仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

音楽の力

2009-12-27 11:19:14 | 議論の豹韜
26日(土)、大山誠一さん主宰の『日本書紀』を考える会に参加し、井上亘さん「古代音韻による『日本書紀』成立論の問題点-森博達氏の新説をめぐって」、瀬間正之さん「『百済弥勒寺舎利奉安記』および崔鉛植氏の『校勘大乗四論玄義記』(七世紀初頭撰)について」、蔵中しのぶさん「『七代記』の成立と鑑真一行」、増尾伸一郎さん「行信の法隆寺東院伽藍創建と聖徳太子」という4本の報告を伺った。非常に充実した内容で、お腹がいっぱいになった。
瀬間さんの話は前もってある程度伺っていたのだが、近年百済の宗教文化、とくに百済仏教に関する出土文字資料が次第に豊富になってきており、日本の古代文化の成り立ちも従来とは異なる側面から検証が可能になってきたことにまず注意を惹かれる。とくに、新出の百済弥勒寺「金製舎利奉安記」にある「下化蒼生」という表現が、『大正新脩大蔵経』では『維摩経義疏』にしか出て来ないという指摘は重要だ(瀬間さんの資料紹介に対する石井公成氏の指摘による)。また、現在ぼくの追究している問題からいうと、神祇に対する「蒼生」の起源も大きな問題である。蔵中さんの報告では、仏教東漸を示す言説形式の整理・分析が必要であることを痛感した。『集神州三宝感通録』にみえる日本からの留学僧会承の記録といい、『法苑珠林』にみえる西域への視線といい、やはり玄奘・王玄策から道宣・道世に至る西明寺周辺のラインで整えられたものが、日本へ伝来している可能性が高い気がする。飲み会では蔵中さんと、「王玄策の研究会をやろう!」と盛り上がった。
これで今年の研究会は終わり。…といっても、もう2週間後には授業も始まっており、立教大学のシンポもあるのだから、「一段落だ~」などというのは幻想(環境文化だね)にすぎないわけだが。帰りは瀬間さんと一緒に四ツ谷まで(いろいろと恐ろしいことを聞いた…)。高崎へ帰る瀬間さんと別れて、もはや誰もいない研究棟に寄り、10時過ぎまで史料チェック。だんだんと執筆も波に乗ってきたところなので、皆さん、年賀状は遅れます。ご容赦を。

ところで、25日(金)深夜の、小田和正「クリスマスの約束 2009」には感動した。一応毎年観ている番組なのだが、今年はいつものように若手を招いてジョイント・コンサートを行うだけではなく、財津和男から生きものがかりに至る総勢21組34名のアーティストが、それぞれの代表的楽曲を協力してメドレーする「22分50秒」なる企画があったのだ。この番組では、これまでゆずとユニットを組んだり、スキマスイッチと一緒に曲を作ったりという試みも行っていて、小田と若手が音楽を介し世代を超えて理解してゆくさまなどがみられたが、今回はその最たるものであろう。単にひとりひとりが自分勝手に自己主張するのではなく、また集団のために実存を殺すのでもない。ひとりひとりが充分に個性を発揮しながら、なおかつ「みんなの歌」として成り立つ世界。まさに、現代を生きるキーワードである「多様性」を体現した内容だった。言葉で抽象的に説明を加えることはできてもすぐ実現はしえないが、しかし実際にそれぞれが生の声を発しつつ、個体として関わってゆくことで新しいものが生まれる(例えば20人以上にも及ぶ結衆で声明をしていると、時折それが感覚的に理解できることもある)。〈身体性〉を看板のひとつに掲げて研究している立場からすれば、いろいろ納得するところが多かった。最後に小田和正の語っていた、「あれはたぶん、奇跡みたいなことだったのかも知れない」という言葉も、実感として理解できたように思う。YouTubeなどにもアップされるだろうが、いい音質・いい映像でもう一度観てみたいものだ(ま、初見と同じ感動が得られるとは限らないが。それが「奇跡」なのだろうし)。
多様性といえばレヴィ=ストロースだが(強引?)、そういえば彼は代表作『神話論理』の構成を音楽のそれに喩えていた。アプローチの仕方は違うが、何か同じ世界を垣間見たような気がする。
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やはりトーテミズムか

