仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

鎌倉フィールドワーク:寒風吹きすさぶ…

2008-12-27 11:01:49 | 生きる犬韜
今年最後のお仕事である。25日(木)は豊田地区センター生涯学習(「楽しい日本史」の会、という逆説的な会名が付いている)の12月例会。一応レジュメは用意していったのだが、参加の皆さんからの希望もあり、日本における他界観の変遷について、前回話した内容への質疑応答となった。皆さんいろいろなセミナーに名を連ねている猛者ばかりなので、「旧石器時代の人々は歴史時代のように分節された言葉を使用していなかったはず。そうした段階での死、死者への観念は具体的にどのようなものだったのか。また、喪葬儀礼はどういうコミュニケーションのもとに行われたのか」、「風水なるものはいつ頃から生まれ、現代のそれとどのような相違があるのか」、「持統の火葬は、天武の殯においてその朽ちてゆく遺体をまざまざと見せつけられたことと関係するのか」など、広汎で核心的な質問が続く。しどろもどろになりながらも何とか解答したが、勉強不足を痛感。例会終了後は大船の三間堂にて忘年会。両親や祖父母のような年代の方々から(最長老は来年卒寿!)、「いろいろな会に出ているけど、歴史の事実だけでなく、歴史の〈こころ〉を教えてくれるのは先生だけだ」と勿体ないお誉めの言葉を頂戴した。恐れ多いことだが、自分が教育者として、研究者として志している方向を言いあてていただいた形になり、本当にありがたかった。

26日(金)は、ゼミ行事の鎌倉フィールドワーク。今回は、『新編相模国風土記稿』から頼朝以前の鎌倉を髣髴させる伝承地を中心に選び、学生に踏査してもらった。鎌倉在住のドクター今泉牧子さん、中世史専攻の林直樹君にも手伝っていただく。今年いちばんの冷え込み?となった朝10:00に大船駅へ集合、3班に分かれて活動を開始。本当のフールドワークは、現地の人々との信頼関係のうえに綿密な準備を経て実践すべきものだが、うちのゼミでやっているのは歴史を読むセンスを磨くための疑似体験。例えば、長谷にある虚空蔵堂という小さなお堂。海に面した極楽寺坂の切り通し(新田義貞の鎌倉攻めの際の戦場のひとつ)の麓に立地するが、その環境には何か意味があるのか。星の井戸や舟守地蔵、行基仏などを擁しているが、それらはいかなる機能を持っているのか。神社の原型である湧水点祭祀、坂の境界性、生業と信仰の関わり、空海が修行に用いたという虚空蔵求聞持法など、関連づけられそうないろいろなファクターが思い浮かぶ。現地に立って懸命に思考し、感受性と想像力を鍛えてもらうことが重要なのだ。そのあたりのことを、学生たちはどれくらい分かってくれているだろう?
どこかの班に張り付いていると贔屓になってしまうので、ぼくは鎌倉駅近辺での待機となる。しかしせっかく鎌倉まで来たのだからと(近くだけど)、まずは鶴岡八幡宮に参詣(写真のように人の出も少なくひっそりしていたが、あと数日すれば初詣の参拝客でごった返すことになるのだろう)。葉の落ちきった大銀杏を見上げて、ああ実朝すまん、公暁すまん、という気持ちになる。こんなに狭い鎌倉のなかで暗闘を繰り返す、やはり北條氏はあこぎである。久しぶりに国宝館や宝物殿を覗いてみようと思ったが、年末の展示替えで尽く休館だった。外国人観光客も残念そう(円高をおしてせっかく来ているのにね)。
お昼前に景清窟くらいはみておくか、と歩いて扇ガ谷方面へ。実朝ゆかりの寿福寺(やはり実朝すまん、という気持ちになる。閑静で非常に風情がある)、太田道灌旧邸跡でもある英勝寺など幾多の名所旧跡を経過して、化粧坂の麓にある景清窟の立碑へ。頼朝を暗殺するために鎌倉へ潜入した平(藤原)景清が、捕らえられて幽閉されていた岩屋の跡という。むろん史実ではないが、なぜここがそうした伝承の地として選択されたのか、化粧坂の関係から考えても興味深い。ついでだからと化粧坂切り通しまで登ってきたところ、山ノ内方面から鎌倉入りしてきた3年生の一団とぶつかった。ヒールを履いてきた女の子が相当苦労して下り終わり、「先生、鎌倉っていうから小粋なお散歩くらいに思っていました」と文句を言っていたが、鎌倉は天然の要害なのだ。それを体感することにも意味がある。
お昼を食べてからしばらくは、鎌倉駅前のスタバで原稿書き。喪の仕事に関するフロイトの見解を整理してノートにまとめた。心理学と対決しながら社会学を屹立させていったデュルケームに傾倒していたせいもあり、ぼくはフロイトにあまりいい印象を持っていなかったが、最近死者の問題を考えるうちに彼の著作を読み出して認識を改めた。左に挙げた新訳の文庫も、喪の仕事と鬱病化に至る心理の動きを追った箴言に満ちている。この頃よく話題に挙げる〈人物伝的歴史理解〉についても、フロイトのいう〈同一化〉(自我のなかに選択した対象の影を創り出し、それと一体化しようとする心理作用。超自我形成の一プロセス)を踏まえて補足再考する必要があるだろう。
3時になったので、虚空蔵堂に寄ってから集合場所の大船駅へ。途中で男子班と合流、早く着きすぎたため大船駅の喫茶店に入ったが、そこで史学科2年のKさんに声をかけられた。大船近辺在住で、この喫茶店でバイトをしているという。まったく悪いことはできない(していません)。

