仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

S.M.D.公演:道化師のソネット

2006-09-30 02:50:09 | 劇場の虎韜
今日は、完徹で書類を作成して大学へ。事務仕事の合間に眠い目をこすって、ゼミ生のTさんが出演するSophia Modern Dancersの公演「月の物語~第十六夜~」を観てきました。ひとつの物語を、セリフなしの創作ダンスで表現するこの集団の舞台は、2回目、実に18年ぶりの経験です。最初にその熱演に接したのは学部1年生の頃、今はNHKの関連会社に勤める同級生のIさんに誘われた(あくまでノルマを満たすために)のがきっかけでした。当時の私は、学問はあくまで大学の科目、クリエイティヴな活動こそ一生の仕事と考えていました(現在はそれを諦めたわけではなく、学問的実践がその範疇に入ってきただけです)。ちょうど土方巽などにはまって〈舞踏〉の可能性に目覚めたときでもあり、通常のセリフ劇にはないその幻想性、象徴性に強く魅せられた覚えがあります。

さて、今回の公演は、アンデルセン『絵のない絵本』の第十六夜が原作。生来の道化プルチネッラが、一座の看板女優コロンビーナに恋をする悲喜劇。チャプリンの『ライムライト』やさだまさしの『翔べイカロスの翼』ではないけれど、人を笑わせる、楽しませるという行為には必ず何らかのサクリファイスが伴うもの。その核心を詩にしたような、プルチネッラが人知れず流す涙そのもののようなこの小品には、非常に静謐な印象を持っていたのですが、Modern Dancersの舞台は意に反し、弾けるリズムに踊り手たちの身体が躍動する激しいもの。最初はちょっと違和感がありましたが、しかし、繰り返される劇中劇の流れに身を任せているうちに、「ああ、これこそが道化芝居の本質だよな」と思い直しました。笑顔を振りまく踊り手、学生たちのひとりひとりに、プルチネッラの悲劇性が重なってきたのです。彼らはいまどんな経験をし、どんな想いを抱きながら、このパフォーマンスをこなしているのか。そう考えると、物語全体を支える月のまなざし、優しく穏やかな時間が、舞台の喧噪の向こう側にみえてくる。美しい月と自分を重ねるのはおこがましい限りですが、その視線とリンクさせると、この舞台のなんと愛しくかけがえなく映ることか……。スタッフロールが流れる頃には、どこからか、「君のその小さな手には 持ちきれないほどの悲しみを せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」というフレーズが聞こえてくるようでした。

そういえば、月こそは死と再生の象徴。自ら欠けそして満ちてゆくことで、あらゆる生命に復活の力を与えると考えられてきた存在です(『絵のない絵本』自体が、そうした観点から物語の再生、絵かき=詩人の魂の再生を描いているのでしょう)。Modern Dancersの舞台が、観客にとって、人生に寄り添う月の光のようであればいいですね。Tさん、関係者の皆さん、どうもお疲れさまでした(ちなみに個人的には、絵かきとプルチネッラは同じ役者が演じた方がよかったのではないか、舞台の動/静をもう少し強調した方がよかったのではないか、との感想を持ちました。最後に文句を付けてすみません)。
それにしても、今回の公演は女性ばかりで宝塚のようでしたね、昔はもっと男性が出演していたのに……。こういう表現を理解するデリカシーが、いまの男子学生にはなくなってしまったのでしょうか?
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小旅行:薬師温泉旅籠は〈王〉か

2006-09-27 05:40:40 | 生きる犬韜


夏期休暇の最後の週、もともとは出雲へ旅行しようかと計画を練っていたのですが、いろいろあって残念ながら断念。代わりに今回は、群馬県の薬師温泉に1泊2日で行ってきました。

