仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ループからぬけでるために

2011-05-28 14:44:51 | 書物の文韜
3月の福島原発事故直後、「終わりなき日常は終わった」といった言説をよく目にしたが、「ぼくはそもそも、終わりなき日常など生きてはいなかった」と大いに反発を覚えたものだ。しかし気がつくと、目の前にある問題を何とか片付けているうちに1週間が終わってしまうという、「ループ」にはまりこんでいる。相変わらず、1つの問題についてじっくり考えたり、1本の論文、1冊の本について、充分吟味しながら読み進めるという時間が確保できない。いや、もしかしたら時間はあるのかも知れないが、それを作る精神的余裕がないのだ。そういうときに原稿依頼やシンポジウムの依頼を受けたりすると、自分をループの外に連れ出してくれるような気がして飛びつくわけだが、一方では意識や関心が活性化して新しい情況への手かがりを掴めるものの、一方では精神的にも身体的にも自分を追い込んでゆくことになってしまう。5月になって、新しい依頼を3つ頂戴し、1つは辞退して2つはお引き受けした(辞退したのは、単純にスケジュールが調整できなかったからである)。これで今年度の予定は、上半期に書き下ろし単行本1冊、7月末に環境史の論文と東北での講演、9月末に禁忌に関する論文、11月にシンポジウム2本、3月に歴史学理論についての論文1本、空いているところで他の書き下ろし2本を進める、といったスケジュールになる。現在の校務の情況からすると、これくらいが限界だろう。年末年始にはシンポジウム報告の論文化作業が入ってくるはずなので、恐らく他の2冊の単行本は延び延びになるに違いない。次から次へと本を出してゆく人たちは、いったいどのような時間配分で書いているのか。やや不思議である。とにかく、これ以上は何も増やさぬようにして、着実に仕事をこなしてゆかねば。
ところで、27日(金)にはおかげさまで41歳となりました。ちょうど院ゼミの日だったので、院生が散財してケーキや音楽CD(上の「e.s.t」。北欧のグループだそうだが、ぼくの描く北欧の印象とはかなり違う楽曲。どちらかというとニュー・オリンズである)などをプレゼントしてくれた。ありがたいことであるが、学生に気を遣わせてしまうというのは、やっぱり悪しき風習だな。皆さん、今後はどうぞお気遣いなく。そういえば、3月からこっちずっとperfumeを聞いていたのだが、4~5月は椎名林檎ルネッサンスだった。やはり、「丸の内サディスティック」はすげえ。

『東アジアの記憶の場』は、ノラの『記憶の場』の枠組みを東アジアで考えようとしたもので、序文を開くとまず「記憶論的転回」の言葉が目に飛び込んでくる。先週の土日は歴研の大会で、書籍コーナーをつらつら眺めて回っていたのだが、その日最も食指が動いたのは、帰りに寄った一般書店でみつけたこの本だった(「なんとかターン」という類似名称の大量生産はやめてほしいが…)。3月までに、久しぶりに歴史学理論の論文を書くことになったのだが、「言語論的転回」にしても、ここ数年はぼくのなかで深まりをみせていない。ちゃんと勉強しなおしたいところである。
『蛇と月と蛙』は、田口ランディさんの最新刊。小説のほかにエッセイも収録されているが、「4ヶ月、3週と2日」がすばらしかった。女性が自らの性を引き受けるということは、否応なくその時代、社会そのものを引き受けることになってしまうのかも知れない。だからこそ、シャーマンは女性が多いのだろう。語り手がルーマニア人の女性編集者と意気投合する場面では、なぜか中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』を想い出した。しばらく記憶の海に沈んでいた想い出がふとしたきっかけで蘇り、書き留めてゆくたびに次から次へと繋がってゆくということは、ときおりある。「想起とは創造である」という留保は付けねばならないにしても、自動筆記とはそれと似たような経験なのではないか…などと想像を働かせてみたりした。
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そして大きな宿題

2011-05-14 09:19:49 | 生きる犬韜
今週も1週間が終わろうとしている。最近土曜になると思うのは、とにかく自分が、深い問題意識も持たずに漫然と日々を過ごしていることだ。心が波立つ出来事はあるが、それは本当にちっぽけなことでしかない。日々、周囲の環境や情況に対する豊かな感受性や、繊細な神経が失われつつあるような気がしてならない。その意味で、こうしてブログを書くために1週間を振り返るのは、やはり悪いことではないだろう。

