26日(月)からは日本宗教史懇話会サマーセミナー、そのすぐ翌日からは中国雲南省での調査が入っているので、しばらくfacebookもブログも更新できそうにない。というわけで、久しぶりにブログを更新し、この8月前半のあれこれについてまとめておくことにしよう。
前回の内容の続きになるが、この数週間を一言で表現するなら、「洪水伝承行脚」と総括するのが適当であるように思う。洪水伝承については、環境史や心性史、神話研究などを専門としている関係上、以前から一般的な知識はあった。しかし本気になって調べ始めたのは、2011年7月に行われた東北学院大学での講演会「災害を乗り越えてきた人々」からだろう。その折に抱いた問題意識の一部は、その後、アジア民族文化学会大会シンポジウム「環境と神」での報告に繋がり、歴陽水没型の伝承が兄妹婚姻型洪水神話へ変質してゆく歴史過程として、六朝の仏教・道教の洪水終末観の影響を指摘する論文に結びついた。しかし、厖大な洪水神話の広がりをそれだけで把握しうるわけはなく、災害を伝える言説としてきちんと読み込みたい、なぜ広範囲に拡大し定着してゆくのか、グラハム・ハンコックのようなトンデモ史実説ではない形で明らかにしたいという願望は強くなった。
先の投稿でも触れた東歴研の歴史学入門講座では、洪水伝承は災害を伝える物語の一類型として捉え、災害と言葉、災害と物語りとの関係を幾つかの言説形式から論じる体裁を採ろうとした。しかしその準備過程において、どうにもこの洪水伝承の成立と展開を通史的に整理する方向へ関心が傾いてしまい、結果、中国の前漢頃に江南周辺で生まれた都市水没型の災害伝承が、付近に大河や湖沼を擁する水郷都市という環境のなかで生き続け、やがて隣接する文化圏の同環境の都市へ波及、最終的に中国の東北地域・南西地域や、朝鮮半島、日本列島で固有の機能を果たすまでを描いてゆくことになった。こうした作業は、個々の事例の掘り起こしや深い読み込みが極めて大切であり、同時に、全体の枠組みを修正しつつ再構築してゆかねばならない。少数民族の洪水神話は厖大すぎて手に余るが、王宪昭氏作成の詳細なインデックス、『中国各民族人類起源神話母題概覧』や、国家事業として進められた『中国民間故事集成』から丹念に事例を収集してゆくことで、大体の傾向を掴むことはできるだろう。日本の事例も、柳田国男はもちろん、近年では山本節氏が九州・東海・東北などで採集された事例を参照しつつ、『日本伝説大系』や『日本昔話通観』を手がかりに探索してゆけば、だんだんと全体像はみえてこよう。東歴研の準備の際には、洪水伝承が災害の記憶を伝える言説形式としてどうなのかを中心的に検証したので、詐偽への疑惑も持たず避難を断行する老婆に「サバイバルの心得」を見出すこともできたし、近代の三陸大津波を受けて語られ出したとみられる東北の伝承や、やはり何度も津波を受けているとみられる沖縄・南西諸島のヨナタマ伝承のなかに、「サバイバーズ・ギルトの表出」を発見することもできた。最近、自分の勉強量や集中力の低下に忸怩たる思いを強くしているが、振り返ってみると、それなりに進歩はあるようである(なければ困る)。
そして10~12日は、立教大学の野田研一さんに呼ばれ、科学研究費・共同研究プロジェクト「文学的交感の理論的・歴史的考察:自然-人間の関係学」第3回合同研究会にて報告をさせていただいた。野田さんは、日本におけるネイチャーライティング研究の権威であり、エコ・クリティシズムの先駆者といってもよい人で、2009年に立教大学で開催された国際シンポジウムでご一緒して以来、度々お世話になっている。歴史学の周縁部分を歩き続けているぼくの研究者人生には、どうやら、節目節目に導き手となる「異分野の巨人」が現れる。野田さんは、間違いなくそのお一人であろう。