと、京都から卒業旅行に来ていたもろさんゼミのご一行と会食。というか、資金援助に参上。同じ役割でmonodoiさんも来ていた。卒論のテーマや今回の旅行のコースなど、やはり情報歴史学らしくて新鮮であった。こちらは来年度から京大にゆくT君を連れていったが、さっそくもろさんに勉強させてもらっていたようだ。何より何より。

来年度の予定も入り始めた。シンポジウムは7月に文学関係、11月に民族学関係、また2回パネリストをやることになりそうだ。例年のごとく他流試合で、前者は人間を惹き付ける聖なる場の引力について、後者は昨年8月の納西族調査に関する報告の予定。いずれもまだ影も形もできていない情況なので、春になったら本腰を入れて考えなければならない。依頼原稿は3月末までに4本、うち2本はすぐにも提出しなければいけない状態で、かなり焦っている(しかし、執筆に割く時間が絶対的に足りない、というか取れないのだ)。あとは8月末までに倉田さんの論集に書けばよいのだが、こちらは統一テーマが「男と女」になっているので、内容をひねり出すのに苦労している。このところずっと入れ込んでいる死別の問題を扱いたいが、新しいアプローチが可能だろうか。何かヒントを得ようと、史学科の先生方のご厚意でようやく図書館に入った『納西東巴古籍訳注全集』から、死者を慰める歌、死者を送る歌の入った巻を借りてきた。勉強せねばなるまい。

ところで、スザンナ・クラークの『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』は傑作である。まだ1巻までしか読んでいないが、『神なるオオカミ』以来、久しぶりに上品で読み応えのある海外ファンタジーに出会った。魔術が歴史・理論研究のみに堕してしまった(架空の)19世紀イギリスを舞台に、実践魔術を復活させようと奮闘する2人の魔術師と、彼らをめぐる不可思議な騒動を描いている。訳者の功績でもあろうが、最新の作品であるにもかかわらず、コナン・ドイルやH・G・ウェルズを読んでいるかのような味わいがある(『ダヴィンチ・コード』以来の海外作品にみられる、ハリウッド映画のノベライズを思われるハデな展開はない)。ご覧のとおり装丁もカッコイイ。ぜひお薦めである。
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疑惑3:疑われたのは誰なのか?

2009-01-27 18:37:27 | ※ モモ観察日記
最近、「モモ観察日記」ばかりを書いているが、ここへ来て面白いことを次々と思い出しているのだ。いや、正確にいうと、思い出しているのは当のモモ自身である。つまり、自分で「面白かった」と認識しているわけで、世話はない。

今回の話は、ちょっと深刻?だ。被害が外部へ、それもうちの寺の檀家の方へ及んでいるからである。「事件」はもう仕事納めも済んだ、大晦日にほど近い日の昼下がりに起こった。
現在ぼくらが住んでいるのは、何を隠そう、ホールを1階、納骨堂を2階に持つ、自坊の「会館」の3階である。土日には1階で法事の会食が行われ、2階の納骨堂にも毎日のようにお詣りの方が訪れる。その日、向かいのそば屋で昼食を摂り会館へ戻ると、モモが1階に用事があるというので、ぼくだけが先に3階へ上がった。途中、2階に人の気配がしたが、普通に「ああお詣りの人が来ているな」と思っただけで、そのまますぐ部屋へ入ってしまった。しかし、しばらくするとモモが駆け込んできて、「大変なことになった」という。どうしたのか問い質してみたところ、次のような衝撃的な出来事が発覚した。
用事を済ませたモモが階段を上がってゆくと、2階にそこはかとなく人の気配がする。これは、ぼくが納骨堂に隠れて自分を驚かそうとしているに違いない!と確信した彼女は、裏をかいてやろうと納骨堂へいきなり飛び込み、「怪しいヤツめ!!」と叫んだというのだ。しかし、もちろんそこにぼくの姿はなく、呆気にとられた知らないおじさんが立ち尽くしていただけだった。
気まずい沈黙が流れた後、放心状態になったモモは、そのまま謝りもせずに3階へ駆け戻ってきたらしい。

うーむ…。そのおじさんの方こそ、モモを怪しいと思ったに違いない。一体誰だったのか、考えると頭痛がする。
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疑惑2:私は○○になりたい?

2009-01-25 04:26:16 | ※ モモ観察日記
年末年始のモモの件で、また思い出したことがある。
ぼくがテレビに背を向けているとき、中居正広が台詞を喋る声が聞こえたので、画面をみているモモに「何の映像?」と訊くと、信じられない答えが返ってきた。
「う~ん、……具?」
「……」
何の「具」になりたいんだ、あんたは。
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疑惑:きさま、太夫か?陰陽師か?

