仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

きのうきょうのテレビ

2009-09-23 14:34:35 | テレビの龍韜
今日、23日(水)は自坊の彼岸会法要で、いまちょうど勤行を終えたところである。陽気がいいせいもあってか、80名からの人出であった。ありがたいことである。

ところで、先ほどNHKで平城京遷都1300年の特番をやっていたが、話題の古代史ドラマ『大仏開眼』の主要キャストが決まったらしい。主人公は吉備真備で吉岡秀隆、準主役で阿倍内親王の石原さとみ、藤原仲麻呂の高橋克典が出演ということである。ジャニーズでなくなったのはありがたいし、ちょっと線が細い気はするが、同い年の吉岡秀隆にはナイーブな演技が期待できそうである。高橋克典も、最近の『官僚たちの夏』などを観る限り、単なる二枚目を脱皮して演技派として成長しているようだ。発表されているストーリーのダイジェストを読むと、何十年も前の「政争史的歴史観」なので少々げんなりするが、ちゃんと藤原四子や仲麻呂の文学的卓越さ、政治的手腕の凄さも描いてほしいなあ。
そうそう、この間しばらく帰国していた水口幹記君と、吉備真備の勉強会をやろうかという話になったのだった。院政期に大江Ⅷ房などが持ち上げるので、真備は兵法や陰陽道の祖に祭り上げられてゆく。成城の民俗学研究所でやっている『家伝』の共同研究の論集では、この兵法の問題について書くつもりなのだが、こちらも脱稿はいつになることか。

水口君といえば、彼にそっくりのメンバー(角田)がいる東京03が、昨日の「キング・オブ・コント」で優勝した。応援していたので思わず拍手してしまった。マジ歌のDVDほしいなあ…。

※ 写真は、4年生のSさんからいただいた「熊野サイダー」。紀州の名物、梅と蜜柑がほどよくブレンドされ、不思議な爽やかさがありました。ゼミ旅行の際、本宮前でも売っているのをみかけました。ネットでも入手できる!
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それにしても、上橋菜穂子

2009-09-23 00:57:45 | 書物の文韜
18日(金)は4年生の卒論指導の後に、大妻で倉田実さんを囲む研究会。モモが大慌てで調えた報告を「開く」ために援護射撃し、終了後は、例のごとく参加者の服藤早苗さんらと飲み会。そもそも倉田さんの還暦論集を準備するために始められた会なのだが、申し訳ないことに、ぼくら2人は一体いつ原稿を出せるか分からない。なんと服藤さんは、中公新書の新刊を、シルバーウィークの4日で100枚余り書く勢いという。とても真似できない。
20日(日)はカトリックAO入試と学科会議。8時過ぎに出勤して準備し、すべての会議が終了したのが17時であった。受験生にプレゼンを課す上記の面接は相変わらず面白かったが、1名に30分程度かかるのでくたくたになる。翌21~22日(月・火)は卒論合宿で、これも多彩な題目が並び、下級生の質疑も活発で面白かったが(ただし、全体的に作業が遅れており、完成するか心配な人もいた…)、すべて聞き終えた後は本当に疲れ切った。
森話社刊『日本神話の視界』掲載の「神話とCG表現」も脱稿。ちょっと技術的な問題に偏ってしまった感があるが、文系だと作品論ばかりになるので、そうしたアプローチも必要だろう。「歴史学とサブカルチャー7」掲載の『歴史評論』も発売。今回は、「おもちゃ箱のなかの戦争」というタイトルで、70年代の子供たちを取り巻いていた戦争愛好の問題を扱った。

