今年最後のお仕事である。25日(木)は豊田地区センター生涯学習(「楽しい日本史」の会、という逆説的な会名が付いている)の12月例会。一応レジュメは用意していったのだが、参加の皆さんからの希望もあり、日本における他界観の変遷について、前回話した内容への質疑応答となった。皆さんいろいろなセミナーに名を連ねている猛者ばかりなので、「旧石器時代の人々は歴史時代のように分節された言葉を使用していなかったはず。そうした段階での死、死者への観念は具体的にどのようなものだったのか。また、喪葬儀礼はどういうコミュニケーションのもとに行われたのか」、「風水なるものはいつ頃から生まれ、現代のそれとどのような相違があるのか」、「持統の火葬は、天武の殯においてその朽ちてゆく遺体をまざまざと見せつけられたことと関係するのか」など、広汎で核心的な質問が続く。しどろもどろになりながらも何とか解答したが、勉強不足を痛感。例会終了後は大船の三間堂にて忘年会。両親や祖父母のような年代の方々から(最長老は来年卒寿!)、「いろいろな会に出ているけど、歴史の事実だけでなく、歴史の〈こころ〉を教えてくれるのは先生だけだ」と勿体ないお誉めの言葉を頂戴した。恐れ多いことだが、自分が教育者として、研究者として志している方向を言いあてていただいた形になり、本当にありがたかった。
26日(金)は、ゼミ行事の鎌倉フィールドワーク。今回は、『新編相模国風土記稿』から頼朝以前の鎌倉を髣髴させる伝承地を中心に選び、学生に踏査してもらった。鎌倉在住のドクター今泉牧子さん、中世史専攻の林直樹君にも手伝っていただく。今年いちばんの冷え込み?となった朝10:00に大船駅へ集合、3班に分かれて活動を開始。本当のフールドワークは、現地の人々との信頼関係のうえに綿密な準備を経て実践すべきものだが、うちのゼミでやっているのは歴史を読むセンスを磨くための疑似体験。例えば、長谷にある虚空蔵堂という小さなお堂。海に面した極楽寺坂の切り通し(新田義貞の鎌倉攻めの際の戦場のひとつ)の麓に立地するが、その環境には何か意味があるのか。星の井戸や舟守地蔵、行基仏などを擁しているが、それらはいかなる機能を持っているのか。神社の原型である湧水点祭祀、坂の境界性、生業と信仰の関わり、空海が修行に用いたという虚空蔵求聞持法など、関連づけられそうないろいろなファクターが思い浮かぶ。現地に立って懸命に思考し、感受性と想像力を鍛えてもらうことが重要なのだ。そのあたりのことを、学生たちはどれくらい分かってくれているだろう?
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どこかの班に張り付いていると贔屓になってしまうので、ぼくは鎌倉駅近辺での待機となる。しかしせっかく鎌倉まで来たのだからと(近くだけど)、まずは鶴岡八幡宮に参詣(写真のように人の出も少なくひっそりしていたが、あと数日すれば初詣の参拝客でごった返すことになるのだろう)。葉の落ちきった大銀杏を見上げて、ああ実朝すまん、公暁すまん、という気持ちになる。こんなに狭い鎌倉のなかで暗闘を繰り返す、やはり北條氏はあこぎである。久しぶりに国宝館や宝物殿を覗いてみようと思ったが、年末の展示替えで尽く休館だった。外国人観光客も残念そう(円高をおしてせっかく来ているのにね)。