一応の解散後は新宿へ戻って忘年会。なぜか恋愛体験の告白大会になってしまったので、調子に乗って自分の経験も披露する(バカだ...)。しかし、ふだんはみえてこない学生たちの新たな面を発見できて、なかなかに楽しい時間であった。
Comments (2)

今年最後の研究会:課題山積

2008-12-25 10:37:43 | 議論の豹韜
23日(火)、成城大学で『日本書紀』を考える会の例会。今年は、3月に刊行された『アリーナ』聖徳太子特集の合評会を続けているが、この日の対象はぼくの論文を法政大学のドクターの永田一さんが、榊原史子さんの論文を脊古真哉さんが、藤井由紀子さんの論文を吉田一彦さんが論評した。体調の快復した増尾伸一郎さん(なんとこの日が誕生日)、サバティカルなのに大学に呼び戻されている瀬間正之さん、とってもご無沙汰している(8年ぶり?)蔵中しのぶさんにお会いできたのは嬉しかった。

ぼくの論文(といっていいのか?)は、崇仏論争の主要史料を『法苑珠林』十悪篇邪見部に求めた前稿を、中国の〈祟〉をめぐる言説史のなかに置き直したもの。苛酷なスケジュールのなかでなんとかまとめて提出したもので、校正も行き届かなかったためにさまざまな反省点がある。永田さんが丁寧にみてくれたので、問題点が浮き彫りになってよかった。神仏の関係のあり方について、崇仏論争記事を根拠に「仏は神として崇められていた」という理解を組み立てることはできないと警鐘を鳴らしたが、この点に関しては曽根正人さんと深く議論することができた。祟りを生み出す卜部の問題については、篠川賢さんにコメントをいただいた。それにしても、中臣氏を中国的史官の役割を担うものとして編成された氏族とする見方は、日本史では理解されないのだろうか。中国古代史専攻の方には、「まさにそのとおり!」といってもらえたのだが。3月に出る予定の『国立歴史民俗博物館研究報告』にも書いたが、『家伝』の研究会でももう少しプッシュしてみるか。