2009-12-21 17:51:51 | 議論の豹韜
19日(土)は大慌てであった。20日必着の校正の仕事が終わらず、出席を予定していた大東大シンポのために家を出るのが遅れに遅れた。夕方からは友人の結婚パーティーにも参加することになっていたので、横浜の自宅から東武練馬まで出てゆくのはやはり難しく断念(2時間半かかる。京都だよ)。誘ってくださった方々には、本当に申し訳ない限りである。

行き帰りの電車のなか、上記の『闘うレヴィ=ストロース』を感動しつつ読んでいたのだが、やはりアジアのトーテミズムについてちゃんと研究しなければいけないな、という決意を強くした。思えば、納西族研究にわずかながらの関わりを持って以降、狩猟採集社会の神話や『法苑珠林』の解読を進めるなかで、常にトーテム概念がいろいろなところから顔を出していた。微妙に異なる視点からではあるが、デュルケーム、レヴィ=ストロース、フロイトと学んできたのだから、トーテム研究に帰着するのは必然であったといえなくもない。アジアのトーテミズムから日本のアニミズムを照射してゆくことで、それに対する極めて印象論的な言及、無意味な崇拝のはびこる現状を解体してゆくこともできるだろう。その意味で、来年の特講で「変身」をテーマとするのは適切だろう。レヴィ=ストロースを受け継ごうとは恐れ多くて口に出せないが、今日校了した『地域学への招待』の原稿で、「人類史の普遍性」などという厄介な言葉を使った責任を取らなくてはならない。これまで度々書いてきた神話・説話・伝承の東西近似について、伝播論/並列論の二項対立を相対化しつつ、きちんと議論できる場を作りたいという思いもある。ちょうど某学会誌から、委員でもないのに特集の企画案を求められているので、少し頭をひねってみるか。

一度そう思ってしまうと、あと1年で書くようにいわれている秦氏の本などへ集中するのは難しくなるが、そのぼくの停滞をあざ笑うかのように、水谷千秋さんの新刊『謎の渡来人 秦氏』が出た(継体天皇、蘇我氏に続く「謎」シリーズ)。ぼくの研究も幾つか引かれているが、ぼく自身が「こんなこと言っちゃって大丈夫かな」と思っていた論が誉められ、「これは間違いない」と自信を持っていた説が批判されている。やはり、しっかりしたレスポンスをせねばなるまい。大山誠一さんの新刊『天孫降臨の夢』も書店に並び、高天の原神話を持統朝~奈良初期の宮廷に投影して解釈する神話論がぶちあげられた。確かに、基本的な部分を『書紀』への無意識の信仰に基づいていた、これまでの古代史観を解体することは必要だろう。ぼくは、大山さんが『書紀』の仏教関係記事を叙述したとする道慈の扱いも含め、多少違った見解を持っているが、パラダイムの見直しというベクトルは共有している。上記の本には、ぼくの祟りや崇仏論争に関する研究が援用されているが、植物や動物についての考察も、新たな日本古代史像を構築する重要な鍵になるはずである。
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天地明察、読了

2009-12-18 16:51:17 | 書物の文韜
昨日の帰宅の電車のなかで読了。渋川春海が、「天地明察」を果たした時点で再び泣いた。このとき春海44歳、ページ数は444ページ。これ、何かの符合ですか。
いずれちゃんと感想を書かねばと思っているが、とにかく自分の学究態度を重ね合わせ、身につまされるところ、反省させられるところが多かった。しかし、それ以上に勇気づけられたことも確かである。
でもこの本、天文学や暦学、卜占、陰陽道、算術などについて、意外にもほとんど解説していない。ある程度の知識がないと、あまり感動できないのかも知れないなあ。
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狼と変身ベルト

2009-12-16 15:14:56 | 議論の豹韜
今朝の「全学共通日本史」で、今年の「講義」も終わった(あとは院ゼミ、特殊研究、プレゼミが1回ずつあるけれど、演習科目なので講義ほどの負担はない)。内容としては、熊を講じ終えて狼に入ったところである。モンゴルとヨーロッパの話をして、来年1回目で日本の問題を論じる予定。最後の2回は猫かな。鹿・猪、鷹、蛇、狐も扱おうという壮大な計画は潰えた。やっぱり、ぼくは基本「動物好き」なので、本気になるとどんどん長くなってしまうのだ。「狐も聞きたかったです」というリアクションもあって、やや反省した。来年度からは担当教員が変わるので、もう全学共通で動物史を講義することはないんだよなあ。それなりに学生には好評だったから、来年度は特講で続きをやってみようかな。サンショウウオとか、マイナーな動物もぜひやりたい。

