仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

恐山をめぐって考えたこと:2014年度ゼミ旅行から

2014-09-10 12:47:17 | 生きる犬韜
先週の3~5日、幾つかの仕事を抱えながらではあったが、ゼミ生たちに引率され、毎年恒例のゼミ研修旅行へ行ってきた。今年度の目的地は青森県、具体的には、三内丸山遺跡と恐山の周辺である。久しぶりにお会いする美術系キュレーター、飯田高誉さんのお話を伺うのも大事な予定であった。詳しいことは追々書いてゆくことにして、まずは、2日目に訪問した恐山の印象についてまとめておくことにしよう。

毎年ゼミ旅行に行くと、直前まで携わっていた研究が妙にピッタリと訪問地にはまりこみ、歩きながら頭をフル回転、新鮮な思考体験のできることが多いのだが、今年もまさにそうだった(それゆえ、いつも「引率する」のではなく「引率される」のである)。
宗教や民俗に絡む研究をしていながら、恥ずかしいことに、これまで恐山については、いわゆる一般的な霊山信仰のイメージ、イタコの口寄せ、地獄信仰の印象しか持っていなかった。しかし、学生の報告を聞きつつ田名部周辺の観音霊場を散策し、過疎化の進む港町の情況をみているうち、恐山の原像というべきか、その地獄信仰の別の面がみえてきたのである。観音が水難救助の効験を持つことは『法華経』観世音菩薩普門品に明らかだが、田名部の観音霊場も、大部分は海上交通の安全と漁業の守護を願うものだった。しかし、成城大学民俗学研究所の共同研究で調べていた四川省の磨崖仏群によれば、同地では地蔵・観音並列形式の造像が多く行われ、地蔵にも治水や水上交通の守護が期待されていたらしい。もちろん、中国の一地方の事例を安易に列島文化へ敷衍することはできないが、列島でも地蔵が治水の機能を持ったらしいことは、近年の黒田智氏による勝軍地蔵の研究でも明らかにされつつある。地蔵信仰の所依経典『地蔵十輪経』にも、水難救護に関する霊験は記されている。弥勒の到来までの衆生救済を担う現世利益の権化にとって、地域の事情に応じて水域の守護神となることなど容易なメタモルフォーゼだったのかもしれない。とすると、海難救護の観音信仰が取り巻く恐山の地蔵信仰も、本来は海上交通や漁業の守護という性格を強く持っていたように思われる。
ではなぜ、それが地獄信仰へと変わっていったのか。まずは地蔵信仰全体の枠組みが、地獄救護へと大きく転換することが一因だろう。四川でも12世紀以降、地蔵は地獄との関わりのなかで把握されてゆくし、列島でも『十王経』の普及や『延命地蔵菩薩経』の成立のなかで、賽の河原のイメージとともに地蔵/地獄の結びつきが強まる。田名部周辺では、例えば青森の善知鳥神社に象徴されるように、漁業文化との関わりにおいて殺生罪業観が高まり、本来漁業守護の役割を担っていた地蔵が、その漁業によって罪業を背負ってしまう人々を救済する存在へ転化していったものと考えられる。そこへ、苛酷な環境により死を余儀なくされた人々への哀悼の念、サバイバーズ・ギルトの心性などが収斂してゆき、現在の恐山信仰を構築していったのではなかろうか。
そう推測してゆくと恐山の形成には、長年にわたる中央の〈東北植民地化〉が、間接・直接に作用していることになる。恐山を参詣する我々は、そこに広がる〈地獄〉の風景が、自らの無自覚の罪業によって現出しているのだということを、強く肝に銘じておかなければならない。観音の霊場に重なるように分布している斗南藩(再興会津藩)の痕跡、ほとんど人通りのない飲み屋街を歩きながら、その植民地化が現在も進行中であることを痛感せずにはいられなかった。

左の写真は、恐山菩提寺をとりまく、カルデラの宇曽利(山)湖である。ものすごく美しいのだが、これは生命活動の乏しさから来る美しさだ。湖底から流出する硫化水素のために、棲息魚類はウグイ一種のみ。多少のプランクトンや水生昆虫も住むが、水中をじっと覗き込んでいても何ひとつ動くものを確認できない。
以前誰かと話をした記憶があるのだが、人間は、あらゆるものが死に絶えた世界でさえも美しいと思える生き物である。人間の美的価値観と、生物多様性とは一致しない。フロイトなら死の欲動論によって説明するかもしれないが、このあたりのことも、環境文化史・心性史において議論せねばならない問題のひとつだろう。
いうまでもなく、古今東西の歴史・文化において、水と神霊とは密接に結びつくことが多い。六朝の洪水終末論には、死者の霊が疫病や洪水をもたらすとの議論があり、これは仏教・道教の言説を通じて日本へももたらされているが、日本における神社の淵源のひとつをなす古墳時代の水の祭祀には、このような考え方が影響を与えているかもしれない。先にポストした地蔵と水との関係は、死者と水との関係とも複雑に絡み合っている。
宇曽利湖の白砂なす湖畔には幾つかの供花がみられたが、誰かこの穏やかな湖水の向こうに、大事なひとの面影を幻視していたのだろうか。

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なおなお、恒例(!)のゼミ旅行怪奇現象は、どうやら今年も確認できた。遅れて合流した院生のSさんが宿泊を余儀なくされた某ホテル。むつ中のホテルが満室のなかたったひとつ空いていた「暗い」部屋で、Sさんは明け方までイヤな雰囲気に悩まされ続け、一睡もできなかったらしい。だからというわけではないが、ぼくは恐山境内を参詣中、繰り返しゼミ生の人数が曖昧になる感覚に襲われた。「あれ、これで全員だっけ。もうひとり誰かがいなかったかな…」という印象が、何度も何度も去来したのである。安易な物語で整理しようとは思わないので、まあ、あくまで事実の報告として書き留めておく。
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謹賀新年、2014

2014-01-02 19:35:08 | 生きる犬韜
皆さん、あらためまして、新年おめでとうございます。以前は、年に一度賀状を描くときだけPainterとタブレットを駆使し、PC画家を気取っておりましたが、最近は年末にそうした余裕がなく、Illustratorで簡単なテンプレートを作成し、色調やフォントなどを微調整するだけの方式へ切り替えました。中央の写真だけは、毎年秋田の義父が届けてくれる郷土玩具、十二支の動物を象った中山人形を使用しています。今年は馬ですが、「お姫様」な印象ですね。昨年度提出された卒業論文に、列島文化における馬の表象をジェンダー史的に分析したものがあり、馬を男性として描くものが圧倒的に多いことを指摘していましたが(恐らく、長期にわたって王権の象徴であったり、軍事に使用されてきた影響でしょう)、これは特別なようです。

本年度はサバティカルをいただきましたが、器が小さいせいかご依頼いただいた仕事に対応するのが精一杯で、所期の目的であった単行本刊行の作業は思うように進捗しませんでした(残すところ3ヶ月で何とかしたいところです)。それでも研究の内容面では種々の展開があり、1)瘧を鎮圧する呪符の成立を追った医学史、2)宇治川の洪水を中心にした平安貴族の危険感受性に関する分析、3)四ッ谷鮫ヶ橋の洪水をめぐる災害文化史、4)里山史の概説(未刊)、5)出雲鰐淵寺「浮浪山伝説」の成立をめぐる環東シナ海交流史、6)災害における宗教者の役割(シンポジウムにおける報告・質疑応答のテープ起こし)のほか、幾つかの書評・事典項目を執筆しました。各種シンポジウム・講演会では、1)列島における動植物の喪葬史(〈送り〉の文化史)、2)東アジアにおける洪水伝承の成立と展開、3)六朝期中国江南における神仏習合言説の成立、といった報告を行いました。いずれも長いものになりましたが、本年度中には文章化の予定です。また、やはりあまり進捗しない作業として、院ゼミで輪読している『法苑珠林』のウェブ公開がありますが、関連して江南のシャーマニズム/女性史を読み解く作業も始めており、他の研究とも関連して面白い成果が出てきています。とにかく、今年は「東アジアの歴史叙述」に関する懸案の単行本を出すことを中心に、各種の作業を進めてゆきたいと思っています。

暮れから体調を崩して微熱のある状態が続いていますが(症状は何となくインフルエンザ的。高熱を無理矢理押さえつけているような感覚で、かえってすっきりしません)、正月休みのうちに幾つか原稿を脱稿し、新たな年のスタートを切りたいところです。今後ともよろしくご教導のほどお願い申し上げます。
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さて。

