仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

北方『水滸伝』完結によせて

2005-11-29 01:55:47 | 書物の文韜
境内の紅葉もようやく色づいてきました。この秋、足かけ5年19巻にわたって書き継がれてきた長大な物語が完結したわけです。そう、北方謙三の『水滸伝』ですね。
研究会の後の飲み会でも発言し、場合によっては講演や講義の際に喋ったりもしているのですが、私は北方のファンです。といっても、ハードボイルド小説はまったく読みません。時代小説専門です。歴史研究者のなかには、吉川英治や司馬遼太郎は愛読しても、「北方なんて……」と小馬鹿にしているひとが多いのではないでしょうか。私にいわせれば、まったくの見識不足です。北方は凄いですよ。

北方作品の魅力。まず、文章がよい。硬質にして簡潔、しかしその下には情熱が秘められている。この文体に慣れてしまうと、他の作家の叙述は恥ずかしくて読めなくなってしまいます。高橋某など、冗長でキレも悪く、何でもかんでも書きたいという幼さが目に付きます。いまや巨匠の扱いを受けている津本某も、ほとんど推敲されていない稚拙な文章で、読むに値しません。
それから内容的なこと。第一に戦争の描写。現在、日本の時代小説作家で、彼以上にリアルに戦闘を描けるひとはいません。騎馬や歩兵といった兵種の役割や動かし方、槍・戟・弓など武器の特性と使いどころ、戦車や船など兵器の構造・製作技術・操練の方法まで、あらゆる点を熟知し消化している。その勉強量は、恐らく並の研究者以上でしょう。兵糧の確保・供給の問題(戦争を起こすとなると、国家財政の何割を軍費に割けるか、足りなければどのように調達するか、といったことが議論されたりします)、兵の調練・練度の問題を重視しているのも、他の小説には類をみない周到さです。彼自身が武道家であるためか、後者は求道的な武術修行のモチーフへも発展、登場人物の哲学的な自己省察とも絡んできます(『三国志』では馬超、『水滸伝』では王進と弟子たちが、そのような存在の典型として登場します)。もちろん、諜報戦も大きな比重をもって描かれていますので、「このキャラはもしかして、ここでやられちゃうの?」と、平時にもかなりの緊張感をもって読むことができます(『三国志』にも『水滸伝』にも登場する致死軍など、象徴的な存在でしょう。作者のお気に入りのようです)。
第二に思想性。彼が最初に描いた時代小説は日本中世の南北朝もの(確か『武王の門』)。それから幕末、中国の『三国志』『水滸伝』『楊家将』の世界。最近では平安期、承平天慶の乱なんかも扱っていますね。みんな、政治・社会の中心となる秩序が動揺している時代。なぜこれらが扱われるのかというと、全共闘時代以来(一部隊を率いて機動隊と戦っていたそうです)、彼の永遠のテーマが天皇制の価値(侵されざる秩序の中心は、国家や社会の平安にとって必要なのか?)を問うことだからでしょう。南北朝や幕末の内乱は、天皇制に向けられた疑問そのもの。『三国志』の方は、絶対的価値を持つ秩序の中心を創出・維持しようとする劉備と、それを否定する曹操との〈くにのかたち〉をめぐる思想的争いとなっています。『黒龍の柩』や『絶海にあらず』によれば、北方自身は、多焦点的な秩序のあり方こそ健全で発展的である、と考えているようですね。前者で坂本龍馬が提案する蝦夷地独立論(間宮林蔵以来培われてきた幕府の調査資料をもとに、勝海舟と小栗上野介、一橋慶喜が準備し、榎本武揚と土方歳三が実現へ向けて奔走する)など、非常にリアルです。
第三は急転直下の悲劇、あるいは滅びゆく理想。この点がいちばんハードボイルドっぽいところですが、いやあ、掛け値なしに泣けますよ。『三国志』にしろ『黒龍』にしろ、どこからみても完璧な計画で夢が実現されてゆく、あともう一歩のところで完成する、そこまで物語を盛り上げておいて、伏線として張ってあった綻びから、いつの間にかすべてが瓦解していってしまう。その展開が実に巧妙で、そして潔く、高橋某のようにセンチメンタルではない。絶賛です。

前から北方についてコメントしようと思っていたのですが、書きたいことがありすぎて、うまくまとめられませんでした。『水滸伝』自体についてまったく書いていませんし……。とりあえずは完結を祝いましょう、ということでご容赦を。けれども個人的にお薦めしたいのは、南北朝ものなら懐良親王の『武王の門』と北畠顕家の『破軍の星』、幕末ものなら土方歳三の『黒龍の柩』、中国ものなら『三国志』ですね。どれも最高傑作、司馬遼太郎や吉川英治を超えています(『水滸伝』は、いままでの作品の集大成的な性格がありますね。逆にいうと新鮮味はない。登場人物が多すぎるためか、キャラの書き分けが統一されていない部分もあります。言葉の使い方、話し方が巻によって変わっていたりとか……)。ぜひお試しあれ。
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『冥報記』+仏教文化史研究会11月例会

2005-11-28 14:03:07 | 議論の豹韜
昨日の日曜は、高田馬場のルノアールにて、『冥報記』+仏教文化研究会11月例会がありました。某研究会をドロップアウトした考古・歴史の研究者で始めた、気の置けない楽な議論の場です。今回は、お父さん=池田敏宏さんの「多宝塔についての覚書―『冥報記』中巻第二話によせて―」と、内藤亮さんの「神仏習合と神仏隔離の境界域」。