それにしても、懇親会の席でいろいろな方と議論していると、大山誠一さんの管掌するこの会のメンバーが、それぞれにかなり異なった見解を持っているのが浮き彫りになる。『日本書紀』の仏教関係記事についても、道慈が書いたと考えているのはごく少数に過ぎないようだ。ぼくはどの論文でも明言を避けているように、正直「誰でもいい」と思っている(そんなこと書いちゃいけないか)。重視している論点、興味の対象がそこにはないということだ。ちょっと苦戦している様子の『家伝』研究会について、「大織冠伝」の研究可能性について少しばかり悲観的な発言をし(もう新しい何かを見つけるのは難しいんじゃないか)、篠川さんから「けしからん!」とお叱りを受けたが、それも同じ意味においてである。『書紀』や『家伝』を読んでいると、その向こう側にある漢籍の海にどんどんはまり込んでいってしまう。困ったことに、いまはそれがいちばん楽しいようだ。

※ 写真は、早稲田の森和さんから教えていただいた『二年律令與奏谳書』。このなかに含まれる「史律」が、卜官と史官との関係を考えるうえで極めて重要。ちなみに昨日、森さんの親類がウチの檀家の方だったと知って、また世間の狭さに驚愕した。
Comments (3)

ちょっと総括:今期のドラマ、アニメについて

2008-12-22 07:07:47 | テレビの龍韜
一気に年末。これから出勤して原典講読、コミカレを終えれば、大学も仕事納めである。しかし前にも書いたが、今週は研究会や生涯学習の講義、ゼミのフィールドワークなどが入っており落ち着かない。年賀状や大掃除は27日以降だろうが、そうすると冬期休暇は1週間程度しかなく、とても論文2本・エッセイ1本を書き上げる余裕などないように思える。しかし、1月には20日厳守の原稿があり、2月にもわざわざ〆切を延ばしてもらった原稿がある。卒論やレポートの採点も必須作業なので、かなり無理をしなければ乗り切れまい。こうなってくると、年賀状を書くのがいちばん億劫である(しかし、いつも最初に愚痴を書いてるな)。

ところで今期のドラマ。『チーム・バチスタの栄光』『七瀬ふたたび』『ブラッディ・マンデイ』などを楽しみに観てきたが、やはりいちばん印象に残ったのは『風のガーデン』だった。ぼく自身が倉本聰フリークであることにもよるが、やはり、放映直前に癌で逝った緒方拳の演技が澄み渡って重い。物語自体、中井貴一演じる主人公が癌に冒され、家族にみとられながら最期を迎えてゆくというものである。緒方拳はその父親役で、どのような気持ちで芝居をしていたのかと考えると胸が締め付けられるようだった。しかし、倉本聰の目線は年を追って優しく穏やかになってゆく感じがする。『昨日、悲別で』『ライスカレー』のような青春群像劇もまた観たい。
『ブラッディ』は、最近流行のアメリカ・ドラマ路線を狙ったのだろうが、その目論見はある程度成功したように思う。日本のテレビドラマはこの種の作品が本当に苦手で、映画でも名作といえるものはあまりない。今回は志の高さを示した。三浦春馬の知的な熱演もよかった。
3月まで続く『だんだん』はキャラクター設定がしっかりしており、そのためにかえって、特定の人物を「嫌なやつだな」と感じることが多くなってきた。観る側に葛藤が生じるのはドラマとしてよく出来ている証拠だが、音楽プロデューサーの石橋という青年、主人公のひとりで舞妓を捨てたのぞみの言動が妙に鼻につく。ストーリーも彼らの思惑どおりに展開してゆくので気に入らない。歌を歌うことはプロでなければ価値がないものなのか、充分に議論されないままに置き去りにされる問題も多く、このまま双子デュオという形でデビューしていくのがよいのか首を傾げてしまう。

