仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

卒論合宿:とにかくみんながんばった

2006-10-30 00:53:55 | 生きる犬韜
中村良夫著『風景を創る』

NHK出版, 2004-06

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28~29日の週末は、軽井沢のセミナーハウスで卒論指導の合宿。前日5限の特講を終え(結局『死者の書』に3回もかけてしまった。でも結構よい講義ができた気がします)、慌てて準備をして、いつものごとくほぼ徹夜状態で出発(『DEATH NOTE』観なけりゃよかったな。ヒットしていた割には、あまり出来がよくなかった)。東京駅で「たっぷり秋野菜弁当」を購入して新幹線に飛び乗り、ほくほくいただき、あれこれ指導方針を思案しているうちに軽井沢駅に到着。速い、東京から1時間ちょっとですよ。集合時間までにはまだ余裕があったので、駅前に展開する西武のプリンス・ショッピングプラザへ。スタバのタゾチャイラテをすすりながら流していると、紅葉し始めた木々に深く澄んだ青空、空気はひんやりしているものの陽差しは暖かく、まさに絶好の行楽日和。どこのお店もけっこうな賑わいです。しかし、ぼくらはこれからレクリエーションなしの引きこもり勉強会ですよ…と憂鬱?になりつつ再び駅へ。カップを捨てるごみ箱がみつからずにうろついているところを、3年生に目撃され思いっきり不審がられてしまいました。

おいおい4年生、院生もやって来て、タクシーに分乗してセミナーハウスへ。1998年以来ですから、8年ぶりですね(あのときは、ここでは書けない事情を抱えていて、憂鬱どころではない暗澹たる気持ちでやって来たんだったなあ…)。院生のMさんの修論準備報告、4年生7人の卒論最終報告を2日がかりで聞き、コメントをつけました。詳細は発表できませんが、政治史・思想史・文化史となかなかバラエティに富んでいます。もっと眠くなるかと思っていましたが、こちらも楽しく聞くことができました。実は卒論については、合宿に来るまで、「今年の4年生は卒業できるんだろうか」と本気で心配していたんですよね。しかし、今回はかなりみんな頑張ってくれて、なんとか見通しができてきたかな、という印象を持ちました(まだ危なっかしい子もいるのですが)。ここで緊張感を切らさず、ラスト・スパートをかけてゆきましょう。また、いつもの演習では静かな3年生も、今回は積極的に質問を出してくれて、なかなかいい雰囲気で検討会ができました。「来年の卒論合宿は夏休みにやりましょう」と、卒論に向けて意欲も燃やしてくれた(危機感を抱いただけ?)ようです。お膳立ての面でも、いろいろありがとうございました。
2日目には、朝早くから、OBの福島正樹さん(長野県立歴史館)が参加してくださったことも嬉しかったですね。コーヒーもおみやげに頂戴し、最近の古文書調査のご経験も織り交ぜながら、いろいろ重みのあるコメントをいただきました。学生たちも、古代と近代の自在な往来に、興味深く耳を傾けていたようです。どうもありがとうございました。
セミナーハウスは料理も盛りだくさんでおいしく、部屋も快適で、不安な気持ちも落ち着き、なかなかいい合宿になりました。早朝、周辺の散歩もできましたしね(アカゲラと会いましたよ。ウチの境内にもときどきキツツキ音が響いてますけどね)。
とにかくほんと、みなさんお疲れさまでした。

ところで、上の写真は中村良夫の環境美学。moroさんmonodoiさんnomuraさんのブログで金生山がしばらく話題になっていたので、本棚から手に取りました。しかし、月並みな言い方だけれども〈美〉は相対的な概念。畏怖すら覚える屋久島の原生林に美を見出す人もいれば、雑多なビル群を美しいと感じる人もいる。極端なことをいえば、テロ攻撃を受けて崩壊する高層ビルに「美しい」と釘付けになってしまう存在こそ、「済いがたきもの、その名は…」でしょう。自分の生命も他の生命も、場合によっては地球全体さえ犠牲にしても、〈美〉を追求してゆきたいという姿勢はありうる。美学と、倫理・道徳に本質的な関係はない。ぼくには、「環境美学」という言葉は少々空虚に映ります。それを名乗るのならば、川田順造のいう〈矛盾した欲望(破滅的性向)〉と〈美〉との関係をこそ追究してほしいですね(…って、ぼくがやらなきゃいけないのか)。
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仏教史学会第57回学術大会:やっぱり司会は大変だ