ところでこの「サブカルチャー」、あと1回で連載終了となるのだが、最後に何を扱うか迷っている。ちょっと前まではジブリを論じるつもりだったが、最近手に取った『獣の奏者』の探求篇・完結篇を放っておけなくなってきた。闘蛇篇・王獣篇を読んだ際には「守り人シリーズの方がいいな」という印象だったのだが、物語も後半に入って面白さが倍増している。
上橋作品はどの物語においても、神話・歴史・伝承が構築されてくる政治性とその相対化が主題のひとつをなしているが、『獣の奏者』ではそこに自然環境と人間との関係が絡んでくる。主人公エリンは、人と獣との関係を束縛してきたリョザ神王国伝来の「王獣規範」「闘蛇衆の掟」、過去の大惨事を再び引き起こすまいとする〈霧の民〉の戒律に抗いながら、人と獣の新たな関係の構築を目指す。それぞれの神話や伝承には、一体どのような意味、意図が隠されているのか。パンドラの箱を開けてしまうのではないかという恐怖と闘いながら、どんな理由があろうと生命の方向をねじ曲げるのは誤りであると信じて、獣たちと関わってゆく。その姿は、神殺しや祟りの神話・伝承のありようを探究しているぼく自身のベクトルとも重なる。
闘蛇篇・王獣篇だけならば「ナウシカの焼き直し」という評価もされたろうが、探求篇・完結篇で母親となった主人公を描ききった点は素晴らしい。ぼくは基本的に甘えん坊なので、自らも母親となったエリンが幼い頃に死んだ母の痛みや苦しみに気付いてゆく過程には、本当にシンクロして切なくなってしまう。登場人物の細かい感情表現描写は、ときに「演出家の過剰な欲望」、わざとらしさを感じさせる部分もあるが、それらは大した問題ではあるまい。環境文化史の観点に立って、正面から受けとめたい作品である。上橋菜穂子、恐るべし。
Comments (2)
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研究に専念?

2009-09-17 17:26:50 | 生きる犬韜
2ヶ月間の「夏期休暇」からすると半分にも満たないが、『上智史学』の編集業務や来年度のカリキュラム編成、9月入試のもろもろの仕事が入ってきたりするものの(12日には義母の法事で秋田へ行ったし、16日には横浜刑務所へ行ってお彼岸の法要も行った)、9月の中旬までは概ね研究に打ち込むことができている。懸案の卜占の論文を仕上げるべく、張家山の『二年律令』や「五行志」関係の史料を読み進めているが、やはりなかなかに面白い。とくに前者の「史律」は重要な記録で、史官と卜官との関わりを考えるうえで非常に示唆に富んでいた。「史・卜・祝に入らざる者、罰金四両、学〓(人+耳)は二両」という規定(480簡。17歳で修学させた史・卜・祝の子弟が試験に合格しなければ、本人のみならず教授にも罰金を科す)には、ちょうど先日大学院の9月入試を終えたばかりだったので、身につまされる思いがしたが…。

博物館にも出かけた。まずは三井美術館の「知られざるタオの世界 道教の美術」。一部で大変評価の高い展示で、図録も分厚く見応えのあるものだった。もうひとつは京博の『シルクロード 文字を辿って―ロシア探検隊収集の文物―』。実際にはみにゆけず、京大院生のT君に図録のみ送ってもらったのだが、ロシアもこんなにスゴイものを持っていっていたのか!と驚愕の内容だった。烏占いの書物など、琴線に触れるものも多くあって感激。ある意味で自然観察の結果であるわけで、環境文化の問題として考察したい対象である。それにしても、専門ではない中国や西域のものにこれほど惹かれるのは、やはり遺伝だろうか(父と長兄は高昌国の研究をしていた)。

いろいろ新しい仕事も入り始めた。学内での出版計画もあるし、友人たちから参加を要請された企画もある(計3件)。とくに後者は垂涎の内容なのでぜひ書きたいが、すべてが動き出すと依頼原稿が10件を超えるので、ぼくの限られた能力では処理しきれない。とにかくどんどん片付けてゆくしかない。1月の環境国際シンポの正式な依頼状も来たが、どうやら「エコクリティシズムと日本文学―自然環境と都市」(コロンビア大学・立教大学・青山学院大学共催)というタイトルになるらしい。かなり大規模なもので、ぼくがパネリストを務めるのは「シンポジウム1:二次的な自然と野生の自然」。テーマは願ったり叶ったりだが、報告時間は10分、配布用資料の要旨は100字程度だという。かなりインパクトのあることをいわないと伝わらないな…。
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ノスタルジイに襲われる