アニメーションは原作のあるものがほとんどだったが、(意外なことに)技術的にも水準が高かったのは『屍姫 赫』『喰霊 零』。ともに設定自体は使い古されているうえに不自然なものの、幸運なアニメ化がなされたということだろう。前者は死に対するメンタル面を丁寧に描き、後者は初回の構成から視聴者の予測を裏切り続けた。マングローブの『ミチコとハッチン』は、放映時間が不定期なのでちゃんと観られていないのだが、独自の路線を疾走していて好感が持てる(この組み合わせ自体、アメリカ西部ということ以外に共通点はないのだが、『バグダッド・カフェ』と『キル・ビル』を合わせたような印象)。『カウボーイ・ビバップ』『サムライ・チャンプルー』で音楽センスの高さを見せつけた渡辺信一郎は、今回は演出を退き音楽プロデューサーに回っている。昨今のアニメ界で、梶浦由記と菅野よう子に頼らず屹立した音楽世界を構築できるのは、彼と小林治だけであろう。上半期の作品だが、その小林の『魔法遣いに大切なこと 夏のソラ』も秀逸だった。題材としてはまったく異質な印象があったが、小林の乾いたリアルな演出で、原作のわざとらしい(安っぽい?)センチメンタリズムが払拭されていた。あとはやはり『ガンダム00』か。さすが黒田洋介というべき強靱な出来で、戦争なるものの可否、そのなかで翻弄される人物群像、そして人類の革新といったガンダム的テーマが過不足なく盛り込まれている。シリーズ中最も完成された作品であり、どう結末が付けられるか楽しみだ。
Comment

『篤姫』などに思う:ナラティヴの機能

2008-12-16 15:03:52 | 議論の豹韜
シンポジウムが終わり、今年の授業も残りわずかとなったが、何となくワサワサして原稿の執筆に集中できない。13日(土)はオリキャンの下見で休日出勤し箱根へ日帰り(本当は仏教史学会の忘年会に出たかった)、23日(火)は大山誠一さんの『日本書紀』を読む会、25日(木)は豊田地区センターの忘年会、26日(金)はゼミ主催の鎌倉フィールドワーク。今年は卒論も9編あり、400字詰め400ページに及ぶ力作も見受けられるので、年末年始は大変そうだ。それらの合間を縫って年賀状の作成や大掃除を行わなければならないが、1月は5日(月)からもう授業が始まってしまう。本当に忙しない。

さて、3月の物語研究会シンポと12月の早稲田僧伝シンポ、ぼくの報告では二つとも鹿島徹さんの歴史の物語り論を採りあげた。先日発売された『歴史評論』705号(2009年1月号)掲載の「北方謙三、〈いくつもの日本〉をめざす物語―歴史学とサブカルチャー③―」でも、やはり鹿島説に言及している。人物を介して歴史を把握するメンタリティーに東アジア的な伝統を感じ、またそのポストモダン的倫理性も有効であると認めるからだが、これだけ言及してきて理解が深まるどころか、ちょっとステレオタイプ的な扱い方になってきた。注意せねばなるまい。なぜこんなことを書いたかというと、大河ドラマ『篤姫』の最終回を見終わって、あらためてナラティヴの機能について考えさせられたからである。
『篤姫』は、多くの支持を受けただけあって、ドラマとしては面白い作品だった。主演の宮崎あおいもさすがの演技力で、その魅力のおかげで物語が1年保ったといっても過言ではなかろう。彼女の凛とした生き様に触れて多くの人々が励まされ、また「このように生きたい」と強く思ったに違いない。最近もNHKのニュースで流れていたが、ブームの効果で歴史学的にも多くの新発見があり(大奥に入ったときの輿の発見、薩摩から江戸へ渡ったときの陸路の特定など)、歴史の闇からその実像を浮かび上がらせることに寄与した。鹿島パラダイムにおける「歴史構成の倫理性」=隠蔽され、忘却された過去の救済が、いかんなく発揮された形になったわけだ。しかしそれにしても、(今さらいうまでもないことだが)ドラマ『篤姫』は実在の彼女を〈いい人〉に描きすぎた。もっと汚い部分、嫌な部分は必ずあったはずだが、宮崎あおいの表象である〈純粋さ〉を全面に押し出して突っ走ってしまった。結果、極めて爽やかな印象は残ったが、人物造型に深みのある陰影は感じられなかった。これは脚本の責任だろうが、まあ、骨太の『風林火山』の後だから、世間も制作サイドも〈爽やか青春もの〉を求めていたのかも知れない。ただし、江戸無血開城をピークに終盤を迎えた物語は、その決断を賛美するばかりで、上野戦争から函館戦争に至る血みどろの騒乱を一顧だにしなかった。ドラマの篤姫は、薩摩を揺るがした西南戦争には心を痛めるが、自分の「家族」を支えてきた幕府側の人々には恐ろしく無頓着なのだ。幕臣といえば活躍するのは勝海舟ばかりで、榎本武揚や大鳥圭介はほとんど登場せず、小栗上野介に至ってはまったく描かれなかったのではないだろうか(「トップの篤姫は、大奥以外の末端の人々の窮状などまったく気にしなかったのですよ」という演出意図なら凄いと思うが、恐らくそうではないだろう)。
ナラティヴは何かを掬い上げるかわりに、必ず何かを削ぎ落としてゆく。そして大事なものは、実は、常に削ぎ落とされた側の方にある。ドラマを楽しんだ我々がそのことに目を向けなければ、『篤姫』も本当に成功した作品とはいえないと思われる。

