仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

神話を歴史学の対象として扱うこと

2009-11-25 13:15:20 | 議論の豹韜
11月の月末は忙しい。土日は推薦入試などの関係で出勤となるし、勤労感謝の日も普通に授業日だ。学会なども入ってきてまったく休みがない。それなりに生活は充実しているのだが…。

さて、学会で報告していること、現在原稿に書いていること以外で、授業準備を進めている間に気付くこと、発見することというのは実は非常に多い。最近では、院ゼミで『法苑珠林』を読み進めてゆくなかで、『捜神記』などに語られる蜀の化け物の話(例えば、猿のようで人間の女性を掠っていって子を産ませ、その子孫を名乗る氏族があるという「猳国」の話、虎に変身できるという民族 貙の話など)が、どうやら四川・雲南・貴州などの少数民族を、漢民族がオリエンタリズム的に表現したらしいことがみえてきた。事実、イ族などは虎トーテムである。貙とはそのままイ族を意味する可能性もある。また、これらの物語の文章表現は、柳田国男が『遠野物語』で強調した山男譚にも重なってくる。両者が直接的に繋がってくることはないかも知れないが(柳田が『捜神記』や『法苑珠林』をみて書いたなど)、アジア的オリエンタリズムというか、他者表象の創られ方の問題からするといろいろ興味深い。
全学共通の日本史では人と動物の関係史を話しているが、北方ユーラシアの異類婚姻譚、動物の主神話などを調べていると、古代の典籍に出てくるようなモチーフが時折顔を出す。例えば、アムール川中流域に暮らすナーナイに伝わる、熊が人間の女性を掠って子孫を残すという話。ここでの主眼は、熊と人間とが血縁関係もしくは姻戚関係にあり、熊は親しい人間のもとへ皮や肉を届けてくれることになる。しかし、先ほどの猳国の物語との、言説形式における類似は著しい。社会に活きる神話の段階としてはナーナイの方が古層に属するはずだが、漢民族によって記述された猳国の物語の背景にも、かつて同様の異類婚姻譚が存在し機能していたであろうことが想像される。そこから、中沢新一氏のいう〈対称性〉の神話が、次第に別のベクトルへ変更されてゆく過程もみえてくる。
神話や伝承を歴史学の対象に用いることには、未だ抵抗も大きい(ぼくの研究など、これらが使えなければまったく何もできないのだが)。しかし、単なる神話・伝承ごとの比較ではなく、その言説形式や発展段階を丁寧に分析・復原してゆくことによって、思わぬ歴史の鉱脈が姿を現す場合もあるのだ。

※ 写真は、授業のために取り寄せたアイヌ民族博物館の研究報告書、『イヨマンテ』と『ポロチセの建築儀礼』。後者では、アイヌにおける木霊の扱い方もよく分かって感激(例えば、目端の利かぬ人間によって「魂を途中で折られてしまう」樹木は可哀想だが、木幣として美しく飾り立てられるのであればきっと喜ぶだろう、などの表現がある)。祈り詞の日本語訳では、神に対して「常務が○○といいました」「今日は連休ですので今度致します」といったリアルな告白があり、これも大変に面白かった。
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学会続き、シンポ続き

2009-11-18 11:22:41 | 生きる犬韜
いや、先週は大変だった。9日(月)~10日(水)は朝から晩まで会議と授業の連続、11日(木)・12日(金)は授業とシンポ等の準備、そして13日(土)は上代文学会大会シンポ。打ち合わせがあるというので、前日とは打って変わって気持ち悪いほどの暑さと強風のなか、正午に会場の日本女子大学へ到着した。実はこの大学、ぼくが初めて非常勤講師を務めた思い出深い場所なのだ(しかも日本文学科だった)。けっこう豪華なお弁当をいただきながら、一緒に報告する曽根正人さん、増尾伸一郎さん、司会の瀬間正之さん、企画担当の品田悦之さん、飯泉健司さんらと談笑。このメンバーで話をさせていただくのは本当に光栄だし、しかもなぜか強い安心感を抱く。ぼくには尊敬の念が深くあるし、3人とも、お互いが何を考えているかある程度分かっているからだろう(このような関係を構築できたのは、すべて、毎年の宗教史懇話会サマーセミナーのおかげである)。
そして本番。まずは曽根さんが、奈良時代の仏教教学がいかに浅薄なものかという爆弾を落とす。平安時代以降の仏教史的枠組みに当てはめて、上代をみることなど絶対にできない。続いてぼくが、各論として、儒教・仏教・道教の関わり合いのなかから生まれてきた神身離脱の問題を扱った。中国の神身離脱と日本の神身離脱では、同じような言説にみえて実はまるで中身が違う。厖大な史料を提示したが、なんとか35分くらいでまとめられた(規定は25分だったけど)。最後は増尾さんが、日本においても疑偽経典の影響が非常に大きいことを指摘。瀬間さんの司会で質疑応答に移ったが、やはり内容が濃すぎたためか、討論自体はあまり活発には展開しなかった。しかし、質問のひとつひとつはけっこう重たいもので、3人で意見交換しながら「楽しく」対応できた。
シンポ終了後は、上記のメンバーに蔵中しのぶさんや藤本誠君、池田美枝子さん、勉誠出版の吉田さんを加え、7時間にも及ぼうかという打ち上げとなった。みんな「嬉しいな、よかったな」を連発していたが、これほど知的刺激を受け、しかも終わっていい気分になったシンポはない(聴きに来てくださった方より、パネリストの方が盛り上がっているというのは、ある意味問題なのだが)。増尾さんからは、「語学のできる君が上智にいるんだから、もっと朝鮮や中国を研究しようというムーヴメントを起こしてほしい」と要望された。語学はできないが、重く受け止めたい。蔵中さんからは、大東文化大学国際シンポジウム「東西文化の融合」に関連していろいろお誘いをいただいた。以前から、キリスト教聖人伝と日本の諸伝承との比較研究をちゃんと行いたいと思っていたが、そのためのプラットフォームも作れそうな気がしてきた。もっともっと勉強せねば!という気持ちを強く持った1日であった。