2009-01-19 23:33:58 | ※ モモ観察日記
年末から年始にかけて、モモをつぶさに観察して面白いことをたくさんみつけたのだが、いつの間にか忘れてしまった。毎日面白いからだろう。今日は、忘れないよう直後に書きつけておく。

夜遅くに帰宅すると、こたつの横に何やらクッキーのような箱がある。
「これクッキー?誰から来たの?」
チラッと箱を一瞥してからのモモの一言。
「違うよコーヒーだよ。K先生からの呪い返し
「……」
いや、K先生には香典を差し上げたけど、呪いは送らなかったよ…。
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「神雄(尾)寺」出現:やはり誓約の場か?

2009-01-15 14:56:07 | 議論の豹韜
14日(水)の朝刊に、京都府木津川市の馬場南遺跡(文廻池遺跡)から、史料に記録のない「神雄寺」なる寺院の跡がみつかったという記事があった。この地域には、高麗寺や蟹満寺といった飛鳥・白鳳に遡る寺院が存在し、良弁や義淵の創建伝承を持つ寺院も数多い。橘諸兄の別業や、同氏の氏寺円提寺があったことも分かっている。藤原京や東大寺の建築資材が運ばれた流通の大動脈でもあり、聖武天皇が造営した恭仁京からも遠くない。現状とはずいぶん印象が異なるかも知れないが、7~8世紀は文化的な先進地帯だったのだ。判明した神雄寺の様相について注意されるのは、まず、本尊がを四天王を配した須弥山像らしいこと。それから至近にある人工の川の畔で、数千もの灯明を用いた何らかの儀礼が行われていたらしいことである。以前、『仏教史学研究』42-1(1999年)や『日本仏教34の鍵』(法蔵館、2003年)に、『仏説四天王経』や『提謂波利経』などに基づく、誓約の守護者としての四天王信仰について書いたことがある。飛鳥の須弥山石から国分寺までを、神仏を保証者とする王への誓約の場と位置づける考えで、定説とはずいぶん異なるがそれなりの賛同もいただいた。神雄寺は8世紀中頃の寺院らしく、各地における国分寺の造営期とも重なる。恐らくはこの頃、大仏と諸国国分寺からなる誓約のネットワークを構築した良弁が、石山寺造営のために付近を往来していただろう。水辺が儀礼空間となることについても、飛鳥の須弥山石のありようと共通している(そして、恐らくは古墳時代の導水祭祀へも遡る)。忘れかけていた自説を補強しうる事例として注目しておきたい。

ここ数日で、先達の方々より幾つもの著書を頂戴した。畏友水口幹記君からは、勉誠出版刊の『海を渡る天台文化』。昨年夏の天台山シンポジウムの記録で、本腰を入れて読み解かねばならない成果である。三田村雅子さんからは、新潮社刊の『記憶の中の源氏物語』。平安期から現代に至るまで、列島に生きてきた人々は、『源氏物語』をどのように利用してきたのか。単なる読書史・享受史というより、ナラティヴと所有との関係を問う刺激的な大著である。倉田実さんからは、世界思想社刊『端役で光る源氏物語』。端役は作者の権力が否応なしに現出する場だが、逆にその無関心によって、読者に様々な自由と想像力を保証する。そこから開けてくる、紫式部を乗り越える『源氏物語』の試みである。秋学期が始まってから、研究の方面では不振が続いているので、「ぼくも頑張らなくては」という気持ちになった。御礼申し上げます。

ところで、各所で話題になっている日本テレビの『東大落城 ~安田講堂36時間の攻防戦』。佐々淳行を正義の味方にした『突撃せよ!あさま山荘事件』よりは公平に作ってあったが、やはり警察側をよりよく描こうとする姿勢は鼻についた(ロッカーズでやんちゃしていた陣内孝則が佐々自身を演じているのも、役者としての姿勢にやや疑問を持った)。とくに、佐々本人がインタビューで、「いまの若者にはもっと怒ってほしい」と語ったのはいただけない。いいか悪いかは別として、カミソリ後藤田正晴の計略に沿って、当時の学生運動を社会から孤立させ、現在の低体温的な社会を生み出す契機を作ったのは彼ら自身であろう。もちろんすべての責任を押し付ける気はないが、他人事のように口にする言葉でもない。なお、安田講堂の学生たちの会話でいきなり飛び出した、「上智大学のバリケードは1時間と保たなかった」というセリフが印象に残った。
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久しぶりの映画:お正月から他界