ところで、日曜日に『ガンダム00』を観てから『篤姫』を観ると、ともに「家族」というキーワードが頻出することに気づかされる。山田太一が家族の解体と再生をドラマに託してから、事態はより深刻化しているが、青年層に支持される作品に「家族の大切さ」が語られるのは興味深い。家を離れた/失った者たちが新たな疑似家族を作る、という構図が一貫しているのは、現実の血縁家族が荒廃し忌避されている反映でもあろうが...。
Comments (2)

シンポジウム終了:僧伝なるものについて考える

2008-12-07 17:07:12 | 議論の豹韜
早稲田大学高等研究所でのシンポジウム〈僧伝のアジア〉が終わった。前日も19:00まで会議室に詰めていたため、徹夜で作業したものの充分に準備を終えることができず、心身ともに消耗した状態で本番に臨むこととなった。この日、12/6(土)は各所でシンポや学会の大会、研究会の例会が開かれており、ほとんど人が集まらないのではないかと心配されたが、写真のようになんとか恰好だけは付いた形である。関係者のみという閑散とした会場では、何より中国から招聘した方々に申し訳がない。今回はぼくも被招聘者だったのだが、主催者側がみな友人なので気持ちはホストサイドであった(だから、開会の挨拶で「今回は上智大学からも報告者をお招きし...」などといわれたときはちょっと違和感があった)。
なお、プログラムは以下のとおり。

北條勝貴「先達の物語を生きる―行の実践における僧伝の意味」
藤巻和宏(高等研究所助教)「鷲にさらわれた子の行方―良弁伝の生成と展開」
水口幹記(浙江工商大学日本文化研究所副教授)「北宋代祈雨の諸相―成尋の祈雨を手掛かりに」
江静(浙江工商大学日本文化研究所副教授)「神様の召喚―無学祖元の赴日伝説をめぐって」
陳小法(浙江工商大学日本文化研究所副教授)「明清文人と一休宗純―画賛を中心に」
黒田智(高等研究所助教)「往生の十五夜―願われた死の日時」