池田さんのご報告は、『冥報記』中巻第二話の仏塔・仏舎利・仏像出現のモチーフを鍵に、多宝塔の中国・朝鮮・日本に至る展開を跡づけるもの。中巻第二話自体は、池田さんの注目した法華多宝塔に関わる霊験譚を含む前半より(これはよくある話。舎利を鎚で叩くという例の問題も出てくる。ただ、『集神州三宝感通録』には出ていないみたい)、蕭ケイ(王+景)の入滅を描写する後半の方が面白い。普賢菩薩が来迎するというんですけど、これは『法華経』の終章が「普賢菩薩勧発品」であることか、もしくは同経の結経とされる『観普賢菩薩行法経』の懺法と関わるんでしょうね(観普賢の行法が、臨終作法として行われていたりしたんでしょうか?滅罪という意味でなら可能性はありますよね。師さんも面白そうなことを書いていましたが、観仏には大いに関心があります)。「酒宍を以て祭る」とか「不浄」という言葉が出てくるのは中巻第一話を思わせますが、同じ『法華経』関連の話だし、構成上連続しているし、何か繋がりを持たせられているのかも知れませんね。普賢菩薩が出現するのが「東院」で、自分自身は西へ正対、長跪合掌して入滅するというのも気になる記述です。興味をそそられます。
内藤さんのご報告は、考古学的な神仏習合論への批判。須田勉氏や笹生衛氏が論じる仏堂的遺構(「村落内寺院」といわれたりしています)が、本来遺物とのセット関係で性格判定されなければいけないものであるはずが、近年は遺構のみでアプリオリに仏堂的性質を持つように主張されていることへの警鐘。まったくそのとおりだと思います。神社遺構と呼ばれるものも同じですね。

今回はいろいろな学会と重なっていたせいか、参加者は少なめ。しかし、昔なじみの人たちばかりなので、安心していいたいことがいえます(ときにエスカレートしますが……)。飲み会からは、あきる野市で講演を終えたばかりの宮瀧交二さんも参加。お互いに愚痴をいいあいつつ、自分がやはり恵まれた環境にあり、しかし研究に怠惰であることを反省。がんばらねば!(とそのときだけ熱くなったりする)。
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三宝絵研究会第2回集会

2005-11-23 13:40:39 | 議論の豹韜
火曜は成城大学にて、共同研究の「三宝絵研究会」第2回集会が開かれました。今回はわが心の師(?)、増尾伸一郎さんのご報告で、タイトルは「道慈と大安寺大般若会」。

『三宝絵』の下巻は諸寺法会の縁起譚がまとめられていて、大安寺の大般若会は第十七話です。今回のご報告は、同話の構成と素材について考察した基礎的なもの。前者では、a)大安寺の来歴・b)道慈による大般若会始修・c)『大般若経』の霊験の3部構成になっていることをあらためて確認、後者では、天平資財帳・寛平縁起のほか、『大安寺碑文』『三宝感応要略録』の重要性を指摘されていました。
私は、奈良期に『大般若経』へ対雷の霊験が期待されてゆく理由(天平資財帳、『続紀』にみる道慈の大般若会始修申請、道行による奉為伊勢大神の大般若経書写などもこの文脈です)、時代が降るに従い縁起類から舒明天皇の業績が消えてゆく理由などに関心があったので、早速に質問。増尾さん自身、明確な答えはまだみつけられていないようでしたが、自分でも調べてみたい気がしました。次回は私が報告ですし……でも、増尾さんのネタを横取りしてしまうことになるのでまずいでしょうね。

実はいまだ、自分がいかなる問題意識をもって『三宝絵』と向きあうべきか、見通しを持てていないのです。このところ出講の行き帰り、電車のなかで『三宝絵』を広げているのですが、「おっ」というようなネタはみつかりません。院生のとき、良弁を調べている関係から石山寺を扱い、その縁起の展開を跡づけるなかで『三宝絵』にも触れたのですが……日本宗教史懇話会サマーセミナーなどで報告させていただいたにもかかわらず、以後ずっと封印し論文化もしていない情況です。それを蒸し返すのも気が乗りませんし……。今のところ、比叡懺法のところに出てくる『提謂経』に着目し、その日本における展開を『三宝絵』に結びつけて考えるか、あるいは長谷菩薩戒の話に出てくる樹木伐採のモチーフを調べ、仏像製作と伐採抵抗との関わりについて論じようかと考えていますが、どちらが有効に展開しそうか……。資料を集めて、年内には見極めていきましょう。

終了後の飲み会は、冬らしくお鍋主体。久しぶりにたくさん食べました。しかも、ほとんど篠川さん、増尾さん、小林さんのおごり状態。ごちそうさまでした。
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ぱらいそさ、行くだ~

2005-11-22 11:43:56 | 劇場の虎韜
また日曜の話です。この日は精力的に行動しました。
土居さんと渋谷でお昼を食べた後、彼は渋沢史料館、私は一路新宿歌舞伎町へ。ずっと前から期待の高まっていた映画、『奇談』を観ようというわけです。