8日(日)の夜は、概説の準備を終えてから、モモと近所のサランバンへ焼肉を食べに出かけた。美味しいと評判の店で、休日の夜ということもあって家族連れでいっぱいであり、40分は待たされた。もちろん、ぼくは肉は食べない。野菜盛りとチヂミ、挽肉をより分けた石焼きビビンバをいただく。肉はもっぱらモモの担当で、「う~ん、これは上質」と舌鼓を打っていた。面白かったのは周辺の客たちの会話で、「おばあちゃんのビールくだちゃい」「杏仁豆腐くだちゃい」「いまパイナップルはどのへんでちゅか」などと店員に話しかけまくる幼児がいたり(あんなはっきりした幼児語を初めて聞いた)、男女共同参画に否定的な息子に対し、「私の生きているうちになんか変わらなくたっていい。50年後に変わっているためには、いま始めなきゃだめなんだ」とこんこんと諭す母親がいたり…。当たり前だが、「うん、みんな生きてるな」という気になった。しかしちょっと食べ過ぎたのか、朝まで重い胃痛。最近どうも、胃の調子がよくないようだ。月曜は9:00から学生センターの会議があるので、いつもどおりそのまま徹夜で出勤、新しい奨学金について少々意見交換をした。

10日(火)は午前中から奨学金申請者の面接があり、10名?ほどを終えてプレゼミとゼミ。こちらはようやく学生側の報告となり、いずれも個性のある発表となった。ゼミは今年からテキストに『三代実録』を加えた。分量がそれなりに多かったので、どの程度読めてくるか不安だったのだが、担当者のS君は願文なども史料に用い、文字の背景にある思想や心性に深く切り込んだ発表をしてくれた。テキストの1字1句をより丁寧に読み解く姿勢を身に付ければ、さらに上達してゆくだろう。
ゼミ終了後は急いで帰り支度をし、中央線・小田急線経由で成城大学民俗学研究所へ。この日から、『霊異記』『三宝絵』『藤氏家伝』と続いてきた共同研究の新シリーズ、寺社縁起研究会が始まるのだ。初回は今後のスケジュールを決定する会議だったが、ぼくは1時間ほど遅れて到着。今回は注釈作業が基本だが、定説的な読みを提供するのではなく、担当者それぞれの個性を前面に出した「とんがった注釈」を心がけてゆくことになった。題材は古代の縁起なら何でもよいとの話だったが、漢籍を読もうと考えていたので少々戸惑った。次回までには、何を読むか決めておかねば。

今週は研究日の木曜にも会議が入っていたので、結局5日間フルに出勤した。13日(金)は特講と院ゼミで、後者の報告はドクターのMさん。ずっと一緒に『法苑珠林』を読んできたので、読み方も発表の仕方も心得たもの、安心して聞いていられた。東洋史専攻だけあって背景を探るのもうまいもので、こちらもいろいろと勉強になった。観仏部は『珠林』中もっとも道宣の影響が濃厚な篇目ともいえるので、彼の宗教的実践における仏像や仏塔の位置づけを常に念頭に置き、ある意味での神秘体験を前提に考察してゆく必要がある。Mさんの報告では優填王像と神滅神不滅論争がクローズアップされた。前者は最近倚像釈迦の形式がこれであるとの見方が提出されており、注目される。日本では飛鳥・白鳳に多く造られており、昨年のゼミ旅行でも多くみる機会があった。後者は仏教の中国化に際して大きなインパクトとなった議論だが、やはり神仙思想の不老不死ベクトルとも関連づけて考えねばなるまい。一応ゼミを閉じた後は、OGのHさんが持ってきてくれたお茶菓子で10:00過ぎまで茶話会。東洋史のAさんと中国の魅力を語りつつ、大妻のFさんの不思議トークを久々に堪能した。

14日(土)は、兵藤裕己さんからお誘いを受け、モモが常連の中世戦記研究会に参加。『太平記』諸本に関する兵藤さんの根本的な再考、法住寺殿武将墓被葬者に関する野口実さんの説得力ある報告をうかがった。この会は文学研究者と歴史研究者が混在しているので、兵藤さんの報告の折には「言語論的転回」の話がちょっと出た。兵藤さんは、個々の写本の記述を詳細に分析して、一体何が古態なのかを突き詰めてゆく。歴史学者はその古態に「史実」を重ねたいだろうが、ぼくはそうは思わない。個々の写本がどのようにあるモチーフを語っているのか、なぜそう語るに至ったかの方が重要であり、またその解明においてこそ文学・歴史学の協働も大いに意味を持つのではなかろうか。
それはそうと、このとき兵藤さんから、重い課題を背負わされた。昨年から、どうも偉い人たちがぼくのことを買いかぶっているようだ。声をかけていただくのは本当にありがたいのだが、その「要求」が常に自分の身の丈を超えている。今度は相手があまりにも大きいので、夏期休暇に相当精進しなければ太刀打ちできない気がする…。なお、懇親会ではモモは泥酔して多くの諸先輩にちょっかいを出し、ぼくは三省堂の編集の方から「学生時代からブログを拝見していました」といわれて恐縮しきりであった。