ぼくはトップバッターであったが、準備不足なうえに25分という報告時間にうまくまとめることができず、さんざんな出来だった。終わった後、何人かの方から「とても分かりやすい話し方で参考になった」といわれたが、慰めとして受け取っておこう。内容は以前に梗概を書いたとおりだが(最後に、禅観瞑想の伝統がなかった日本では、禅観経典より僧伝の方が山林修行のテキストとして広く利用された、と付け加えた)、シンポ全体の内容からすれば、もう少し史・伝の成立について詳しく考察しておくべきだったかも知れない。しかしまあ、最低限の役割は果たせたろう。
藤巻報告は、ぼくも10年以上前に論文で追いかけたネタに関係する。鷲の辿ったルートに良弁の活動を復原するなど無謀な方法を用いたものだが、藤巻氏のそれは、近世までカバーした鷲の落とし子の伝承史として興味深い。しかし、そもそもなぜ鷲なのか。ガルーダの中国南方や東南アジアでの広がりをみると、仏教とともに入ってきたモチーフという気がしないでもない。
水口報告は、『参天台五台山記』にみえる成尋の祈雨記事が、当時の宋社会の文脈に則った一般的事例であること、『参記』が後世に成尋伝として読まれる可能性などを指摘した。記録から伝へ、という僧伝の一成立過程を示す内容だろう(そして、それには"読み"が関わっている)。ぼくが掲示した『周氏冥通記』も、もともとは陶弘景の弟子周子良が神仙から受けた訪問の断片的記録だったが、後に陶自身によって周子良伝を付し成巻されている。きちんと提示して比較できれば面白かったかも知れない。
江報告は、無学祖元の日本渡来の伝承を史料に基づいて分析し、渡来を要請した八幡神を導く金龍・白鳩の意味について考察した。陳報告は、一休宗純の頂相に画賛を加えた明清文人の事例研究。いずれも知らないことばかりで大変勉強になった。
黒田報告は、日本の往生伝類から中秋という往生の「得意日」を発見し、中国の往生伝類の分析から北遼などからの伝来可能性を指摘した。以前このブログでも指摘したが、ぼくの報告で扱った曇鸞には、道教を介してなんとなく月との関わりがつきまとう。浄土=月世界説はぼくも賛成なので、今後自分なりに調べてゆきたい。

ぼくの関わった会としては驚くべきことに(他の人が偉かったのだ)、時間通りにスケジュールは進み、会場との意見交換を終えて懇親会へ。司会の森和さんは中国古代史のご専門、祟りと亀卜をめぐる研究において普段から疑問に思っていることを、いろいろご教示いただくことができた(嬉しい限り!)。二次会は高等研究所の集会室にて、同年代の研究者が集まり楽しく盛り上がった。しかし、ぼくは前々日からほとんど不眠不休だったので、もはや脳が活動限界に来ており、活発な意見交換に加われなかったのは残念であった。いずれにしろ、シンポ主催者の皆さん、関係者の皆さんには大変お世話になりました。今後ともよしなに。
Comments (5)

シンポジウムへ照準2:ようやく先がみえてきた

2008-12-01 22:03:28 | 生きる犬韜
現在、なかなかに繁忙なロードを走っている最中である。
先週も、26日(水)にコミカレの公開講座、27日(木)に豊田地区センターの例会とオリキャンの会議、28・29日(土・日)に勤務校の編入・推薦・外国人入試、29日(日)に環境/文化研究会(仮)の例会と盛りだくさんの内容だった。休みがないのでシンポの準備ができずに困ったが、まあ、隙間の時間を使ってなんとか展望がみえるところまでこぎ着けたのでヨシとしよう。明日授業を終えれば、3日(水)はザビエル祭で全学休講となるので、そこでほとんど完成の状態へ持ってゆきたいところだ。4・5日(木・金)は10:00~18:00まで終日会議、次の6日(土)がシンポの当日なので、水曜が休みでなければ間に合わなかったろう。ギリギリセーフである。