上映時間まで少々余裕ができたので、近くの〈ロッテリアplus〉で鋭気を養い、新宿オスカーにのりこみました。この劇場、70年代にタイムスリップしたかのような古さで、「上野、浅草以外に、こんなとこまだあったのか」と感心するような場所。サービスも悪い。映画が、この悪条件を払拭してくれるような出来であることを祈る。結果は……。
う~ん、まあ、よかったんじゃないでしょうか。

設定は1974年で、いたずらに現代の話にしていないところがまずよい。登場人物のファッション、髪型、立ち居振る舞いへの気の遣いよう。どこぞの映画のようにCGを多用しなくても、薄暗いトーンの画面に、じゅうぶん70年代の雰囲気が漂っていました。そして何よりリアルだったのは、舞台となる東北の寒村の存在感。湿った家々の柱、板壁、今にも潰れそうな重量感のある茅葺き屋根。前に書いた『ノロイ』の急ごしらえとは、ずいぶん違う印象を受けます(ま、あれは現代の話だから、私たちの日常に繋がっていていいのですけど)。
そして、村の長老を演じた草村礼子の奇妙な存在感(『Shall We ダンス?』の珠子先生、『たそがれ清兵衛』のお祖母さんと比較すると、その演技力の凄まじさが分かります)。この種の映画には欠かせなくなった、もう岸田森と比較しなくてもいいほどかっこいい堀内正美。まっとうな学者を演じていても、どこかに狂気の陰を感じさせる土屋嘉男(なぜ彼の民俗学研究室は、みんな白衣を着ているのか?)。自分の内面と葛藤し、ある種の狡さを露呈してしまう芝居がみごとな清水紘治。脇を固める俳優陣がくろうと(マニア?)好みですばらしく、一龍斎貞水に〈怪談〉を語らせる趣向もにくい。主役の藤澤恵麻も、朝ドラのときには「まったく芝居がうまくならない」という印象しかなかったけど、純真なヒロインを涼やかに好演(躊躇する仕草、そして語りがよい)。映画では詳しく語られないものの、異端の考古学者稗田礼二郎を秘かに敬愛している様子がよく出ていました(なぜだろう。自分は民俗学者なのにね)。阿部寛は、礼二郎を演じるのは2度目ですが(つまり榎木津ね)、今回の方が数段よい。山奥の村にスーツで フィールドワークにやってくる異常さ(とても考古学者にはみえない)、しかしそれがなぜか周囲の風景にとけこんでいる不思議さ。いつものアクは控えめで、理知的で静謐、しかし真実を探求する情熱(真実しかみない狂気)にも溢れている。
役者の方々の力量はもちろん、監督小松隆志の演出力も大きいのでしょう。『クマグス』で果たせなかった民俗学映画の夢、実現できてよかったねえ。

しかし当然、問題もあるわけです。
まずは脚本。原作を脚色して主人公を女性にし、傍観者ではなく、事件に主体的に関わらせた点は成功していると思います。しかし、彼女と事件とを結びつける幼児体験、神隠しが、物語の根幹とどう関わっているのか論理的に説明できない。なぜ子供たちは、神隠しにあわなければならなかったのか。主人公の里美は〈いんへるの〉をみずに逃げ出したのに、なぜ記憶喪失になってしまったのか。新吉は〈じゅすへる〉の子孫ではないのに、なぜ〈ぱらいそ〉へゆけたのか……などなど。つまり、よくよく考えてみると、原作に付け足した要素がうまく整合性をもって繋がっていないのですね。それから、やはり低予算ゆえの哀しさも。渡戸村や〈はなれ〉全体の俯瞰など、CGもしくはマットのちゃちさ。これは少々興を殺ぎました。

でも、どなたかのコメントにもあったように、全体的には諸星スピリットをよく理解した、いい映画だったと思いますよ。少なくとも、どこぞのワースト忍者映画のように、原作を冒涜してはいない。このスタッフで、『暗黒神話』が観たいなあ。
ところでラストの名セリフ、原作では「みんな、ぱらいそさ、いくだ!」でしたが、映画では「みんな、ぱらいそさ、いくンだ~!」となっていました。東北弁では後者の方が正しいのでしょうか?(この点、原作は諸星大二郎の想像で、いい加減らしいです)
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表象文化論学会設立準備大会

2005-11-21 10:47:11 | 議論の豹韜
以前に紹介した表象文化論学会。土曜は上智で報告していたので、麹町にホテルを予約して宿泊し、日曜の午前中のみ出席してきました。