2013-04-14 10:05:40 | 生きる犬韜
ものすごく、久しぶりの投稿である。読者の皆さんのなかには、もはやぼくの存在を忘れかけていたひともいるだろう。申し訳のないことである。ひとまず、この冬のことについて簡単に記しておくことにしよう。詳細はまた、いずれ。今年は、昨年度や一昨年度より、実のある内容を頻繁に更新できる予定である。なぜか、というと、この2年携わっていた「役職」を、3月いっぱいで無事退任することができたからだ(関係の皆さんには、言語に尽くせないくらい本当にお世話になった。このこともまた、いずれ書くことにしよう)。そして今年度は、待望のサバティカル。これまでできなかったことを、しっかりと進めてゆかなければ。

…と固く決心したのはいいが、4月に入ってはや半月近く、新たな研究を進めてゆく態勢はまったく整っていない。原因のひとつは、大学教員にとって最繁忙期である1~2月に新たな委員やワーキンググループ的なものを幾つか引き受け、役職の最終業務や引き継ぎ作業のなかで手を焼いたこと。そしてもうひとつは、同時期に複数の原稿の〆切が重複してしまったことである。とくに後者は、今までどこにも報告したことのない新ネタを一から築きあげる作業だったので、新鮮な驚きに満ちていた反面ずいぶん骨が折れた。投下した資本も相当なもので(つまりその分野に関する研究文献や史資料がほとんど手許になかった)、また例のごとく〆切を大幅に超過したため関係各方面に迷惑をかけ、自分自身も精神的にきつい時間が続いた。刊行されたらまた紹介したいと思うが、書いていたのは以下のようなものである。

1)「あるささやかな〈水災〉の痕跡:四ッ谷鮫ヶ橋とせきとめ稲荷をめぐって」
母の実家がある四ッ谷鮫ヶ橋は、かつて、東京最大のスラム街のひとつだった。それがもともとどのような景観の場所で、そこに生活する人々がどのような心性・感性を抱いていたのか。数年前から学生たちを連れて何度か訪れ、周辺のお寺さんにも話を伺っていたのだが、今回本格的に史資料を集めて考えてみたわけである。使用したのは、幕府の記録類から近世文人の随筆・地誌、切絵図、明治期のルポルタージュや文学等々。これまで知らなかった多くの事実が分かり、昨年秋から追いかけてきた医書・病気史の問題、動物史との関連も出てきて、想像だにしながった展望が開けてきた。校正が遅れて顰蹙を買っているのだけれども、乞ご期待といえよう。
2)「野生の論理/治病の論理:〈瘧〉治療の一呪符から」
昨秋に出た「歴史叙述としての医書」の続篇。平城京二条大路から出土した〈唐鬼〉祓除の呪符が孫思邈『千金翼方』に依拠したものだとする通説を、葛洪『肘後備急方』から陸修静・杜庭光『太上洞玄素霊真符』まで多数の事例を挙げて否定。瘧鬼を喰らう天敵を掲げて退散させるという禁呪の形式を遡り、道士たちが山林修行のなかでさまざまな生態的知識を獲得、治病の薬方や呪術を構築していった現場について考えた。この作業を通じて、初めて道教史に自分なりの展望が持て、漢籍の山に耽溺して大きな充実感を味わった。また、『抱朴子』の重要性を再認識し、医書についてさらに追究してゆく必要性を痛感したほか、『源氏物語』若紫巻の一場面に対し、これまでとはまったく異なるアプローチを提示することもできた。
3)「〈荒ましき〉川音:平安貴族における危険感受性の一面」
『源氏物語』宇治十帖には宇治川の水音に関する描写が目立つが、そのほぼすべてが、不安や恐怖を掻き立てるような否定的な表現となっている。それは一体なぜなのか。誰もが「洪水多発地帯」と認識していながら、意外にも史資料が少ない宇治川の水害の具体相を復原し、併せて史書や古記録における平安京の洪水記事を渉猟して、平安貴族たちの危険感受性のありようを追究した。「伊勢・熊野への道」以来久しぶりに古記録と向き合い、文体に至るまである程度丁寧にみたが、古代において災害を伝える語彙・表現の形式性、画一性をあらためて実感した。これでは、社会に蓄積される災害情報は、極めて乏しいものになる。しかし、例えば「大同元年の洪水は…」「永祚元年の大水は…」などと過去の事例が引き合いに出されることからすると、災害の記録・記憶は、口承はもちろん、後世には残らなかった何らかの形で共有されてはいたのだ。「残っていない」ことから明らかになる「実在」もある。

1・3は現在校正中だが、未だ昨年度からの負債の原稿が数編あり、単行本の執筆に全力を傾注するのはそれからになりそうだ。あとは…考えてみたら、書いておかねばならないことは意外とたくさんある。しかし、しばらくアップを怠っていたせいかうまく整理できないので、とりあえず箇条書きにして、冒頭に述べたとおり追々まとめてゆくことにしよう。
・3月1~2日、奥三河の民俗行事花祭りを夜明かしして見学。
・3月7~10日、東北学院大学にて文化財レスキューに参加、遠野にて次年度調査の準備。
・3月17日、環境/文化研究会春季例会。
・3月下旬、ゼミの追いコン・卒業式・院生慰労会その他。
・4月1日、入学式。
・4月2~4日、10回目の結婚記念日を祝って、妻と天橋立・亀岡・京都を旅行。3日には斎藤英喜さん、師茂樹さんと久しぶりにあって深夜2:00頃まで語らい、4日は6月に行う龍谷教学会議の大会シンポ「宗教者の役割:災害の苦悩と宗教」に関する打ち合わせ。
・4月13日、上智史学会の新入生歓迎講演会のため出勤。ついでに映画『舟を編む』を観て帰宅。
なお、サバティカルとはいえ、ゼミを放ってもおけないので、プレゼミはきちんと週1回、ゼミは集中講義あるいは合宿形式で後日まとめて、院ゼミは月1回の研究会形式で行うことにした。シンポや講演会も4つほど予定があり、8月には世話人を務める宗教史懇話会サマーセミナーもあるので、実は、けっこう忙しかったりするのである。
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オシラサマをめぐるシンクロニシティ

2012-12-23 19:31:18 | 生きる犬韜
ここ数年、自分の研究の方向性を、依頼原稿によって左右されることが多い。もちろん、依頼されるテーマ自体がぼくの研究に沿ってはいるため、地殻変動のような事態が起きることは稀である。しかし、1年のうちの本当に限られた研究時間をそちらに割かざるをえなくなるので、ふだん考えていることの内容は、ずいぶん影響を受けることになる。例えば、2009~2010年は、エコクリティシズムの国際シンポの関係で異類婚姻譚の歴史を追いかけていたが、2011~2012年は、やはり震災の関係で災害史的内容のものが多かった。そういう情況が息苦しかったこともあり、今年の後半は、医書を通じた環境文化史の方へ無理矢理にシフトした。ふつう論文を書くと、分かったことよりも分からないことの方が多くなるもので、それによって次の研究対象が定まってゆくのだが、上のような次第で、このところ「やりっぱなし」にしたテーマが山積しつつある。
年末になると、ゆく年を思ってか、そうした反省の念、後ろめたさが強くなる。そうしたところへ、最近、ちょっとしたシンクロニシティが発生した。先週の日曜、ぐうぜん点けたテレビで「ふるさと再生 日本の昔ばなし」(テレビ東京)なるものを放映していたのだが、そのタイトルがちょうど「おしらさま」。馬娘婚姻譚は、数年前短期集中的に取り組み、古事記学会に呼んでいただいたときにも言及したのだが、気にしつつもそのまま放置していたテーマである。来年度は東北学院にお世話になることだし、在外研究のテーマ「遠野をめぐる東アジアの知的ネットワーク」も、オシラサマが中心になりそうだとの予感を抱いた。そこへまた数日前、通勤の直前に点けたテレビに映し出されたのが、『リトル・チャロ~東北編~』(NHK)。やはりオシラサマがモチーフになっていた。
シンクロニシティは偶然の積み重なりが何らかの自覚を生むものだろうが、量子論的にみれば、度重なる現象自体が主観に基づくものということになる。どうやら、がんばらねばならないらしい。
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師走になってしまった…

2012-12-03 12:46:57 | 生きる犬韜
あっという間に、12月である。毎年のことだが、するべきことが何もできていないなあと焦りが募る。今年は、秋にシンポジウムを引き受けていなかった分、時間があったのではないかと思うのだが、気がつけば翌日の準備をするだけでどんどん月が過ぎてしまっている。丹念にブログをチェックしていただいている方もあるようなので、最繁忙期(卒論8本、修論1本、200本を超えるレポートが待っている!)へ向けて気持ちをリセットするためにも、夏から数ヶ月の動きを概観しておこう。