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お昼前に景清窟くらいはみておくか、と歩いて扇ガ谷方面へ。実朝ゆかりの寿福寺(やはり実朝すまん、という気持ちになる。閑静で非常に風情がある)、太田道灌旧邸跡でもある英勝寺など幾多の名所旧跡を経過して、化粧坂の麓にある景清窟の立碑へ。頼朝を暗殺するために鎌倉へ潜入した平(藤原)景清が、捕らえられて幽閉されていた岩屋の跡という。むろん史実ではないが、なぜここがそうした伝承の地として選択されたのか、化粧坂の関係から考えても興味深い。ついでだからと化粧坂切り通しまで登ってきたところ、山ノ内方面から鎌倉入りしてきた3年生の一団とぶつかった。ヒールを履いてきた女の子が相当苦労して下り終わり、「先生、鎌倉っていうから小粋なお散歩くらいに思っていました」と文句を言っていたが、鎌倉は天然の要害なのだ。それを体感することにも意味がある。
お昼を食べてからしばらくは、鎌倉駅前のスタバで原稿書き。喪の仕事に関するフロイトの見解を整理してノートにまとめた。心理学と対決しながら社会学を屹立させていったデュルケームに傾倒していたせいもあり、ぼくはフロイトにあまりいい印象を持っていなかったが、最近死者の問題を考えるうちに彼の著作を読み出して認識を改めた。左に挙げた新訳の文庫も、喪の仕事と鬱病化に至る心理の動きを追った箴言に満ちている。この頃よく話題に挙げる〈人物伝的歴史理解〉についても、フロイトのいう〈同一化〉(自我のなかに選択した対象の影を創り出し、それと一体化しようとする心理作用。超自我形成の一プロセス)を踏まえて補足再考する必要があるだろう。
3時になったので、虚空蔵堂に寄ってから集合場所の大船駅へ。途中で男子班と合流、早く着きすぎたため大船駅の喫茶店に入ったが、そこで史学科2年のKさんに声をかけられた。大船近辺在住で、この喫茶店でバイトをしているという。まったく悪いことはできない(していません)。
一応の解散後は新宿へ戻って忘年会。なぜか恋愛体験の告白大会になってしまったので、調子に乗って自分の経験も披露する(バカだ...)。しかし、ふだんはみえてこない学生たちの新たな面を発見できて、なかなかに楽しい時間であった。
26日(金)は、ゼミ行事の鎌倉フィールドワーク。今回は、『新編相模国風土記稿』から頼朝以前の鎌倉を髣髴させる伝承地を中心に選び、学生に踏査してもらった。鎌倉在住のドクター今泉牧子さん、中世史専攻の林直樹君にも手伝っていただく。今年いちばんの冷え込み?となった朝10:00に大船駅へ集合、3班に分かれて活動を開始。本当のフールドワークは、現地の人々との信頼関係のうえに綿密な準備を経て実践すべきものだが、うちのゼミでやっているのは歴史を読むセンスを磨くための疑似体験。例えば、長谷にある虚空蔵堂という小さなお堂。海に面した極楽寺坂の切り通し(新田義貞の鎌倉攻めの際の戦場のひとつ)の麓に立地するが、その環境には何か意味があるのか。星の井戸や舟守地蔵、行基仏などを擁しているが、それらはいかなる機能を持っているのか。神社の原型である湧水点祭祀、坂の境界性、生業と信仰の関わり、空海が修行に用いたという虚空蔵求聞持法など、関連づけられそうないろいろなファクターが思い浮かぶ。現地に立って懸命に思考し、感受性と想像力を鍛えてもらうことが重要なのだ。そのあたりのことを、学生たちはどれくらい分かってくれているだろう?
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3時になったので、虚空蔵堂に寄ってから集合場所の大船駅へ。途中で男子班と合流、早く着きすぎたため大船駅の喫茶店に入ったが、そこで史学科2年のKさんに声をかけられた。大船近辺在住で、この喫茶店でバイトをしているという。まったく悪いことはできない(していません)。
一応の解散後は新宿へ戻って忘年会。なぜか恋愛体験の告白大会になってしまったので、調子に乗って自分の経験も披露する(バカだ...)。しかし、ふだんはみえてこない学生たちの新たな面を発見できて、なかなかに楽しい時間であった。