内容は東歴研のときと同じで構わないといわれたのだが、全体の通史的枠組みを自然/人間の交感をテーマに再構成しつつ、それぞれの事例における自然/人間の関係、それが災害という形に表象される文脈についてより深く追究した。このときの補足・修正作業で気づいたのは、長崎五島地区で発見された隠れキリシタンの神話『天地始之事』に、歴陽水没譚と融合した人類創生型洪水伝承がみられることである。『天地始之事』は、先頃亡くなった谷川健一氏の『私の「天地始之事」』をはじめ、一時期集中的に言及されたことのある文献だが、近年は充分な考察がなされていない。かつて、人類創生型洪水伝承との関係に触れた紙谷威広氏は、沿岸地域に散見する島嶼水没伝承が示すとおり、九州にもアジアに広がる洪水伝承が伝わっており、『旧約聖書』の物語がこの基層的文脈を介して理解され『天地始之事』が誕生したと推測した。しかしその形式・要素は、九州沿岸地域に残る島嶼水没譚より、朝鮮半島や中国東北部に伝わる兄妹婚姻型洪水伝承に近い面もみられる。中国や半島でもキリスト教布教は長く展開されており、逆に、同地域で構築された形式が日本へもたらされたために、沿岸地域に島嶼洪水伝承が出現したと考えられなくもない。この点は、さらに詳しい考察が必要になってこよう。また、ヨナタマ伝承のサバイバーズ・ギルトの問題を、交感論の視点から見直す契機も得られ、災害史と環境文化史を心性の面から深く繋いでゆく知見を持つこともできた。会場の蓼科へ到着するまでに、列車/自動車の衝突事故のためダイヤが大幅に遅滞するアクシデントがあったが、涼しい高原の空気のなか、思う存分に自分の考えるところを語り、ご意見を賜る贅沢な時間をいただいた。気がつくと、午前10:00過ぎから始めた報告が、昼食、コーヒーブレイクを挟んで、17:00にまで及んでいる始末。実質5時間ほど、最長不倒の更新である。これは、聴く側にとっては暴力以外の何ものでもないだろうが、語る方にとっては、自分の構築した論を客観的により深くまで吟味することができ、ありがたいことこのうえないものだった。
ところでこの研究会には、やはり2009年のシンポでご一緒したエコ・クリティシズム新世代の結城正美さん、明快な論理と奇想が同居する作家・文芸批評家の中村邦生さん、人間/異類の変身譚をアメリカ文学のなかに探究している山田大介さんも参加されていた。面白くならないわけがない。参加の皆さんはあらゆる方面から議論ができる方々なので、他の報告も含めて常にブレイン・ストーミングしているようなもの、大いに刺激を受けた。中川僚子さんからは上の書物をご教示いただき、フランケンシュタイン表象としての『ポニョ』について再考する契機をいただいた。中川さんは、近年、日本におけるフランケン表象の跡づけをされているとのことだが、60~70年代において、このテーマを最も突き詰めていった人物は石ノ森章太郎である。『サイボーグ009』しかり、『仮面ライダー』しかり、『人造人間キカイダー』しかり、『ロボット刑事』しかり。テーマ的には『キカイダー』が近いが、『仮面ライダー』が怒りによって改造手術の傷跡を浮かび上がらせたり、初登場時に「大自然の使者」を称するあたりは、疲弊したポニョがモンスター化したり、海のエネルギーの牽引者のように描かれている点と相似している。環境/文化の関係からも重要なテーマであり、あらためて考えてみたいところである。