実は6~7月にかけては、ずっと胃の調子が悪く、最悪の事態を疑っていた。我が家の血統は、父方にも母方にも癌で亡くなった人があり、父もこのところ毎年のように胃の部分切除を行っている。ぼく自身も胃痛持ちで、胃痙攣を起こして救急車で運ばれたこともあるほどだ。もし胃癌で症状が進んでいるとしたら、今後何を優先して何を切り捨てるべきか、妻のことはどうするか…等々。半ば真剣に、半ば冗談めかして、いろいろと考えをめぐらせていた。かかりつけの医院でも検査の必要があるというので、8月下旬、別の病院へ紹介状を書いてもらって内視鏡検査を受けた。結果は「問題なし」。拍子抜けすると同時にひとまず安心したが、自分も常に「終わり」を意識しておかなければならない年齢になったのだと、あらためて実感した。
とはいえ、さまざまな仕事を引き受けながら、それを迅速にこなしてゆく能力はなく、かといって切り捨ててゆく勇気も傲慢さも持ち合わせていない。なるべく誠実にこなしてゆこうと心がけるが、その分作業は停滞し、別の作業へも波状的に広がってゆく始末。9月以降は、懸案の災害危険度調査報告書を提出したほか、学内学会誌『上智史学』の昨年度大会シンポジウム開催報告、勉誠出版の『アジア遊学』の原稿を脱稿した以外、なかなか研究面では仕事を進められないでいる。学内共同のネットワーク研究しかり、『法苑珠林』訳注稿しかり、来年度在外研究の準備もまたしかり。依頼原稿の書評、『源氏物語と災害』、『近代学問の成立』、学科で刊行する歴史研究入門書『歴史家の窓辺』も進捗していない。来年度は来年度で、2・3・4月と雑誌論文などの〆切があり、現行の作業を遅延させると大変なことになる。毎年同じような事態を招き、その度に来年こそはと思うのだが、本当に成長しないどころか、退化する一方である。それでも何とか、各個撃破を果たしてゆかねばなるまい。書く内容がある程度固まっている『近代学問』と『窓辺』はまあよいとして(うーむ、前者はシンポにて報告済みとはいえ、やはり手直しが必要か…)、いちばんの問題は『源氏』である。時間を作って先行研究を集め、『源氏物語』を一から読みなおしているのだが、なかなかこれはというネタがみつからない。災害関連記事は須磨・明石に集中して現れるのだが、それをあえて外して、あるいは扱うにしてもかなりの変化球にしなければならない理由がある。少なくとも年内には脱稿したいが、頭が痛い。

校務に関しては停滞させられないので、調整して何とかこなしている情況である。今年で任期を終える学生センター長補佐の仕事は、一昨年までの流れをかなり改革したので、引き継ぎのための資料をしっかり作成しておかねばならない。ここへ来て、関連委員会の規程等々、網羅的に再検討したうえで改正の手続きをすべきものも出てきた。最後まで気が抜けない。しかし、任期中に全学規模の防災訓練を実現できなかったのは痛恨の極みである。四谷キャンパスのバリアフリー化と厳密な防災計画の策定、防災訓練の実施を何とかできない限り、100周年も何もこないというのが個人的な意見だ。これはしっかりと引き継いで、関係する人たちに動き続けてほしいと思っている(もちろん、ぼく自身も訴え続けるつもりである)。
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国会大包囲

2012-07-31 13:10:32 | 生きる犬韜
29日(日)は、最近体調の悪いぼくには応える猛暑だったが、かねてから決めていたとおり、脱原発の集会・デモ・国会包囲行動へと足を運んだ。15:00過ぎに日比谷公園に到着すると、集会の行われる図書館前には、もはや多種多様な市民団体のノボリが立っている。全学連や革マル派など、一見して運動家と分かる御仁もいるが、70~80歳と思われるお年寄りから10歳前後の子供たちまで、まさにフツーの老若男女が、個人や2~3人の小集団で参加しているのを、非常に印象深く感じた。
山本太郎氏や落合恵子氏の熱のこもった演説のあと、大集団はデモ行進のため順々に車道へ。しかし、警察がその動きを規制しているので、なかなかスムーズに出てゆくことができない。16:00にデモがスタートしたのだが、ぼくは公園の門を出るまでに90分かかった。その間炎天下に立ちっぱなしだったので、脱落する人もちらほら。威勢のいい全共闘世代は警察に食ってかかっていたが、交通量も多い日比谷・新橋周辺だから、まあこれは仕方がないだろう。東電本社前や経済産業省(資源エネルギー庁)前を通りながらのシュプレヒコール。もともと人と同じことをするのが好きではないので、自分の納得できない呼びかけには応じず、口にするのはもっぱら「原発やめろ」「再稼働撤回」のみ(「フクシマは怒ってるぞ!」「被爆者(被曝者)は怒ってるぞ!」といった言葉には、代弁不可能性の問題から一切呼応せず)。しかし、イルコモンズの関係者なのかな、ぼくの紛れ込んでいた集団に11歳くらいの少年がいて、途中シュプレヒコールの音頭を取っていたのが、そのオリジナリティが微笑ましく可愛らしかった。「お魚食べたい」「お魚返せ」「野菜も食べたい」「野菜を返せ」「食べ物の恨みは恐ろしいぞ!」といった一連の流れや、「放射能がいっぱいになると、生き物は地球に住めなくなっちゃうんだぞ、知らないのかー!」「地球以外に、人間の住める場所を知っているなら、教えてみろー!」「国際宇宙ステーションは住めるかもしれないけど、小さすぎるんだぞー!」などなど、単発のシャウトもあった(最終的にはエスカレートして、「子供を殺すな」「人を殺すな」「植物殺すな」「動物殺すな」「いのちを殺すな」まで来たときは、うーん、君は何を食べて生きているのかな、と首を傾げてしまったのだけれど)。

さて、40分ほどかけて日比谷公園に戻ってきたあとは、三々五々に国会議事堂へ。国会包囲にはモモや次兄夫婦も参加することになっていたので、合流できるよう電話で連絡を取ったのだが、周辺にはすでに警察の規制が入っていて自由に動くことができない。モモたちは首相官邸前に足止めされているというのでそちらへ移動しようとしたが、結局、包囲の最前線である議事堂正門前へやって来てしまった(次兄は、道路の幅と参加者1人の占める面積などから、冷静に全参加者数を計算していたらしい)。横断歩道を含め車道はすべて封鎖されてしまっているので、群衆は狭い歩道に閉じ込められ、正門正面に「ふきだまって」身動きが取れない。暑苦しさや息苦しさのために周囲は騒然とし、シュプレヒコールを繰り返すうちに、車道を封鎖している警官との小競り合いも始まった。そして19:20~25頃、一部の若者が封鎖を破ったのを契機に、正門前の車道へ群衆が雪崩れ込み、まさに「大包囲」の様相を呈した。しかし、一様に明るい顔で脱原発を叫んでいるのは、ヘルメットにタオルで顔を隠した過激派の運動家ではない。ちょっと散歩に出てきたような身なりの一般市民だ。友達どうしの女子大生もいれば、カップル、親子連れや老夫婦もいる。これはなかなかに面白い。先頭の方には各市民団体ののぼりが挙がっていたが、なかには「津田塾大学学生自治会」というのもあり、けっこう勇ましかった。
デモ終了の予定時刻である20:00近くになって、後方から警官隊の介入が始まったので、そろそろ潮時かとお濠の方へ出てきたが、主催者の「終了」の声と同時に、比較的速やかに包囲は解かれたようだ。行儀のよいことである。反安保闘争や成田闘争を境に、行政による一般社会と「運動」との分断が進み、ここ数十年の間は、「デモをする人は特殊な人」といったイメージが政治的に構築されてしまっていた。何でも政府のいうとおり、唯々諾々と従う(あるいは無関心を貫く)市民の姿は、国際的にみても極めて歪といえる。今回の脱原発運動は、そうした情況を払拭するよい機会となるに違いない。気に入らないことには、はっきりと文句をいわなければならない。

しかし、日本のデモ行動が、未だ充分熟成されていないのも確かだ。まずマナーが悪い。フラストレーションのはけ口を警官への罵詈雑言に求めたり、集団の力を笠に着て自分を大きくみせようとする人、声を挙げる自分に酔っているアジテーターなども散見されて、気持ちが萎える。国家対市民という二項対立ができあがってしまっていて、今まで原発による電気を湯水のように使ってきた自分たちへの反省は微塵も感じられず、そういう意味では、ぼくのような人間には極めて居心地の悪いところもあった。革命論的歴史観には否定的なので、「紫陽花革命」というスローガンも好きじゃない。内閣や東電を敵と定めている限りは、その目的が果たされなかったとき、「何をしても変わらない」という無気力状態に逆戻りしてしまう恐れもある。内閣は倒れなくても、変化はすでに、確実に起きているのだ。デモが日常化し、そこで様々な境遇の人々が出会い、交流することで、新しい何かが開けてゆく、そうした社会の形の到来を切に願うばかりである。
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梅雨入り

