仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

The Practical Past

2009-10-26 18:42:09 | 議論の豹韜
24日(土)、東洋大学で行われたヘイドン・ホワイト氏の講演会に行ってきた。『メタヒストリー』で余りにも有名なホワイト氏だが、なぜか、その著作はほとんど邦訳されていない(オンデマンド版の『物語と歴史』が手に入るだけである)。『メタヒストリー』も、15年ほど前から「平凡社刊で翻訳が進んでいる」という話は流れていたが、未だに刊行には至っていない。そうした情況が影響してか、近年は〈メタヒストリー〉というタームだけが独り歩きして用途に混乱をもたらし、歴史叙述には一定の物語的形式があるということではなく、学説史と何ら変わらないような意味で用いられることが増えてきた。ホワイト氏の来日が、そうした情況を打破し、再び言葉と歴史との関係をめぐる議論が活性化することを願うばかりだ。

ところで今回の講演。英語が不得手なぼくでもある程度理解できる、ホワイト氏の気さくな人柄がそのまま現れた平易な語り口だった。内容的には、ぼくが昨年度の早稲田大学高等研究所主催シンポジウム「僧伝のアジア」で報告したもの、そして今年度末に開催予定の同研究所主催シンポジウム「近代学問の起源と編成」で報告を予定しているものに、密接にリンクしていて驚いた。前者では鹿島徹氏の物語り論的歴史理解を踏まえ、前近代の東アジア世界では人物伝を介して過去にアクセスする方法が一般的で、先人たちの生を引き受けて自らの生き方を綴ってゆく歴史=物語り利用が広く実践されていたことを説いた。後者では、近代学問としての歴史学が、そうした歴史認識を客観性の名のもとに一切否定したことを前提に、ゼロ地点から歴史学の存在意義を問いなおすことを目的としている。ホワイト氏は19世紀以前、すなわち〈科学〉以前の歴史の利用法として教訓、行動の規範、意志決定の根拠などへ供されたことを指摘し、それらは決して功利主義として一括される内容のものではなく、「何をなすべきか」という個々人の実存的問題と深く関わっていると主張した。「Practical Past」とは、そういう意味での過去のことで、歴史学が対象とし構築する「Historical Past」と対比的に語られている。翻訳者や司会は「実用的な過去」と訳していたが、ホワイト氏自身がカントに言及していたように、「実践的な過去」もしくは「実践に供する過去」とした方が正確ではないだろうか。人間が社会に関わるためのメディアのひとつ、と位置付けることもできよう。
ともかく、自分の考えていることとホワイト氏の方向性とが一致をみたことは、これまでの言語論的転回等に対する理解が間違っていなかったことの証明ともなり、大きな励みになった(『2000年の回顧と展望』に取り上げられた拙論は、大いに誤読されて批判されていたしなあ)。しかし、歴史学に携わる者としては、これからこの学問をどのように展開させてゆくかが喫緊の課題なのだ。

講演会は、続いて上村忠男氏のコメント、会場との質疑応答へと進み、翌日は他の歴史研究者も交えて大討論会が行われたはずなのだが、ぼくは残念ながら参加できなかった。24・25日が、自坊の報恩講法要(真宗最大の年中行事)と重なっていたからである。土曜も、ホワイト氏の講演に耳を凝らしたあと、後ろ髪を引かれつつ帰宅した。後日、この日の記録が刊行されるのを待とう。
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サブカル書き散らし

2009-10-22 21:13:08 | 書物の文韜
秋学期は、授業よりもそれ以外の校務の方が忙しい。講義は全学共通の日本史だけで、あとの5つはすべて演習系なので、自分に報告が回ってくるとき以外は多少は暇がある。おかげで春学期より原稿を書ける時間もあるのだが、次から次へと押し寄せる依頼の波を捌き切れていない。そろそろ学位論文も提出しなければならない雰囲気になってきたので(まだ出してないのか!という声が聞こえる。これまで書いたもの、全部収録したら3~4巻本になりますよ)、相当に頑張らねばなるまい。隣では、あと1週間強に迫った〆切を前に、やはり博論のラストスパートに入った(スタートからいきなりラストスパート)モモがいる。さて、この人は大丈夫かな?

