仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

迷走中

2010-05-22 23:11:56 | 生きる犬韜
倉田実さんの還暦をお祝いする論集が刊行された。充実の内容である。ぼくも「神を〈汝〉と呼ぶこと―神霊交渉論覚書―」という駄文を書いているので、関心のある方はご参照ください。神話や祝詞などに出て来る「汝」という神への呼びかけが、仏教や道教など中国文化との出会いの産物であり、それによっていかに列島における神霊の表象が変質したかを述べたもの。あくまで覚書であり、もう少し史料を渉猟して論証の幅を広げる必要があるな、と考えている。「〈神身離脱〉の内的世界―救済論としての神仏習合―」を載せていただいた『上代文学』の最新号も刊行、昨年度下半期の苦闘がようやく出揃った形だ。粗製濫造というべきか、熟考できていないものもあるので忸怩たる思いが強いが、ご批判・ご叱正を賜りたい。

さて、〆切との戦いは依然続いているが、授業が始まってしまうとほとんど研究に時間を割けなくなるのが情けない。もはや4月末に提出すべきだった原稿が遅れているので、5月末の原稿、6月半ばの原稿の準備にしわ寄せが来ている。すでにシンポなどで発表した内容が基本となっているので、一から書き始める苦しみは味わわずに済んでいるが、逆に未知の領域を手探りで進む学問的昂揚が生じにくく、そのぶん集中力が散漫になっているのかも知れない。この土・日は歴史学研究会の大会なので、本当は情報収集に書店や研究会のブースを覗きまわりたいところだが、自宅に引き籠もって「兵法」と「修行」の論文を書いているありさまである。
講義の方も何かスカッとしない。概説・特講とも些末なことにこだわりすぎ、いまひとつ「気持ちのいい」飛躍ができないでいるのだ。しかし、前者は藤原広嗣の乱の分析、後者は中国トーテム文化の分析が、知的興奮のきっかけになってくれるのではないかという予感がある。ともに来週以降がヤマだろう。
恐らくそういう漠然とした苛立ち、モヤモヤみたいなものが、身体の不調になって現れているのかも知れない。せっかくいただいたご本や論文に耽溺する余裕もなく、うまく返事が書けないこともストレスになっている。そんな後ろ向きなことばかり書いていても仕方ないのだが、そのような迷走の最中ほど、学生との些細な会話に助けられることもある。金曜の特講終了後、プレゼミ生のN君とS君に、マルクスやレヴィ=ストロースの勉強の仕方について質問を受けた。思想的なこと、方法論的なことに関心を持ってくれる学生は久しぶりで、ちょっと嬉しくなった。立ち話だったが、しばらく中沢新一や川田順造の本についても話をした。彼らは、柳田や折口、レヴィ=ストロースなどについて自分なりに読み進めているらしい。「『環境と心性の文化史』の総論は難しいですね」ともいわれた。総論について、史学科の学生から感想をいわれたのは初めてだったので、「難しい」の一言でもありがたかった(あれに挑戦してくれること自体が)。概説・特講にはO君という、種間倫理?に強い感心を示してくれる哲学科の学生も来ており(実際にイヨマンテもみたそうだ)、いつも示唆に富むリアクションをくれる。
19日(水)にあった史学科の教員懇親会では、かつて方法論懇話会で議論した須田努さんとも久々に話ができ、なんとなく気分も盛り上がってきた。まだ整理しきれていない段ボールのなかから、贈与や交換に関わる本を引っ張り出して机の周囲に積み上げ、一方では「負債」の理論的彫琢とトーテムとの関係を見据えながら、一方では兵法論・修行論に取り組む日々が続く。そろそろ、6月後半の「書物文化論」も何を講義するか考えなくては…。
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研究会と急性胃炎

2010-05-13 08:56:42 | 議論の豹韜
ちょっと更新に間が空いてしまった。GWもほとんど休めなかったし、このところ、猛烈に忙しいのである。疲れもかなり溜まっていて解消されない。映画にゆくどころか、このぼくがテレビを観る時間さえなくなっている。それなりに充実はしているが、身心ともにかなりダメージを受けているのかも知れない。
昨日も昼休みから初年次教育の会議(前にも書いたが、このアンケートの集計が大仕事だった。いろんな人に慰労してもらったけれども)、学科長会議(書記)、学科会議と17:00まで会議詰め、休む間もなく自主ゼミがあって、その後22:30まで書類作成と諸連絡。まだ学科長の井上先生は残業されていたが、研究棟もキャンパスも真っ暗になってからの帰宅であった。ようやくここ2年の努力が実り、初年次教育の正規カリキュラム化が実現できそうなので、それは非常によかったのだけれども、いまのところ達成感よりも疲労感の方が大きいようだ。