2012-06-11 20:29:05 | 生きる犬韜
関東地方も梅雨に入り、気温は低いが湿度の高い陽気が続いている。エレベーターで他の先生方と一緒になると、まずは「疲れが溜まりますねえ」という会話。実際、このところ、肩から首にかけての猛烈な肩凝りと偏頭痛に悩まされている。まあ、慢性的な運動不足のせいもあるのだが、ひょっとすると老眼が始まったのかな?という疑問も。今のところものがみえにくいということはないのだが、無意識に調整しているせいで、この症状が出ているのかも知れない。

さて、歴史学研究会大会、上南戦の終了後はこれといったイベントもなく、ただひたすら日常業務をこなす日々が続いている(とくにホフマンホールの各小会議室に課外活動団体を割り当てる「調整」作業は、委員の学生たちやセンターの職員さんたちがフル活動で当たり、毎週毎週会議を重ねている。忙しいのは、ぼくよりも彼らの方なわけだが)。上南戦は、教え子たちの決定的瞬間を尽く見逃すという失態を重ね、上智自体はほぼダブルスコアで勝利を収めたものの、個人的には昨年よりも盛り上がりに欠ける結果となった。気持ちを切り替え、目下の課題は、6月の教授会までに懸案の「7号館文学部フロア災害危険度調査報告書」を完成させ、7月1日に迫った印度学仏教学会大会パネル報告の準備を終えること(〆切を過ぎた原稿も幾つかあるが、やむをえず後回しといった状態である)。しかし、この作業ができるのは授業準備と校務の合間ということになるので、思った以上に進捗しない。「報告書」の方は、ひとりで補足的な調査を行いつつ、ようやく最終局面にかかっている。「報告準備」はまだまだこれからで、知識を補完しつつ新たな資料・文献を集めている段階である。困ったものだ。

そのほかで頭を占めているのは、「教職員協働イノベーション研究」として進めている、四ッ谷キャンパス・バリアフリー施設の調査であろうか。あらためて念入りにチェックしてみると、なんとまあ意識の低いことかと呆れるほどの状態だ。点字ブロックは申し訳程度にしか設置されていない(剥がれていてもそのまま)、手すりもスロープも少ない、最新の建物である2号館はエントランス周辺に死角が多く危険に満ちている…。100周年記念事業云々と募金を叫ぶ当局の方々とは、やはり価値観が違うのだと考えざるをえない。施設の不備は、学生・教職員の意識を高めることで補ってゆかねばならないが、メイン・ストリートを闊歩する学生たちをみていると、課題の多さに頭を抱えてしまう。折しも学生センターには、視覚障害の学生の歩行を(無自覚ながらも)妨害するような行為があった、との苦情が届けられていた。「全学共通のプログラムでも計画してゆかないとなあ」と考えていたら、昨年の東北ゼミ旅行での一場面が、ふと脳裏に蘇った。仙台駅の乗換用高架だったか、ホームから昇ってきた視覚障害の男性を、うちのゼミ生たちが極めて自然に気遣い、誘導する姿をみて清々しい気分になったことがあった。そういった配慮を普通にできる学生たちも、きっといるはずである。学生たちを信頼して、何とか手立てを講じてゆきたい。
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新学期の喧噪も一段落

2012-04-26 21:25:12 | 生きる犬韜
春休みもないまま新学期に突入し、あれよあれよという間に、ようやくGWとなった。正直、一息つけてほっとしているところである。とくにこの1週間は疲労が蓄積し、非常にケアレスミスが多くなっていた。会議の時間は間違える、授業の何でもないところで誤った内容を喋る、持っていかねばならないものを忘れる…。来週までしっかり休養を取り、そのあとノン・ストップとなる死のロードに備えよう。いただいた抜刷やご著書の礼状も書かねば。

さて、相変わらずの更新度数の低さを保ちつつ、2~3月の情報も補足しながらこのブログを運営しているわけだが、新学期に入って以降の特筆すべきことといえば、まずはオリエンテーション・キャンプの実施だろうか。上智の初年次教育を代表する恒例の行事で、各学部学科が箱根や八ヶ岳等のホテル、宿舎に泊まり込み、履修ガイダンスやレクリエーションを通じ学生どうし、学生/教員の親睦を深める。主役はとうぜん新入生なのだが、個人的には、同キャンプ各種行事の実質的担い手であるヘルパー(学科の上級生で、新入生の世話役)こそが、真の主役であろうと考えている。新入生の顔をみるのも楽しみだが、毎年ぼくは、ヘルパーの活躍ぶりからその成長を実感できることが嬉しくてならない。昨年度は東日本大震災の影響でオリキャンが中止になったため、今年のヘルパーには、ヘルパーとしてオリキャンに参加した経験がない。おまけに、定員増により新入生の数が増えている。不確定要素が大変多くなっていたのだが、ヘルパー長のSさんはじめ非常に責任をもって事に当たってくれたので、ぼくの関わってきた2007年以降のうち最良のオリキャンになっていたのではないかと思う。ヘルパーたちに感謝したい。

しかしこのオリキャン、もう何十年も同じ施設を利用しているのだが、そろそろ一度再検討をするべきかも知れない。施設自体大変に老朽化してきているし、緊急時の対応も充分ではない気がする。建て増しを重ねた末の複雑な構造や、周囲が崖で逃げ場が少ないことなど、大規模災害時を想定するとマイナス面が強い。大学の予算の問題、施設との関連の問題もあるだろうが、一応意見を提出しておいた。理想をいえば、学科ごとにその特性を活かしたキャンプを企画・運営するのが望ましいだろう。他大学では、さいきんだんだんと実施されてきている。上智でも一時期そういう話が出たのだが、けっきょく教員の負担が高くなるということで沙汰止みになってしまった。学生センターである程度のマニュアルを作り、また制度を整えながら、行き先も含めて学科の自由度を高める段階へシフトしてゆく必要があろう。各学科もオリキャンの意義と重要性を真剣に議論しながら、責任をもってオリジナルの形式を企画・運営してゆくべきだ。もし史学科でやるなら、最初の数年間はぼくが担当委員を務めてもよい。

ところで、プレゼミやゼミ、院ゼミも問題なく始動した。プレゼミの2年生は忌憚なく発言してくれる学生ばかりなので、1年間楽しく運営できそうだ(今から卒論の相談に来る学生もおり、頭が下がる)。ゼミは20名にもなる大所帯。4年生は就職活動のために欠席がちになるだろうが、こちらも論客が揃っているので不安はない。院ゼミも12名と過去最大の人数、西洋史や文化交渉学専攻の院生もいるため、面白い議論が期待できそうである。
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古代史ゼミ・フィールドワーク:玉川上水跡を遡る

2012-04-08 16:23:25 | 生きる犬韜
さて、順番に「予告」を遂行してゆくことにしよう。まずは下の記事から。

2月17日(金)は、古代史ゼミ恒例のフィールドワークを敢行した。参加者は、2年生1名、3年生7名、4年生1名、大学院生3名。今年のテーマは、玉川上水跡の遡上。全行程を走破するのはさすがに厳しいので、上水の終着点である四ッ谷大木戸跡(現新宿三丁目交差点付近)を確認してから電車で明大前へ移動、あとは井の頭公園までひたすら歩き倒そうという計画を立てた。詳細は3年生が協力して準備してくれたが、ゼミ長のN君は、前日に同じ行程を予行演習して歩いたという。まったく、責任感の強いにもほどがある。