17日は、横浜市歴史博物館企画展「水への祈り」に関連しての講演会。不必要な部分のカット、資料に書き下しと日本語訳を加えて一般向けに調整したほか、飛鳥の亀石伝説に関する内容を増補。結果、全体の文脈としては、「古代都市を都城モデルの比較においてではなく、周辺の自然環境と言説との関係から比較してゆく」という、新たな都市論を提示する印象となった。90分といわれたところ2時間かかってしまい、しかし必要事項を伝えるには至らず、その点やや後悔が残ったが、熱心な聴衆の方から質問を受け、それなりの責任は果たせたのではないかと自己正当化しているところである。さらに、また新たな気づきもあった。歴陽の環境的・歴史的情況を調査しているうち、以前から亀卜の研究において言及している凌家灘の玉亀・玉板の件が、新たな意味を持って浮かび上がってきたのである。この遺物は、中原で亀卜が開始される以前から亀と卜占とが繋がりを持っていたらしいことを伝えるが、中国で指摘されているとおり、その文化が洛書を経て式盤へ継承され、また禹の治水伝承にも関与してくるとすれば、そこに表象されているのは水霊としての亀(あるいは鼈)であろう。しかし、殷代に普及する亀卜に用いられたのはクサガメ・ハナガメなどで、もちろん水界を活動領域とするものの、コストの高い牛の代替物との色彩が濃い。骨卜はもともと犠牲を火で焼き神霊へ送り届けたところに始まるもので、水の文化というより火の文化なのである。この二つの亀の文化は、類似しているようで根本的に異なっているといえる。一方、日本の亀卜はリクガメではなくウミガメを用いるもので、ちょうど両者が融合したような性質を帯びており、その点に大きな特徴があるように思われる。亀卜の単行本、担当の編集さんに叱られながら延ばし延ばしにしてきてしまったが、洪水伝承の研究を通じて、今まで持っていた以上の段階に到達することができた。こちらも、一気呵成に書き進められそうだ。
冒頭にも書いたとおり、今年度の前半は洪水伝承の研究に集中し、当初予定していた種々の「やるべきこと」を先送りする結果となった。しかしここへ来て、すべてが1本の線に収斂してきたようだ。複数のまったく異なる問題を併行して追究してゆくことは困難だが、その幾つかが相互に化学反応を起こして、今まで考えてもみなかったような景色が開けてくることもある。後半は、さらに幾つかの予定(ちょっと障害的な印象もある)が入っているが、この勢いを殺さずにこなしてゆけるようにしたい。
前回の内容の続きになるが、この数週間を一言で表現するなら、「洪水伝承行脚」と総括するのが適当であるように思う。洪水伝承については、環境史や心性史、神話研究などを専門としている関係上、以前から一般的な知識はあった。しかし本気になって調べ始めたのは、2011年7月に行われた東北学院大学での講演会「災害を乗り越えてきた人々」からだろう。その折に抱いた問題意識の一部は、その後、アジア民族文化学会大会シンポジウム「環境と神」での報告に繋がり、歴陽水没型の伝承が兄妹婚姻型洪水神話へ変質してゆく歴史過程として、六朝の仏教・道教の洪水終末観の影響を指摘する論文に結びついた。しかし、厖大な洪水神話の広がりをそれだけで把握しうるわけはなく、災害を伝える言説としてきちんと読み込みたい、なぜ広範囲に拡大し定着してゆくのか、グラハム・ハンコックのようなトンデモ史実説ではない形で明らかにしたいという願望は強くなった。
先の投稿でも触れた東歴研の歴史学入門講座では、洪水伝承は災害を伝える物語の一類型として捉え、災害と言葉、災害と物語りとの関係を幾つかの言説形式から論じる体裁を採ろうとした。しかしその準備過程において、どうにもこの洪水伝承の成立と展開を通史的に整理する方向へ関心が傾いてしまい、結果、中国の前漢頃に江南周辺で生まれた都市水没型の災害伝承が、付近に大河や湖沼を擁する水郷都市という環境のなかで生き続け、やがて隣接する文化圏の同環境の都市へ波及、最終的に中国の東北地域・南西地域や、朝鮮半島、日本列島で固有の機能を果たすまでを描いてゆくことになった。こうした作業は、個々の事例の掘り起こしや深い読み込みが極めて大切であり、同時に、全体の枠組みを修正しつつ再構築してゆかねばならない。