2006-10-21 10:00:00 | 議論の豹韜
大山誠一編『聖徳太子の真実』

平凡社, 2003-11

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21日(土)、京都の仏教大学にて、仏教史学会第57回学術大会が開催されました。今回は、委員として企画に加わったシンポジウム〈聖徳太子の歴史像〉が開催されるため、ちょっと重い気分で上洛。午前6時すぎの新幹線のなかでも、報告者の藤井由紀子さん、石井公成さん、牧野和夫さん、王勇さんの発表要旨、8月に行った打ち合わせの資料を読み直し、全体討論のプランを練りました。何がそんなに気重なのかというと、このシンポ、聖徳太子の〈虚像〉史をテーマの核に据えているので、近年話題の実像をめぐる論争はハナからして排除しているのです。とくに、発案者の佐藤文子さんがこの路線を強固に推進、英雄史観断固反対!というわけです。ぼくの立場からすれば、「虚像」という言葉自体が「実像」を前提にしているのでナンセンスだと思うのですが、そこは妥協妥協。本当は「〈聖徳太子〉をめぐる表象と言説」とでもしたかったのですが、佐藤さんとも相談、委員の方々のご意見も伺って、上記のタイトルへと落ち着きました。しかし、このシンポの意図するところを、論争の当事者である方々(大山誠一さんや吉田一彦さん…)が分かってくださるだろうか。議論がヒートアップした場合、ちゃんと着地点を用意できるか。佐藤さんが前もっていろいろ動いてくださっていたようなのですが、吉田さんは8月末から燃え上がっておられたようで、不安を抱えながら初秋の都に降り立ったのです。

さて、地下鉄・市バスを経由して会場に着くと、なんと佐藤さんは痛ましい松葉杖姿。詳しい事情は話してくださいませんでしたが、なにか行く先に暗雲が立ち込めているような…。午前中の個人報告も面白そうなものが多かったのですが、すべてキャンセルして佐藤さんの補佐に回り(というか杖をついて周旋する佐藤さんに付いて回り)、もろもろ午後の準備をしました。コメントをいただけそうな参加者にもだいたいの目星を付けて、ようやく討論のシナリオが作れたかな?と思ったところでシンポ開始。会場には、大山さん、吉田さん、曽根正人さん、脊古真哉さん、新川登亀男さんら、太子研究に関わる論客の姿が…。中井真孝会長にご挨拶をいただいたあと、まずは佐藤さんがかなり過激に(ご自分でも「わたし壇上に立つと攻撃的になるのよね~」とおっしゃっていました)開催趣旨を説明。続いて藤井さんが『伝暦』『書紀』を中心に太子の伝説化の過程を概観、石井さんが漢籍仏典に依拠して吉田・大山学説=〈『書紀』太子関係記事道慈述作説〉を挑発的に批判、牧野さんが慶政の一切経補刻事業から太子/空海信仰の融合を浮かび上がらせました。そして、中国からわざわざお越しいただいた王勇さんは、太子慧思後身説に道教との関係を持ち込む新たな切り口を提示、曹洞宗の問答のなかに同説が現れる新たな史料も紹介してくださいました。
盛り上がってきたところで、10分休憩し討論へ突入。最初は吉田さんと曽根さん、石井さんのあいだで、日本仏教・中国仏教の細かな関係をめぐるバトルが展開。大山さんも「仏教学・仏教史・歴史学の有機的な交流を」とコメント。失速しかけていた古代の太子研究には、まだまだ追究すべき論点が多く残されていることが示されました。中世の牧野さんのところは、入宋との関係で中世的作善の特徴が明らかになるかと会場に振ったのですが、うまく議論を広げられずに残念(ぼくの力不足でした)。今から考えると、慶政のあり方をめぐって藤井さん・牧野さんの意見交換があっても良かったかな、と後悔しています。王勇報告に関しては、道教にもお詳しい新川さんから有益なご質問をいただき、慧思後身説における「倭国王」と太子とを峻別すべきこと、日本古代における尸解仙言説の影響などが確認されました。曹洞宗との関係については原田正俊さん、浄土教との関係については脊古さんがコメントをくださり、なんとか論点をフルカバーした形で討論を終了することができました。いやほんと、両肩に得体の知れない何かが乗っているような、重~い疲労感が残りましたよ。報告者の皆さん、佐藤さん、足を引っ張ってごめんなさい(しかし、なぜ太子と浄土教が結びつくのか、やっぱり謎だなあ…)。

