仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

また一週間:また観たり聴いたり読んだり書いたり

2007-02-27 01:49:37 | 生きる犬韜
19~23日(月~金)で大学院の入試業務も終了(ぼくはオブザーバーとして協力しただけですが)。24・25日(土・日)で来年度のシラバスを書き上げ、本年度の大学関係の仕事はほぼ終了しました。あとは卒業生を送り出すだけ。初めての経験でいろいろ課題は残りましたが、新しいアイディアも浮かんできていますので、すべて今後に活かしたいと考えています。まずは、以前にも書いた〈歴史的他者へのポジショニング〉。ゼミで取り組んでみるつもりです。

20日(火)の夕方は、成城大学にて三宝絵研究会。今年度はゼミと時間が重なることが多く、ほとんど参加できなかったのですが、もはや論集を出す時期が近づいているということで、今回はその打ち合わせと打ち上げ。とくに巻末の文献目録をどうするかが議題で、ネット上での共同作業を提案。環境/文化研究会(仮)のページで試行している(入力は進んでいませんが)データベースを応用したところ、どんどんデータが増えてゆきます。お膳立てはしたものの、3月中は他の仕事を抱えているのでなかなか関われないのですが、強力な助っ人が多くいるので大丈夫みたいですね。ありがたいことです。

21日(水)は、前日、増尾伸一郎さんに下読みしていただいた『日本歴史』の書評を訂正。大学の先輩、吉田一彦さんの『古代仏教史をよみなおす』が対象なので、執筆にも気を遣います(おまけに編集担当は、ずっと一緒に研究会をやってきた石津輝真君ですしね)。このブログにも批判めいたことを書きましたが、質の高い良本であることは確か。
大学の仕事を終えてから妻、妻の妹のMさんと合流すべく上野へ。Mさんが3月に結婚するので、妻はこのところ準備に奔走しています。今日は衣装合わせに行っていたところを、終了後、2人と東博を見学することになっていたのでした。開催中の特別展は、「悠久の美―中国国家博物館名品展」「マーオリ:楽園の神々―ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ名品展」の二つ。前者では、あらためて古代中国青銅器の技術の高さに感嘆、甲羅に矢を刺された〈作冊般げん=矢亀!〉には想像力をかきたてられました。後者では、樹木伐採の最初の一打ちを担う手斧トキ・ポウタガタに忌部の〈斎斧〉をみ、ニュージーランドに日本と類似する木鎮め祭儀が存在したことに頷くことしきり。得るものの多い展示でしたね。
帰宅途中、短いながらも、原稿をひとつ仕上げてホッとしていたところ、仏教史学会の佐藤文子さんから携帯に電話が…。『仏教史学研究』の〈聖徳太子シンポ〉掲載号に、新川登亀男さんの新著『聖徳太子の歴史学―記憶と創造の1400年―』(講談社叢書メチエ、2007-02)の紹介文が欲しいとのこと。3月末日までながら、すでに新川さんよりご恵送いただいており、またシンポの編集業務をすべて佐藤さんに押し付けてしまっているので、引き受けざるをえませんでした(いや、ありがたくお引き受けいたしました)。この本、〈聖徳太子〉のメタヒストリーともいうべき快作なので、いつか正面から取り組んでみたい気持ちはあります。気が弱いので、基本的に書評という作業自体は苦手なのですが…(以前、曽根正人さんの書評を書いていたときには、何度もご本人に嫌われる夢をみました)。

22日(木)は豊田地区センターの例会。今年になって受講者が増えたのですが、日本の古代にいったり近世まで降ったり、古代中国の秦に遡ったり睡虎地や包山に飛んだりする話に、ちゃんと付いてきてくださっているか心配になりました。う~ん、もう少しビジュアルに配慮すべきだったかも。帰宅途中、大船のDoCoMoショップで携帯の機種変更。これまで法人向けにのみ販売していたスマートフォンhTcZを、ネット限定で個人向けにも提供するというのでその手続き。2日後にはキットが到着、重いiBookを持ち歩くのが嫌になっていたのですが、これで電車内でも快適に原稿が打てそうです。