集合・出発は上智大学に10:00。ぼくは、9:00過ぎに出勤して学生センターで回覧の書類を処理し、それから学生たちの輪に加わった。まずは、大学から新宿三丁目まで新宿通りを西上。空はきれいに晴れ上がっていたが、風が強く冷たい。夜には雪や雨の可能性ありとの予報が出ていたものの、まあ歩いているうちに降られる心配はなさそうだった。学生たちも身体を丸めつつ、しかし元気よく歩を進めてゆく。新宿三丁目にはかつて水番所が置かれ、上水の水質保持を担い、木樋や石樋を使って江戸城下へ通水していた。現在でも都の水道局新宿営業所が存在し、その一角に上水事業に関する顕彰碑「水道碑記」が建てられている。高さ4.6メートルにも及ぶ立派なものだが、「建碑発起人の遺業を亡妻が受け継いだ」との記述が少し鼻につく。銘文の年紀は明治18年、実際の建碑は同28年。その間の10年間に、いったい何があったのか。
周辺の地形を確かめ、N君の玉川上水全般に関する報告を聞いて、今度は新宿御苑沿いを移動。四ッ谷駅から数100メートルの御苑沿い(すなわち内藤家の屋敷跡)には、玉川上水がせせらぎのような形で復原されている。むろん、かつては舟運があったという滔々とした流れではないが、しばし往事の水の流れを想像した。交換留学生のクレアさんに、「新宿は現在は都心だし、流行の発信地としての面も持っているけど、江戸の感覚でいうと悪所なんだよ」などとよからぬことを吹き込みつつ、京王線によるショートカットを挟んで明大前へ。駅前で昼食を摂り、しばしの休憩。

昼食後は、ただひたすらに上水跡を遡上した。杉並・世田谷区内は、同跡が公園化されており、痕跡を辿りやすくなっている。途中、学生たちの休暇中の出来事に耳を傾けたり、卒論に関する相談などを受けながら、思索を巡らせてゆくのはなかなかに楽しかった。また、上水沿いには、明暦の大火などで紀尾井付近から移転してきた寺社も散見され、紀尾井から出発したのに未だ紀尾井の文化圏、という不思議な情況を呈した。写真の獅子も、そんな神社のひとつ第六天神社にあったもの。名称からすれば恐らく神仏習合の神社で、第六天の魔王を祀っていたものだろうが、神仏分離政策によって、祭神を神代六代にすげ替えたようだ。大正天皇即位の大典記念に造られたという獅子は、まず台座のレリーフに惹きつけられる。向かって左の方は、鞍馬の天狗(鬼一法眼?)が義経に『六韜』を授ける場面、右の方は、熊と山姥と金太郎である。どういうチョイスなのかは分からないが、きな臭くなってゆく列島周辺の情勢を受けて、「健全な小国民」が求められた結果かも知れない。熊の造型など、それなりに味わい深い。子供の獅子がじゃれつく形態も珍しい気がするが、やはり「子宝」に絡んでくる表象だろうか。
さて、杉並も久我山辺りからは公園が途絶え、上水を復活させた流れをみることができる。もちろん、水量は往時の水底くらいしかないが、それなりに雰囲気は味わえるものだ。連続して現れる趣深い橋には独自の構造や名称がみられ、橋詰には橋供養碑、庚申塔なども散見される。かつての屋敷墓の名残か、あるいは惣墓の痕跡か、寛政頃の墓がひっそり佇む光景もみられた。本当に、歴史を学ぶ材料には事欠かない。一方で、都が上水跡を放射5号道路の建設に利用しようとし、それに対する反対運動が展開している現実もみることができた。川を道路に変えるのは都の得意技だが、未だに高度経済成長期と同じものの見方しかできないらしい。

日が暮れかけ、学生たちにも疲れがみえてきた頃、ようやく井の頭公園に到着した。弁財天や稲荷神社を回って、最終的には吉祥寺駅前のルノアールで勉強会。あまりに冷え込んできたので暖かいところへ避難した形だが、下調べをしてきた学生たちの報告を聞き、船が行き来していた江戸期の姿、「人喰い川」と呼ばれ多くの水死者を出したダークサイドなど、おかげで上水の多様な性格をたくさん知ることができた。学生たちに感謝である。とくに、井の頭池の宗教的環境が、不忍池をモデルに構築されたらしいことが分かったのは収穫だった。四ツ谷から武蔵野を遡ってきたのに、辿り着いたところは上野だったのか、と不思議な感覚を覚えた。また、不忍池が琵琶湖をモデルに造られたことを考えると、井の頭池は琵琶湖のミニチュアでもあることになる。池の底が、不忍池や琵琶湖に通じている、といった伝承もあるかも知れない。いや、周辺から縄文期の遺跡が発掘されていることからすると、井の頭池自体の歴史も案外に深い。その深淵へ潜ってみるのも悪くない…池や川、すなわち水は、人を惹きつけてやまないものだが、イマジネーションを刺激する力も強いようだ。この体験を、少しは学生たちも共有してもらえただろうか。

勉強会を終えたあとは、居酒屋へ押し寄せて慰労会。みんななぜか異常にテンションが高く、23:00過ぎまで飲み続けたのであった。お疲れさまでした。
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さらに次回予告:新年度開始に思うこと

2012-04-04 04:33:16 | 生きる犬韜
ずっとブログの更新をさぼっているあいだに、新年度が始まってしまった。未だこちらに時間を割く余裕はあまりないのだが、そろそろ何かしら書いておかねばなるまい、と思い立ち、マイナーアップを行う次第である。

さて、前回も少し書いたかも知れないが、こちらが滞っているのは、2~3月、ぼくが依頼原稿の山と戦っていたからにほかならない。2011年は某役職を拝命、学科長やセンター長などに比べればそれほど多忙な仕事ではないのだが、自分に処理能力が足りないために、研究活動はもちろん教育活動にまで支障を来す事態となってしまった。結果、役職拝命が判明する以前に引き受けていたシンポジウム、依頼原稿なども、質的悪化や寄稿遅滞を招く結果となり、最終的に2~3月へ詰め込まざるをえなかったのである。しかも、ふだんなら春季休暇を謳歌しているこの時期も、会議やら何やらで、ほぼ授業期間と同じシフトで出勤している状態。原稿は次から次へと遅れ、もろもろの学会や出版社から矢のような催促を受けて、精神的にかなりダメージを受けることになった。42になる大人として恥ずかしいのだが、メールボックスを開くこと自体が恐ろしい時期もあった。そうしたときに救いになったのは、やはり学生たちと行った玉川上水跡の散策であったり、東洋文庫博物館の見学であったり、立教の異文化コミュニケーション研究科の方々との交流であったり、文化財レスキューであったりしたわけである。おかげさまで現在、竹林舎刊行の『生活と呪術』(「禁忌」を担当)、『アジア民族文化研究』誌、『日本文学』誌、『日本歴史災害事典』の各原稿を脱稿し、一部は校了となっている。2ヶ月で250枚(400字詰換算)くらい書いただろうか。関係各方面には多大なご迷惑をおかけしたが、この情況下でできうる限りのことはやったつもりである。ご容赦を願いたい。しかし、年度があらたまった現在も、多少、旧年度の仕事のやり残しを抱えている(某報告書と、昨年9月〆切の某書の原稿)。こちらは、授業開始前までに?何とかしたい。

ところで、ブログの更新を怠っているうちに、採り上げるべき出来事も山積みになってしまった。前回「次回予告」で触れたことは必ずアップするつもりだが、その後も、下記のような「記録しておくべきこと」があった。こちらは追々、しかしちゃんとアップしてゆかねばなるまい。
3/3  木村茂光先生の最終講義・退職記念パーティ
 /6  四谷キャンパスにおけるバリアフリーを実現するための、教職員共同研究の開始
 /9  文学部研修会にて、文学部棟災害危険度調査の概要を報告
 /22 環境文化研究会仙台例会(上の写真は、このときの様子)
 /23 東北学院大学博物館文化財レスキューへの参加
 /25 日本古代史ゼミ追いコン
 /26 卒業式
 /27 成城大学民俗学研究所共同研究「寺社縁起研究会」での報告
 /28 学内共同研究「Network Studies」開始
4/2  入学式

今年度は、依頼の仕事はできるだけセーブしなければと思っているが、以下のシンポジウム、原稿は「ありがたく」お引き受けした。災害関係シンポと「近代学問」は昨年度までの仕事のまとめになるが、「未来の文学」と「歴史家シリーズ」「交感論」は新分野の開拓になるだろう。無理にでも、自分の新しい扉をこじ開けたい。しかし、そろそろ単行本関係、不義理をしまくっている書評関係もどうにかしたい。また、今から難航が予想されるものの、授業でも新しい試みをしようと考えている。たぶん、史学科でこれまで一度もかかったことがないタイプの講義になるだろう。昨年度の6~7月の忙しさを思うと質の保持に不安もあるし、そもそも受講者がいるかどうかという心配もあるが、自分にプレッシャーをかけるべきときもある。『法苑珠林』注釈の公開作業も、早急に進めてゆきたい。
・5月   某誌、「未来の文学」
・7月   某学会、災害関係のシンポジウム
・9月   某社、「近代学問の起源と編成」
・年末   上智大学出版会、「歴史家シリーズ」第3弾
・〆切未定 某社、交感論

まあとにかく、目の前のことから順に片付けてゆくしか仕方ない。皆さん、今年度もさまざまご迷惑をおかけすることと思いますが、よろしくお付き合いください。
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次回予告