終了後は仏教大地下の食堂で懇親会。一緒にずっと研究会をやって来た稲城正己さんとも久しぶりに再会、方法論懇話会をどうするかという問題も含めて、いろいろ情報交換しました。しかし、師茂樹さんや工藤美和子さんが仏教史学会の新委員として加わることになり、どんどん方法論懇話会色?が強くなってゆくことにほくそ笑んでしまいます。今回は責任上二次会にも参加、怒る佐藤さんを吉田さんとなだめつつ(その理由はここでは書けません)、とても久しぶりに松本信道さんともお話させていただき、結局11時過ぎまで飲みまくっていたのでした(飲めないのに)。
上の写真は、いわずと知れた通説批判の書。〈虚像史〉の本としても読解可能。これからますます議論の核にもなってゆきそうです。
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深夜枠はアニメーションばかり:そして八景アポロ座の想い出

2006-10-15 21:29:06 | 書物の文韜
『遠近』 第13号(2006年10・11月号)

国際交流基金

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「遠近」と書いて「をちこち」と読ませる、国際交流がテーマの雑誌。山川がこんな本を出していたとは知りませんでした。表紙の「頭山」に惹かれて買ってみたら、国際交流のツールとしての日本アニメを扱った真面目な内容。フランスやアメリカは熱狂的なマニアのいる国として有名ですが、エルサルバドルやモロッコなどの事情も報告されていて興味深いですね。とくに、エルサルバドル日本大使館一等書記官・土生川正篤さんのリポートはなかなか。両国の外交関係樹立70周年を記念して日本アニメ映画祭が実施され、『攻殻機動隊』『沈黙の艦隊』『ちびまる子ちゃん』を上映、予想以上に大きな反響があったとか。
 重要な点は、日本アニメであれハリウッド映画であれ、すべて若年層に対する影響という観点からは、有益なものもあればそうでないものもあるなか、商業主義に依らない立場から、何を取捨選択するかを正しく見極めることだと考える。
 そのためにも、海外において、日本に対する正しい知識と良い印象をその国の人々に持ってもらいたいという意識で活動している在外公館の視点からは、海外において紹介するに相応しい日本アニメを少しでも多く提供していただけることを関連企業及びジャパンファウンデーションに強く期待するものである。(pp.42-43.)
とのこと。「物語って多少なりとも現実に対して破壊的なものなんだから、〈正しい知識と良い印象を与えるもの〉という評価はどうだろう」と首を傾げたくなる一方、上記映画祭のラインナップは、「文科省特選」では決してありえない選択と強く感心。「何を取捨選択するかを正しく見極める」ことが重要、というのは伊達じゃありませんね。