少数民族の洪水神話は厖大すぎて手に余るが、王宪昭氏作成の詳細なインデックス、『中国各民族人類起源神話母題概覧』や、国家事業として進められた『中国民間故事集成』から丹念に事例を収集してゆくことで、大体の傾向を掴むことはできるだろう。日本の事例も、柳田国男はもちろん、近年では山本節氏が九州・東海・東北などで採集された事例を参照しつつ、『日本伝説大系』や『日本昔話通観』を手がかりに探索してゆけば、だんだんと全体像はみえてこよう。東歴研の準備の際には、洪水伝承が災害の記憶を伝える言説形式としてどうなのかを中心的に検証したので、詐偽への疑惑も持たず避難を断行する老婆に「サバイバルの心得」を見出すこともできたし、近代の三陸大津波を受けて語られ出したとみられる東北の伝承や、やはり何度も津波を受けているとみられる沖縄・南西諸島のヨナタマ伝承のなかに、「サバイバーズ・ギルトの表出」を発見することもできた。最近、自分の勉強量や集中力の低下に忸怩たる思いを強くしているが、振り返ってみると、それなりに進歩はあるようである(なければ困る)。
そして10~12日は、立教大学の野田研一さんに呼ばれ、科学研究費・共同研究プロジェクト「文学的交感の理論的・歴史的考察:自然-人間の関係学」第3回合同研究会にて報告をさせていただいた。野田さんは、日本におけるネイチャーライティング研究の権威であり、エコ・クリティシズムの先駆者といってもよい人で、2009年に立教大学で開催された国際シンポジウムでご一緒して以来、度々お世話になっている。歴史学の周縁部分を歩き続けているぼくの研究者人生には、どうやら、節目節目に導き手となる「異分野の巨人」が現れる。野田さんは、間違いなくそのお一人であろう。内容は東歴研のときと同じで構わないといわれたのだが、全体の通史的枠組みを自然/人間の交感をテーマに再構成しつつ、それぞれの事例における自然/人間の関係、それが災害という形に表象される文脈についてより深く追究した。このときの補足・修正作業で気づいたのは、長崎五島地区で発見された隠れキリシタンの神話『天地始之事』に、歴陽水没譚と融合した人類創生型洪水伝承がみられることである。『天地始之事』は、先頃亡くなった谷川健一氏の『私の「天地始之事」』をはじめ、一時期集中的に言及されたことのある文献だが、近年は充分な考察がなされていない。かつて、人類創生型洪水伝承との関係に触れた紙谷威広氏は、沿岸地域に散見する島嶼水没伝承が示すとおり、九州にもアジアに広がる洪水伝承が伝わっており、『旧約聖書』の物語がこの基層的文脈を介して理解され『天地始之事』が誕生したと推測した。しかしその形式・要素は、九州沿岸地域に残る島嶼水没譚より、朝鮮半島や中国東北部に伝わる兄妹婚姻型洪水伝承に近い面もみられる。中国や半島でもキリスト教布教は長く展開されており、逆に、同地域で構築された形式が日本へもたらされたために、沿岸地域に島嶼洪水伝承が出現したと考えられなくもない。この点は、さらに詳しい考察が必要になってこよう。また、ヨナタマ伝承のサバイバーズ・ギルトの問題を、交感論の視点から見直す契機も得られ、災害史と環境文化史を心性の面から深く繋いでゆく知見を持つこともできた。会場の蓼科へ到着するまでに、列車/自動車の衝突事故のためダイヤが大幅に遅滞するアクシデントがあったが、涼しい高原の空気のなか、思う存分に自分の考えるところを語り、ご意見を賜る贅沢な時間をいただいた。気がつくと、午前10:00過ぎから始めた報告が、昼食、コーヒーブレイクを挟んで、17:00にまで及んでいる始末。実質5時間ほど、最長不倒の更新である。これは、聴く側にとっては暴力以外の何ものでもないだろうが、語る方にとっては、自分の構築した論を客観的により深くまで吟味することができ、ありがたいことこのうえないものだった。