この日は水道橋に宿を取り、翌15日(日)は早朝から大学へ出勤、上智大学史学会大会に参加した。例年、日本史部会はあまりパッとしないのだが、この日はなかなかに盛況で、ぼくの報告(さすがに、上代シンポと同じ内容だったが)にも、わざわざ筑波から、根本誠二さんの院生のS君が聴きに来てくれた。神仏習合で修論を書くという。頑張ってほしいものだ。
懇親会では、東北学院大学に赴任した後輩の河西晃祐君と、ずいぶん久しぶりに話すことができた。組合の副委員長までやっているという。昔から弁が立ったから適役だろうが、身体を壊さないよう頑張ってほしい。大学の置かれている厳しい情況、歴史学の方法論の問題などについて、いろいろ意見交換することができた。姿勢のラディカルさは相変わらずである。

それにしても、これから死のロードともいうべきシンポジウム渡りが始まる。12月5日は京都の花園大学へ出向き「花園大学国際禅学研究所・修行と身体班/宗教思想・文化研究会共催シンポジウム:身体からはじま(め)る思想(史)」で報告、1月9日は立教大学へ行って「国際シンポジウム:エコクリティシズムと日本文学研究―自然環境と都市」で報告、3月には早稲田の近代学問シンポも控えている。合間合間に論文も書かねばならず(上代文学シンポの原稿は1/15〆切といわれて、気が遠くなった)、1月には卒論も読まねばならない。斃れずにゴールにたどり着けるか、非常に心配な今日この頃である。

※ 写真は、中文書『楚地出土戦国簡冊』。今まで各種報告書でしか読めなかった14種の戦国楚簡が、この1冊に収録された。大変にありがたい。
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追悼:野生の思考

2009-11-08 09:00:38 | 議論の豹韜
今週はソフィア祭ウィークだと思って安心していたが、連休中に仕上げるべき仕事がうまく片付かず、来週に迫った上代文学シンポジウムのレジュメ作成も土曜日までずれ込んだ。もう少し細部まで考える時間がほしかったが叶わず(いつも土壇場で悪あがきする)、用いる資料も充分吟味することができなかった(とくに道教関係)。しかし、上代のインテレクチュアル・ヒストリーをアジアへ向けて開くことには、ほんの少しだけ貢献できそうだ。でも、おかげで楽しみにしていた日本道教学会、史学会の環境史シンポジウムにはほとんど参加できなかった。せっかく隣り合った場所でやっていたので、朝から頻繁に往来しようと思っていたのだが……今度、知人に情報を提供してもらうことにしよう。