全学共通で200人以上を相手にしていると、なかにはサブカルの好きな学生がいて、ゲームやマンガをいろいろ薦めてくれる。先日はNさんという女の子が、ゲーム『大神』についてリアクション・ペーパーいっぱいに語ってくれた(大丈夫ですよ、Nさん。『大神』、ぼくも開発中から注目していました。好きなゲームのひとつです)。PS3はこのところ気に入ったゲームを出してくれていないが、上田文人の新作『人喰いの大鷲トリコ』『アサシン・クリードII』には大いに期待している。松下君、コーエーもうちょっと頑張ってよ(『MULTIRAID SPECIAL』はすぐ飽きてしまった)。やはり『平安無双』を出そう!
ついでに、最近のテレビやマンガについて、ちょっと触れておこう。マンガは、連続して買っているものが立て続けに出ていい気分だが、やはり森薫『乙嫁語り』が気に入った。中央アジアという舞台のチョイスも琴線に触れたし、物語やキャラクターはもちろん、衣裳や絨毯、壁掛け、建物などの細かい描き込みもいい(何の紹介もされないが、調査に入っているらしい文化人類学者が描かれているのも愛らしい)。久しぶりにマンガを描きたい!という気分にもさせてくれる。10代の頃は衣服や背景、小物を描くのが億劫だったが、細かな紋様や柄など、今なら興味を持って描けそうだ(やらないけれど)。単行本の装幀も、カバーから帯から封入の読者アンケート葉書まで、非常に気を遣って丁寧に創られている。やはり幸せな気分になる1冊である。
ドラマは、『不毛地帯』、『アンタッチャブル』、『JIN』、『サラ・コナー・クロニクル』を観ている(大河や『イ・サン』、『LOST』などは引き続き)。どうでもいいが、「不毛」という言葉を聞くと、必ずプレゼミ(学部2年生のとき)で報告を担当した賦役令の土毛条を思い出す。あのとき、「毛」に植物という意味があるのを初めて知った。そう考えると、インディアンが、「農耕なんて、女神の髪の毛を引き抜くようなものだ」というのも分かる(ところで、いま受け持っているゼミ生たちが、20年後に「そういえば…」と思い出してくれる知識なんて与えられているのかなあ)。『東京DOGS』は観忘れた。アニメは、『流星のジェミニ』『空中ブランコ』以外に観るべきものがない感じである(中村健治は相変わらずやりすぎだねえ)。『戦う司書』は第1話のみ観たが、ちょっと興味が続かなかった。あとはドラマでもアニメでもないが、やっぱり『ブラタモリ』かなあ。過去の痕跡を探して東京をぶらぶらするという『タモリ倶楽部』の人気コーナーを、なんと天下のNHKがパクってレギュラー番組にしてしまった仰天企画である。それもかなりお金をかけていて、タイトルデザインやら、かつての町の姿を復原したCGやらいろいろ凝っているのだ。ゲストも地域の専門家から向谷実まで出てきて、『タモリ倶楽部』そのまんまである。そのうち江川達也や堀部圭亮なんぞも出てくるのでは。

そうそう、マンガといえば、ゼミ生のKさんが、「先生が読むかと思って」と最近入手したお宝を持ってきてくれた。「怪盗黄金バット」など、手塚治虫が初期に描いた単行本である(復刻版ではないらしい)。あれ、高いんじゃないのかなー。大切に閲覧させていただきます。
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備忘録

