仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

シンクロニシティ

2017-05-23 01:28:52 | 書物の文韜
写真は、昨日の講義終了後、上智の購買で手に入れた本たち。シンクロニシティについては、まあ科学的に考えるよりも妄想したほうが面白いので、「ほんとにあるんだな!」と思っておくことにする。というのは、昨日の講義「歴史学の歴史:メタヒストリーによる俯瞰と展望」で年代記の発生過程を論じる際、起居注の起源ともいうべき甲骨卜辞を久しぶりに扱ったのだが(まあ史料はこれまでの自分の研究から抽出してきたもので、自分自身の勉強にはなっていないのだけれど)、その数十分後に購買で椿実の新刊を見つけることになったのだ。椿実は、中井英夫や吉行淳之介の盟友たる幻想文学の書き手であり、日本神話の研究者でもある。とくに、東大の修士論文が東大本『新撰亀相記』の研究であることからも分かるように、卜占に対して造詣が深く、氏文の現場から原古事記の存在を追求したひとでもある。2002年に心筋梗塞で亡くなったが、この本は1982年に刊行された『椿実全作品』の「拾遺」という位置づけで、今年の2月に限定1000部で出版されていたようだ(すべてナンバー入りで、手に入れた本は603番)。2月に出ていたのならもう少し早く目に触れてもよさそうなものだが、卜占の講義をしたあとに出逢うというのは、やはり何かの縁か。
椿については、世紀が変わる前後、卜占の研究を集中的にやっていたときに、故増尾伸一郎さんから教えてもらった。増尾さんはほんとに文学青年で、研究に関することはもちろんだけれど、それ以外の文学全般、思想、マンガなどに関する知識が並外れていた。確か、エリアーデの『ホーニヒベルガー博士の秘密』の話をしていたときだったか、「折口もそうだけどさ、日本にもね、神話研究しながら、その関係の小説書いていた人がいるんだよ」と教えてくれたのだ。いま考えると、ちょうど椿実が亡くなった頃だったのかもしれない。ぼくの卜占研究は、殷代以前から少数民族、日本のそれにまで及ぶ通史的なもので、その実践を通じて生まれる歴史叙述に注目した厖大な内容だったが、寄稿予定だった論集が出なくなってしまい、宙に浮いた形となった。その後、老舗の出版社が選書として引き受けてくれたのだが、ぼくの怠惰、渡り鳥的性格(研究対象を変えて回る)が災いして未だに脱稿できていない。「ちゃんと書け!」といわれているのだろうか。先週も小峯さんと増尾さんの話をしたばかりだったので、ちょっと背筋が伸びた。

川田順造の『レヴィ=ストロース論集成』も、そうした意味では感慨深い書物。なんと、ぼくの肉食忌避慣行を決定づけた論考、「狂牛病の教訓:人類が抱える肉食という病理」が採録されている。いままで『中央公論』のコピーを大事に持っていたが、これで、書物の形でいつでも読み返せる。ほかにも、「論」というより、実際に彼に師事した川田さんの、愛しさと尊敬に溢れた「想い出」が詰まっていて涼やかだ。月曜は、自分の来し方を振り返る巡り合わせになっているのだろうか? 死亡フラグでないといいけれど。
「キーワードで読む中国古典」の最新刊は、『治乱のヒストリア:華夷・正統・勢』。渡邉義浩「華夷について」、林文孝「正統について」、伊東貴之「勢について」という3つの主要論考は、それぞれ50ページ余りに及ぶ決定版。ワクワクする。

いい買い物をしたので、自分の研究もがんばらないとな。
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