23日(金)、午前様で帰宅すると、黒田智さんのご高著『中世肖像の文化史』(ぺりかん社、2007-02)が届いていました。黒田さんによる中世鎌足イメージ研究の集大成。ご恵賜、心より感謝申し上げます。実は来年度、「〈藤原鎌足〉の政治文化史」なるテーマで、『藤氏家伝』の英雄化を軸に近世の芸能までを視野に入れ、鎌足像の変遷について講義を行う予定だったんですよね。なんという僥倖、隅から隅までじっくり拝読させていただきます。
と、これも奇遇といえば奇遇なのですが、25日(日)には、近世の代表的鎌足もの「妹背山婦人庭訓」(国立劇場2月文楽公演)を観劇することになっていたのでした(来年度後期のJ大コミカレ〈千代田学〉で、コーディネーターとして文楽の時間を設けることになっているので、その勉強のため)。幸若舞「入鹿」を受けた乙巳の変のクーデターを大枠に、鎌足の嫡子求馬=淡海公(不比等)と入鹿の妹橘姫、求馬を慕う町娘お三輪の恋模様を絡めた人形浄瑠璃です。鎌足の聖なる〈利き鎌〉、鹿の血を胎内に注いで誕生したという〈入鹿〉の名の由来、三輪の苧環伝説を援用した演出など、中世神話的解釈満載(女性の扱いが余りにも…でしたが)。苦労して奪い返した十握剣ではなく、鎌で入鹿の首を打つラストシーンに、「中臣祭文」の広がりを痛感しました。しかし、入鹿第の官女たちにさんざん辱めを受けたお三輪が、髪を振り乱して憤怒の表情を浮かべるシーンは圧巻でしたね(さすが人間国宝、吉田蓑助!)。
思えば、J大学への就職も、『家伝』研究を通じて試みた易が予兆?を示してくれました。自坊の属する浄土真宗の宗祖・親鸞も藤原氏の出で、毎年報恩講で朗読される『御伝抄』も、「大織冠」の系譜より説き起こされます。鎌足にアプローチするとき、ぼくの周囲はうまく回りだすようで不思議です。
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一週間:観たり聴いたり読んだり書いたり

2007-02-18 02:34:15 | 生きる犬韜
まずは12日(月)。妻とお昼に出発して、金沢文庫の特別展「よみがえる鎌倉の学問」を見学。聖教類も興味深かったのですが、やはり、『言泉集』『公誉草』『弁曉草』などの唱導資料を、まとまってみることができたのはよかったですね。白居易はもちろん、『史記』やら『東観漢紀』やらいろいろな漢籍も引用されているし、平家語り、幸若舞などと繋がってゆく世界もある。こういうものをちゃんと読まなきゃいかん、とあらためて思いました。また、稀覯の中国製占書『集七十二家相書』や、「卜筮書」を引用する『産生類聚抄』。とくに後者の開かれた頁を読んでいると、変成男子法にも「楊柳」が関わっているらしい。なぜ〈柳〉なんだろう。最近、朝鮮王朝の『青邱野談』にも柳の葉が男女を結びつける話をみつけたのですが、これは『渓西野譚』『東野彙輯』にも出ていて、広く普及していた話のようです。中国にも、男女の別れの象徴として〈楊柳〉を唱い、語る文化がある。日本の〈木霊婚姻〉の源流をなす可能性もあり、考えてみなくてはいけないテーマです。卜筮の件も含め、西岡芳文さんにお話を伺わねば。
続いて京浜急行→JR山手線→都営大江戸線を乗り継いで光が丘へ移動、野口華世さん姉妹と合流し、野村万作・萬斎親子による恒例のIMAホール狂言会を鑑賞。今回の演目は、「福の神」に「隠狸」。前者は追儺に関連して正月を言祝ぐ内容、後者は、内緒で狸つりの小遣い稼ぎをする太郎冠者を、主人が酒を飲ませて問い詰めてゆく物語り。背中に隠した狸に注意を払いつつ、次第に上機嫌になった太郎冠者が舞う、「兎」「花の袖」「鵜飼」の狂言小舞も見どころ。しかし、通い始めた3年前からすると、だんだん出し物の味が薄くなっている気がしますね。萬斎の出番も少なくなっているし…。最近ぼく自身、なんか萬斎をみる目が厳しくなっている気がするんですよね。今回の太郎冠者役も、「え゛」と発音する妙な受け答えがあざとくみえてしまいました。小手先の芸で勝負するようにはなってほしくないなあ。終了後は野口姉妹と中華料理で楽しく会食、相変わらずオタク&学界ネタで盛り上がりました。

