今日は、完徹で書類を作成して大学へ。事務仕事の合間に眠い目をこすって、ゼミ生のTさんが出演するSophia Modern Dancersの公演「月の物語~第十六夜~」を観てきました。ひとつの物語を、セリフなしの創作ダンスで表現するこの集団の舞台は、2回目、実に18年ぶりの経験です。最初にその熱演に接したのは学部1年生の頃、今はNHKの関連会社に勤める同級生のIさんに誘われた(あくまでノルマを満たすために)のがきっかけでした。当時の私は、学問はあくまで大学の科目、クリエイティヴな活動こそ一生の仕事と考えていました(現在はそれを諦めたわけではなく、学問的実践がその範疇に入ってきただけです)。ちょうど土方巽などにはまって〈舞踏〉の可能性に目覚めたときでもあり、通常のセリフ劇にはないその幻想性、象徴性に強く魅せられた覚えがあります。
さて、今回の公演は、アンデルセン『絵のない絵本』の第十六夜が原作。生来の道化プルチネッラが、一座の看板女優コロンビーナに恋をする悲喜劇。チャプリンの『ライムライト』やさだまさしの『翔べイカロスの翼』ではないけれど、人を笑わせる、楽しませるという行為には必ず何らかのサクリファイスが伴うもの。その核心を詩にしたような、プルチネッラが人知れず流す涙そのもののようなこの小品には、非常に静謐な印象を持っていたのですが、Modern Dancersの舞台は意に反し、弾けるリズムに踊り手たちの身体が躍動する激しいもの。最初はちょっと違和感がありましたが、しかし、繰り返される劇中劇の流れに身を任せているうちに、「ああ、これこそが道化芝居の本質だよな」と思い直しました。笑顔を振りまく踊り手、学生たちのひとりひとりに、プルチネッラの悲劇性が重なってきたのです。彼らはいまどんな経験をし、どんな想いを抱きながら、このパフォーマンスをこなしているのか。そう考えると、物語全体を支える月のまなざし、優しく穏やかな時間が、舞台の喧噪の向こう側にみえてくる。美しい月と自分を重ねるのはおこがましい限りですが、その視線とリンクさせると、この舞台のなんと愛しくかけがえなく映ることか……。スタッフロールが流れる頃には、どこからか、「君のその小さな手には 持ちきれないほどの悲しみを せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」というフレーズが聞こえてくるようでした。
そういえば、月こそは死と再生の象徴。自ら欠けそして満ちてゆくことで、あらゆる生命に復活の力を与えると考えられてきた存在です(『絵のない絵本』自体が、そうした観点から物語の再生、絵かき=詩人の魂の再生を描いているのでしょう)。Modern Dancersの舞台が、観客にとって、人生に寄り添う月の光のようであればいいですね。Tさん、関係者の皆さん、どうもお疲れさまでした(ちなみに個人的には、絵かきとプルチネッラは同じ役者が演じた方がよかったのではないか、舞台の動/静をもう少し強調した方がよかったのではないか、との感想を持ちました。最後に文句を付けてすみません)。
それにしても、今回の公演は女性ばかりで宝塚のようでしたね、昔はもっと男性が出演していたのに……。こういう表現を理解するデリカシーが、いまの男子学生にはなくなってしまったのでしょうか?
さて、今回の公演は、アンデルセン『絵のない絵本』の第十六夜が原作。生来の道化プルチネッラが、一座の看板女優コロンビーナに恋をする悲喜劇。チャプリンの『ライムライト』やさだまさしの『翔べイカロスの翼』ではないけれど、人を笑わせる、楽しませるという行為には必ず何らかのサクリファイスが伴うもの。その核心を詩にしたような、プルチネッラが人知れず流す涙そのもののようなこの小品には、非常に静謐な印象を持っていたのですが、Modern Dancersの舞台は意に反し、弾けるリズムに踊り手たちの身体が躍動する激しいもの。最初はちょっと違和感がありましたが、しかし、繰り返される劇中劇の流れに身を任せているうちに、「ああ、これこそが道化芝居の本質だよな」と思い直しました。笑顔を振りまく踊り手、学生たちのひとりひとりに、プルチネッラの悲劇性が重なってきたのです。彼らはいまどんな経験をし、どんな想いを抱きながら、このパフォーマンスをこなしているのか。そう考えると、物語全体を支える月のまなざし、優しく穏やかな時間が、舞台の喧噪の向こう側にみえてくる。美しい月と自分を重ねるのはおこがましい限りですが、その視線とリンクさせると、この舞台のなんと愛しくかけがえなく映ることか……。スタッフロールが流れる頃には、どこからか、「君のその小さな手には 持ちきれないほどの悲しみを せめて笑顔が救うのなら 僕はピエロになれるよ」というフレーズが聞こえてくるようでした。
そういえば、月こそは死と再生の象徴。自ら欠けそして満ちてゆくことで、あらゆる生命に復活の力を与えると考えられてきた存在です(『絵のない絵本』自体が、そうした観点から物語の再生、絵かき=詩人の魂の再生を描いているのでしょう)。Modern Dancersの舞台が、観客にとって、人生に寄り添う月の光のようであればいいですね。Tさん、関係者の皆さん、どうもお疲れさまでした(ちなみに個人的には、絵かきとプルチネッラは同じ役者が演じた方がよかったのではないか、舞台の動/静をもう少し強調した方がよかったのではないか、との感想を持ちました。最後に文句を付けてすみません)。
それにしても、今回の公演は女性ばかりで宝塚のようでしたね、昔はもっと男性が出演していたのに……。こういう表現を理解するデリカシーが、いまの男子学生にはなくなってしまったのでしょうか?