第2日目午前中のプログラムは、下記の3つのパネルからひとつを選んで聴講する形式。
 A)「表象不可能なものの回帰―カタストロフ以後の暴力批判―」
 B)「ネゴシエーションズ―イメージとその外部―」
 C)「近代の上演」
私は迷わずAを選択。報告は3つで、
・宮崎裕助氏「神的暴力の正義、超表象の悪―デリダとナンシーにおける「アウシュヴィッツ」の表象―」
・多賀健太郎氏「喪の証言性をめぐって―声・記憶・神話―」
・香川檀氏「ドイツのホロコースト記念碑論争と〈対抗記念碑〉」
どれも、近年方法論懇話会で扱ってきた記憶、ブラックボックスとしての外部、そしてデリダと深く関わる内容です。
自分が報告した翌日で疲れてもいたせいか、発表者の物語りがなかなかストレートに入ってこず、少々困惑。そんななかで面白く聞けたのは、香川さんの発表でした。氏は、悲惨な事件を記念するモニュメントが持つ文法上の問題(例えば、建立が完了になるという無時間性(事件を想起させ継承させてゆくのではなく、そこで終了させ断絶させてしまう危険性を孕む)、教訓的・権威主義的なナラティヴ(経験を共有していない若者らから敬遠されてしまう)など)や、従来の方法論の限界(再現的具象化、神話などをモチーフとした寓意像、抽象化のどれもが、被害者の経験と齟齬を生じてしまう)を指摘し、それらを克服する可能性を持ったゲルツの〈対抗記念碑〉に注目します。これは、抽象的造形物自体が最終的には姿を消し、その〈不可視性〉によって逆に強烈な印象を生じるもので、従来の記念碑の伝統だった視覚志向性を転換した画期的試みと評価される。しかし、アイゼンマンによるホロコースト記念碑はさらなる革新を目指し、訪問者が石の森を彷徨するという不安定な経験に誘われ、結果、出来事=他者の経験との客観的距離が消失してゆく。記念碑における能動的メランコリーをいかに生み出すかという点で、この〈効験性〉にこそ新たな可能性が見出される、ということです。

最後の〈効験性〉云々は疑問ですが、真に表象不可能である死者の領域へ、訪問者の回路を開いてゆく役割は持つでしょう。日本でも最近、戦争関係の記念碑に対する悪質ないたずら、破壊行為が目立ってきています。直接経験の衝撃度を維持した集合的記憶をいかに構築するか、もう少し真面目に考えた方がいいかも知れませんね(幕末見廻組の佐々木唯三郎の墓が坂本龍馬ファンに壊されるとか、小説などによる衝撃度の回復が新たな問題を生む場合もありますが……)。
しかしいちばん気になったのは、どの報告や議論のなかにも、記念行為による死者の個性の剥奪を問題化する視点が欠けていたことですね。佐藤壮広さんじゃありませんが、ホロコーストで亡くなった方々を被害者として総括し、その多様な生の軌跡への接続を限定してしまうこと自体が、最大の暴力なのではないかと思います。アイゼンマンの創作はひとつの可能性として、その不安定な経験を個々の直接経験へ開いてゆく、本当の意味での〈効験性(というより〈感得行為〉とでもした方がしっくりきますが)〉が議論されるべきでしょう。

どうでしょう、表象文化論学会。私は全日程に参加したわけではないので何ともいえませんが、面白い反面、東大臭が立ちこめているところが気にかかり(?)ましたね。ま、単立の学会というより、東大表象文化論学科所属の学会というイメージなんでしょう(このへんのことは、きっと土居浩さんが批判してくださるでしょう。1日目は師茂樹さんも参加されていたようなので、彼のコメントにも期待です)。報告者がみんな同じ根っこを持っているせいか、書物の引用傾向なんかが共通している点も、興味を失わせます(このあたり、報告者自身の言葉が素直に受けとめられない原因かもしれません。もうベンヤミンはいいよ)。
可能性と問題点、両方が目につく学会でした。

終了後、同じパネルに参加し、いつの間にか背後に忍び寄っていた土居さんと渋谷で食事。またオタクネタで話し込んでしまいました。そうそう、『叢書 史層を掘る』リスペクトの話題にもなりましたね。次なる世代を学問の世界へ呼び込むためにも、あらたな時代へ向かって〈史層を掘〉り進んでゆきたいものです。
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懐かしいね

2005-11-21 10:23:41 | 生きる犬韜
土曜日、母校上智大学の史学会に出席し、日本史部会で報告をしてきました。
私の発表内容は、先週の早稲田古代史研究会とほとんど同じ。ただ、持ち時間が30分だったので、かなり忙しい語りとなってしまいました。難解な『周易』の箇所にほとんどの時間を使い、伊尹や太公望、張良との関係の部分は、ラスト数分間でほんのちょっと史料を紹介した程度です。参加された皆さん、分かりにくくてごめんなさい。

大会・懇親会終了後、久しぶりに会った後輩たちと飲み会。私は飲めませんので、ジュースと紅茶でお付き合い。しばらくみないうちにみんな貫禄がついてきて、最近結婚したひと、これから結婚をする人もあり(おめでとう!)。うちの院生たちは〈院内結婚(病院じゃないですよ、大学院です)〉が多いですが、それも院生室の雰囲気がよかったからだろうと思います。日・東・西入り交じり、学術的話題から世間話、オタク話と、年がら年中お茶を飲みながら語り合っていた印象があります。あの頃の気持ちに帰り、楽しい時間を過ごすことができました。昼間は、未だ研究を続けている数少ない同期生、関根淳君と斎藤貴弘君とも久々に言葉を交わすことができました。
お互い、苦しいことはたくさんありますが、頑張って学問の根っこを支えてゆきましょう!
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説話の可能態

2005-11-16 14:07:18 | 議論の豹韜
『歴史評論』12月号で「『日本霊異記』から古代の社会をよむ」という特集が組まれ、私も参加して「説話の可能態」という駄文を寄せました。説話は伝承とは異なり、語りの場で絶えず変動する言説であるから、書かれたものから在地での内容に迫ることは難しい。物語を成り立たせている多様な文脈を探り当て、その変動領域(発現しうるかたち、すなわち可能態)を把握することが重要であると主張したものです。
2年前の宗教言説研究会でおおまかな内容は報告、今夏、首都大OU終了後の飲み会で構想を練り直し、8月末に文章化しました。多くの人に支えられてできあがった原稿ですが、ちょっと言葉足らずになってしまいましたかねえ……。

