仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

〈多様化〉言説とポストモダン

2011-11-27 09:50:35 | 議論の豹韜
先の日文協シンポジウムの報告において、ぼくは結論部分で、「転換論・画期論に抗し、過去・未来の多様化を担保せねばならない」と述べた。それに対してフロアから、「多様化はポストモダンの常套句のようになっており、いまそれで結ぶのは説得力に欠ける」という主旨の質問をいただいた。この質問はシンポジウムではとりあげられず、用紙も終了後に司会者から渡されたので、当日には応答することができなかった。しかし、ぼくにとっては大事な問題であり、こうしたことこそ議論したかったとの思いもあるので、まずは質問者のS氏に御礼を述べつつ、ここで現時点での回答をまとめておきたい(来年の『日本文学』掲載の論文でも、何らかの形で言及するつもりである)。

まず、「多様性確保」がポストモダンの常套句であること、この結論によって何かを提言したつもりになってしまうことは、残念ながらそのとおりだろう。以前流行した「第三項」「第三の道」のようなものである。あまりにも消費されすぎて、言葉自体の重みが喪失してしまったともいえる。しかし、もう一度振り返って確認しておきたいのは、「多様性確保」が極めて実現困難な課題であることだ。今回のぼくの報告は、転換論・画期論が過去をマイナス価値に再構築し、その鏡像的ベクトルへ未来を方向付けようとする歴史叙述であるのに対し、過去・未来の多様性確保し単一化に抗したいという主張になっている。そもそも歴史叙述なるものが、過去そのものを分節し一定のストーリーラインを構築する物語り行為だとすれば、この提言自体が反歴史学的な意味を持ちえよう。また現実の政治的選択、社会的選択に置き換えてみると、例えば現在のように市民社会の大半が反原発にまとまろうとしているとき、自分自身はその考え方に同調しつつも、原発賛成を含めた他の選択肢の可能性を排除しない、あるいは積極的に留保すべく行動しなければならないということになる。3.11後の言論情況のなかでは、これは極めて難しく、それゆえに現時点では、断定的なモダンの言説が力を得てしまっているように思う。しかし、そうしたなかでこそ多様性の維持を実現できなければ、戦後に原発の存在を肯定・受容した歴史を再び繰り返すことになりかねない。その末路が9.11にあることを、我々はすでに学んだはずなのだ。ある方向性が圧倒的に正しいと叫ばれるなかで、自分の政治性を相対化しつつ別のベクトルの存在可能性をどう維持するか、その実現可能性をどう許容し確保してゆくか、ポストモダンの本領はその点にこそ発揮されねばならない。

多くのポストモダン論者は、多様性確保の困難に耐えることができず、自らのポリシーを放棄して流れに身を任せたり、現状の要請に妥協して積極的にモダン的言説を採り始めている。かかる情況下で、「多様性確保」は主張としての脆弱さを露呈してしまったかのようにみえるが、その重要性はまったく変わっていないと信じる。ゆえにぼくは、「多様性」を叫び続けたいのである。
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語ることへの罪悪感

2011-11-25 00:25:27 | 生きる犬韜
今回の日文協のシンポジウムは、ぼくの立場からすると大失敗であった。いうまでもなく、他の報告者との議論が、しっかりできなかったからである。シンポ終了後の懇親会ではたくさんの人から労いを受けたが、その後、ぼくの研究をずっと読んでくれている人やふだんの様子をよく知る人からは、「君の立場からすると納得できない議論が多かったのに、なぜ批判をしなかったのか。反論しなかったのか」とか、「会場からのリアクションにも、いつものようにきちんと応じていなかったのはなぜか」との質問を多く受けた。ぼく自身も、いまだによく分からない部分が多い。シンポジウムの席で批判にさらされることは、これまでにも多々あった。しかし、全般的に言葉が出て来なくなるという経験をしたのは、今回が初めてである。外からの語りかけがまったく心に響かず、失礼な話、それに対して応答したいという衝動がほとんど生じてこなかったのだ(会場にいた院生は、「先生、どんどん不機嫌になっていましたよね」といっていた。彼にはそうみえたらしい)。明らかに様子が変だと、体調を心配してくださった方もいた。まあ、2週間以上も休みのないまま報告に至ったのは確かだし(あと2週間以上その状態が続く)、万全の健康状態とはいえなかったが、徹夜明けで臨んだ他のシンポでもこうしたことはなかった。
やはり、今回の震災について直接的に語るということは、ぼくのなかで異常な負荷を発揮するようになっているらしい。野蒜に立ったときの思考停止の状態は、未だにどこかで続いている。今回、東北における自分の経験については言及せず、転換論・画期論批判に終始したのもそこに一因があるのだ。シンポ終了直後は、当事者性に基づくひけめなのかとも思ったが、そうではない。以前にも書いたとおり、語ることそれ自体に対して強烈な罪悪感(それを、文献学者のひけめというなら、否定しないけれども)が存在することを、あらためて痛感・自覚した。
それが克服すべき障害なのか、それとも大切にすべき感性なのかは、もうしばらく考えてみたいと思う。
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学生にお守りをされました

2011-11-12 19:47:48 | 生きる犬韜
今日12日(土)は、学生センター長を代行して、合気道部の創部50周年祝賀会に出席。しかし、いつも感じることなのだが、ぼくはこういう席では本当に身の置き所がなくなる。まあ、コミュニケーションが苦手なのだろう。お偉いさんに挨拶回りするのも主義じゃない(役職者としては必要なのだろうが)。必然的に、隅っこのほうに手持ちぶさたで佇んでいることになるが、今日は現役部員の教え子たちが気を遣ってお守りをしてくれた。申し訳ない限りである。間が持たないので、飲めないワインもちょっと飲んでしまった…。
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アジア民族文化学会第22回秋季大会、終了