昔、金沢八景にあったアポロ座という映画館が組み立てていた、マニアックな3本立てを想い出しました。例えば、「エイリアン」「ハロウィン」「ザ・ショック」(8才のとき。1本だけで死にそうになっていました)、「遊星からの物体X」「ブレードランナー」「ファイヤーフォックス」(これは本当にマニアック。語り継がれる名作揃いですよ)、「コマンドー」「バタリアン」「北斗の拳」(3本で何人のひとが死んでいるのか。みんな大量虐殺映画)など。どういう組み合わせか忘れましたけど、「メテオ」「ロッキー2」「ポールポジション2」「カリオストロの城」なんかもここで観た記憶があります。日曜の早朝に行くと、3本合わせて500円で観ることができたので重宝しましたっけ。

さて、話をもとに戻しますと、日本のテレビ界も、秋の編成替えでものすごい量のアニメーションが放映され始めましたね。一時期はかなり浅薄な内輪ウケものが多かったのですが、今回は、「009-1」「コードギアス」「妖奇士」「RED GARDEN」「BLACK LAGOON」など、作画的にも内容的にも〈観られるもの〉がかなりあります(「奇士」はなんとなく専門と重なるところあり。第2話のタイトル「山の神、堕ちて」もいいですね。テイスト的には、「蟲師」と「鋼の錬金術師」を足して2で割ったような印象ですが、単純な異界/此界の二項対立ものに終わらないことを願います)。「DEATH NOTE」「武装錬金」「結界師」「蒼天の拳」など、最近のコミック原作のものが多いかと思うと、特撮ですが「快傑ライオン丸」のリメイク(続編?)も作られています。このなかに、自信をもって海外に発信できるものが幾つあるか。でも、少年誌連載の作品を深夜枠に放送するというのはどうなんだろう。

私はヨーロッパ系アート・アニメーションの愛好者なので、日本でも川本作品、山村作品なんかを応援したくなってしまうのですが、国際的に需要があるのは、やはりハリウッド的テンポのセル(といっても最近は使っていないものも。「トゥーン・シェーディングの」というべきか)・アニメなんでしょうねえ……。そういえば、数年前に某社に提出した「神話とCG表現」の原稿、どうなっちゃったんでしょう。最新の情報に書き直さなきゃまずいだろうな。編者の皆さん、どうかよろしく。
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死霊の記憶:再び『死者の書』について