2009-10-21 02:26:58 | 生きる犬韜
ブログの更新を怠っているうちに、あっという間に1週間が過ぎ去ってしまった。
先週は12日(月)に四ッ谷で祖父の法事があり、休日だというのに文科省のお達しに従って授業を終えた後、会食の場の明治記念館へ急行した。久しぶりに従弟妹らの顔をみたが、ドイツで宗門関係の仕事に就いているK君は、なんと、学生時代のガールフレンドと近々結婚するという。どんどん親族が増えてめでたいことである。ところで、モモはワインを何杯も飲み干しつつ、母や叔父たちの祖父、祖母に関する想い出話を聞いては大泣きしていた。シンクロ率の高い女なのだ。

それから16日(金)までは、授業(1年生の有志が集まって自主ゼミも再開)や『上智史学』の編集業務、「歴史学とサブカルチャー」最終回の校正などをこなし、17日(土)は日帰り出張で早朝から京都へ。8:30には京都駅のホームに降り立ち、委員を務めている仏教史学会の大会に出席してきた。しかし、最近は若手の委員もずいぶんいるうえに、会場となった龍谷大学の院生さんたちも大勢手伝ってくれているので、ほとんど仕事らしい仕事がない(むしろ手持ち無沙汰だったりする)。古代史の報告もないので司会も回ってこないし、気がついた範囲で雑用をこなしながら日本史部会の報告を聞いていた。いろいろ問題はあるが、「善鸞義絶事件」を虚偽とする藤井厚氏の報告には刺激を受けた。内容からいっても、もっと活発な議論が行われていれば良かったのだが、どうも報告者は質疑応答が不得手のようだった。午後は「戦後仏教史学の回顧」と銘打ったシンポジウムで、準備を担当された委員や報告者の熱気が伝わってくる内容であったが、「学説史を振り返ってまとめること」に、最近必要以上の関心を持てなくなってきている。これはぼく自身の性分なのかも知れない。
会場には、勉誠出版や法蔵館などの書店が出店していたが、朋友書店のブースで、中文の占夢研究の新刊『夢与道』上下を発見。陶弘景の夢想の問題も扱っているようだったので早速購入した。その後、何人かの知人と意見交換し、京大のT君ともまた顔を合わせたものの、新幹線の時間が近づいていたため総会を中座して帰途に着いた。
新幹線の車内では、『上智史学』の編集後記とエコクリティシズム国際シンポの要旨を脱稿。帰るなり所定のアドレスへ送信したが、先日も書いた後者の「要旨は100文字程度」との規定が、実は「1000文字」の誤記であったと判明。苦労して分量を減らしたものを、逆に10倍近くの分量へリライトすることになった。歓迎すべきところだが、思いっきりシェイプアップした文章を気に入っていたので、今度ばかりは何となく腑に落ちない感じである。さてこのシンポ、内容について現在詰めている最中なのでhpなどは未設置だが、関係する発言が、立教の野田研一氏によって公開されている。関心のある方はこちらをどうぞ(「例えば遅れを指摘されている歴史学分野での環境研究などの活性化にもつながることを願ってやみません」などという、最後の発言が気になるが)。今年は東大の史学会でも環境史のシンポがあるようなので、議論がいろいろ盛り上がりそうだ。それにしても、なぜぼくは歴史学ではなく文学の方へ呼ばれるのだろうか(なんとなく、その方が嬉しいのだけれど)。

※ 写真左は、刊行を待望していた東巴経の卜占関係典籍の研究書。中国の少数民族で卜占を続けているものは幾つかあるのだが、東巴経には卜兆の亀裂が絵文字として描かれている点が注目される。ちゃんと研究せねば。右は、森薫の新作『乙嫁語り』。こういうマンガが読めるのは幸せなことだ。
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実在/非実在

2009-10-11 17:03:03 | ※ モモ観察日記
デアゴスティーニから、『東宝特撮映画DVDコレクション』なるものが刊行され、テレビで盛んに宣伝をしている。ぼくも当然創刊号(『ゴジラ』)を買ったのだが、CMを観ていたモモが、突如衝撃的なことを口走った。
「……恐竜って実在したんだっけ?」
「……え。うん、一応は」
「で、怪獣は実在しないんだっけ?」
「……」
「ゴジラって、恐竜?怪獣?」
あえて回答は避けておいた。
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歴史叙述としての…