2012-02-28 15:20:55 | 生きる犬韜
ご無沙汰しております。またまた1ヶ月近くも更新が滞ってしまった。facebookはそれなりに頻繁に更新しているのだが、まとまった記事を書かねばならないブログ(というわけでもないのだろうが、ぼくはそういう縛りをかけてしまったので)はそうもゆかない。
2月下旬には入試業務も一段落し、秋学期の成績評価も一通り終えて、私立大学の教員は概ね春休みに入る。授業のないぶん、ぼくもずいぶんと時間的余裕はできたのだが、職務上毎週何らかの会議が入り、ほぼ授業期間と同じくらい出勤している状態である。ゼミ関係のイベントも幾つかあった。しかし、ブログの更新を阻んできた最大の理由は、依頼原稿の〆切である。2月末までに間に合わせねばならないものが4本あり、そのうちまだ1本しか脱稿できていない。その1本を書き終えるのに、尋常ではない時間を費やしてしまったのだ。まあ、あとはほとんどシンポで報告した内容なので、ストーリーはできている。2月中は無理としても、何とか来週中にはすべて仕上げたいものだ。それを終えるとすぐ、研究会等々での報告が2本控えているので…。いやまったく、休みなしである。

というわけで、ブログを本気で更新できるのはもう少し先になりそうだが、せっかくなので「次回予告」?をしておこう。
まず「次回」は、17日(金)に決行した、恒例の古代史ゼミ・フィールドワーク。今回は、かつて江戸市中に多摩川の水を供給していた玉川上水の跡を、新宿三丁目の四ツ谷大木戸跡から井の頭池まで遡上した。途中、紀尾井付近から火事で移転した寺社もあり、江戸の外にいるのに江戸のなかを歩いているという不思議な感覚。変わった獅子や道祖神にも出逢い、歴史の教材には事欠かない状態。辿り着いた井の頭池は不忍池のミニチュアとあって、川の創り出す輪廻の世界にくらくらした。ゼミ生たちの調べてきてくれた歴史情報にも多くを学び、舟の行き交う往時の姿を思い浮かべたり、「人喰い川」と呼ばれる流れの速さが生む数々の事故や事件を想い出したり…、いやもう妄想?が爆発しどおしであった。やはり、歴史は歩いて回らねば…ということで、詳細は次回。

そして「次々回」は、24日(金)のRECF(Rikkyo Environmental Criticism Forum)参加。いろいろ刺激的な場へ連れていっていただいている野田研一さん、山本洋平さんからお誘いを受け、上智の院生・学生たちと参加。今回は山田悠介さん、中村邦生さんのご報告。山田さんの「変身」をめぐるお話には、英文学でも自分と同じようなことを研究している若手がいる、と頼もしい思いがした。作家でもある中村さんの自由闊達なお話からは、またもや妄想が広がり、いろいろな場面でのシンクロニシティが生じて意気投合。やはり、野田さんの用意してくださる出逢いは刺激的だ。物語から転げ落ちてしまったある「登場人物」が、自分のいるべき「物語」を探して漂泊するという奇想天外な新作『転落譚』も頂戴した。詳細は次々回ということで、乞うご期待。

さて、とにかく原稿を一生懸命書いて、来年度のシラバス書いて、学生センターの書類作成して、ゼミ生のレポートを添削して返却せねば。まったく、生産効率が悪いったらありゃしない。
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原稿執筆、入試・採点

2012-02-05 20:32:44 | 生きる犬韜
なんか、あまりにもそのままなタイトルを付けてしまった。現在、入試業務と採点業務に追われつつ、催促の激しい原稿執筆に勤しんでいる。まだいまひとつリズムに乗り切れないが、授業がないぶん集中はできる。飛び込みの断れない依頼原稿が入ってきたため、2月は半ばまでに2本、末までに2本と過密スケジュールになってしまったが、なんとか乗り越えてゆきたい。

また同時に、映画や演劇についても飢餓状態が極限に来ている。マンガはコンスタントに読んではいるのだが、映画を劇場で観たのは、悲しいことに、1年前の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が最後である。もはや映画好きとはいえない。ギレルモ・デルトロの新作でも観にゆこうかな。『第九軍団のワシ』『ルルドの泉で』あたりもよさそう。半ばまで予定どおりに済んだら、ちょっと気分転換でもしてみるか。

さて、最後に小話を。さいきんFacebookに次兄夫婦も参加し、いろいろやりとりをしているのだが、先日義姉が『エンデの遺言』について紹介する記事をアップしていた。そこで、「エンデが批判の対象としたのは「金」と「時間」でしたが、総合すると「効率」であり、逆に希求したのは、「効率」によって雲散霧消してしまう「豊かさ」だったんでしょうね。それは、マルクスのいう物象化を逆にたどることだったのかもしれません」とコメントしたところ、記事をアップする前に次兄も、「ああ、マルクスの物象化を逆にたどっているのか~」と全く同じ感想を漏らしていたとか。ぼくの理論的立場の師匠は次兄であることを、あらためて再確認させてくれるような話だった。

※ 写真は、先日研究室に届いたリボルテックタケヤの多聞天。組み立ててポーズを作ってみた。教材にもよいかも。
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もはや、1月も終わり

2012-02-01 12:04:28 | 生きる犬韜
ついこのあいだ年が明けたと思ったら、もはや1月も終わってしまった。この間、授業の総まとめや、各種委員会・学生センター業務、卒論の採点等々で忙殺されており、ブログを更新する暇もなかった。いや、正確にいうと時間はあったのだろうが、心的な余裕がなかったのである。しかし、毎日のように覗いてくださる方もあるようなので、とりあえず、1月の動きを箇条書きにして報告しておこう。なかには独立した記事として書いておかねばならないこともあるが、まずは「とりいそぎ」ということで。