さて、ここ2週間で、2つの研究会に出た。
1つめはGW中の2日(日)、古代文学会の『古代文学』49号合評会である。自分の論文(「ヒトを引き寄せる〈穴〉」)を掲載していただいているので、礼儀として出席したのだが、やはり論客が集まっていて突っ込みが激しい。なんとなく言い訳に終始してしまったが、その分話を広げることはできなかった。やや反省している。いちばんの問題は、前半の水と宮都との関わり、後半の洞窟聖地の問題がうまく繋がっていないということだろう。とくに、宮都に関わる水には湧水・流水の違いがあるのだから、それを考慮すべきではないかとの意見が大勢だった。それはもちろんそのとおりなのだが、古墳時代の水の祭祀の段階から、流水に関わるものでも水源が意識されているので、宮都も同じだろうというのがぼくの考えなのだ。藤原京も濠や水路が存在し流水に囲まれているが、「御井」の求心力が非常に強い。平城京の各貴族邸宅で、古墳時代の水の祭祀と同じ技術を用いた庭園が作られたり、あれほど流水の豊富な長岡京や平安京において神泉苑のような施設が立ち上がり、都人の心性に重要な位置を占めてゆくのも、流水の先の水源が幻想されているからに違いない。その原像として水の迸る洞窟聖地を出してきたわけだが、どうもそのあたりがうまく論述できていなかったようである。粗製濫造の兆だろうか。自分を戒めたいところである。

2つめは、先週8日(土)の『日本書紀』を考える会。今回は中部大学での開催だったが、平凡社から出版される論集の〆切前の最後の例会だったので、名古屋まで出かけていった。久しぶりに会う先輩の先生方もあり、報告自体も大変勉強になったのだが(とくに、聖徳太子の言説が殺生の正当化のツールとして用いられているという新たな発見があった。諏訪についても、法華系ばかりでなく浄土系がかなり絡んでいる痕跡があるので、これは追究しなくてはならない問題だと感じた。まずは、祢津宗伸さんの『広疑瑞決集』に関する研究を読みなおそう)、実は体調が極めて悪く頭が充分働かなかった。
この日、朝起きたときは何でもなかったのだが、三鷹駅で中央線に飛び乗った直後、3年ぶりに急性胃炎の発作に襲われたのだ。前回は栄共済病院まで救急車で搬送されたが、今回もそのときとまったく同じ。全身の筋肉が胃に集まってくるような感覚で、うまく呼吸ができなくなり、脂汗が出てきて立っていられなくなった。前に座っていた男性が席を替わってくれたのだが、手足の先がしびれ、後頭部や肩が硬直してどうしようもない。今日は研究会は無理かと諦めかけたものの、東京駅に着く頃にはなんとか痛みは治まっていたので、予定どおり名古屋へ向かったのだ。しかし、激しい頭痛と肩凝りは一日中続いていて、夜に東京へ戻った後もほとんど仕事にならなかった。

月曜日までに仕上げねばならない書類があったので、日曜も徹夜で働き週明けとなった。今週ずっと疲れがとれないのは、たぶんまだそのときのインパクトが消えていないのだろう。そんななか、火曜に中澤克昭さんにも加わっていただいてゼミの新歓コンパが開けたこと、1年生の自主ゼミ参加者の一部が「せんと会」という自主勉強会を起ち上げてくれたことは嬉しかった。若者たちの頑張る姿をみていると、こちらもやる気が出てくる。
さ、今日も仕事するか。

※ 下の写真は、最近買った本の一部。桜井義秀『死者の結婚』は垂涎の書。久保田展弘『仏教の身体感覚』は、書名に飛びついたものの、ぼくのベクトルとは微妙に食い違っている。浅い。西田谷洋他『認知物語論キーワード』には、様々な新しい概念を教えてもらった。最近方法論研究から遠ざかっているのだが、理論に関わる知的興奮を感じると疲れもやわらぐ気がする。他に、何星亮氏による中国トーテミズム研究を、幾つか取り寄せて読み始めている。盤瓠がワンコに感じられる今日この頃。
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御柱シンポを終えて

2010-05-02 06:08:18 | 議論の豹韜
ずいぶんと更新が遅れてしまった。毎回毎回愚癡をいっても始まらないのだが、忙しい。毎日が、事務関係の書類の作成と授業の準備だけで過ぎてゆく。毎月〆切のある原稿執筆だけで相当に大変なはずなのだが、それにすら手を着けている余裕がない。目下の中心的な作業は、3月末に急遽作成・実施した「初年次教育文学部共通授業アンケート」の集計。現在準備している文学部共通初年次教育の参考資料とするべきもので、独りで行うのは大変な分量なのだが、身につまされる記述がたくさんあり、一教員として非常に勉強になった。初年次教育が、教員のFD活動と一体であることを明確に示す結果が出ている。きちんとまとめて、「初年次教育なんて、教員を忙しくするだけだ」と逡巡している人々への自覚を促したいものだ。