コミカレの公開講座は、昨年に引き続き、日舞藤間流の藤間紋先生に来ていただいた。相変わらずの見事な舞には見惚れるばかり、今回は鼓・三味線など楽器に関する説明も詳しくあったので興味深く伺った。三味線や鼓も湿気には弱く、遠赤外線を使って最適な状態を維持するという。浄土真宗でも法要に雅楽を用いるが、父や兄が主に使う笙も、やはり湿気に関してはものすごくデリケートだ。湿気を飛ばすため、夏でも火鉢を抱いて暑そうにしている。...それにしても、今回は昨年と比べ、学生の参加が非常に少なかった。昨年は全学共通の授業で声をかけたら、それなりに集まってくれたのだが。今年は、授業中に春日若宮おん祭りで奉納される神楽や舞楽をみせたので、もっと興味を持ってくれる学生が多いかと思っていたのだけれども、期待はずれになってしまった。アルバイトでスポットライトを扱ってくれた学生たちが、「まったく興味なかったんですが、最高でした!」と目を輝かせて言ってくれたのがせめてもの救いだ。

オリエンテーション・キャンプの会議は、来年度の新ヘルパーたちを迎えて第1回の打ち合わせ。なんとかマンネリを脱し、また無駄をなくすべく、今年度の反省を活かして微調整を加えることとなった。1年生のヘルパーたちは、ハキハキしていてなかなかよい。2年生は昨年からの付き合いだが、やっぱり1年でずいぶん成長した気がする。I君とは北方ファンとしての趣味が合うのだが、兵法レベルで知的な歴史ドラマや映画を撮ってみたいとの夢があるらしい。しかし、それが実現できるかどうかというところでは、ちょっと冷めている。無責任に「やってみればいいじゃん!」とはいえないが、何だか寂しい気もする。ぼくだって、「いつか自主映画に復帰してやる!」と密かに思っているのだから、I君も夢を持ち続けてほしいなあ。

推薦や編入の入試は、大変だがけっこう面白かった。個人情報なども含むので詳細はここに書けないが、なかなか優秀な受験生もいて面接自体が楽しめた。来年は期待しておきたい。
会議が終わって勤務校を飛び出し、一路環境/文化研究会の行われている東洋大学へ。残念ながら久米舞子さんの報告は聞き逃したが、monodoiさんの自然葬に関する報告にはなんとか間に合った。以前から伺っていたし、氏がブログで語ってもいらっしゃるのだが、沖縄摩文仁の断崖下に未だに埋まったままの大戦時のご遺骨を捜索する作業、やはり重みのある話だった。自然葬を正当化する言説には「日本人は環境に優しい」言説と同じ胡散臭さを感じるが、参加していた仲間たちと、日本人の死生観・葬送観・自然観について広く意見交換できたのもよかった。やはりこのメンバーとの会話は脳細胞の活性化に繋がる。久米さんの話も飲み会の席で伺い、10年前に書いた論文(「松尾大社における大山咋神奉祀の原初形態-松尾・賀茂・日吉三社の祭祀的連環をめぐって-」『歴史における史料の発見』平田耿二教授還暦記念論文集編集委員会、1997年。「松尾祭」『平安時代儀式年中行事事典』東京堂出版、2003年)とも関係する話だったので、昔の知識を掘り起こしながらさまざま議論をした。もういちどよく勉強せねば。nomurahidetoさんともずいぶん久しぶりで、シンポにも関係する六朝の道教・仏教との関係、志怪小説におけるその反映などについてご教示いただいた。久米さんにmonodoiさん、猪股さん、nomuraさん、武田さん、内藤さん、ありがとうございました。

左の写真は、ジャーナリスト上野清士さんの『ラス・カサスへの道』。カトリックの大学に勤めていながら恥ずかしいのだが、正直、この人物のことをまったく知らなかった。コロンブスの同時代人で、従軍司祭として南米に赴きながら、スペイン軍の暴虐を糾弾し、ときにその批判は王にまで及んだという。身を挺してインディオを守る論戦を繰り広げ、『インディアス史』『インディアス文明誌』を著した。上野氏の筆致は思い入れが強く、ときに感傷的で饒舌になり過ぎる感があるが、ラス・カサスの生涯を自らのものとして引き受ける真剣さに溢れている。あまりにも弱すぎる自分を見つめ直すのに最適の一冊。
Comment   Trackback (1)