2009-01-10 10:11:48 | 劇場の虎韜
未明に初雪のちらついた9日(金)、研究室で事務仕事を片付けての帰り道、楽しみにしていた映画を観てきた。『パンズ・ラビリンス』で一躍名を挙げたギレルモ・デル・トロプロデュースのスペイン映画、『永遠のこどもたち』である。簡単にいってしまえば、邦画なら『スウィート・ホーム』(ある意味では『リング』にも近い)、洋画なら『アザーズ』の系譜に属する親子幽霊屋敷もの。まだ観にゆく人もいると思うのでストーリーはばらさないが、上の二者がそれぞれ此岸/彼岸のどちらかを主要な舞台に、境界の動揺によって生じる混乱を終息させようとする話だったのに対し、今回の作品は「愛する者を追ってどこまでゆけるか、彼岸まで到達できるか」をテーマにしている。その点、一昨年のテレビアニメ『電脳コイル』(教育テレビ)に近い部分もあるし、宗教学的にはカスタネダなどの「向こう側に行ってしまう話」に絡めて理解することもできる。途中、ジェラルディン・チャプリン演じる霊媒が登場し、屋敷のなかを捜索して回るシーンがあるのだが、近代オカルティズムに関心がある向きには面白く観られるだろう。『エミリー・ローズ』の裁判シーンを思い出す学的議論は、映画の完成度を損ねないよう極力抑えてあるが(逆に昨今では、少しでもこういう場面を入れないとリアリティが出ないのかも知れない)、心霊現象に対する考え方など、ぼくが漠然と抱いているイメージに近かった。彼岸/此岸の関係と位置づけ、作品の構造とラストシーンのありようは、やはり『パンズ・ラビリンス』を踏襲している。もう少し新鮮さがほしかったが、それなりに満足した。

本編上映前の予告編で、幾つか期待すべき作品に遭遇。中村貫太郎主演の『禅』は、年末からテレビCMも流れていたが、やはり観にゆかねばならないだろう。藤原竜也が演じているのは北條時頼だそうだ。アンディ・ラウ主演で趙雲を主人公に据えた『三国志』も、もしかすると『レッドクリフ』より面白いかも知れない。しかし何といっても期待の大きいのは、北川悦吏子初監督作の『ハルフウェイ』だろう。北川悦吏子にはとくに関心がないのだが、映像をみてピンときたのでクレジットを追ったらやはり、「岩井俊二×小林武史プロデュース」とある。岩井映画独特のドキュメンタリーなタッチは健在で、本当にキラキラした青春映画に仕上がっている印象だ。ぼく自身は10代に戻りたいとは思わないが、その時代をを描いた映画には非常に惹かれる(やはり、どこかに憧れている部分、やり直したいと思うところがあるのだろうか)。とくに、岩井俊二の撮った東京少年のPVや、初の劇場用映画『ラブレター』は、未だに個人的ベスト作品の上位を占めている。最近は、ショッキングなシーンや病死ばかりをモチーフとしたケータイ小説あがりが多かったので、久々に居心地のよい時間が得られそうな予感がする。北乃きいと岡田将生の主演。
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仕事始め:納めたつもりもありませんが...

2009-01-07 11:35:01 | 書物の文韜
5日(月)、早くも授業開始である。この日から授業が始まるということは、前日から準備をしていなければいけないわけで、冬休みは三が日で終わりとあいなった。ま、別に仕事納めをするわけでもなくずっと原稿を書いていたので、何が新しくなったとも感じないが、もう少し研究に使える時間がほしいよなあ。