ところで、ヨーロッパの狼を論じるうえで参考にした池上俊一氏の『狼男伝説』に、1590年6月23日付けの「シュトゥッベ・ペーターの公判記録の写し」なる史料が紹介されていた。
北ドイツのある町に、シュトゥッベ・ペーターという魔術師がいた。悪魔はかれにベルトを与えた。それを身につければ、いつでも獰猛なオオカミに姿を変えられ、外せば人の姿をとりもどせるのだった。ベルトを手にしたペーターは、いたく喜んだ。というのは、ベルトを使ってオオカミに変身し、気に入らない人間たちを襲って咽を噛み切り、四肢をひきちぎって血染めにするのは、この上ない快楽であったから。かれは日夜、凶行におよんだが、人間の姿のときには、洒落た服に身を固めて、肩で風を切って歩くいい男で、出会う人は皆、にこやかにかれに挨拶をしたものだった。その人たちの友人や子供を、かれが牙にかけたというのに。こうした社交は、かれの食指をそそる女や子供を物色するまたとない機会でもあった。このようにして、25年にわたって数知れぬ女や幼児を殺した。……だが、手足が畑に散乱するような事件が重なると、コリン、クペラト、ベトブール三町の住民は生命の危険を感じて恐怖を募らせ、オオカミ退治に必死になった。ある日、かのオオカミをみつけて猟犬に追わせた。追い詰められた狼男は、ベルトをすべり落とし、ただちに人の姿をとりもどした。捕えられたかれは、裁判所に送られて裁かれ、1589年10月28日に「車裂き刑」の判決が下った。……
下線部に注目。授業でも話したのだが、これは変身ベルトではないか!そのまんま仮面ライダーである。石ノ森章太郎がこうした史料を参照したわけではあるまいが、狩猟採集社会の動物変身譚から現代の特撮ヒーローものまで、「変身」をキーワードに考えると非常に面白いネタであると思う。吸血鬼と並んで西欧の代表的怪物と考えられがちな狼男だが、そもそもの起源が狩猟採集社会の神話にあることは間違いない。熊や山羊が毛皮を脱いで人間になるように、人間も毛皮を被って動物に変身することができる。狼男もそのように語られ始めたものだろう。狼は狩猟対象ではないから、狼トーテムに関する祖先神話(異類婚姻譚)が物語の原型かも知れない。中世の史料を読むと、「狼は上半身が発達し、下半身が脆弱である」といった記述が出てくるが、こうした捉え方だと腰にベルトがあるようにみえた可能性もある(冒険少年シンドバッド?)。いずれにしろ、かつては毛皮だったものが、中~近世にはベルトとも発想されたのだ。
中国でヨーロッパの狼と相似的な位置にあるのは虎で、中島敦の「山月記」に利用されたように、虎への変身譚も多く残っている。やはり虎トーテムや、太古の言説が残存している可能性の高いことは以前にも書いた。日本には虎はおらず、狼が「害獣」除去の関連から農耕の守護神に祭り上げられてゆくが、人狼変身譚にはお目にかかったことがない(中国の志怪小説が近世に翻案され昔話化したものなら、狼→人のベクトルで確認できるが)。なぜ狼を根絶やしにしようとしたヨーロッパに古い神話の記憶が残り、神として崇めた日本列島からは消えてしまったのか(もちろん、そもそも存在したのかという疑問もある。また、ニホンオオカミも(公式には)絶滅している事実は看過してはならない)。生業に占める牧畜の比重がポイントかも知れないが、しっかり考えてみたい問題である。