2006-10-14 00:31:18 | 書物の文韜
三浦佑之著『日本古代文学入門』

幻冬舎

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「死者の書」については、以前、川本喜八郎さんの映画の紹介として触れましたが、今回、特講「神仏習合の古代文化論」で扱うにあたり、原作をじっくりと読み返すことにしました。結果、(川本さんの作品はもちろん素晴らしかったのですが)映画が取り落とさざるをえなかった細かな部分で、創作作家・折口信夫の凄さを再認識しましたね。神話=歴史を神憑りによって伝える語部、語部の類推と死霊の心情の微妙なずれ、取り憑かれる南家郎女の内面の描写……古代日本のシャーマニズムを問い直すうえで様々な発見がありました。なかでもとくに注目したいのは、死霊・滋賀津彦が自我を取り戻す過程で発した次の台詞。
おれの名は、誰も伝へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛しいおれの名は、さうだ。語り伝へる子があつた筈だ。語り伝へさせる筈の語部も、出来て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくとこの胸を刺すやうだ。(全集p.167)
謀叛の罪で処刑される際、刑場に現れた耳面刀自に心を残して死んだ滋賀津彦は、殯もなされぬままに二上山へ埋葬されます。50年余りが経過した頃、塚の下でふいに目覚めた彼は、〈自分〉を取り戻す過程で耳面刀自の記憶へとたどり着く。その執心は、千部写経の大願を果たそうとする南家郎女のスピリチュアリティと無意識に同調、彼女を山へと呼び寄せることになります。それは、あたかも三輪の大物主がイクタマヨリビメ、ヤマトトトヒモモソヒメのもとを訪なったような、神霊と巫女との婚姻に収斂する物語です。
しかし、なぜ神霊は婚姻を求めるのか。三輪の伝承で、大物主が末裔オホタタネコの奉祀を求めるように、それは、自らの望む祭祀を持続させたいがために他なりません。けれども折口は、さらにその先の本質をみようとしています。つまり祭祀の持続とは、自分を語り継がせること、自分の名を後世に残すこと、歴史化することであると……。そう考えると、神の意志が顕現する祟りとは、忘却への抵抗ということになりますね。これは、歴史修正主義との格闘のなかで屹立してきた、歴史学の倫理の問題に直結します。目撃者が消えてしまうと、過去の出来事はなかったことになってしまうのか。記憶がなくなると、歴史は消えてしまうのか。歴史学者はその忘却(無意識的な、そして自覚的な)に立ち向かい、失われゆく過去の可能性を救済し、歴史の多様性を実現してゆかねばならない。……ここまで考えてくると、折口の古代文化研究に、なぜ語部が重要な位置を占めているのかがみえてきます。
最近、祟りや夢、卜占などをめぐって、中国の史官の実践、存在のありようについて研究しています。すでにいろいろなところで述べているように、祟りも夢も、史官による歴史叙述の一形態であると考えられます。昨年、そうした史官的立場から中臣を位置づけなおす発表をし、概ね好評だったのですが、参加者のなかには「研究史との断絶」を危惧する声もありました。しかし、この折口の語部論は、中国的史官と日本古代の歴史叙述を繋ぐ重要な先行研究といえるでしょう。ちなみに、睡虎地秦簡の「日書」甲種から浮かび上がる祖先祭祀のありようによると、春秋戦国の礼制成立期には、悪死(事故死、変死、継嗣のないまま死亡することなど)して家の祭祀から除外された死霊こそが〈鬼〉となり、祭祀を求めて〈祟〉をなすことが認められます。『捜神記』や『異苑』に登場する御霊の原型も、とにかく自らへの奉祀を求めて災害を振りまく。やはり、家の未来、共同体の未来に、自分の名、記憶を留めようとする行為でしょう。
耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その栄えてゐる世の中には、跡を貽して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝へる子どもを――。(全集p.167)
滋賀津彦の悲痛な叫び。神婚と歴史叙述とが繋がった瞬間でした(こんなことを書いているから、monodoiさんに、possessionではないのかと邪推される)。

ところで、上の写真は、『口語訳古事記』のベストセラー学者・三浦佑之さんからいただいた『日本古代文学入門』。帯にいわく、「異界、エロ、グロ、ナンセンス、スキャンダル……。現代文学の意匠はすべて、日本の古代である7,8世紀に出尽くしていた!」。表紙カバーも衝撃的ですが、謳い文句もこれまた凄い。教科書に指定したい内容ですが、宗教者としての自分のタガ、J大学というカトリックの環境が躊躇させます。しかし読解の目線はとうぜんながら鋭く、昨日の特講でも、ちょうど「大津皇子(滋賀津彦のモデル)事件」の節を使わせていただきました。感謝申し上げます。
Comments (2)
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環境/文化研究会(仮)9月例会:古代の論理、中世の論理

2006-10-08 05:08:18 | ※ 環境/文化研究会 (仮)
北原糸子編『日本災害史』

吉川弘文館

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常に1週間遅れの記述になってしまいますが、先週の土曜日、環境/文化研究会(仮)の9月例会がJ大学にて行われました。前回から4ヶ月のインターバルが開いてしまいましたが、その際の議論を引き継ぎ、しばらくは動物と人間との関係をテーマに据えることに。今月の報告は、中世史の黒田智さんと、古代文学の三品泰子さんにお願いしました。黒田さんは、説話や絵巻なども積極的に活用、中世的イマジネールを果敢に開示する注目の研究者です。修士時代からの知り合いなうえに、研究対象・領域も様々に繋がるところがあるのですが、なぜか今までちゃんとお話しする機会がありませんでした。今後は共同研究などにもお誘いしたいと思うのですが、敬遠されそうな気もします……(東アジアにおける夢の文化誌なんて、どうですかね?)。三品さんは、このブログにも度々登場していただいている先輩研究者。思えば、「ふの会」や「宗教的言説研究会」など、私の方法論的転機となったゲリラ的研究会には、いつも三品さんがいらっしゃって本質を抉るような質問、指摘を投げかけてくださいました。今年も古代文学会シンポ、首都大の〈夢見の古代誌〉など、いつも以上にお世話になっています。他に参加された方々は、石津輝真、猪股ときわ、工藤健一、榊佳子、土居浩、東城義則、中澤克昭の各氏でした。