2009-09-07 13:48:57 | 生きる犬韜
亀卜の論文に懸命に取り組みながら、『上智史学』の編集作業を進めたり、同会のホームページを更新したり、4年生の卒論指導をしたりといろいろやっている。原稿の方も、新たな依頼が来たり催促が来たりするので調整が大変である。ワープロソフトで文章を書き進めつつ、気分転換にネットで他の原稿の資料を博捜するというマルチタスクな毎日。上の写真は、6年前に書いたコラム「神話とCG表現」のリライトのために集めた資料の一部である(編者の都合もあって今まで刊行されなかったため、現在の事情に合わせるべく書き直しているわけだ)。ここのところ、かつては専門であった?この分野での情報収集を怠っていたのだが、『映像+』5号で、稀代のクリーチャー・メーカー、スタン・ウィンストンが亡くなったことを知った。ぼくが本気で映像作家を目指していた時代は、リック・ベイカー、ロブ・ボッティン、スタン・ウィンストンらの創り出した、今までにみたこともないようなリアルな怪物たちがスクリーンのなかを暴れ回っていた。そのなかでもウィンストンは、クリーチャーに生物的な説得性を与える独特の皮膚感というか、質感、肌触りを作るのがうまい人であったと記憶している。彼の業績に敬意を表したい。

ところで、同じ雑誌をペラペラとめくっていると、化け物好き垂涎の映画『HELLBOY2』のデザイナーに、「木谷太士朗」という名があるのに気付いた。まったく一面識もないのだが、30年前、『宇宙船』などの投稿欄によくみかけた名前である(なぜか覚えていた)。おう、夢を実現して世界で頑張っているんだな、と思うとノスタルジックな気分になった。先日、『ヱヴァンゲリオン』を観た帰りに横浜美術館の前を通ったときにも、これと同じ感覚に襲われた。同美術館の映像資料室には、学生時代、ヨーロッパの実験映画や芸術写真を観によく通ったものだ。ブニュエルの『アンダルシアの犬』も、確かここで観た。建物前の噴水広場では、映画の撮影をしたことも少なからずある。隣を歩いていたモモに、「映像作家を諦めて大学教員、というのは人生としてどうなんだろう。ぜいたくか」と問いかけると、「いーんじゃないんですか」との答えが返ってきた。しかし、夢はまだ本当に諦めているわけではない。いつかそのうち…。

さて、榎本俊二の新作を、モリミー氏が帯を書いていることもあって買ってみた。『GOLDEN LUCKY』を初めて読んだときの衝撃は未だに忘れられないが(そのなかの一作品、「江ノ島」の台詞はすべて云える。ま、4コマだけど)、その舌鋒?は衰えていない(「のーん」は口癖になってしまう)。そればかりか、クリエイターを目指す榎本氏が映画学校で悶々とするあたり、島本和彦の『アオイホノオ』と同じように身につまされる部分がある。小遣いを貯め、割引ありの3本立てを観にいった記憶も共通している。ぼくも年を取ってきたということか…(そういえば、先日の日本宗教史懇話会でも、「お前はもう若手ではない」と云われた)。
しかし最近、この手の「振り返る漫画」が多くなった気がする。『アオイホノオ』や、吾妻ひでおの『地を這う魚』と比べてみると、作家の独自性が際立って面白い(ま、3人とも変態なのだが)。

追伸。一昨日の新作『ジャングル大帝』は酷かった。この作品はある意味大変に不幸で、今まで何度も映像化されながら、一度も原作どおりに作られたことがない(とりあえず、全集版を「原作」とするとして)。もちろん、あらゆるものがオリジナルに忠実にあるべきだとは思わないが、やはり、『西遊記』である必要のないものを『西遊記』として物語ったり、『ジャングル大帝』である必要のないものを『ジャングル大帝』として構築するのは欺瞞だろう。『蟲師』や『精霊の守り人』など、原作を深く追究することで原作を超える作品のあるなか、非常に残念な気持ちになった。
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亀霊と語る世界