宿泊先は、この温泉を独占する一軒宿「かやぶきの郷 旅籠」。芸能人もお忍びで来るという(この形容はポピュラリズムだなあ)隠れ家的スポットで、ほとんどの建物が北関東や東北の古民家を移築、再構成することで建てられているという凝った造りです(一軒宿といっても、ほとんど古民家テーマパーク状態)。江戸期から続く温泉というアイデンティティーに依って、部屋の名前には文久、慶応といった元号を使用(ちなみにぼくらの泊まったのは天保の間。大飢饉も大地震も起きませんでしたが)。また、オーナーが骨董の収集家として知られているためか、部屋も含めた建物内には時代箪笥が所狭しと並べられ、蒔絵や古伊万里の展示館まで設けられているほどです。建物内の照明にはすべて竹籠に紙を貼った覆いが被せられているのですが、この紙、よくみたら『史記』などの版本の頁でした。うーむ。

温泉は、自噴天然温泉の掛け流し。江戸期は修験の秘湯、明治になって一般に開放されたとかで、いくつかの露天風呂、薬湯などが楽しめます。ぼくは〈烏の行水〉の質なので、ふだんこういうところへ来てもあまり長湯はしないのですが、今回は雰囲気が面白かったので、夜を徹して!(極端だなあ)入りまくって楽しみました。また、お客さんはたくさん宿泊していたにもかかわらず、なぜか浴場ではほとんど人に会わず貸し切り状態(夜中の3時過ぎなんかに入っているからだという説もありますが)。薬膳のご飯もおいしく、妻も大満足で、また冬にも来てみたいと思わせる場所でしたね。
それにしても、「旅籠」は山野河海の利であるこの温泉を独り占め。湧出地点はなんと中央の本陣地下にあり、24時間モニターで見学できるようになっています。整備された石組みの様子など、古墳時代に首長が行った導水祭祀/湧水点祭祀を思い起こさせます。まさに、群馬温泉界の〈王〉なのかも知れませんが……。
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三宝絵研究会第9回集会:暗躍する?惟宗氏

2006-09-20 17:41:39 | 議論の豹韜
愛機Power Mac G4がいよいよ起ち上がらなくなり、思い切って新型のiMacを購入。そろそろOSXに移行しなければと考えていたので、そういう意味では都合が良かったのかも。しかし、今まで使っていた主要なソフトがほとんど動かず、ネットからアップデート・プログラムをダウンロードしたものの、「原因不明の理由」により途中で終了してしまうものが後を絶ちません。仕方なく最新版購入の手続き。Mac自体は安かったものの、周辺で大いにお金がかかりました……。しかしOSX、昔はGUIとしてかなり勝手が違うと思っていたけれど、使ってみるとやはりMacですな。

そんなこんなで、しばらくは家にこもって環境を整えていたのですが、昨日は夕方から成城大学の三宝絵研究会へ。
今回の報告者は榊原史子さん、タイトルは「「平氏撰聖徳太子伝」の展開と『三宝絵』」。『三宝絵』の引用する「平氏撰聖徳太子伝」すなわち原『伝暦』は、正暦3年(992)年頃に増補されて上下2巻となり、四天王寺/法隆寺の主導権争いのなかで述作された『四天王寺縁起』や「四節文」を加えて、寛弘5年(1008)以降に現在みる形へ整えられたとのこと。論文としてもほぼ完成された、聞き応えのある発表でした。しかし、我田引水的に興味を惹かれたのは、武田科学振興財団所蔵『伝暦』上本の奥書にみえるという、「点本奥書云、以寛弘五年九月一二三日、河内守令宗允亮於舘、為清義幡慶光遍三僧、読此伝外点事也、内談不知読人者也云々」との記事。そうですか、やはり惟宗氏が絡んでいましたか。今度刊行される『日本災害史』で、秦氏系の文人貴族/法曹家惟宗氏が、太秦を〈秦帝国〉としてデザインすべく氏族神話の再編を行っていたと論じたばかり。太子伝の作成もその一環であるとは感じていましたが、今まで仏教的な文脈でしか解釈したことがなかったなあ。もしかして、中国的英雄譚としても読みうるかも。今度あらためて考えてみましょう。

行き帰りの電車のなかで、平林章仁さんからいただいた論考「驚いた巫女と恥をかいた神」を読んでいたのですが、リグ・ヴェーダにも謡われる紀元前インドの古代祭祀、アシュヴァ・メーダの記述に釘付け。王が宗主権獲得のために行う国家的祭祀で、第1王妃が神たる犠牲馬と模擬交合を行うとか。摩耶夫人への白象受胎も、こういった祭祀的心性を背景に考えなきゃいけないわけですね。厩戸王もそうなのか……(金人受胎は漢籍仏典っぽいですが、厩はね。きっと、アマテラス/スサノヲなんかと併せて重層的に構想されているのでしょう)。
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結婚式?職員会議?