さて、発表は黒田さんの「『十二類合戦絵』のニワトリと柳・鞠」から。『十二類合戦絵』は、十二支に属する動物たちとそれ以外の鳥獣たちとの合戦を描いた、15世紀頃成立の絵巻物。恥ずかしながら内容をよく知らなかったのですが、非十二支軍の中心メンバーである狸が、最終的な敗戦のあと遁世、踊り念仏に興じる結末のくだりなどなかなか強烈な物語です。しかし黒田さんが注目されたのは、登場する動物たちのセリフや着物の絵柄、持物、仕草などの背景に隠れている中世的連想の世界。例えば、今回中心的に扱われていたニワトリ。絵巻には、柳と鞠の紋の入った着物、日輪の烏帽子などを身につけて登場、龍にお酒をついだり、狸軍を蹴り倒したりする動作が描かれています。日輪は容易に見当がつきますし、蹴るという属性も理解できるのですが(ヒヨちゃんですね)、問題は酒に柳と蹴鞠。黒田さんの考察によれば、酒は「酉」字からの連想で(このように漢字を分解、別の意味を付す表現は他にもみられる)、柳は中世京都における酒の異称とのこと。蹴鞠も蹴る属性と関わりがあるだろうが、鞠屋と鳥かごがセットで描かれる『慕帰絵』『彩画職人部類』などが気にかかる、というお話でした。近現代人ではまったく分からない中世的思考の論理を、多種多様な史料の断片を繋ぎ合わせて復原してゆくさまが、大変スリリングでしたね。深く追究してゆくと、漢籍や古代神話の変奏も顔を出しそうです(実際、「鶏鳴狗盗」は使われているし)。鳥かごと鞠屋の件は、鞠が鹿革から作られているとすると、平林章仁さんの研究(『鹿と鳥の文化史』)が関連するかも。
続いて三品さんの報告は、「鳥獣言語を論じること―境界領域で揺れるもの―」。三品さんは、中澤さんや私の言説分析が持つ〈正当化〉や〈相対化〉といったベクトル設定に対して、「動植物と人とが入れ替わったり、言語を交え合えたりという、〈対称性〉をもったはじまりの神話を語ることのもつ「比喩」の力への注目」も必要と主張。「鳥獣言語」の対策文に並列された、博覧強記の漢籍・仏典の世界を紹介されました。中国王朝の史官にとって、森羅万象から他界のメッセージを読み解くことは必須の任務であったはず。日本の官僚たちもその記録をなぞり、頻発する怪異に対応すべく同様の能力を身に付けようとしたのか。それとも、単なる試験のための暗記項目、中国的教養の表明にすぎなかったのか。当時の文人貴族が漢籍類書により自然を分節して文章化可能にし、目にみえる現実世界自体を中国的に作り変えようとしていたことを考えると、三品さんのいう比喩の実践によって、分節の枠組み自体が強固に構築されてきたことだけは確かでしょう。その結果、〈他界からのメッセージ〉自体も、中国的になっていったのでしょうか。このあたり、もう少し深く考えてみたいところです。

報告のあとは、恒例の飲み会。社会史ブームの終焉を嘆きつつ、環境史の先行きについても一同不安視。集まった歴史学の面々はみな社会史の申し子なので、一様に現状には不満な様子。今年卒論を出すよしのぼり君のレジュメに、昔の自分をダブらせた人も多いのでは……。
ところで、上の写真はようやく出ました『日本災害史』。何を隠そう遅れたのは私が原因、関係の皆様には深くお詫び申し上げます。私は古代を担当していますが、考古学のデータに依拠したありがちな事例列挙的叙述を避け、災害をめぐる古代的心性の特徴について東アジア的広がりのなかで把握したつもりです。とうぜん不十分な記述は多いですが、ご笑覧いただければ幸いです。環境/文化研(仮)で合評会やりたい(やってほしい)なあ。
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後期授業開始:「歴史的他者へのポジショニング」の試み