2011-11-05 13:48:35 | 議論の豹韜
またまたずいぶんと更新に時間がかかってしまった。忙しいのと、やはりfacebookで満足してしまっているところがある。しかし、学生を含めた一般へ向けて発信するには、こちらもなんとか定期的に更新してゆかねばなるまい。というわけで、この間いろいろな出来事があったが、些細なことと省略し、標記の「アジア民族文化学会秋季大会」について記しておくことにしよう。

第22回の大会シンポジウムテーマは、「環境と神」。ここ10年余りのあいだぼくの取り組んできたテーマそのものだが、今回は少し勝手が違う。対象が、日本古代や前近代の中国ではなく、現在も中国雲南省麗江周辺に生活する少数民族〈納西族〉の宗教文化なのだ。以前にもこのブログで何度か触れているが、ぼくは2008年に岡部隆志さん、遠藤耕太郎さんに導かれて雲南へ入り、〈祭署〉と呼ばれる、納西族の自然神祭祀の調査に参加した。〈署〉は半人半蛇の神格で、出自的には人類の異母兄弟であり、森羅万象に宿る精霊的存在である。納西族の神話によると、当初人類と署神は、世界を文化/野生に区分しそれぞれを統括して生活していた。しかし、やがて人類が署神の領域を侵犯することが相次いだため、署神は人類が自然を利用することを禁止してしまう。命を繋ぐことができなくなった人類は、納西族の呪師であるトンパの祖神トンパシルに救済を求める。トンパシルは天から神鵬を呼んで署神を脅迫、人類が自然を利用できるよう交渉し、これまで9:1であった野生:文化の比率を1:9に逆転してしまう。人類はこれによって窮地を逃れたが、署神のため、定期的に供物を捧げ負債を返さなければならなくなったという。その祭祀が〈祭署〉なのである。今回のシンポでは、この納西族と署神の問題について考察することが、具体的なテーマとなっていたのだ。

何回かの打ち合わせの結果、岡部さんが関連の東巴経典(絵文字で書かれた東巴教の経典)を翻訳して祭署の概説を、遠藤さんが納西族のアニミズムと日本古代のアニミズムとの比較を、ぼくが、納西族における〈神禍〉の歴史的起源について報告することとなった。さらに岡部さんの提案で、沖縄の戦禍を「シマの痛み」として引き受けるユタの問題を扱っている、佐藤壮広さんにも参加していただくことにした。ぼくは、7月に東北学院大学にてアジアの洪水神話について講演し、どうやらその起源が仏教や道教の経典にあるらしいことは掴んでいたので、その調査を進めつつ関連の東巴経典を読み込んでゆくことにしたが、やり始めてみるとけっこう難しく、落としどころをみつけだすまでにずいぶん時間がかかってしまった。ただし、東巴経典の読解自体は(難しいが)非常に楽しい作業で、新しい発見が幾つもあった。
例えば、祭署の壮大な起源神話(『神鵬与署争闘的故事』)より、その主旨を述べた祭文ともいうべき『署的来歴』、固有名詞を持つ先祖の署神との諍いを述べた『○○的故事』と呼ばれる経典群が、祭祀に臨む納西族のプラクティカルな心性を反映しているらしいこと。とくに『○○的故事』類は、事件(先祖による署の領域の侵犯)→先祖の罹患→卜者による骨卜→署による祟の判明→東巴の祭祀による収束、という一定の形式を持つが、これは殷代以来中国文化のなかで醸成されてきた卜占―祟の言説に等しい。現在、納西族の宗教行為はトンパのみに集中しており、彼らが神話=歴史(物語り)をも管理しているが、『○○的故事』類には、360種の卜具を持つという卜者が固有名詞で登場する。中国王朝の卜官=史官と同じく、かつては卜者こそが神話や祭祀を統括していたのかも知れない。この問題を突き詰めてゆくことは、同じ卜占の文化を受け継ぐ日本列島の研究にも示唆を与えることになるだろう。
納西族を含むアジア諸民族の洪水神話については、仏教の阿含経典や正量部経典(石井公成氏よりご指摘をいただいた)、道教の「太平経」「上清経」「霊宝経」の記述に踏み込んだ。まだまだ理解が浅薄だが、六朝の甲申洪水説に収斂してくる水災終末観や、過去からの悪業の積み重ねが継承され巨大な破滅に至る〈承負〉の概念、その災害を生き残る善男善女=〈種民〉などの概念が、人類の破滅と再生を語る洪水神話に影響を与えているらしいことがみえてきた。河南等の漢民族の神話には上記が色濃く認められるが、少数民族の場合は、『捜神記』を生み出した江南世界や四川地域における漢文化との交渉が重要な意味を持つものと思われる。伝播や連携の具体相をどこまで明らかにしうるか、すべて今後の課題である。

当日、シンポが始まってみると報告時間は30分ほどしかなく、2時間でようやく話せる内容を何とか40分程度に収めた。しかし難解な経典類を多数引用していたので、参加してくださった方々には、ほとんど「言葉の暴力」に近かったかも知れない。岡部さんの概説は分かりやすく、未曾有の経典翻訳も今後の研究に資するところが大きいものと思われた。遠藤さんの、アニミズム世界とは死の世界ではないのかという提言は、以前にぼくが『地域学への招待』や『王朝人の婚姻と信仰』収録論文で述べたことに近く、共感を覚えた。佐藤さんの「痛み」の問題は、日常生活者のレベルで考えると、これまで論じてきた「負債」や「後ろめたさ」の意識に重なってくる。しかし、今回は報告者それぞれの発表が長引き、意見交換の時間が充分に取れなかったので、それらの問題を充分に深めることができなかった。いずれまた、機会を得て意見交換したいものである。
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