ぼくは『霊異記』を読む際、景戒の思想や社会認識以前に、その言葉が厄介だと考えています。言語論的転回以後、テクストの外にはテクストしかないという実証主義批判を受けて、言語の問題にはかなり慎重になってきました。例えば化牛説話でもいいですが、指示地域や採録時期、収録巻数なども異にする説話群が共通の表現・文言を持つというのは、景戒の整理・記録に由来すると考えた方が自然ですし、仏典や漢籍との共通項が見出せるのは、彼がそれらの言説をパッチ・ワーク的に繋いで文章を紡いでいったからでしょう。
これまでの研究史では、この景戒の筆録、というより、書くという行為がいかなる意味を持つものなのか、かなり軽視されてきたように思います。無色の記録などというものはありえませんから、書くことと解釈すること、創造することとは切り離せません。原説話が口承であるにしろ書承であるにしろ、景戒の筆録作業を介することで、それは景戒の文体になってしまいます。語りの現場がフレキシブルなものであればなおさらですし、第一、話し言葉と書き言葉が隔絶している古代、充分浸透していない仏教的言辞・表現を用いての文章化とすれば、説話は景戒による筆録の時点で生まれたともいいうるでしょう。よって、素材情報に在地社会との関係を問うことは不可能ではないものの、説話の内容から在地の実態を復原するのは大変困難な作業となり、実はほとんど確かな根拠がなくなってしまうのです。

こういうことをいっていると相対主義者のように思われてしまいますが、しかし私も実態の存在を否定しようとしているわけではなく、あくまでその把握のための準備作業を行っているつもりです。つまり、景戒が〈書いたもの〉から実態を読もうとする従来の研究では、実態はむしろ明らかにならず、かえって景戒の構築したテクスト内部で右往左往することになってしまう。そうではなく、景戒の〈書く〉という行為からこそ、実態に迫ることができるのではないか、というわけです。
研究史の流れに乗ってしまっているので不自然には感じませんが、『霊異記』に載っているということ以外、形成主体も時期も過程も分からない説話を、その登場人物や事物と直結させながら分析してゆくという方法は、たぶん日本史学でしか通用しないのではないでしょうか。例えば人類学や民俗学で、インフォーマントが明確に判明している(研究者の前で語ってくれている)物語り自体の不確定性が問題になり、より細密な方法が模索されている現在、歴史学における『霊異記』の研究情況は、ぼくにはものすごく牧歌的に思えてしまいます。じゃ、お前の方法はどうなのよ、といわれると、すごく困るんですけどね。

いずれにしても、『霊異記』については、今後も常にいろいろな方法を試しながら〈読み方〉を模索してゆこうと思っています。今回は、〈説話の可能態〉という視角で、書かれたもの=語られたものという誤解、話型は変動しないという信仰を壊し、現場の語りの多様性を再構成することが目的でした。あまり成功しませんでしたが、また次の機会に頑張ります。
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早稲田古代史研究会

2005-11-15 12:04:16 | 議論の豹韜
久しぶりの投稿です。
なぜ今まで書けなかったかというと、12日土曜日に行われた、早稲田古代史研究会での報告のためでした。これまでにも何度か触れてきましたが、かなりスケジュールのきつい状態でしたので、研究者の耳目に耐えうる内容にするのがものすごい大変だったのです。

タイトルは、「鎌足像の構築と中国的言説」。
大化改新の立て役者である中臣鎌足が、史/伝という言説形式においてどのように叙述されているか。先学の指摘のとおり、そこには数多くの漢籍に基づく表現がみられるのですが、それは単にレトリックとしてのみ用いられているのではない。例えば『家伝』には、その成立自体に『周易』坤卦に由来する〈積善余慶〉言説との関係がうかがえますが、それは『芸文類聚』や『文選』にもある慣用句の援用ではなく、『周易』における占辞に関する一定の理解を背景としている。「大織冠伝」自体に含まれる『周易』の字句も同様で、また、鎌足自体の言動のあり方も易断に沿う形で整備されている形跡がある。中国的文脈では、卜占は史の発生と分かちがたく結びついており、卜官=史官の活躍する姿が『左伝』や『国語』などに確認できる。古代日本へは、隋唐の官僚的史官が制度として輸入されるほか、上記の卜官=史官がイメージとして流れ込んでいる。それらの比較検討をとおして、古代的歴史叙述、古代的歴史観のあり方を考えようという目論見です。同じ目的で、中国的な英雄/軍師のリフレインが鎌足像の構築にどう機能しているかも検討。結びでは、前近代には、近代歴史学が分断した過去を主体的に生きなおす歴史観が躍動しており、それはリクールなどのいう〈代理表出〉、失われ隠蔽された過去を救済するというポストモダンの歴史観と、どこかで結びついているのだとブチアゲました。

久々に純粋な歴史学の研究会で報告しましたので、どう受け取られるか心配だったのですが、意外にも好評で安心しました。確かに、中臣や卜部、藤原の捉え方が研究史と断絶しているので、そのあたりには質問が集中しましたが、ギャップはむしろ意図的なもの。皆さん、おおむねこちらの考えは理解してくださったようです。拙い話に最後までお付き合いいただき、感謝感激。
尊敬する小林茂文さんが駆けつけてくださったことも、大変光栄なサプライズでした。小林さんの『叢書 史層を掘る』掲載論文との出逢いがなければ、日本史はここまで広げられるのだ!という確信も、現在の方法論的スタンスも培われなかったでしょう。多くの研究会でご一緒している三品泰子さんも、お忙しいなかを参加してくださり、あの場においては、三品さん以外に発することはできないであろう質問をしてくださいました。心より御礼を申し上げます。