2006-09-18 22:28:28 | 生きる犬韜
昨日は、学部・大学院の同期で一緒に古代史の研究を続けてきた仲間、S君の結婚披露宴でした。酒好き、うまいもの好きで知られる彼のこと、会場は居酒屋かと想像していましたが、なんと一級ホテルのパークハイアット東京。39階のボールルームでショット・バーのような照明、ジャズの生演奏のおまけ付きと、誰もが彼の趣味とは考えない、きっと奥さんのチョイスでしょうねと語り合う、洒落たひとときでした。ちなみに奥さんは武蔵野音大の院を出た音楽家とのこと、ますます似合わない。しかし実は、S君も〈歴史学研究会のキアヌ・リーヴス〉と呼ばれる男。趣味はともかく、美男美女のカップルです。

S君とは学部の推薦入試以来、実に18年の付き合いです。小柄な体で柔道部の主将を務めていた彼と違って、私は(少年剣道の経験はあるものの)根っからの文科系。古代史ゼミで一緒にならなければ、ほとんど顔も合わせずに卒業し、別れ別れになっていたでしょう。それがどういう縁か、ともに大学院へも進学。いろいろ話もするようになりましたが、院の同期というのはけっこう難しい関係で、どうしても競争心をかき立てられて張り合う気持ちが強くなってしまう。ゼミでも研究会でも、人格批判にも至るような、けっこう激しい議論をした記憶があります。ようやくお互いの見解や立場を尊重し合えるようになったのは、彼が院を出て教職に就いた頃でしょうか。
S君の論文は、セオリーを堅実に守った〈役に立つ〉内容。論理もしっかりしていて、学生に模範として示すのにはもってこい。研究史の整理だけでも、本当に〈使え〉ます。文章も簡潔で分かりやすく、ユーモアや暖かみもあって潔い。どれも私にはないものなので、彼はどうか分かりませんが、私は常に彼の動向を注視し、勉強させてもらっています。

お2人とも、どうぞお幸せに(しかし、出席者の9割が高校の教員というのは凄かった。誰がいったか、ほとんど「職員会議」状態。下階のロビーには、生徒たちも大勢お祝いに駆け付けていました。高校ってそういう世界なんですかね)。

ところで、会場には、卒業以来13年ぶりに会う大学の友人たちも来ていました。みんなそれなりに歳をとりましたが、思ったよりも若々しい。二次会、三次会へと飲み歩く酒の肴は、なぜかスピリチュアルな話題。霊能者、修行、パワー・スポット、列島縦断スピリチュアル・ジャーニーの計画まで飛び出すありさま。果たして、実現しますかどうか。最後にいったアーガイルのノンアルコール・カクテルは美味しかったなあ。
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アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』

2006-09-15 00:14:55 | 劇場の虎韜
ここ数日、歯が浮いて微熱があります。早稲田の殺人的スケジュールは無事にこなしてきたのに、ここへきて体調不良。やわだなあと反省しているところへ、懸案だった方法論懇話会年報『GYRATIVA』の原稿が集まり始めました(皆さん、お疲れさま!)。さあ編集だ、と勢い込んでいると、今度は愛機Macがダウン。懐かしいマーフィーの法則じゃないけれど、因果関係をみつけて叙述してしまいたくなりますね。