2009-09-06 03:22:05 | 議論の豹韜
懸案の亀卜と祟りの論文を、万難を排して書き進めている。今日、厄介だった『史記』亀策列伝の分析・叙述をようやく終えた。もちろん、細かいところはもう少し詰めなければならないが、一定の水準には達したと思う。一読した人間なら分かるとおり、この編目は、『史記』中随一ともいえる難解な箇所である。とくに、後半の占辞を列挙した部分は、日本語訳でも意味がよく通らない(というか、亀卜の実態が分からなければそもそも翻訳は不可能なのだ)。しかし、亀卜の研究においてはその箇所こそが最も重要なのである。
今回は、清代の胡煦が著した『卜法詳考』を併読したのだが、そのことが功を奏したようだ。両者の比較によって、これまでの解釈がいかに表層的であるかが判明し、新たな知見を幾つも得ることができた。実は、数年前にもこの書物に挑戦したことがあるのだが、そのときには『四庫全書』版で読もうとして、あまりの分かりにくさに中途で放棄してしまっていたのだ。しかし最近、中華書局より標点本が刊行された(写真の『周易函書』所収)おかげで、ようやくちゃんと読むことができたのである。いろいろハッとさせられる記述があったが、とくに、「既灼之后、其亀板炸然有声、是云亀語。然后覆板而視之、即以所盛之水以指濯其刻処、必坼焉。然后審其直横諸象、以占其吉凶。既占其坼矣、乃以縄約其坼処、以香火供之、必待三日而坼始復合。或有一日二日、而亀板仍復作声者、是猶有未尽之言也、須復占之」のくだりが印象深い。亀卜が神霊との交渉であることはすでに荒木比呂子氏によって指摘されており、「亀策列伝」にも亀の精霊たる玉霊とのコミュニケーションが語られている。さらに落合淳思氏は、卜兆の擬態語が「卜」であるのに対し、擬音語が「吉」であるとして亀卜の音の世界に注目しているが、上記の「亀語」はその推測の正しさを裏付けているともいえるだろう。
亀卜という行為が、シャーマニックな宗教的実践であることをあらためて認識した次第である。
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ふたつの逃避

2009-09-03 02:32:25 | ※ モモ観察日記
時間的に、ちょっと逃避したくなってきた。爆笑しても忘れてしまうネタが多いので、モモ観察日記、メモ的に更新しておこう。

【その1】
ある日の明け方、隣で寝ていたモモが突然泣き出して訴えた。
「うわ~ん! 何でわたしが座布団をかじらなきゃいけないんだあ~!! 食べたくないよお~」
…しばらく言葉が出なかった。

【その2】
夕飯を食べながら所ジョージの『笑ってコラえて!』をみていると、「日本列島結婚式の旅」というコーナーで、神戸市北区在住の、猟奇的な彼女と草食系彼氏のなれそめが語られていた。結婚式で放映された再現ドラマを興味深そうにみていたモモが、不意に告白。
「わたし、高校の卒業文集の「好みのタイプ」の欄に、「従順な男」って書いてたんだよね」
…ぼくもその基準で選ばれたのだろうか?

【その3】
深夜(ついさっき)、もう寝るというモモの部屋のベッドで一休みしているとき、ふと「何か怖い話仕入れてない?」と聞くと、きっぱりとした一言が返ってきた。
「今日はまる一日勉強しなかった」
…確かに、怖いね。

ちなみにこれらは、ほとんど一日の間に起きた出来事である。
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「古代氏族研究叢書」出版開始

2009-09-02 17:03:21 | 書物の文韜
篠川賢さんから、「古代氏族研究叢書」の第1冊、『物部氏の研究』をご恵送いただいた。物部氏でこれほど、と思うほど大部で精緻な書物である。恐らくはこのシリーズで始まってゆくであろう、氏族編成論再検討の方向性も示されている(このところ新しい論文の出なかった、〈ウジ〉の概念をめぐる激震が予想される)。この水準を前提に取り組まねばならないと思うと、身が引き締まる。
秦氏を任されたぼくの役割としては、まずは加藤謙吉さんの『秦氏とその民』の、少しでも先へゆくことが大事だ。加藤さんが語っていない「葛野秦氏がなぜあの地を本拠としたのか」という問題については、少々腹案がある。平安時代以降の秦氏のありようについても、いろいろ補足をしなければならないだろう。とにかく、やるべきことは山積している。
巻末のラインナップに掲示されてしまっているので、もはや喉元に刃を突きつけられた感じだ。雄山閣からは2年以内にといわれているのだが、現在のように常時5本以上の〆切を抱えている情況では、とても本を書くようなまとまった時間は作れない。一日に少しずつでも書き進むような習慣を身に付けなければなるまい。前期特講(本の執筆を想定して行った)のレジュメを文章化する作業から始めているので、何とか来年の夏休み明けには脱稿できるようにしたいものだ。
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