【5・木曜】仕事始め、17:00より大学で年頭式典。途中退出して、翌日の「歴史学入門ゼミ」の予習。23:00前に帰宅。
【6・金曜】11:30から14:30まで奨学金の面接、17:00から「入門ゼミ」。23:00前に帰宅。
【7・土曜】「全学共通日本史」の準備をしつつ、7号館文学部フロア災害危険度調査の中間報告書を作成。
【8・日曜】上記中間報告書を仕上げ、残った時間で卒論を読む。
【9・月曜】翌日のプレゼミ、ゼミの予習。卒論読み。23:00前に帰宅。
【10・火曜】午前中はプレゼミ希望者との面談、やる気のある学生が多い印象。12:45より災害調査、英文学科の事務の方の聞き取り。15:15よりプレゼミ、17:00よりゼミ。夜は図書館で、「禁忌」の論文のための資料コピー。23:00前に帰宅。
【11・水曜】9:15より「全学共通日本史」。その後、午前中は「入門ゼミ」課題の採点・コメント作成。昼休みは学生センターにて、部室使用規定に違反のあった課外活動団体へ注意文書手交。例年にない多さで、制度の見直しの必要を痛感。午後は「入門ゼミ」の予習を行うも、熱っぽさを感じて捗らず。15:15より学科会議、17:00より「修士論文演習」、18:45よりプレゼミ希望者との面談。くたくたになったのでそのまま帰宅したら、38度強の高熱だった。
【12・木曜】研究日だったが、昨晩から魘されて寝っぱなし。暮れから、義妹が生まれたばかりの赤ん坊を連れて同居していたので、気を遣いながら休息に専念。午後かかりつけの医師にみてもらうと、インフルエンザではない可能性が高いとのこと(曖昧)。しかし体調は快復せず、大事を取って翌日は病欠することにして、関係各方面へ連絡。
【13・金曜】終日休息を取り、徐々に快復。布団でずっと読書をしていたら、腰痛が酷くなった。
【14・土曜】午後から卒論発表会のため出勤、今年は下級生の参加が少ない様子。古代史ゼミの代表はH君。少々緊張していた様子だった。早めに帰宅し、「全学共通日本史」の準備と「入門ゼミ」課題の採点。
【15・日曜】金曜に休講にした授業の補講をするため日程調整。休み休み授業準備。
【16・月曜】9:00から学生センターの定例ミーティング。その後午前中は「入門ゼミ」課題の採点。昼休みは注意文書手交。午後は「古代史特研」の予習。14:30よりプレゼミ希望者の面談。17:00より「古代史特研」、18:45より「入門ゼミ」補講。「入門ゼミ」は今年から始めた授業だったので、最後に受講した1年生の感想を聞いた。改善点はもちろんあるが、概ね肯定的評価を得てほっと安心。しかし、毎週課題を提出しなければいけない学生も大変だったろうが、それにコメントを付けて返却する作業も思いのほか大変だった。23:00前に帰宅。
【17・火曜】午前中はプレゼミ希望者の面接。昼休みは災害調査、ドイツ文学科の事務の方の聞き取り。14:00より学生センターにて、翌日の学生生活委員会のブリーフィング。15:15よりプレゼミ、17:00よりゼミ。翌日の授業のプリント印刷などを行い、23:00前に帰宅。
【18・水曜】9:15より「全学共通日本史」。午前中は各種事務処理を行い、昼休みは注意文書手交。午後は原稿を少し進め、15:20より教授会、17:00より学生生活委員会。少し早めに大学を出て、吉祥寺の書店を物色。
【19・木曜】原稿を進めつつ、翌日の加藤幸治さんの講演会のため、いただいたご高著『郷土玩具の新解釈』を読む。歴史学が捨象してしまう部分に触れた、近代の細やかな思想史。
【20・金曜】昼休みは奨学金の面接。午後は、病欠によって遅れていた「入門ゼミ」課題の採点を進める。16:00頃、加藤さん来訪。井上先生を交えてしばし懇談し、17:00から講演会へ。文化財レスキュー活動を新たな学的営為・社会活動として捉え直す、未来への提言。学生の受講態度が非常に気になる。災害に対する想像力がないのだろうか? 18:30より懇親会、21:00頃より二次会。この日あたりから東京は急速に冷え、雪もちらついたが、こちらは熱い会になった。二次会では加藤さんの個人的なお話をいろいろ伺い、その大変さに驚いたが、環境/文化研究会仙台例会の話も飛び出し、いろいろ嬉しい日であった(しかし、雪や沿線火災のためJRのダイヤが大いに乱れ、翌日3コマ授業のあった加藤さんは予定に間に合わなかったらしい。申し訳ない)。1:00過ぎに帰宅。
【21・土曜】「全学共通日本史」の最後のプリントを作成。
【22・日曜】上記授業準備がずれこみ、各種事務処理をしていたらすでに「未明」。
【23・月曜】9:00から学生センターの定例ミーティング。11:00より学科の会議、午後は「入門ゼミ」課題の採点、「古代史特研」の予習。17:00より「古代史特研」。雪が降り出すとの予報があったので早めに帰宅。自宅でプレゼミ・ゼミの予習をしていると、本格的に降ってきた。
【24・火曜】11:00より、翌日のホフマンホール運営協議会のブリーフィング。降雪の影響はさほどなく出勤できた。そのまま昼休みは注意文書手交。13:30より災害調査、新聞学科事務の方の聞き取り。15:15よりプレゼミ、17:00よりゼミ。翌日の授業のプリントを印刷し、23:00前に帰宅。
【25・水曜】9:15より「全学共通日本史」の最後の授業、ちょっと駆け足だったが何とかまとめた。例年より少なく130人ほどの受講者だったが、今年は「平常点重視」を標榜していたせいか、出席カードにびっしりリアクションを書き込んでくる学生が多く面白かった。しかしいつものことながら、やはり毎回の質問を整理してブログにアップしてゆくのは難儀だったな…。午前中は会議資料の読み込み、昼休みはホフマンホール運営協議会。こちらはぼくが委員長を務めているので気が抜けない。そのまま13:40より奨学金面接、少し間を置いて16:00より初年次教育検討小委員会、17:00より「修論演習」、その後文学部研修会に出席。夜は、翌日の豊田地区センターでの生涯学習の講義の準備、資料の印刷をして、23:00前に帰宅。
【26・木曜】午前中に三鷹を出て、12:45より横浜豊田地区センターにて生涯学習の講義。その後参加者の方々と新年会があったが、ほとんど父親の歴史勉強会にも出ていた人たちで、「老先生と若先生、二代にわたって講義を受けられるとは…」とのコメントに身が縮む。がんばらねば。19:00前には帰宅、卒論読み(ここ数日、家ではこの作業を継続)。
【27・金曜】授業は終了したものの、校務は続く。10:00より学生センターにてボランティアビューロー運営委員会。後はひたすら卒論読み。早めに帰宅したら、四ッ谷駅でアジア関係副専攻の丸井先生とばったり。先生には文化財レスキューも手伝っていただいたので、中央線車内でしばし歓談。
【28・土曜】ひたすら卒論、日付が変わった頃にはすべてコメントも書き終わった。今年は提出者の人数が少なく楽だったが、執筆した方は就職活動のずれ込みで苦戦したもよう。でもよくがんばった。
【29・日曜】東京歴史科学研究会のシンポジウム「歴史学は災害とどう向き合ってきたのか」に参加。北原糸子さん、成田龍一さんの講演。お2人の講演は素晴らしかったが(とくに、数年ぶりにお会いした北原さんの、変わらず凛としたお姿に感動)、会場の、災害史に関する知識のなさに寂しくなった。懇親会では、お2人と思う存分議論ができて、大変に収穫があった。心より御礼申し上げます。同じく出席していた高野さん、茂木君とも情報交換し、準備中である「死者研究会」が具体化。1:00前に帰宅。
【30・月曜】9:00から学生センターの定例ミーティング。10:30より災害調査、フランス文学科事務の方の聞き取り。これで聞き取り調査はほぼ終了。研究室に戻ってくると、北原さんから災害史に関する原稿依頼あり。光栄でもあり、恩人からの依頼は断れない(しかし、分量・〆切ともきつい条件)。年頭に、「今年は依頼原稿は極力引き受けず懸案の単行本執筆に専念する」との誓いを立てたのだが、すでに3本も引き受けてしまった。意志の弱いことこのうえない。卒論口頭試問の準備をして、23:00前に帰宅。
【31・火曜】10:30より卒論口頭試問、お昼過ぎには終了。その後、学生の面談などしつつ事務処理。18:30より課外活動指導者懇談会に参加、上智における宗教的マイノリティーの先生方と意気投合。23:00前に帰宅。

というような具合である。校務については書けないことも多いわけだが、ひたすら授業、事務仕事の日々だった。加藤さんの講演会、北原さん・成田さんのシンポが特筆すべき事柄だろうか。そうそう、年頭には、恩人の宮城洋一郎さんから社会福祉史関係のご高論を多数、先輩の關尾史郎さんから西域出土資料関係の雑誌を多数お送りいただいた(ちゃんとお礼状書きます!)。お2人とも、私が年賀状にちょろっと書いた内容に、親切にも過分な対応をしてくださったのである。こういう先輩方のおかげで、いまの自分がある。そのご恩に恥じないよう、過密スケジュールの2月を乗り切ろう。
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年頭所感

2012-01-03 16:56:36 | 生きる犬韜
2012年が明けた。年越しは、いつものとおり自坊の除夜会に参加して過ごしたが、そこに至るまでは、ちょっと慌ただしい感じだった。授業自体は21日で終了したのだが、もろもろの校務が27日まであって、300枚を越す年賀状の宛名・コメントをこなし(写真は、いつも年賀状の素材にしている秋田の中山人形)、大掃除をしているうちに、あっという間に31日になってしまった。もう少し原稿なり何なりを片付ける余裕がある気がしたが、まあ、毎年こんなものかもしれない。今日までの三が日は、年賀状を書き足したり、授業の質疑応答ブログを更新したりしているうちに過ぎ去った。年頭の行事である浜離宮の放鷹は観にいきたかったのだが、少し体調を崩してしまったので見送り。ほぼ充電に専念した形の年末年始で、深く一年を振り返るでもなく、新たな展望を立てるでもなく来てしまった。そこで、ここに懸案の事項を書き留めておきたいと思う。