水曜は大学の帰りに、ソクーロフの『太陽』を観てきました。昭和天皇を主人公に描いているため、日本では公開されないだろうといわれていましたが、結局シネマ・コンプレックスでも観られることに。私は妻と、銀座シネパトスで鑑賞しました(この映画館、市川準の『ノーライフキング』以来15、6年ぶりに行きましたが、相変わらず地下鉄が通るたびに揺れる。皇居の退避壕を描いたシーンでは、かえってこれが効果的だったりして、実は地下鉄と気づかない観客もいたのでは……?)。
さてこの映画、無条件降伏直前から人間宣言をするまでの昭和天皇の姿を、ほとんど一場劇風に等身大に描ききったもの。時代や社会、政治の推移などに関する説明を一切捨象し、ただ昭和天皇だけをみつめているのも演劇的です。当初、ソクーロフは昭和天皇を暗愚な=無垢な「裸の王様」として描きたいのか、天皇制というシステムのなかで奪われた人間性を描きたいのか、意図が掴みにくかったのですが、やはり普通の人間が巻き込まれてゆくシステムの狂気、悲劇を浮き彫りにしようとしたようですね。何の予備知識も持たない鑑賞者には、イッセー尾形の演じる昭和天皇は、ただの〈挙動不審なおじさん〉にしかみえない。そんな彼に、侍従長をはじめとする側近たちは異常なまでに気を遣い、御前会議に居並ぶ閣僚たちは脂汗まで垂らして緊張する。一体、彼らは何に脅えているのか。この戦争は、誰によって進められ、悲惨な結末を迎えようとしているのか。国家の意志とは、どこで、いかなる過程を経て構築されてゆくのか。ソクーロフの文脈のなかでは、手がかりは〈まなざし〉にある様子。天皇をみる、老側近の、侍従長の、閣僚たちの、マッカーサーのまなざし。扉の透き間からの盗み見。天皇の受容と拒絶。果たして、彼は〈みられること〉を意識して演じているのか、それとも……。
マッカーサーとの会見を経て人間宣言を行った天皇は、異常な情況から解放されて達成感に包まれる。しかし天皇制は、天皇個人の放棄によって終了させられるような、単純なシステムではなかったのです。イッセー尾形は、現代を懸命に生きるゆえに笑いを誘う、様々な職種の人々を演じるひとり芝居で有名ですが、今回の昭和天皇の熱演も同じレベル、テーマ性を持つものといえるかも知れません(つまり、「都市生活カタログ」でこれをかけても、ある意味で違和感はない)。感動とカタルシスを呼ぶためのハリウッド的文法は排していますが、そのぶん多様な読み解きが可能な映画に仕上がっています(もちろん、天皇の責任を問うまなざしも含めて)。そして、決して日本で作ることはできない作品。ラストシーンはそのまま、私たちの生きる現代に繋がっています。

妻との待ち合わせまでの時間潰しに数寄屋橋地下の書店に入り、太田光・中沢新一の対談『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)を購入しました。先日NHKで放送していた駒場への招聘といい、「最近知識人の皆さんは爆笑問題に頼りすぎでは(悪くいえば太田光をダシに使って自己正当化や責任回避をしてるんじゃ)」と批判したくなってしまいますが、なんと第一章が「宮澤賢治と日本国憲法」。こりゃ読まな。感想はまた今度。
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とりとめもなく9.11

2006-09-12 01:26:32 | 書物の文韜
サイード著『人文学と批評の使命―デモクラシーのために―』

岩波書店

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今年も、9.11がやって来ました。
近年、災害や大事件を日付で記憶する方法が流行で、例えば1.17など被災者の新たな〈戦争体験〉のように機能していますが、9.11についてはまだ位置づけが定まっていません。あの同時多発テロによって何が始まったのか、アフガニスタン侵攻・イラク戦争を経た先に本当は何が待っているのか、未だ世界の誰も想像することができないからです。いまや退陣を待つだけの小泉首相は、これまで以上に無責任な(すなわち後継内閣へ後始末を押し付ける)言動を繰り返していますが、アメリカやイギリスが世界秩序崩壊の責任を問われるなら、彼らに真っ先に賛成し支持を表明した日本はどうなるのか。後継内閣は、当時の小泉首相の決断の是非を問う責任があるでしょう(あの3人にそれだけの気概があるとは思えませんが)。辞めれば何もかも終わり、ということにはならないはずです。個人的には、コトバの力を空虚なものにした(論理的な言説による意志疎通の信頼を破壊した)責任をこそ追及したいところです。