それにしても、もうひとりの発表者だった稲葉蓉子さんの緻密な報告をうかがっていて、自分がいかに日本歴史学の中心から逸れてきてしまったかを再認識しました(いやあ、律令引いていなくて申し訳ありません)。議論の途中、「熟達の問題はもちろんありますが、ぼくも易はたてられますよ」といったときの、会場のどよめきも印象的。文学や宗教学だったら、みんなが実践するかどうかはともかく、「やってみたい」とは思っているでしょう。そういう発想に驚いてしまうところが、文献史学なんですかね。
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熊の手

2005-11-09 10:29:35 | 生きる犬韜
コネタをひとつ。

今朝、寺の茶の間でコーヒーを飲んでいると、長兄が「スズメバチはなぜ黒いものを攻撃するのか」という話をしだしました(私たち僧侶は黒服!ですので、今年のように蜂被害の多い年には注意が必要です)。答えは、熊が蜂の巣を襲うので、その防御のために刷り込まれているとか。そこで、先週観た『チャングム』のなかでのある会話を想い出しました。
高級食材である熊の手は、右と左とでは価値が違うという話。熊は蜂の巣を右手で壊すので、右手には蜂蜜だのプロポリスだの、蜂の巣に関わる様々な滋養が染みこんでいるのだそうです。本当なのかな。

山形のとある民宿では、「熊の手そば」(10万円!)が人気だそうな。こちらは右手?左手?
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環境/文化研究会11月例会

2005-11-09 09:24:40 | ※ 環境/文化研究会 (仮)
昨日は、早稲田大学で、環境/文化研究会の11月例会が行われました。
出席者は、石津輝真さん、亀谷弘明さん、工藤健一さん、久米舞子さん、榊佳子さん、武田比呂男さん、土居浩さん、藤井弘章さん、三品泰子さん、宮瀧交二さん、山口えりさん、私の12名。平日の夜にもかかわらず盛況で、文学・民俗学・地理学・歴史学と、広がりのある集会になりました。

報告は工藤健一さんで、「斎藤正二『日本的自然観の研究』を読む」。
以前、斎藤英喜さんと武田比呂男さん主宰で行われていた宗教言説研究会の方式を踏襲し、こちらの会でも、研究史および方法論に関する報告と、個別実証的な報告の2本の柱を立てています。今回は前者の流れで、会発足時から問題とされていた〈環境史研究の埋もれた巨人〉、斎藤正二さんの業績の紹介です。前回、武田さんがご自身の師匠でもあるもう一人の巨人、平野仁啓さんを担当してくださったので、会のメンバーそれぞれが、ようやくお二人の活躍を共通認識として持てるようになったわけです。
斎藤さんの仕事については、ここであらためて書くこともありませんが、とにかく広い分野をカバーした文化史研究が眼目です。代表的著書、『日本的自然観の研究』の新しさは、70年代の刊行にもかかわらず、方法論が極めて構築主義的なところでしょうか。近代に構築された日本的自然美礼賛のイデオロギー(いまでいう〈エコ・ナショナリズム〉。志賀や芳賀を扱っているところが、モーリス=スズキより偉い?)を解体するため、古代における類書を通じた中国的自然表現の受容・学習を問題とする。日本人は、古代以来、天皇制と中国的言説を軸に構築されてきた言語フィルターを通して景観をみてきたのであり、これまでいちども、自然環境と直接的交感を持ってはこなかったというわけです。使用している史料の限定性、場当たり的な理論の用い方、経験主義的な感覚にはとうぜん問題もあるものの、その視角と結論はいまなお鮮烈です。早すぎたカルスタ、カノン論、という感じでしょうか。
平野さんが最新の理論を用いながら自然観の変遷を体系的に論じてゆくのに対して、斎藤さんはもっぱら自然礼賛を解体すべく、関心のある方向だけに突き進む。芸道のうえに現れる〈美〉への執着から、対象も和歌や生け花などへ収斂されてゆく。だから、関係論的な平野さんの叙述に対し、非常に個別具体的な印象を与えるわけです。イデオロギーを扱っているのに実存重視だし、それでいて構造主義とかなんとかいっている。まったく不思議な人です。
斎藤さんの業績について、あらためて考える機会をいただきました。工藤さんに感謝。会としても、これからもっと彼の業績を読み込んでいかねば。南方熊楠、柳田国男、折口信夫、宮本常一、和辻哲郎、今西錦司、梅棹忠夫、広松渉……と、まだまだ取り組まねばならない巨人がひしめいていますし、これからが大変です。

その後、藤井さんから、12月から始動しそうな関西例会の報告をいただき、いよいよ活動が全国化してゆく気配を感じました。3月の和歌山での合同合宿も、大まかな枠組みは決定。清水町の棚田を見学しつつの研究集会となりそうです。また、環境研究の文献情報を集積するデータベースを、ブログ形式で構築することとなり、どこに作るのが適当か調査を始めました。これはもう、今月中に始動させたいですね。

最後の飲み会では、相変わらずのオタクなネタで盛り上がりました。方法論といいこの会といい、討論が終わると学問的な話題はあまり出ない。いいのか悪いのか……。
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間に合うか?