ところで、3月以降、諸先輩・諸先生から多くの抜刷やご高著をいただいた。いつもながら非礼なことで、まだ御礼状もほとんど書けていないので、学生さんへ参考文献を紹介する意味でも、ここに少々列挙をしておきたい。最初の『歴史のなかに見る親鸞』は、平雅行さんからいただいた。平さんの親鸞に対する伝記研究のエッセンス(といっても、最新の研究論文の知見を含む高度なもの)が、講演調の平易な文体で語られている。学生時代、「悪人正因説」を読んだときの衝撃は、未だに忘れられない。日本宗教史懇話会サマーセミナーでもさまざまにお世話になったし、真宗東京教区の研修会へ講演に来ていただいたこともある。近年再び捏造説が昂揚している「善鸞義絶状」についても、また批判仏教の松本史朗氏の見解についても、歴史学者の立場から着実な検討・批判がなされている。
2冊目は、やはりサマーセミナーで知遇を得た牧伸行さんの『日本古代の僧侶と寺院』。牧さんの古代僧伝研究の主要論文がまとめられている。近年、僧伝研究を中心に行っている研究者は少なくなってきたが、ぼくも研究の出発は行基の生き方を見つめなおすことにあった。牧さんのご高著を拝読していると、一人の人物の生涯に関する史料を集め、あれこれ想像しながら、そして自分に照らして考えながら研究してゆく楽しさが蘇ってくる。やはり、佐久間竜さんの後を継ぐのは牧さんだろう。
3冊目は、上智の先輩窪田大介さんの『古代東北仏教史研究』。窪田さんは、上智の学部を卒業後東北で高校教師などをされながら、仏教大学の通信教育で博士の学位を取得された。その真摯な研究姿勢には、頭が下がるばかりだ。当時の中央から辺境とされた東北の地に、支配の手段として仏教がどのように入り込んでゆくのか。あるいは、東北の思想や文化を受けてどのように変質してゆくのか。近年、国際的にも開かれ流通・交通も活発であった東北の実像が明らかにされているので、仏教史研究も大きく視点を転換せねばならなくなった。その指針となる1冊だろう。
『野と原の環境史』は、盟友の中澤克昭さんから。昨年は上智にも講義に来ていただいていたが、今回は諏訪の狩猟文化を中心に狩猟と原野の関係を概観する論考で、やはり現在は忘却された日本文化の深奥を抉る視線に溢れている。火を放って原野を焼き獲物を追い出す焼狩は、その起源においては、とうぜん野焼きや焼畑の習俗とも関わるものであったろう。現在、単行本のために再考している熱卜の起源について、焼畑の火と関係づける見解は以前からあるのだが(荒木比呂子説)、当初は狩猟獣である鹿の骨が使用された点からしても、焼狩との繋がりを想定するべきかも知れない。中国古代の焼狩など、研究している人がいるのだろうか。
『〈風景〉のアメリカ文化学』『〈都市〉のアメリカ文化学』は、野田研一さんからのいただきもの。「シリーズ アメリカ文化を読む」のうち、この2冊は環境文学研究、エコクリティシズムの傾向が色濃く、互いに密接に関係した論考を収録している。アメリカ文学研究における同分野が、いかに「元気」であるかを実感するし、日本の環境文化を考えるうえでも示唆されるところが大きい。今回は、先住民文化との関連、動物文学などがあまり扱われていないが、これらについても情報を得たいところである。
最後は青谷秀紀さんの『記憶のなかのベルギー中世』。青谷さんとは、「近代学問の起源と編成」シンポでの一瞥以来だが、思いもかけず立派なご著書をお送りいただき恐縮している。そのシンポで報告された「H・ピレンヌと近代ベルギー史学の形成」も極めて興味深かったのだが、今回も「歴史叙述の歴史」を主要研究対象のひとつに据えているぼくには垂涎の一書である。内容は(その完成度には格段の差異があり、またぼくの方が個々人の実践という狭小な世界に拘っているわけだが)、ぼくが中国と日本との繋がりのなかで試みようとしていることと非常に近く、大きな見取図を与えていただいた気がする。恐懼して読み進めたい。
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そんな連休の過ごし方