そういうわけで、原稿執筆は遅々として進まないのだが、先月の半ば頃、6年の長期間にわたって拘り続けた(そして5年間〆切を破り続けた!)論文を脱稿した。祟りの言説史を跡づけるもので、中国史の深層に入り込み殷代から古代日本までを扱うため、やればやるほど整理・分析すべき文献・史料が出てきてしまうという恐ろしい作業だった。これ以上関わっていたら絶対に提出できないと思い、頁数を大幅に削って半ば強引にまとめたのだが、それでも400字詰で140枚くらいにはなった。編者からは「あと2ヶ月で60~70枚にまとめて」といわれているので、他の原稿との重複部分をできるだけカットし、史料掲出も必要な部分だけにして、とにかくシェイプ・アップしてみようと思っている。なおなお、コラム「環境論と神話」「神話とCG表現1・2」を寄稿した『躍動する日本神話』(『日本神話の視界』改め)も刊行された。いつもお世話になっている、猪股ときわさん、斎藤英喜さん、武田比呂男さんらの力編が収められており、一般の日本神話イメージを大きく変える内容となっている。ぜひ手にとっていただきたい。

さてそれでは、話を本題に移そう。先週の4月24・25日(土・日)、諏訪市博物館で御柱祭のシンポジウムが開催された。ぼくもパネリストとして招かれていたが、とにかくその週は忙しくてなかなかレジュメを完成させることができず、前日の23時頃まで研究室にこもってようやく仕上げ、そのまま0時過ぎまでかかって印刷。帰宅してから朝まで徹夜で丁合・ステイプル作業を行い、出来上がった5枚200部のプリントを抱えてあずさに飛び乗ることとなった。立川から上諏訪まで2時間程度あったので、車内で報告内容を整理・反芻する時間はあったが、諏訪は郷土史に極めて詳しい一般の方が多いので、「果たしてまともな話ができるか」と不安は強かった。しかし一方で、樹木史に関するシンポジウムは滅多に開催されることがないため、自分自身「面白そうだ」という期待も大きかった。
蓋を開けてみると、長野県の各新聞でも報道されたとおり、シンポは2日間でのべ400人を動員する大盛況となった。ぼくはパネリストのなかではトップバッターであったが、プロローグとして行われた亀割館長の御柱祭概説における「御柱祭と縄文の柱立てを安易に結びつけてはならない」という冷静な提言に勇気をもらい、1月のエコクリシンポ以降拘っている「負債」の問題、御柱祭と動物の送り祭儀とが基本的に同じ構造を有していて、諏訪地方に動植物を区別しないアニミズム的世界観が息づいていた痕跡を見出せること、御柱祭には樹霊を建築物の守護神へ転換する木鎮めと、山の精霊の世界へ送り返す樹霊送りの双方の特徴が認められること、薙鎌は供犠の思想を背景に持ちつつ中臣祭文からの連想で使用されるようになった可能性が高いこと、などを指摘した。意外にも会場やパネリストの反応は上々で、何とか職責を果たせたかと胸を撫で下ろした次第である。
その後、シンポは錚々たる面々による報告が続き、ぼく自身たくさん知的なお土産をいただくことができた。総体的に浮かび上がってきたのは、やはり御柱祭がアジアに広がる柱立て神事に直結する内容であるということ、木曳きに代表される祭礼の荒々しさの深層には供犠が潜んでいること、伐採を契機に生じる負債は究極的には自分たちの命をもって贖うしかないことなどである。張正軍氏による首狩り習俗の紹介、北村皆雄氏による贄柱の紹介は、まさに負債の返却=供犠が柱の本質にあることを思い起こさせたし、工藤隆氏・岡部隆志氏・原直正氏による樹木のメタモルフォーゼ論は、「人間は樹木をいかなる存在として捉えているのか」という根本的な問題を提起していた。御柱祭をずっと研究しておられた近藤信義氏のご報告からは、多くの階層が結集して行う祭礼が、その階層ごとに異なる意味づけをされている点があぶり出された。シンポの最後にまとめのコメントを求められたときには狼狽してしまったが、この成果を「樹木の生命」を基本に据えて位置付け直してゆくのがぼくの役割だろう。
また会場には、三浦佑之さん、大山誠一さん、佐藤弘夫さんらも駆け付けてくださっていた。三浦さんからはとかく道徳的・倫理的方向へ流れがちなぼくの議論に「牽制」をいただいたし、大山さんとはホテルが一緒だったせいもあり、祭祀や環境の問題についていろいろ意見を交換することができた。またパネリストの方々をはじめ、こうしたシンポでなければお会いすることのできないような人類学、民俗学の研究者の方々と知り合えたのは非常に嬉しいことだった。
シンポの成果はいずれ『アジア民族文化研究』にまとまるはずだが(1月〆切。また月刊北條が延長されました)、とにかく気合いを入れて取り組まねばなるまい。

※ 上の写真はシンポジウムに参加された皆さん、下の写真は上社の一の柱の"跡"。御柱祭の間だけしか、この風景は拝むことができない。
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