中村良夫著『風景を創る』NHK出版, 2004-06この書物の詳細を見る |
28~29日の週末は、軽井沢のセミナーハウスで卒論指導の合宿。前日5限の特講を終え(結局『死者の書』に3回もかけてしまった。でも結構よい講義ができた気がします)、慌てて準備をして、いつものごとくほぼ徹夜状態で出発(『DEATH NOTE』観なけりゃよかったな。ヒットしていた割には、あまり出来がよくなかった)。東京駅で「たっぷり秋野菜弁当」を購入して新幹線に飛び乗り、ほくほくいただき、あれこれ指導方針を思案しているうちに軽井沢駅に到着。速い、東京から1時間ちょっとですよ。集合時間までにはまだ余裕があったので、駅前に展開する西武のプリンス・ショッピングプラザへ。スタバのタゾチャイラテをすすりながら流していると、紅葉し始めた木々に深く澄んだ青空、空気はひんやりしているものの陽差しは暖かく、まさに絶好の行楽日和。どこのお店もけっこうな賑わいです。しかし、ぼくらはこれからレクリエーションなしの引きこもり勉強会ですよ…と憂鬱?になりつつ再び駅へ。カップを捨てるごみ箱がみつからずにうろついているところを、3年生に目撃され思いっきり不審がられてしまいました。
おいおい4年生、院生もやって来て、タクシーに分乗してセミナーハウスへ。1998年以来ですから、8年ぶりですね(あのときは、ここでは書けない事情を抱えていて、憂鬱どころではない暗澹たる気持ちでやって来たんだったなあ…)。院生のMさんの修論準備報告、4年生7人の卒論最終報告を2日がかりで聞き、コメントをつけました。詳細は発表できませんが、政治史・思想史・文化史となかなかバラエティに富んでいます。もっと眠くなるかと思っていましたが、こちらも楽しく聞くことができました。実は卒論については、合宿に来るまで、「今年の4年生は卒業できるんだろうか」と本気で心配していたんですよね。しかし、今回はかなりみんな頑張ってくれて、なんとか見通しができてきたかな、という印象を持ちました(まだ危なっかしい子もいるのですが)。ここで緊張感を切らさず、ラスト・スパートをかけてゆきましょう。また、いつもの演習では静かな3年生も、今回は積極的に質問を出してくれて、なかなかいい雰囲気で検討会ができました。「来年の卒論合宿は夏休みにやりましょう」と、卒論に向けて意欲も燃やしてくれた(危機感を抱いただけ?)ようです。お膳立ての面でも、いろいろありがとうございました。
2日目には、朝早くから、OBの福島正樹さん(長野県立歴史館)が参加してくださったことも嬉しかったですね。コーヒーもおみやげに頂戴し、最近の古文書調査のご経験も織り交ぜながら、いろいろ重みのあるコメントをいただきました。学生たちも、古代と近代の自在な往来に、興味深く耳を傾けていたようです。どうもありがとうございました。
セミナーハウスは料理も盛りだくさんでおいしく、部屋も快適で、不安な気持ちも落ち着き、なかなかいい合宿になりました。早朝、周辺の散歩もできましたしね(アカゲラと会いましたよ。ウチの境内にもときどきキツツキ音が響いてますけどね)。
とにかくほんと、みなさんお疲れさまでした。
ところで、上の写真は中村良夫の環境美学。moroさんやmonodoiさん、nomuraさんのブログで金生山がしばらく話題になっていたので、本棚から手に取りました。しかし、月並みな言い方だけれども〈美〉は相対的な概念。畏怖すら覚える屋久島の原生林に美を見出す人もいれば、雑多なビル群を美しいと感じる人もいる。極端なことをいえば、テロ攻撃を受けて崩壊する高層ビルに「美しい」と釘付けになってしまう存在こそ、「済いがたきもの、その名は…」でしょう。自分の生命も他の生命も、場合によっては地球全体さえ犠牲にしても、〈美〉を追求してゆきたいという姿勢はありうる。美学と、倫理・道徳に本質的な関係はない。ぼくには、「環境美学」という言葉は少々空虚に映ります。それを名乗るのならば、川田順造のいう〈矛盾した欲望(破滅的性向)〉と〈美〉との関係をこそ追究してほしいですね(…って、ぼくがやらなきゃいけないのか)。