ところでこの研究会には、やはり2009年のシンポでご一緒したエコ・クリティシズム新世代の結城正美さん、明快な論理と奇想が同居する作家・文芸批評家の中村邦生さん、人間/異類の変身譚をアメリカ文学のなかに探究している山田大介さんも参加されていた。面白くならないわけがない。参加の皆さんはあらゆる方面から議論ができる方々なので、他の報告も含めて常にブレイン・ストーミングしているようなもの、大いに刺激を受けた。中川僚子さんからは上の書物をご教示いただき、フランケンシュタイン表象としての『ポニョ』について再考する契機をいただいた。中川さんは、近年、日本におけるフランケン表象の跡づけをされているとのことだが、60~70年代において、このテーマを最も突き詰めていった人物は石ノ森章太郎である。『サイボーグ009』しかり、『仮面ライダー』しかり、『人造人間キカイダー』しかり、『ロボット刑事』しかり。テーマ的には『キカイダー』が近いが、『仮面ライダー』が怒りによって改造手術の傷跡を浮かび上がらせたり、初登場時に「大自然の使者」を称するあたりは、疲弊したポニョがモンスター化したり、海のエネルギーの牽引者のように描かれている点と相似している。環境/文化の関係からも重要なテーマであり、あらためて考えてみたいところである。
17日は、横浜市歴史博物館企画展「水への祈り」に関連しての講演会。不必要な部分のカット、資料に書き下しと日本語訳を加えて一般向けに調整したほか、飛鳥の亀石伝説に関する内容を増補。結果、全体の文脈としては、「古代都市を都城モデルの比較においてではなく、周辺の自然環境と言説との関係から比較してゆく」という、新たな都市論を提示する印象となった。90分といわれたところ2時間かかってしまい、しかし必要事項を伝えるには至らず、その点やや後悔が残ったが、熱心な聴衆の方から質問を受け、それなりの責任は果たせたのではないかと自己正当化しているところである。さらに、また新たな気づきもあった。歴陽の環境的・歴史的情況を調査しているうち、以前から亀卜の研究において言及している凌家灘の玉亀・玉板の件が、新たな意味を持って浮かび上がってきたのである。この遺物は、中原で亀卜が開始される以前から亀と卜占とが繋がりを持っていたらしいことを伝えるが、中国で指摘されているとおり、その文化が洛書を経て式盤へ継承され、また禹の治水伝承にも関与してくるとすれば、そこに表象されているのは水霊としての亀(あるいは鼈)であろう。しかし、殷代に普及する亀卜に用いられたのはクサガメ・ハナガメなどで、もちろん水界を活動領域とするものの、コストの高い牛の代替物との色彩が濃い。骨卜はもともと犠牲を火で焼き神霊へ送り届けたところに始まるもので、水の文化というより火の文化なのである。この二つの亀の文化は、類似しているようで根本的に異なっているといえる。一方、日本の亀卜はリクガメではなくウミガメを用いるもので、ちょうど両者が融合したような性質を帯びており、その点に大きな特徴があるように思われる。亀卜の単行本、担当の編集さんに叱られながら延ばし延ばしにしてきてしまったが、洪水伝承の研究を通じて、今まで持っていた以上の段階に到達することができた。こちらも、一気呵成に書き進められそうだ。
冒頭にも書いたとおり、今年度の前半は洪水伝承の研究に集中し、当初予定していた種々の「やるべきこと」を先送りする結果となった。しかしここへ来て、すべてが1本の線に収斂してきたようだ。複数のまったく異なる問題を併行して追究してゆくことは困難だが、その幾つかが相互に化学反応を起こして、今まで考えてもみなかったような景色が開けてくることもある。後半は、さらに幾つかの予定(ちょっと障害的な印象もある)が入っているが、この勢いを殺さずにこなしてゆけるようにしたい。