さて、残りの半月は、とにかく原稿執筆にいそしむべし。先日、手帳を睨みながら執筆計画を立ててみたが、1月末までまったく気を抜けない情況であることがあらためて分かった。温泉にでも行ってゆっくりしたいが、叶えられるのはいつの日か。
また、抜き差しならない情況であることが明白になると、なぜかゲームや映画に食指が動く。『アサシン・クリードII』も『FF13』も買ってしまった。オカルト好きとしては、何とか『フォース・カインド』は観ておきたい。押井守の『アサルトガールズ』も観てしまいそうな気がする。来年4月からだが、森見登美彦初のアニメ化もだんぜん気になる(しかしなぜ、あえて『四畳半神話大系』からなのか。キャラクター原案が中村佑介、製作がマッドハウス、監督が湯浅政明だから、作品の出来は保証されているが)。「いいから原稿書けよ」と突っ込まれそうだが、ぼくは睡眠時間を削っても、テレビをみないとストレスが発散できないのである。お許しあれ。
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学問を志す者は…

2009-12-08 07:50:03 | 書物の文韜
SF作家の冲方丁が、初めて書いた時代小説『天地明察』。学問を志す者は、すべからく読むべし。ぼくの探究姿勢はこれほどかっこよくないけれど、242頁で泣きました。
それはそうと、京都で身体シンポを終えて帰ってみたら、翌日、「諏訪大社御柱シンポ」の詳細が送られてきた。てっきり夏の開催だと思っていたら、4月の末だという。ぼくには、「樹木信仰と心の御柱」というテーマが課せられているが、前に打ち合わせをしたときには、伐採抵抗をアジア的視点から論じてくれ、ということだったと記憶している。1・3・4と、やはり月刊状態だ。ひとつ終えると間髪入れずに次の仕事がやってくる。本当にありがたい限りだが、少し休みがほしいなあ…。
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疲弊/御礼

2009-12-06 13:49:03 | 生きる犬韜
先週から土日も休みなしという状態が続き、朝10:00~晩18:00過ぎまでの会議が連日あったりと、心身ともに疲弊した情況で師走を迎えた。ふと気付くと、朝から晩まで一食も口にしていなかった、という日もあった。ま、合間にあった健康診断によると相変わらずの健康優良児だったので(不思議である)、今のところ何も問題はないのだが…。しかし先日、6月に初校を終えたまま音沙汰無しだった本の再校がいきなり届いたため、どうしたのかと封を切って手紙をみてみると、何と編集事務を担当していた職員の方が急逝されたのだとか。どういう状態だったのかは知る由もないが、過労死となると本当に他人事ではない。この生活を改めねば…と誓ったところで、周囲の環境が変化しなければどうしようもないのだれど。

極めつけは、4日(金)と5日(土)。8時間ぶっ続けの会議と院ゼミを終えて帰宅、急いで徹夜で準備をして一路京都へ向かい、「花園大学国際禅学研究所・修行と身体班/宗教思想・文化研究会共催シンポジウム:身体からはじま(め)る思想(史)」に参加した。一緒に報告を担当したもろさんnomurahidetoさんとは、方法論懇話会のときからお互いに研鑽を積んできた同志である。昔からの仲間と学問を探究できるのは、やはり嬉しい。嬉しいが、申し訳ないことに、50時間以上連続駆動していたぼくの頭では、なかなかお2人のとんがった話に付いてゆくことができなかった。何か、保守的なことをとりとめもなく述べていた気がする。もし、シンポとして少しでも意味のあるものになっていたとしたら、司会の船田さんともろさん・nomurahidetoさんのおかげである。でも、ああ、やっぱりこの2人は、少しずつ違う角度からだけれど、同じような難問に取り組んでいるのだなとあらためて認識した。心強く感じるとともに、今後も一緒に研鑽を続けてゆきたいと強く願った次第である。よろしくお願いします。

また、何年ぶりかで斎藤英喜さんにもお会いできた。斎藤さんには、かつてぼくのところに出入りしていた、2人のT君がお世話になっている(京都という恵まれた、しかし苛酷な学問的環境のなかで日々揉まれているようだ。一人は苦心惨憺しながらも研究者の道を志そうとし、一人は現実を見据えて方向転換をしようとしている。心配だががんばってほしい)。そのうえ仕事の面ではいろいろ不義理をしてしまっているので、頭が上がらない。その斎藤さんに、「今日の発表、よかったよ。感動したよ」といっていただけたので、最後に胸を撫で下ろすことができた。
最終の新幹線で帰宅すると、またひとつ、原稿を待っていただいている先生から催促のメールが届いていた。辛い情況に終わりはみえないが、たくさんの方々に支えられて学問を続けられている。それ自体は、大いに幸せなことだ。とにかくがんばろう。
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