2011-05-06 05:22:14 | 生きる犬韜
今週は、2日(月)と6日(金)が講義。1日(日)は、いつものように「日本史概説」の準備。6日は「日本史特講」と院ゼミでの報告が重なっていたため、3~5日の休日の大半もほとんど授業準備に持っていかれた(特講は、前半がいま執筆中の単行本と重なるので、原稿を補足修正しながら進めている。院ゼミは『法苑珠林』講読で、今回は敬仏篇念仏部・観仏部の概説。この白文を読むようになって、本当に漢文解読のスピードが上がった。やはり、訓練は無理にでも自分に強いるものだ)。そればかりか、校正原稿も次から次へと送られてくる。どこの出版社も考えることは同じで、GW中にできるだけ研究者へ仕事をさせようと思っているらしいが、今時の大学は休日授業が当たり前なのだ。そのうえこう原稿が集中したのでは、とても締切になど間に合わない。出版社には出版社の事情があるのは分かるが、もう少しこちらの予定も考えてスケジュールを組んでほしいものである(問答無用で校正を送ってきて、1週間で再送せよというパターンが多すぎる。ま、そこまで出版社を切羽詰まらせている原因が、ぼくにある場合も多いのだけれど…)。

というわけで、GWはとうぜん行楽はなし。しかしそれではあまりにも…ということで、モモと連れだって、正月に舌鼓を打った深大寺の多聞へ蕎麦を食べにゆくことに。しかしこれが「安近短」の影響なのか、深大寺はものすごい人出で(周辺は大渋滞!)、わざわざ昼食時を外したにもかかわらず、どの蕎麦屋の前にも長蛇の列が出来ていた。仕方がないので蕎麦は諦めたが、帰宅途中、東八通りに回転寿司があったので入店。こちらもけっこうな盛況であったが、ほどなく食事にありつけた。目的の蕎麦は食べられなかったが、モモはそれなりに満足したようであった。
ところで上の写真だが、まず左は深大寺へ降ってゆく坂の口にあった「宿神明神社」。そう、名前からすると明らかにミシャグチである。境内には稲荷社や庚申塔があるばかりで、あまり面白いものはみうけられなかったが、ご神体は石なのだろうか。今度、周辺をもう少し詳しくみてみよう。
続いて右は、東八通りの交差点にかけられていた看板。往年のファンには必見かも知れない。至近にある「片桐モータース」?なる会社が取り扱っているらしいが、武内つなよしの親族でもいるのだろうか(片桐家の家族のうち、どなたかが詩吟か何かの教室をやっているらしい。「語り」というのは詩吟のことか?あるいは講談?)。ちゃんと登場人物一覧が書かれた看板も併設されている。道ゆく人は見向きもしないが、ぼくのような人間は、何か「買わなきゃ損!」的な気分にさせられる。

さて、話は変わるが、7月末に東北学院で行う講演の梗概もなんとか作り終えた。以下のとおりである。
「水への想い、原郷への想い―東アジアの水災をめぐる環境文化史―」

 東北太平洋沖地震のその後を伝えたある新聞に、津波に家族や自宅を奪われながら、新たに生まれた長男へ「それでも海を愛する子に育ってほしい」と語る夫婦の記事が載せられていた。今回の震災でもそうだが、日本列島には、過去に何度も大規模な自然災害に見舞われ、その危険性を伝える口碑や文献が残っているにもかかわらず、住居や村落の絶えない地域が幾つもみられる。人々を他の場所へ去らせないのは、単なる生活の便利さだろうか、それとも生まれ育った故郷への愛着だろうか。「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」という冷徹な警鐘では語り尽くせない〈磁場〉のようなものが、土地と人々の間には作用しているような気がする。それは、自然環境と人間が紡いできた定住以来の歴史そのものである、といいかえることもできるかもしれない。
 生きるために河川や海の周辺で暮らす人々にとって、洪水(海嘯などを含む)は世界の終末の代名詞として意識されてきた。洪水神話というとすぐに思い浮かぶのは『旧約聖書』、もしくはその祖型のひとつであるシュメル神話だが、東アジア地域にも、洪水による民族の危機と再生(あるいは創成)を物語る伝承が散見される。黄河や揚子江を抱える中国では、治水が文明の盛衰を決定づけるキーワードであり、最初の王朝夏を樹立した禹王は治水英雄として描かれる。そのヴァリアントは各地の大河川で増殖してゆき、近世の日本列島でもその神験を期待した禹王廟や文命堤が建てられている。また、六朝期の江南地方で勢力を拡大しつつあった道教は、未来を予言する讖緯説の展開を受け、洪水による終末の果てに新王朝の再生があると喧伝した。かかる言説は仏教にも一部共有され日本列島へ将来されるが、大陸東南部の少数民族や韓国、沖縄などにみられる洪水伝説もその影響かもしれない。
 いずれにしろ、東アジアにおける洪水の表象は、極めて広範囲の時間・空間のなかで歴史的に構築され、現在に及んでいる。日本列島において、河川や海とともに生きる人々が水に対して抱く日常的な感覚、憧憬や畏怖は、これらの歴史的言説とどのような関わりを持つのだろうか。水害をめぐる心性の基底に水の求心力をみつめ、災害列島に生きる私たちと自然環境との関係について考えてみたい。