14~16日(水~金)は大学の業務に忙殺。14日は一般入試2次試験の採点、合格判定会議。帰りに北門で、偶然ゼミ4年生のSさんと行き会い、しばらく立ち話。卒論の試問からも解放されて、研修の始まる4月までは悠々自適とのこと。卒業旅行は日本史の名所をみてまわるとかで、表情も明るかったですね。家に着くと、そのSさんとUさんからチョコレートの小包が…。ありがたいことです。ちゃんとお礼状書きますからね。妻からは、付き合って初めてのバレンタインと同じ、デメルの猫舌ミルクソリッドチョコをいただきました。左の写真はそのパッケージ、チョコの形が猫の舌のようになっている逸品です。
15~16日は修士論文の口頭試問。うちの大学は日本史・東洋史・西洋史合同の公開試問なので、全教員が丸2日こちらにかかりきり。なかなかに皆さん厳しい突っ込みで、目を潤ませる院生も。ぼくなんかは優しい?もんです。史料の少ない「過所」に挑んだ古代史院生のMさんも健闘。副査をお願いした瀬間先生、細かく丁寧にご指導をいただき感謝しております。終了後は史学研究室で打ち上げ、下戸のぼくも少々飲まされ(といってもコップに3mm程度ですが)、前日の徹夜も祟って、この日は使いものになりませんでした。
この1週間、通勤・帰宅の電車のなかでは、『国文学』依頼論文の構想を練ったり読書をしたり。そうそう、内田樹さんの『狼少年のパラドクス―ウチダ式教育再生論―』(朝日新聞社、2007-02)も購入、「あ、これはブログでみたな」と思いつつ、その毒舌に激しく共感してしまうのでした。ぼくとしては、来年度、歴史的想像力はもちろんのこと、とにかくゼミの学生の国語力・文章力を向上させることが第一目的ですね。がんばらねば。
そして今朝は『古代文学』の再校を終了、訂正部分をFAXで送信。懸案の夢見・近代霊学研究会も強引に動かし始め、なかなかに充実した1週間でした。『日本歴史』の書評、歴博の作業は停滞していますが…。
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疲労困憊:チカラなきコトバたち