9.11以降の国家的情報戦はメディア・リテラシーへの注意を喚起しましたが、思い起こせば、ブルデューは早くからその重要性を訴えていた知識人のひとりでした。恐らくは9.11五周年に合わせて出版されたであろう、上記のサイードの遺著にも、ブルデューの言説が多く援用されています。とくに『世界の悲惨』の英訳、『世界の重さ』からが多いようですね。同書は、臨床的方法を用いてボトムラインにいる人々の意識を変えてゆく(客観化の道具を与え、ハビトゥスの構築過程を暴露してゆく)実践的な書物ですが、内容的にもメディア・リテラシーの領域を含むものです。しかし、新保守主義批判のさなかに亡くなっていったサイード、ソンタグ、デリダの言説は、アメリカの攻撃的ナショナリズムを鎮静化することができたのかどうかを考えると、少々暗澹たる気分になります。先日、社会史の泰斗である阿部謹也さんが亡くなりましたが、あらゆるものを〈ブーム〉にしてしまう日本では、彼らの名前さえ聞く機会が少なくなっています。購買力のあるデリダやサイードの著作は着実に翻訳されていますが、ブルデューなど「もはや売れるかどうか分からないので刊行を見合わせている」そうです。批判の力と自制の力は、客観化の能力のなかに宿る。今後の教育においても考えてゆかねばならないことです。

映画『September 11』でショーン・ペンが監督したパートでは、貿易センタービルの崩壊によってもたらされた陽光が、孤独な老人を救済する物語が描かれていました。アメリカ社会が最も閉鎖的・攻撃的になっていた時期で、よくあのような作品を完成・公開できたものです。第2次大戦中に『風とともに去りぬ』を撮っていた国ですから、そういう意味では懐の深さを感じますけどね(戦後の日本公開でこの映画を観た父と母は、「ああ、こんな国と戦争したって勝てるわけがない」と本気で思ったそうです)。

ところで、たったいま出版社に勤めている友人のI氏から入った情報によると、続群書類従完成会が潰れてしまったようです。出版業界でも過酷な情況が続いていますね。そろそろ課程博士論文の出版ラッシュは見直したほうがいいでしょう。個人も出版社も学界も、誰も得をしないのですから。
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〈生涯学習〉に思うこと

2006-09-07 23:14:13 | 議論の豹韜
今日の「生涯学習概論」をもって、1ヶ月以上にわたって参加した早稲田の学芸員講習が、本当に終了しました。お世話になった皆さん、先生方、本当にありがとうございました。縁があったらまたお会いしましょう。

古市将樹先生の「生涯学習概論」は、主に「生涯学習」という概念が成立するまでの日本教育史でしたが、詰まらなくなってしまいがちな内容を情熱で聞かせた、という感じでしたね。しかし、現在の「生涯学習」が抱えている諸問題にはほとんど踏み込んでおらず、内容が面白かっただけに残念でした(また、〈つながり〉を大切に考えるなら、もう少しインタラクティヴな試みを行って、社会人学級であることを活かした方がよかったのではないでしょうか)。
生まれてから死ぬまでの全生涯をカバーする概念とはいえ、現実的に〈生涯学習〉とは〈高齢者学習〉です。それゆえに生じてくる様々な問題がある。そのなかでいちばん深刻なのは、やはり「死をどのように受けとめてゆくか」でしょう。高齢者の方々の勉学意欲が若い学生たちとまったく違うのは、学問への姿勢が主体的であるかいなかということ以上に、学生が無意識に未来を前提に生きているのに対し、高齢者の方々は死と向かい合っているからです。自分の命が明日終わるかも知れないのは誰でも同じことですが、高齢者の方々にとってはより深刻な問題です。そうした人々を前に、私たちには何ができるのか。とくに、コミュニティ・センターなどに関わっていると、同じ参加者と長期にわたってお付き合いしてゆくことになります。当然、去年までいらっしゃった方が今年はみえない、先月までお元気だった方が突然亡くなられたなど、見慣れたお顔が次々と消えてゆくという事態に遭遇する。学問はすべて志半ばで終わるものですが、実際に、「今度はあれをやりましょう」「これはずっと続けてゆきたいですね」と語られていた言葉が虚しいものとなるのはやりきれません。皆さん、長い人生のなかで〈人の死をのりこえる方法〉は体得されてきていますので、必要以上に湿っぽくなったりはしませんが、死を自らのものと感じつつ学問に向かってゆくというのは大変なことです。
実は、今日の午前中も、ある学習グループの仲間のご葬儀に参列してきました。4年にわたって講師を務めてきた豊田地区センターの〈日本史の会〉の、最古参にあたる男性です。父の歴史教室にも参加されていて、パワフルに勉強されていた方でした。今月末の例会でどのように話を始めるか、今から言葉を探しています。