2009-10-10 12:40:01 | 生きる犬韜
本格的に授業が始動してきた。学期全体のアウトラインを構想する初回の時間というのは、否応なく「講義も歴史叙述であること」を意識させられる。ぼくは最初から、既存の日本史の枠組みを外すことを念頭に置いているので、その自覚はかなり強い。近年、方法論的には解放されてきているが、歴史学的ディシプリンとの距離は、適切に推し量れるようにしておかなければ…。そういえば今週は、歴史が良くも悪くも「叙述」に過ぎないことを、痛感させられることがままあった。

6日(火)はゼミの希望者を連れて、宮内庁書陵部の特別展示会に行った。今回は考古学関係ということで、文書主体の展示会に比べ中身が薄い気がしたが、陵墓名称等も含め、これが「宮内庁の歴史叙述である」ことをはっきりと意識させられた。近年、歴史学3団体などとの間で陵墓公開に関する打ち合わせが進んでいるが、考古学者・歴史学者の視線と宮内庁の視線とが重なり合うことはあるのか。同庁で研究を担っている人々も、実は学界に所属する仲間であるという事実がある分、ねじれは激しい気がする。
7日(水)は、1限に全学共通「日本史」。今年は動物の日本史を本格的に論じる予定だが、なんと登録者が現時点で209人いる。レポートを読むのが大変そうだ。出だしは亀卜の問題を小ネタにアレンジして話すつもりだったが、どうでもいいNHKドラマの話題に終始してしまった。少々反省している。午後は、史学科で博士後期課程のU君の学位論文公開審査があったので、専門はまったく異なるが参加。1949年を画期に決定的となる中国共産党の覇権を、メディア論の立場から捉え直したもの。興味深く聞いたが、対象の捕まえ方が新しい分、未だ整理の仕方が図式的で、恐らくはその構図を逸脱してゆくであろう具体的分析に乏しい気がした。メディアの発達を通じて中共の意図が「基層社会」に浸透してゆくとするが(「基層社会」という言葉の使用の仕方も問題)、そこで生じる誤解や誤解のもたらす結果こそが、歴史学的にみて面白い題材なのだろう。ただし、講評をした教員のなかに、中共が憲法をもメディアとして機能させたというU君の捉え方について、「憲法は情報そのものだからメディアとはいえない」と批判があったのには首を傾げた。メディアとは媒介の意味だから、現在のメディア論の定義からすれば、あらゆるものがメディアになりうる。それがアプリオリな実体を意味するという議論は旧態依然としすぎている。外部から招聘した先生の見解だったので異は唱えなかったが、後で聞いたところによると、指導教官のB先生は正当に評価をされていたようだ。U君には、説得力のある語り口で新しい叙述を目指してもらいたい。
9日(金)は院ゼミ。『法苑珠林』の輪読を再開する前に、参加者に、夏期休暇中の成果を聞いてもらった。角川学芸出版の『地域学への招待』に寄稿した、アジアにおける死者の捉え方について論じたが、アジア的アニミズムの根幹ともいうべき、祖霊、精霊、鬼神、穢れ等々、あらゆるものの原郷である他界の実相が掴めそうになっている。(とくに歴史学的分野において)方法論的な説得力を持たせるのは難しいが、やはり、ほんの「一瞬」とはいえ納西族の文化に触れる機会を得たせいか、自分なりに確かな手応えは感じている。この日は突然、卒業生のY・N君もやって来て、議論に参加してくれた。彼は博識で中国のことにも詳しいので、会話は大いに盛り上がった。翌日には、九州で奮闘している卒業生のS・N君からも、無事試験に合格し、熊本県の教員として採用されたとの連絡があった。喜ばしい限りである。若者たちの頑張りに期待するばかりだ。