2005-11-08 05:02:33 | 生きる犬韜
早稲田古代史研究会での報告が近づき、少々余裕がなくなってきました。ブログも書けない日が多くなり、もう毎日『易経』『六韜』三昧です。しかし、「災害史」の原稿を早くに終えることができなかったので、結局本格的に準備し始めたのは先週末。1週間でどれだけの内容、精度のものができるか(って、できないんですけど)、かなり追い詰められています。今日も演習の時間まで、図書館で『群書治要』や『銀雀山漢簡釈文』をめくっていました(ちなみに、このブログのカテゴリーは『六韜』の篇目から採っています。「書物の文韜」は、「おそらく読書日記が中心になるだろう」との予想で命名?したのですが、まだまったく書かれていません……)。

演習の方は、後期は『日本霊異記』を読んでいます。前期は『書紀』『古事記』などから史料をピックアップして、物語りの現場と筆録過程を重視し、通常の歴史学の演習とは異なる読み方をしてきました。書かれている内容に直接アクセスするのではなく、語る/書くというプラチックを通じて考えるという、多分に構築主義的なアプローチです。『霊異記』もその路線で読んでいますが、前期のうちはとまどっていた学生たちも、最近なかなかいい報告をするようになりました。
今日は中巻第一縁、長屋王悪死の物語。担当は4年生のSさん。数少ない本物の古代史専攻希望者で、目下の関心は高市皇子に向いているとか。高市は長屋王の父親ですね。そういう意味もあってか、ずいぶん関心を持って臨んでくださったようで、沙弥打擲事件の起きる法会の場・日時に関する景戒の作為、怨霊信仰の嚆矢となる表現から、長屋王事件、長屋王家木簡や和銅経・神亀経の問題まで、盛り沢山の内容でした。気が付けばもう9時、終了10分前です。自らの問題意識を中軸に据え、それを解き明かすために史料や論文を博捜してゆく、演習の発表としては理想的な姿勢。たいへん好感が持てました。
しかし、もう少し早く終わってくれたら、みんなでいろいろ議論ができたのになあ。すばらしい報告だっただけに、ちょっと残念。

帰りの湘南新宿ラインでは、長屋王を襲った不幸に思いを馳せつつ、『六韜』をひたすらめくった次第です。
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ラジオドラマ『古事記』を少しだけ聴く。

2005-11-04 05:48:21 | テレビの龍韜
NHKFMのラジオドラマ『古事記 神代篇』をMDに録音し、さわりだけ聴いてみました。

けっこう面白い。さすが市川森一、よく書けている(歴史や民俗を素材とした幻想譚を書かせたら、現在の日本でこの人の右に出る脚本家はいない。『もどり橋』『幽婚』『風の盆から』など、名作数多し)。研究者の立場から文句をつければキリがないですが(元明朝で漢風諡号を使っているなど)、『書紀』と『古事記』の相違など明らかに神野志説が踏まえられていて、安心して物語にのめり込める。
個人的に、何より「すばらしい!」と思ったのは、稗田阿礼に古代的歴史叙述(水と樹木の備わった場で神降ろしして行われる、神語りとしての歴史語り)を、藤原不比等に中国的歴史叙述(現在に通じる近代的歴史叙述として表現。未開世界におけるモダン、ということですね)を代表させ、それぞれの結実として『古事記』『書紀』を位置づけ、そのあいだで揺れ動く知識人として太安万侶を描き出すという三極の構図。阿礼の語りも、歌や舞、儀礼を織り交ぜて行われ、安万侶自身がオオクニヌシの役をふられたりする(そうなんですよ、古代的な〈という時代区分はもはや適当でない気もしますが〉史・伝のあり方というのは、後人が範としてそれを生き直すことにある!)。安万侶は不比等に軌道修正を迫られながら、阿礼の語りから甦る様々な神々の姿に魅せられてゆく。
新たな『古事記』論としても、興味深かったですね。実は、古代的歴史叙述の復原、近代的古代論批判という点では、ぼくがこんど、早稲田古代史の報告でやろうとしていることに通じているんですよね。来年からの講義にも使えそうだなあ。

ほんとうにさわりの部分しか聴いていないので、またゆっくりと、想像力に満ちた時間に浸りたいものです。
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表象文化論学会(仮称)!

2005-11-02 18:47:49 | 生きる犬韜
土居浩さんから情報をいただき、表象文化論学会(仮称)の設立準備大会について知りました。

いいですね~。蓮實・小林・渡邊、〈表象=ルプレ〉トリオ。今回は渡邊さんが中心なのかな。ぜひ出かけたいのですが、19日は上智史学会で報告なので、参加できるとしたら20日ですね。しかし、1日目の方が面白そうかも……。
思えば15年ほど前、ルプレトリオの編集していた雑誌『ルプレザンタシオン』(写真)が、学部生だった私のバイブルでした。あれを通読することで、(ほとんど何だかわけが分からなかったのだけれども)いろいろなことに目覚めていった気がします。あの雑誌との出逢いがなければ、いまの自分はないですね。仲間と方法論懇話会を立ち上げようとも思わなかったでしょう。
昔、上智で「歴史学研究入門」を担当していた豊田浩志先生が、「学生の頃、わけも分からず『朝日ジャーナル』を読み始めて、だんだんとマルクスの術語を理解していった」と話されていましたが、ちょうどそんな感じなんでしょうか。ぼくのフランス系方法論好きは、実はまったく客観的なものではなく、あの頃のルプレトリオのすり込みです。ま、幸か不幸か、途中で科学認識論の系統へ方向修整して(これは兄の影響。誰かの影響受けてばっかり)、ドゥルーズなんかの方へはのめり込まなかったんですけど。

参加して討論を聞けば、最近固くなってきた頭も若返るかなあ……。
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括地志?