ところで、『銀河鉄道の夜』が実写映画化されるらしいですね。現代風にアレンジして、ジョバンニは女優の谷村美月が演じるとか(どちらかというと、カムパネルラの方が女性っぽい気がしますが、作品の透明性を高めるための配慮でしょうね)。どういう作品になるか興味ありますが、いま製作発表して、10月21日には公開という〈突貫工事〉はどうかと思いますね。
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古代仏教史研究の現状

2006-09-02 18:50:59 | 書物の文韜
吉田一彦著『古代仏教をよみなおす』

吉川弘文館

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大学の先輩でもある吉田一彦さんから、上記の書物をご恵送いただきました。まずは御礼申し上げます。『日本書紀』における仏教関係記事(公伝から崇仏論争、聖徳太子の記述まで)の批判から始まり、天皇号の成立、律令国家仏教論批判、道慈と行基の活動、東アジアのなかの神仏習合、『日本霊異記』にみえる多様な古代仏教の姿、女性と仏教の関係に至るまで、吉田さんがこれまで取り組んでこられた主要なトピックが、一般向けに平易に解説されています(すなわち書き下ろしではなく、そういう目的で書かれた原稿を採録した、一種の論文集ということです)。「古代仏教の入門書」という触れ込みですが、まさに研究の最前線をゆく質の高い本と思います。しかし、ある意味では〈通説〉とはいいがたい内容も含むわけで、「入門書」というより完全な研究書として読まれるべきものでしょう。

私が研究を始めた当時、失礼ながら、吉田さんはまだ〈数多いる仏教史研究者の一人〉に過ぎませんでした。すでに、(とくに僧尼令の検討を通じて)律令という厳格な法体系が社会にも貫徹していたとする通説的立場を批判されていましたが、未だそのベクトルは少数意見に止まっていたように思います。私も、行基を扱った第一論文で吉田説を批判し、律令法の運用には時期的差異を認めねばならず、一概に空法であったとはいえないという文章を書いたように記憶しています。しかし、毎年夏に開催される全国規模の日本宗教史懇話会サマーセミナーや、仏教学と仏教史学との総合をはかった日本仏教研究会の主要メンバーを務められるなかで、吉田説は多くの支持者を拡大してゆきました。私もその渦中で大きな影響を受け、神仏習合や『書紀』研究について、吉田説を補完する論考を発表しました。ご本人に自覚があるかどうかはともかく、吉田さんは、いまや仏教史研究の権威のひとりとなっています。が、拡散して未だに収拾がつかない(ままに途絶しようとしている)聖徳太子論争とは対照的に、国家仏教論の是非をめぐっては未だちゃんとした議論が行われていないように思います。吉田説に賛同する声が大きくなるにつれて、かつて国家仏教論を主唱していた研究者、とくに吉田さんより一世代上の方々はほとんど発言をしなくなりました。国家論の枠組みに固執し続ける歴研系の研究者も、若手も含めて何もコミットしません(かといって、彼らが吉田説を肯定しているわけではなく、未だに「読んだこともない」人も多いのが実状です)。これは健康な状態とはいえないでしょう。私自身は〈仏教史〉という枠組みから急速に興味を失っているので、恐らく正面から批判を浴びせることはないでしょうが、
○吉田説の「古代社会には、国家の仏教もあり、氏族の仏教もあり、民間の仏教もあった」という多様論は、それぞれの仏教のあり方を閉鎖的に実体化し、それぞれがいかに関係しお互いを構築していたかを対象化していないこと、
○吉田説の史料批判のあり方が、『日本書紀』や「元興寺縁起」に対するものと、『日本霊異記』に対するものとでは大きく異なること(前者には極めて厳格でありながら、中国的パターンを濃厚に受け継ぐ説話集である後者には、すぐに古代の実態をみようとする)、
○『書紀』仏教関係記事の道慈述作説に対する批判(森博達説など)に充分答えようとせず、道慈が直接叙述したのか、それとも間接的に(例えばプロデューサーのような存在として)関わっただけなのかを明確に区別していないこと、
など、機会のある度に公言してきました(文章に書いたことも、ご本人に直接申し上げたこともあります)。吉田さんご自身は、本書で扱ったテーマへの言及はこれを区切りに終了し、もうひとつのライフワークである真宗研究へ本格的にとりかかろうとされている気配があります。吉田さんにその気があるうちに、もう一度彼の言説をきちんと検討し、今後の研究へ活かしてゆく必要を強く感じますね。