まずは、環境/文化研究会について。毎年課題となることだが、参加者がみな多忙で、なかなか恒常的な運営ができない。とくに夏を過ぎると、春休みになるまでほぼ休止状態となってしまう。これを打開し、関東・関西のメンバーを糾合して議論を活性化させるためにも、何らかの発表媒体を用意したいと考えている。しかし、版下までを作成する苦労は『GYRATIVA』で身に沁みているので、今回は受け入れてくれる出版社を探し、企画・制作・販売に協力してもらうつもりである。ただ、現状でこの研究会に雑誌刊行を担う体力があるかどうか、その点も含めて詰めてゆかなければいけない問題は山積している。今年度中に中心メンバーで会議を持って、何とか実現させる方途を探ってゆきたい。
それから、院ゼミとして続けている『法苑珠林』講読の成果を、「注釈稿」として刊行してゆくプロジェクト。同書は、その重要度に比して基本的な研究が進んでいない憾みがあり、学界における校訂・注釈作業の需要は極めて高い。当初は『上智史学』に連載し、ある程度まとまってからの出版を考えていたが、ひとつひとつの分量がかなり長くなってしまうので、別の方法を模索せねばならなくなった。私家版としてしばらくデータを蓄積してからの出版が常道だろうが、その場合、冊子にはせずネット公開してゆくやり方が費用もかからずによいかも知れない。この院ゼミは、他校からの参加者も受け入れ半ば研究会的な様相を呈しているが、卒業後も研究を続行したいというOB・OGの受け皿としても機能させたい。このブログにも何度か書いているが、一般就職をしても何らかの形で研究を続けてゆける人材を輩出するのが、私立大学における人文系研究科の学界における責務である。そのためには、会社帰りにも気楽に立ち寄れる鍛錬の場と、研究発表の機会を確保しておく必要がある。金曜6限という時間設定も、その点を考慮しているのだ。『法苑珠林』は「負荷」としては最適な素材だし、担当した注釈部分が刊行されてゆけば業績にもなる。何とか早いうちに軌道に乗せてゆきたい。
また、もし科研費が取れれば(それより先に申請書を書く余裕があれば)、伐採抵抗伝承の全国調査を実施し、『環境と心性の文化史』以来誰も増補してゆかない資料収集を継続して行いたい。こちらはまだ構想を具体化させていないが、環境/文化研究会との関わりで実現できるかもしれない。

あとは自分個人の原稿、単行本ということになるが、こちらも早急に進めねば、企画自体がなくなってしまう危惧がある。『歴史叙述としての祟(仮題)』は8割の完成度のまま、中国の最新研究を消化し補足している段階で執筆が止まっている。『秦氏の研究』も、次々と新たな研究が刊行されるなか、6割程度の情況でしかない。環境と神話に関する書き下ろしは、これらの作業が終了しないととりかかれないだろう。論文集はどうしてもその先になってしまう。年度末は例年どおり、依頼原稿の「月刊」状態が続くが、今年はシンポジウム等々はできるだけ制限し、単行本の執筆に集中したい。いずれも増加する校務との調整が鍵だが、これはもう仕方ない。個人的な意見としては、教員が役職者になることは間違いだと思っているが(いかなる理由を付けようとも、教育や研究に支障の出ない範囲でというのが大前提だろう。それが守られなければ、教員は教員ではなくなってしまう。これは大学の存在意義である教育の質に関わることであり、また一大学を超えた学問文化の存続に関わることであって、経営云々の観点から侵蝕してよい問題ではない)、引き受けた以上、任期最後の一年は力を尽くさねばならない。
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師走の風景

2011-12-18 08:56:19 | 生きる犬韜
おかげさまで、秋季恒例のシンポラッシュは無事?に終了したが、さすが師走、ここ数日はやはり多忙な日々を過ごしている。

文学部の公認のもとに始めた災害時危険度調査は、文学部教職員の皆さん、院生さんたちの献身的な協力もあって、今のところ順調に推移してきている。ふだんは気づかない杜撰な管理状態がいろいろ発覚し、当局へ早急な対応を求めねばならないことも多々出てきた。年明けには中間報告をまとめ、文学部長に提出することにしているが、完了には2月末までかかるだろう。文学部長と話し合って、3月上旬には最終的な報告会・研修会を設けたいと考えているが、そのときに何らかの形で繋げたいのが「日本版Shake out」だ。
アメリカで実施されている世界最大規模の防災訓練だが(こちらはその広告動画)、東日本大震災を受けて、来年の3月9日、その日本版が敢行予定なのである。行政団体としては、上智の立地する千代田区が、早くに参加の意志を表明している。同区に所在する多くの官公庁や企業、学校等々にも、同じような考えを持つところは多いだろう。防災や災害時対応には、地域の連携が欠かせない。上智も全学的に関わってほしいものだが、少なくとも文学部、あるいは有志の形では参加したいものである。

16日(金)には、徹夜で院ゼミの報告準備をしたあと、第6回人間文化研究情報資源共有化研究会「人間文化研究情報資源の保全と資源共有化の課題」に参加のため、立川の国文学研究資料館へ移動した。同館が立川へ移動してから初めて訪れたが、その画一的な景観にまず驚かされた。耕地か雑木林を再開発したのだろうか、アメリカ空軍立川基地跡地を再開発したとのことで、周辺にはマンション、工場、研究機関しかなく、埋め立て地を思わせるような情景だった。人間文化研究機構の整備に伴い集中的に建設されたものだろうが、文化を研究する機構が文化的魅力を感じない環境に立地しているという矛盾は(まあ土地の記憶という意味では重要かもしれないが)、まあ日本のお役所のやりそうなことではある。集会自体は同機構のものなので、参加者はその構成員が中心(ちょっとハビトゥスが違う感じ)。ぼくは、東北学院大の加藤幸治さんが発表するというので予定を調整して来たのだが、国立の文化財関係のトップの人たちが、文化財レスキューに関してどのような意識を持っているのか、その作業はどこまで進められているのかにも興味があった。結論を先にいうと、もはや個々の大学、博物館、ボランティア・ネットワークの枠組みで作業を続けるのには限界がある、ということになろうか。東北大の平川新さんの報告で触れられていたが、各地の原発の危険度を考慮すれば、列島内のどこにも文化財の置き場がないという情況が出来しているのだ。本当に最悪の事態が訪れたとき、この島に育まれてきた文化の痕跡をどう守るのか…。平川さんは、史料データのアメリカへの避難を考えているとのことで、まるで小松左京の小説のような議論になってきたが、しかしそうした危機的情況においては、我々も日本を退去せざるをえないし、自然環境ももちろん壊滅的な打撃を受ける。まずは、「日本文化」が破滅を招いた人類の負の遺産として語り継がれないよう、力を尽くさねばならない。

ところで加藤さんの報告は、文化財レスキューという実践自体の教育的価値、研究価値が明確に分かるものだった。ぼくは予定がうまく合わず9月以来参加できていないのだが(上智の学生は要請のある度に協力させていただいている)、それから3ヶ月余りの間にも様々な情況の変化があり、新たな難問も生じてきていることを知った。何とか、できる限りのフォローは続けてゆきたい。しかし、今回本当に嬉しく、また驚いたのは、加藤さんから上の新著単行本をいただいたことである。『郷土玩具の新解釈―"無意識の郷愁"はなぜ生まれたか―』。加藤さんのこれまでの研究の一端を大幅に拡充しつつ、一般にも分かりやすくまとめたものだ。といってもこの本は、よく観光地でみかけるような、郷土玩具を地域の特性とともに説明した図録ではない。郷土玩具をめぐる近代の文化的実践を西洋志向と江戸懐古との狭間に捉えた、民俗学の形成史なのである。しかも加藤さんは、震災でデータの一部を失いながら避難所でこの執筆を再開し、約半年間で脱稿したという。加藤さんが大変だったことはちょっとだけ聞いているので、少し泣きそうになった。大切に読ませていただきたいと思うとともに、これが、忙しさを言い訳に学問から逃げている人間と、言い訳をせず黙々と努力している人間の差だなと恥ずかしくなった。自戒すべし。

とはいっても、自分の忙しさは変わらない。上の研究集会を途中退席して上智へ戻り、留守の間に積み重なっていた学生センター関係の仕事と学生への対応を終え、1年生のプレゼミ説明会に出席して、院ゼミの報告。『法苑珠林』の講読は敬仏篇の途中まで進んでいるが、今回は北涼仏教の実態、それに対する道宣の評価についてかなりクリアに勉強できた。経典や美術の面では、日本古代の護国仏教の淵源は、どうやら北涼仏教にあるようだ。今後の研究に活かすことができそうである。院ゼミというと、最近は所属の院生たちの成長がいちじるしく、頼もしい限りである。学部ゼミもかなりがんばっていて、たくさんの本を抱えてキャンパスを闊歩する学生、大学院進学を志す学生も増えてきている。その将来を考えると責任を感じるが、嬉しい気持ちも強い。自分も一層真剣に学問に取り組みたいものである。
翌17日(土)は早朝から出勤し、来年のオリエンテーションキャンプの下見のため、学生ヘルパーや学生センターの職員さんたちと箱根へ。素晴らしい天気で、富士山から日本アルプス、相模湾まではっきりと見渡せた。またこの日は、10回近く通って始めて、避難経路の詳細を学生共々確認させていただくことができた。当日は、右も左も分からない1年生をヘルパーが統括しなければいけないので、その安全を考えると大きな収穫だった。来週は忘年会続きで会議も多いが、原稿執筆にも尽力したい。大掃除や年賀状は、やはり後回しか。それから、いただいたご高論、ご高著へのお礼状も…。

※ 訂正線の部分は、コメント欄のご指摘を受けて書き直しました。
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