さて、今週もっとも驚き、愕然としたのは、レヴィ=ストロース逝去のニュースだった。本当は先週末に情報を掴んでおかなければならなかったのだが、なぜか目に触れず、連休中に内田樹さんのブログをみたという妻から聞いて初めて知った。彼は、私の方法論の根幹を形作った、現代でいちばん尊敬する…というより「好きな」思想家であった。
レヴィ=ストロースを初めて知ったのは、学部1年生のときの文化人類学の授業だったろうか。あるいは、ブルデュー社会学を学んでいた兄から、もっと早くに聞かされていたかも知れない。学部生の頃は構造主義にどっぷりはまりこんでいたから、レヴィ=ストロースはもちろん、ソシュール、フーコー、バルト、ドゥルーズ、デリダなどを読み倒していた。当時はクリエーターを目指していたので、いちばん気に入っていたのはバルトやドゥルーズであり、そして原点たるソシュールであった。レヴィ=ストロースに本当に心酔したのは大学院に入り、自然環境の歴史を考え始めてからで、(フランス語も学んでいなかったのに)『野生の思考』を原書と付き合わせて読み、その偉大さに感嘆したものだ。今まで、ブルデューなどを通して客観主義の極北と思い込んでいた彼が、「自分でいうほどには」客観主義的でないことも知った。そうでなければ、「外在しながら内在する」という、対象との距離の取り方などは主張できない(ポスト構造主義による攻撃は、著しくレヴィ=ストロースを誤解している。この誤解が構造主義を静態的・共時的、そして冷徹な枠組みのなかに閉じ込めた。ポスト構造主義の一部には、自ら構築した虚構を解体するという自作自演の趣があったと思う。『環境と心性の文化史』下巻所収「自然と人間のあいだで」を参照)。トーテミズムの立場から「哺乳類が哺乳類の肉を食べるのは共食いである」と述べた彼のエッセイに触発されて、肉を食べなくなったのもその頃からである(もう10年ほどになるが、今でも続けている)。そういう意味では、ぼくはレヴィ=ストロース教の信者なのだろう。
構造主義に関わった思想家たちが次々と「異常な」死を遂げるなか、レヴィ=ストロースだけは100歳まで生きた。ちょうど、それを記念する出版が相次いでいる時期で、新たに謦咳に接する機会もあるのではないかと期待していただけに、残念でならない。

※ 写真は主著『野生のパンジー』と、このところレヴィ=ストロースを口寄せして書いている、シャーマン著述家中沢新一氏の最新訳書。最近の中沢さんの口寄せは、折口論では深い部分に達しきれず失敗している。しかし、レヴィ=ストロースの倫理的エッセンスを抽出する仕事については、ある程度成功していると思う(それに対する批判は、「樹霊に揺れる心の行方」『古代文学』41所収で述べておいたが)。
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やる気新幹線

2009-11-01 00:41:03 | 生きる犬韜
今週は、通常どおりの授業に豊田地区センターの講義、初年次教育委員会の会議、『上智史学』の校了作業などで淡々と過ぎた。また、来年度の上智大学コミュニティ・カレッジや、首都大オープン・ユニバーシティの企画も始まっていて、関係の仲間たちといろいろ頭を悩ませている。前者は、最近平家語りのライヴで気を吐いている同志の工藤健一氏、ブルースする大学講師として注目を集めるやはり同志の佐藤壮広氏を招いて、講義と実演からなる「身体技法からさぐる宗教文化」という講座を企画中だ。後者は猪股ときわ氏を頭に、佐藤氏、土居浩氏らおなじみの仲間と一緒に、怪談について料理することになりそうだ。受講者が集まらないと実現しない企画なので、努力が無駄にならないよういろいろ手段を講じなければならない。そうそう、卒業生のS君が、教員採用試験に合格したことを報告に来てくれたのは嬉しかった。今後はますます大変な仕事になるだろうが、頑張ってもらいたい。
自分の研究のことについていえば、現在勤務校は学園祭休みに入っているので、この間に上代文学会秋季大会シンポジウムのレジュメを完成させる必要がある。そこで、以前にも紹介した菊地章太氏の『神呪経研究』を読んでいるが、素晴らしい示唆を数限りなく得ている。六朝の見方がかなり変わってきた。やはり、道教文献は読まねばいかん。報告の準備は苦しくも楽しい作業だが(他に〆切を過ぎた原稿が複数ある場合は、そちらを中断しなければいけないので「苦」の方が多くなる)、ぼくの場合はBGMでやる気の加速装置が作動する。このところは、上のTOKYO No.1 SOUL SET + HALCARIがお伴である。

ところで「やる気」といえば、モモのところには1ヶ月ほど前にやる気バスが到着した。いや、バスかと思ってよくみたら、なんとやる気新幹線であった。モモは、研究会で報告したばかりのネタ(発表準備は1週間)を2週間で新稿として書き上げ、驚くべきことにほぼ10月1ヶ月で博士論文を脱稿して、つい昨日の30日(金)に大学へ提出してしまった。なんという集中力だろう。いつもながらではあるが、ぼくには決して真似できない。ま、それについては友人の研究者の皆さん、史料編纂所の同僚の皆さんにずいぶんご協力をいただいたようなので、夫としてこの場を借りてお詫びと御礼を申し上げたい。いろいろお世話をおかけしました。ありがとうございました。あとは、ちゃんと合格してくれることを祈るばかりだ。
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