どうも、古代仏教史研究は、吉田さん以外元気のない情況なんですよね。ただ、佐藤文子さんの僧尼制度研究など、吉田説を組み換えうる新たな動向も確実に生まれつつあります。最近、ぼくのなかでは「古代仏教は遠くなっている」のですが、何らかの形で接点は持ち続けてゆきたいと思っています。
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朝まで一緒に?

2006-09-02 17:33:26 | 生きる犬韜
金曜で早稲田学芸員講習の「博物館実習」が終了、カフェテリアで盛大な打ち上げが行われました。この席で分かったことですが、実は上智出身の先輩・後輩も多数いらっしゃっていて、思わず学閥を形成しそうになりました。講師の方々、TAの皆さんとも楽しく会話(美術専修室の高島礼子として人気を博していた田村さんは、なんとご実家がウチの近所であると判明。飯田さんは大橋一章先生と隣同士だったということで、いやはや世間というのは狭いものです)。なかなかに別れがたく、懇親会終了後の9:30以降も1時間ほど話していましたが、部屋の電灯が切られてしまったので退散。その後は、いつもの飯田さんや田辺さんと二次会に繰り出しました。

早稲田周辺では唯一特徴ある居酒屋、「早稲田蔵」にて、本当に楽しい飲み会。講習の讃美や批判をしつつ、それぞれが熱く自己を語って大いに盛り上がりました。終電が近づいていましたがなかなか中座しがたく、急遽、妻に新大久保のホテルをおさえてもらって飲み会を続行。結局、新大久保に場所を移して2:30まで飲んでいました(ぼくは飲めませんけどね)。
しかし、お二人とも本当に魅力のある人物。田辺さんは真面目で誠実なお人柄で、人と人との繋がりを極めて大切にされています。腰が低く組みやすそうにみえて、核には動かしがたい何かを抱えており、その意味では難解な人です。飯田さんは〈語る人〉ですが、その人生の紆余曲折や人脈の幅広さは無尽蔵。語られる言葉の明解さとは裏腹に、その奥の深さは得体が知れません。
飲み会で外泊までしたのは久しぶりでした。それだけ場を中座するのも、自分のせいで終わりにしてしまうのも、「勿体なかった」ということでしょう。結局、ホテルには3時間程度しかおらず、6:40始発の新宿湘南ラインで帰宅しました。朝の空気は半袖では肌寒いほどで、秋の訪れを感じさせました。この出会い、ぜひクリエイティヴな方向へ持ってゆきたいものです。

しかし、早稲田の実習は中身が濃かった。掛幅・巻子・冊子・帖から陶磁器・漆器・金工品、刀剣、仏像までの取り扱いや梱包作業、拓本や裏打ち、和綴じ、複製の作成、調書のとり方、そして展示実習。盛りだくさんの内容は、既成の博物館を利用した一般の「博物館実習」では、望むべくもないものです。自分がいかにモノを知らないか、実感させられましたね。けれどもほとんどが1度きりの体験でしたので、まったく身体化はされていません。数ヶ月もすれば忘却されてしまう知識でしょう。常に触れる実物、手元にほしいものです(まあ、幾つか寺にあるんですが、練習台にはできないだろうなあ)。
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