2007-02-12 07:58:26 | 劇場の虎韜
2/9(金)、身心ともに緊張した入試期間の打ち上げに(といってもまだ2次があるのですが)、帰宅途中、109シネマズMM横浜(これが出来て、本当に映画にゆくのが楽になりました)で、周防正行監督『それでもボクはやってない』を観てきました。実は最近、ネット上で「『痴漢摘発する前に満員電車なくせ』海外メディアへ熱弁!周防監督」なる記事を読んでいたので、妻ともども、「痴漢をしてしまう男性の責任を回避する内容があるんじゃないか」「そうでなくともそういう方向へ利用されてしまう隙のある映画なんじゃないか」と心配していたのですが、まったくの杞憂でしたね。いやはや、これまでのコメディタッチの周防作品とは打って変わって、非常に骨太な、近年珍しい社会派の映画に仕上がっていました。そもそも映画の構造自体、痴漢と誤解される主人公/誤解してしまう女子高生という対立軸で作られているわけではなく、どちらも被害者として、感情移入できるように描写されています。それではもう一方の対立項、加害者は誰なのかというと、警察権力であり司法のあり方であるわけです(もちろん〈卑怯なる憎むべき痴漢犯罪〉も忘れられてはいません)。官僚機構のなかで〈事案〉としてただ淡々と処理し、個々の固有の事情など顧みようとしない杜撰な捜査。私も以前、警察の事情徴収を受けたことがありますが(幸い容疑者としてではなく証人としてでしたが)、自分の発言を正確に記録すべき調書が担当警察官の〈物語り〉で埋め尽くされてゆくことに、非常な驚愕と不信感を覚えたことがあります。また、捜査の問題点や検察への反証が次々と明らかになり、もはや容疑者を犯人と断定する証拠が何もないにもかかわらず、あたかも有罪の判定を下すことが至上目的であるかのように推移する裁判。こちらも私の知人が、以前セクハラで訴えられ民事裁判になったことがあるのですが、原告側の証言が二転三転し信用のおけないことが明らかにされたにもかかわらず、まったくの潔白を獲得することはできなかったという記憶があります。そのときにもいいようのないやるせなさを覚えたのですが、今回も論理の通じない世界への呆然、コトバがチカラを持たないことへの怒りで疲労困憊してしまいました。9.11以降の小泉内閣の国会答弁によって、当初から意思の疎通を回避している〈気持ちの悪い言説空間〉をみせつけられたわけですが、今さらながら、それが国家機構そのものの属性だったのだと思い知らされました。
まったく隙のない演出に終始緊張を強いられ、観終わった後はもうぐったり(「今週一週間お疲れさま」のつもりが、いちばん疲れた時間になってしまった)。他の観客も何も言葉を発することなく、劇場をあとにしていました。イラクやアフガニスタンの悲惨な現状をテーマにしているわけでも、不治の病との苦闘を描いているわけでもなく、本当に些細な日常のなかでいつでも起こりうる出来事を扱っているにすぎないのですが…。冷酷な現実を前にした主人公が、しかしその経験のなかで自らの甘えと無責任から脱却し、主体性をもって最後に発する〈チカラあるコトバ〉が唯一の救い。しかし周防さん、警察も司法も完全に敵に回して大丈夫でしょうか。
それからキャストに関しては、周防監督好みの役者さんたちが大挙出演していて面白かったですね。事件の目撃者役の唯野未歩子、傍聴オタクの山本浩司、最初の裁判官の正名僕蔵がいい味を出していました。中村靖日が司法修習生役で裁判のメモをとっていたり、成長した鈴木蘭々の落ちついた演技が観られたのも収穫。それにしても小日向文世は、三谷作品以外だと〈職務に忠実なゆえにイジワルにみえる役〉が多いですね。

そうそう、卒論の試問が終わった翌日、久しぶりの休みにマイケル・アリアス監督『鉄コン筋クリート』も観ていたのでした。こちらは、映像表現的には面白かったものの、物語り的には新鮮味なし(ダークサイドの描き方は、今後、もっと丁寧に考えてゆかないとだめですね)。しかし、松本大洋作品の命である登場人物の密接な絆はよく描けていましたし(これは原作の素晴らしさかも知れないけれども)、シロ役蒼井優の熱演には拍手喝采を送りました(本当にこの女優さんは凄い!)。「クロに欠けてる心のネジ、シロがぜんぶ持ってるう!」というセリフには、〈チカラ〉が感じられましたね。
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成績評価:年度の終わりがみえてきた