ポイントは、東アジアをめぐる洪水関係の言説と定住の関係である。人に定住を決定させる、あるいは持続させる心性の状態に、言説世界はどのような影響を及ぼしているのか(方法論的には、ミクロ/マクロの連結が課題だ)。日本列島の定住の画期は、環境史的には弥生時代と室町後期~江戸前期と思われるが、この周辺の時期の水に対する心性を網羅的に調査せねばならない。むろん、「想定外」を招いてしまった災害との馴れ合いがいかに生じてくるかも問われるべきだが、一方で「今回の津波の被害は、住民の不注意が原因」との短絡的言説にも批判の烽火を上げたい。どこまでできるか分からないが、3週連続で行われるこのシリーズでは、ぼくの前週・後週に、東北学院の錚々たる先生方が力のこもった講義をされる予定である。せっかくオファーをいただいたのだから、恥ずかしい内容にはできない。力を尽くすべし。
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枝を落とす/森を創る

2011-05-01 14:31:17 | 生きる犬韜
一応はGWに突入したが、ぼくの講義のある曜日はしっかり授業日になっているので、よく考えてみたらほとんど休日はない。しかし、この間にどうしても終わらせなくてはいけない原稿・校正が3つほどあるため、何とか時間をうまくやりくりしたいものだ。…と建前的に心に誓いつつも、最初に手を着けたのはそうした公の仕事ではなく、いわば非常にプライベートな作業だった。庭木の剪定である。
うちにはベニカナメモチの生け垣があるのだが、この季節には赤い若葉を縦横に伸ばしてご近所に迷惑をかけてしまう。ぼくは割合と伸ばし放題が好みなのだが、周囲に隣家が密接した地域ではそんな悠長なことはいっていられないので、仕方なく剪定することにした(昨年は、義父がこの時期に秋田からやって来て、すべて手際よく片付けてくれた。ありがたい限りである)。さて、写真は使用前・使用後である。何か、自分ひとりで事をなしとげたかのようなドヤ顔の女性が映っているが、彼女は落ちた枝葉を拾い集めていたに過ぎない(腰の悪い人にとって、それはそれで大変な作業なのだが…)。朝の9時前から初めて、2時間強はかかったのではないだろうか。けっこうな運動量であった。しかし、カナメモチたちはさしたる抵抗もせず、温和しく枝を落とさせてくれた。ありがたいことである。

この日はとにかく肉体労働に捧げた日で、昼食後には出しっ放し!になっていてたひな壇を片付け、今度は地下の書斎兼書庫で本棚作りにとりかかった。昨年必要なものだけを組み立てて、とりあえずは用が足りたためずっと放置してあったのである。いろいろ無理が出てきたので、一念発起してとりかかったのだが、前にここにも書いたIKEAの本棚は、とにかくでかくて重い。ひとりで組み立てるのはかなり骨が折れるのである。こんなことなら高いお金を払ってでも完成品を購入するんだった…と今さらながら後悔したが、もはや仕方がない。途中何度か休憩を挟み、ほとんど朝までかかって4個を作り終えた。ご覧のとおり、合計6個(その他既製の本棚が5つ)が地下のスペースにぎゅむぎゅむに詰め込まれていて(モモが通れるギリギリの幅だ)、本棚の森状態。かなりの圧迫感だが、まあこれで一応の書籍類は収納・整理できそうだ。実際に本を並べるのは後にして、そろそろ月曜の概説の準備にとりかかろう。…しかし、明日は身体のあちこちが痛くなりそうだな。歳はとりたくないものだ。
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