2006-10-04 23:18:42 | 議論の豹韜
コルバン『記録を残さなかった男の歴史』

藤原書店

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いよいよ、月曜から後期の授業が始まりました。
初日は早稲田の演習からで、後期は『古語拾遺』の講読。忌部史観による、中臣史観・『日本書紀』史観の相対化を目指します。テキストとして、卜部系の嘉禄本・伊勢系の亮順本の影印コピーを配布。本当は、近年独立した系統ではないかと再評価の進む暦仁本も加えたかったのですが、初めて史料を扱う学生さんもいるので今回は見送り。

2日目はJ大のプレゼミ、ゼミ。後期のスケジュールを話して質問を受け、卒論の進捗状況を確認(かなり不安)。『書紀』講読は推古朝に入るので、新たに岩崎本のコピーを配布し、聖徳太子問題が絡むので大変ですよとコメント。そのうえで、来年度以降のゼミの運営についてゼミ生、プレゼミ生の意見を聞きました。というのも、来年度新たに「原典講読」なる授業を担当することになったのを受け、どのような形式を採るかはよく検討しなければならないものの、「歴史的主体へのポジショニング」を軸にした演習を実現しようと考えたからです。具体的には、歴史上の人物(有名な貴族でも、無名の民衆でも構わない)を任意に選択し、彼/彼女の立場に立って、その生涯の一端をライフ・ヒストリーとして復原/主観的に叙述するというもの。彼/彼女の生きる古代の日常を復原するためには、当然、文献史料のみならず、考古・民俗・絵画のあらゆる資料を網羅的に読解してゆかねばなりません。例えば、平安貴族の子女を選んだとして、彼女はどのような規模の、いかなる様式を持った住居に暮らしているのか。その間取り、近侍する人々、軒からみえる景色はどのようであったのか。長谷参詣に向かった彼女は、いつ、いかなる姿で門を出て、どのような経路を通り社まで至ったのか……。考えなければならないことは山ほどあり、自分が何を知らないか、それを調べるためにはどうしたらよいか、歴史研究のスキル、論理的思考を身につける最高の訓練になるはずです。また、ポジショニングという行為を通じて、歴史学では捨象されがちな個人の内面的葛藤、情念の問題についても洞察する力を養え、他者表象の倫理に関しても実践的に学ぶことができるのではないかと思われます。さらに、対象に即した記述のスタイルを主体的に使い分けられるような、〈書く〉ことの自覚も醸成されるでしょう。
1年を通じて行うとなるとまだ不安な点もあるのですが、とりあえず半期は実現できそうに思います。ゼミ生の多くは1年通して取り組みたいと希望していましたが、もう少し慎重に考えてみることにしましょう。ちなみに、上の写真はコルバンの名著。無作為に(といえるかどうかは問題があるんですよね)選んだある木靴職人のライフ・ヒストリーを描き出したものです。以前にも批判したように、果たしてこの書物が「個性」を復原しえているかというと疑問もあるのですが、我々の先蹤としてはギンズブルグ『チーズとうじ虫』と並んで重要なもの。ミクロストーリアを批判的に検討する時間も作りたいですね。

3日目の今日は、1限から(必然的に徹夜明け)全学共通科目の「日本史」。今まで使ったことのないような大教室で、100人近い聴講数。テーマは「樹木をめぐる心性史」で、まずは「無痛文明」「ネット狩猟」「坂東真砂子の子猫殺し」「グリーン・レクイエム」といったトピックを並べて、動物や植物に関する現代人の感覚を論評。学生さんからの反応も上々でした。
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