2007-02-09 14:55:38 | 生きる犬韜
現在、大学は入試期間中です。一般・学生の入校は制限され、教職員にも緊張感が漲っています。歩留率を予想しながら合格ラインを定める会議なども開かれ、初めての私は、「ははあ、こうして決めているものなんですね」と感心するばかり。しかし、ここで引かれた境界線によって受験生の将来が変わってしまうと思うと、やはり重たいものを感じます。

在校生の成績評価も2/9(金)が〆切。150部ほどのレポートをなんとか読み終えましたが、学生の気持ちを推し量りながら採点すると、なんとも筆先が鈍ってしまいます。それにしても、毎回のリアクションで面白いコメントをくれていた学生がレポートを提出していなかったり、ガクっとくるような内容を書いてきたりするのはどうにかなりませんかね。参考文献の記述と自分の意見とを分けて書くことのできない学生が9割、それはまだいいのですが、やはりどこかのサイトを丸写ししたり、そのむね明記もせずコピー&ペーストして自分の文章に作り替えていたりするのは、本当にがっかりします。何の心配もなくAを付けられるのは1割だけ。あとはみんな、A/B、B/C、C/Dのボーダー設定で苦しみます。顔見知りの学生だととくに…。
ま、それが教員の宿命と諦めるしかないですが。この間も研究棟のエレベーターで、「大学教員なんて、恨まれてなんぼの商売かもしれねえけどよ!」と吐き捨てている学生に出くわしましたし(きっと何か落とされちゃったんでしょうね)。
そうそう、書き忘れていましたが、卒論の口頭試問も無事終了しました。みんな緊張してましたね。サディスティックに突っ込んでしまってごめんなさい。こちらの意志ではなく、学生さん2名はもう1年チャレンジしてみるということですね。来年もよろしくお願いします。

さて、左は小峯和明さんの新著『中世日本の予言書―〈未来記〉を読む―』(岩波新書、2007-02)。以前の、野馬台詩に関するご著書の続編的内容で、こちらは主に〈聖徳太子未来記〉が中心。過去の予言に規定される現在、という歴史認識は、殷代の卜占に共通するものがありますね。〈未来記〉本文になされる注釈など、まさに予言と現実を結ぶ「験辞」の趣。歴史叙述は卜占の内容を記録することから始まったわけで、その意味で〈未来記〉は、まさに正統的な歴史書であるといえるでしょう。全体的に、時間は一定の方向にしか流れないという枠組みで歴史を捉える、日本歴史学への批判の書としても読むことができます。
近代の実証的歴史学は未来記や予言書をまがいものの言説として排除し、駆逐してきた。その結果、教科書や歴史講座に凝縮されるごとき、一元的で直線的な歴史観しか近代の我々はもてなくなってしまった。しかし、前近代にはさまざまな歴史叙述があった。多様で多彩な歴史の記述のありようを回復させなくてはならない。それによって我々の豊かな歴史観を再構築する必要があるだろう。歴史学からこぼれ落ちたものを丹念に拾い集め、直線的な因果律にもとづく史観と異なる、多様な歴史叙述からなる歴史像を再構築していきたいと思う。それこそが文学研究の課題であろうと考えている。(p.211)
歴史学者である、ぼく自身の課題ともしたい宣言文です。「未来記に入らしめ給ふ」という後白河に典型的な症状を、〈未来記シンドローム〉と名付けるセンスも面白い、おすすめの1冊です。
そうそう、日本文学といえば、文学・民俗学・歴史学の方法論的越境について何か書け、という原稿依頼をいただきました。3/10の〆切、山積みの仕事を前に簡単には引き受けられないのですが、方法論ということになればありがたく書かせていただく以外にありません。「1月末〆切の書評早くください」「歴博の作業早く提出してください」「論集の原稿もう待てませんよ」「雑誌の編集どうなってるの」と様々な声が聞こえますが、すべてなんとかいたします! もうしばらくのご猶予を…。
Comments (2)
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