例年どおり、イグナチオ教会の前に飾られた松飾りをみながら(やはりカトリックは度量が広い!)、5日は原典講読、6日はゼミとプレゼミ、7日は全学共通の日本史と修論指導をこなした。
日本史はようやく肉食の問題に入ったが、冬休みに入手した本を使ってレジュメを作成。企画段階から情報を得ていた吉川弘文館の『人と動物の日本史』は、やはり重要な文献である。「動物の考古学」「歴史のなかの動物たち」「動物と現代社会」「信仰のなかの動物たち」の4巻構成で、現在は1・2巻が刊行されている。前者は西本豊弘さんの編で、雑誌『動物考古学』に集う考古学者が主要な執筆者のようだ。最新の発掘情報が駆使されているのはありがたいが、文献資料の扱い方がちょっと雑なのが残念。後者は盟友の中澤克昭さん編で、やはり今までになかった歴史叙述になっている(その意味では、歴史学は大きく考古学に後れを取っているのだ)。総論で拙稿の提言を引用していただき恐縮である。
岩波書店の『ヒトと動物の関係学』も面白い。こちらは自然科学系、生態人類学系統が中心だろうか。「動物観と表象」「家畜の文化」「ペットと社会」「野生と環境」の4巻構成で、現在3・4巻が刊行中である。なんだか動物ブームになってきているが、植物の方もがんばってほしい(いや、がんばろう)。
動物や植物との関係がヒトを人間たらしめるとすれば、環境史の主要なテーマはホミニゼーションでもある。鏡をみながら、「この恐ろしきもの、汝は何者か?」と問いかける毎日が続く。

ところで、6日のプレゼミでYさんが回してくれた会津のおみやげ。袋がおみくじになっているクッキーで、2人目に引いたら1個しかない「凶」を見事に引き当てた。他の人に渡ったかも知れない災禍を一手に引き受けて、いつもながら立派な私である。
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恭頌新禧:一年を振り返る

2009-01-01 14:14:59 | 生きる犬韜
31日(水)は、例年どおり除夜会である。次兄夫婦も里帰りしてきて、一家総出での準備となった。22:00から勤行、22:30から鐘が撞き始まるが、最初のうちはまばらだった参拝客も、紅白歌合戦が終わる頃になると山門から境内の外へまで長蛇の列ができる。鐘楼の前では大きな焚き火が二つ焚かれ、甘酒の振る舞いもあるが、やはり寒い。行事があると何かにつけてお世話になっている仏教壮年会の人たちが、撞くスピードを調節してくださっているので、0:00ちょうどに108発目が打たれるようになっている。あとはお詣りされる方の自由に400近くまで撞かれてゆき、本堂では修正会が勤まる。何度も繰り返されてきた風景で、やはりこの行事がないと一年が終わったという気がしない。その合間に次兄から、日本社会学界におけるブルデュー研究の現状を聞いた。田辺繁治さんはじめ、人類学ではその実践面に注目が集まっているが、当の社会学の方ではプラチックが抜け落ち、構造による規制面ばかりが強調されているようだ。

昨年は、自分にとってどんな一年だったろうか。勤務校ではたくさんの仕事を任されるようになり、授業もそれなりに工夫しつつ、毎年新しい題材を勉強して行っている。シンポジウムのパネリストも2度務めたし、学会報告や研究会報告も数回こなした。『歴史家の散歩道』と『親鸞門流の世界』に論文を書いたし、『歴史評論』で「歴史学とサブカルチャー」なる連載も始めた。供犠論研究会の大変な論集を、書評させていただいたことも感慨深い。しかし、やはり非常勤講師と自坊の法務員で食べていた頃に比べると、「自分が納得ゆくまで取り組めた」という実感に乏しい。勤務校は職場としては最高なのだが、やはりどこかでストレスが蓄積されていて、以前のように集中力・持続力が発揮できないのだ。処理しきれていない原稿、作業が山積されていて、自責の念ばかりが強くなってゆく。今年は、どこかでこの悪循環を断ち切らねばならないだろう。
しかし、初めて中国へ渡って、納西族の祭祀の調査に参加できたのは何よりの経験だった。民俗学や人類学の調査というには、あまりに段取りを他に依存しすぎていたが、それでもフィールドに立てたことは自分を客観視する材料をさまざまに与えてくれた。むろんそれを必要以上に感受するつもりはないが、大事にはしてゆきたいと考えている。

今年は、調査に誘ってくださった文学の方々と、東巴経典に関する研究会を始めることになるだろう。来年度の院ゼミでは、『法苑珠林』の講読を中心にしつつ東アジアの宗教全般を捉えてゆきたいので、六朝期の儒・仏・道の交流はもちろん、現代の東巴教の分析も併せて行うつもりである。とくに羊の骨を用いた卜占については、あらためて現地調査する必要性を感じる。あとはとにかく溜まっている原稿を片付けること、秦氏に関する書き下ろしの単行本も、そろそろ書き上げねばならないだろう(年賀状で早速催促された)。科研費取って、伐採抵抗伝承の全国調査もしたいなあ(これは、まず申請書を書く暇があればだけど…)。
小説が書きたいとか、映画を撮りたいとか、夢はたくさんあるけれども、まあ需要のあるところから手を着けてゆくしかない。

関係の皆さま、本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
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