2005-11-02 18:03:33 | 議論の豹韜
久しぶりに学問ネタです。
先日、環境/文化研究会のMLにも流したのですが、以前に書いた山城嵯峨野に関する論文をブラッシュ・アップしているところです。
嵯峨野の秦氏が始祖を始皇帝に接続しようとする動きは、すでに8世紀末~9世紀初頃、延暦度の「本系帳」作成に関してみえるものです。それが、9世紀後半における元慶度「本系帳」の段階になると、春秋秦の文公にまつわる水神鎮圧伝承や、戦国秦の昭王が命じ李冰が果たした都江堰の建造などを持ち出し、嵯峨野の地域文化を〈秦色〉に装飾してゆくわけです。その作業を担ったのは、『令集解』『本朝月令』『政事要略』を生み出した文人官僚〈惟宗氏(秦より改姓)〉と思われますが、彼らが典拠としたのはいかなる文献であったのか。
以前は上記の要素をすべて持つ『史記正義』を推定しており、現在も、それがいちばんしっくりくるとは思っているのですが、9世紀末の漢籍目録『日本国見在書目録』に書名が載っていないんですね。もちろん、ないからといって伝来していないことにはならないのですが、根拠はやや動揺します。『正義』以外で条件を満たし、しかも『目録』に記載のあるのは、7世紀半ば成立の唐の地理書『括地志』しかありません。当然、『風俗通義』や『水経注』、『史記集解』『史記索隠』などがバラバラに利用された可能性もあるわけですが、当時の類書援用のあり方からいって、一冊のバイブルから連想する筆録情況が理想的。『括地志』は『正義』が地理関係記述の典拠として使っているものなので、唐における権威と活用度は高かったと考えられます。しかし、9世紀後半の日本ではどうだったのか。
何かに出てるかなあ……『令集解』にはない。『釈日本紀』はまだみていません。研究文献もほとんどないみたいなんですよね。水口君とか、知らないかなあ。もう少し調べてみるか。
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気晴らし

2005-11-01 05:54:45 | テレビの龍韜
演習を終えて湘南新宿ラインに乗り込むと、だんだん気持ちが悪くなってきた。
昨日から今朝にかけて、割と筆が進んだ(キーが叩けた)もんで、あまり寝ていないんですよね。ま、いつものことなんですが……(倉田実さんが、高松に「だんなに保険金をかけておけ」と盛んに勧めていたらしい)。読みかけの『青雲はるかに』を置いて目を閉じる直前、「安倍晋三官房長官」「麻生太郎外務大臣」といったスポーツ紙夕刊の記事が目に入ってくる。みんな右翼二世(もしくは三世?)じゃん。安倍晋三なんて、蝦夷安倍氏の子孫のくせに、そんなに体制的でいいのかよ。でも、戸川さんの説によれば、安倍氏も中央出身の軍事貴族らしいからなあ。やっぱり中央への復権を狙っているわけか……などと考えていたら、よけい頭痛が酷くなってきた。こんな日に限って、バファリンを持ってきていない。向かいの席に座って破顔し、盛んに頷きながら手を小刻みに動かしている妙なおじさん……気になるけど、今日はそれどころじゃないんだよ。
なるべく目を休めて、家へたどりつく。

薬を飲み、頭痛が治まったのはいいけれど、なんとなく気持ちがむしゃくしゃするので、積んであるDVDのなかから楽に観られるものを選んで鑑賞。ここのところ朝鮮びいき(?)になっている関係で、日韓合作の劇場用アニメーション『新・暗行御使』。アメンオサは、日本でいえば公儀隠密、水戸黄門のようなもの。一種の貴種流離譚ですね。こちらのアニメは、架空のアジアが舞台のファンタジー。普通のアメンオサは、最初は身分を隠し、土壇場で正体を明かす……というのがパターンであり、カタルシスを呼ぶのだけど、こちらは冒頭から名乗りまくりです。映画としてはスケールも小さく、ストーリーや表現にも新味なし。原作はどうだか知らないけれど、韓国アニメは、独自の文化を追求してほしいですね(向こうでは、アニメも再生医療と同じ、国家的産業という位置づけなんだよね。いろいろな意味ですごい……)。
そうそう、アニメといえば、遅れて始まった『蟲師』『Paradise kiss』が出色。両方とも、原作よりいいんじゃないですか? 前者は、日常的世界のほんの一寸先に、まったく別の空間が広がっている感覚がよく表現できている。『百鬼夜行抄』に似てるかな。後者はやはり、監督小林治の才能でしょうか。矢沢あいの世界が、『BECK』と地続きになってしまっている。アラシは絶対、コユキと同じライブハウスに出てるね。

さてさて、夜が明けてきました。そろそろ勉強しますか。月参りもあるんだけど。
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