※ 写真は、先月末に訪れた京都・下賀茂社の神宮寺跡。糺の森の参道脇に、ひっそりと、しかし明らかに、何かの建っていた空間が確保されている。雰囲気のある場所である。まったく話は違うが、左は三浦健太郎『ベルセルク』の最新刊。ブリューゲルを思わせる画力に圧倒される。画的にも物語的にも神話の領域に達している。必見である。
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秋学期開始と直前の上洛

2009-10-03 09:52:17 | 生きる犬韜
しばらく更新を怠っている間に、秋学期が始まってしまった。これから3月の「近代学問シンポ」まで死のロードである。3月上旬には、武蔵境への引っ越しも控えており(なんと、私は城持ちになったのだ!おかげで、これから30年は借金生活である)、気が抜けない。
今週はもう端から忙しくて、28日(月)は委員を務めている初年次教育プログラムの文学部教員研修会、29日(火)~1日(木)は、代表を務めているプロジェクトのために10:00~18:00と缶詰になっていた。しかしこの間、森話社刊『日本神話の視界』のためのコラムも3本脱稿したので、とりあえず自分を誉めておこう。それにしても、初年次教育の件に関しては、社会科学系の考え方と人文科学系の考え方との対立が表面化してきたようである。ぼくは兄が社会学者であり、方法論的基盤はそちらの方にあるので違和感はないのだが、このあたりをちゃんと解消しないと先へ進めそうにない。やはり「文学部固有」の枠組みを追究せざるをえないが、それで当初の目的を達成できるか、次の一手を考えなければならない。友人f-maki氏のブログで、大学の現実をめぐる身につまされる意見交換がなされているが、何とかよりよい教育を提供できるよう考えてゆきたい。
2日(金)は院ゼミのガイダンスのため出勤。研究室によく顔をみせる1年生たちとも会うことができ、あらためて新学期の始動を実感した。今年の1年生には、やはり自主ゼミを受け持ったせいか、とくに思い入れがある。元気に登校してきたようで、ほっと一安心である。

さて実は、夏期休暇終了直前の26~27日の土・日、所用があって京都・奈良へ行ってきた。土曜は17日に大会を控えた仏教史学会の委員会と、夜に得度習礼の同窓会があったのだ(学会の委員の皆さんには申し訳ないが、実はこちらが主目的)。もう16年も前の話になるが、会話を交わす度、忘れかけていた記憶が鮮明によみがえってくる。みなさん宗門発展のためにがんばっていらっしゃるようだ。同窓生のなかでは若い方なのだが、それでも「気持ちが若返る」気がした。
翌日は、気になっていた神尾寺検出の馬場南遺跡へ(冒頭の写真)。湿気はないものの陽差しが強く、大いに日焼けしたが、非常に「水の祭祀場」らしい地理的景観を確認することができた。恭仁京とも思ったより近い。現在はランドマーク的印象は希薄だったが、古代はどうだったのだろう。さらなる調査の進展に期待したい。
奈良で、建設中の大極殿、復元された朱雀門もみた。大極殿はドックに収まっているようで、なぜか実物大ガンダムを髣髴とさせた(あるいは、種子島宇宙センター?)。来年のNHK古代史ドラマでは大活躍だろう。しかし、両者の間をあらためて歩いてみると、朝堂院という空間の巨大さが実感できる。古代は何でもとにかくでかい。…ところで、これらに使った木材はどこから採ったのだろう?気になる。
そうそう、帰る直前に立ち寄った近鉄奈良駅前商店街で、衝撃的なおいしさのかき氷を食べた。ぼくはほとんど食に対して関心を示さない人間なのだが、今までにこんなに美味しいかき氷に出会ったことはない。スプーンを口に運ぶ度に、何度も何度も「うまい…」と呟いてしまった。何だろうこの氷のサラサラな食感は。こんな氷どうやって削るんだ。今度また絶対に食べに来よう。中国茶専門店「御茶乃子」さんに大感謝。
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