仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

義母を送る

2007-09-18 19:19:04 | 生きる犬韜
12日(水)、『上智史学』の版組について印刷会社のNさんと会議後、携帯を確認すると、妻からのメールが入っていた。義母の看護のため、学芸大非常勤講師の職を辞して秋田に戻り、看護に当たっていた妻が、後期からの都立大大学院復学の手続きの必要から、この日、東京へ戻ってくることになっていたのである。しかし、一緒に自宅の寺からも着信が入っており、数日前から義母の容態に変化があったと聞いていたので、嫌な予感がした。メールを開くと、案の定、15時数分前に義母が亡くなり、新幹線で東京へ向かっている途中だった妻は、大宮から秋田へ引き返したという。ぼくもすぐに学科長に連絡、関係各方面へメールを飛ばし、妻の喪服なども抱えて、翌日の始発で秋田へ向かった。

義母は、3月末頃から体調を崩し、4月末の精密検査で、末期癌のため余命1ヶ月と宣告された。気丈で陽気な人で、体格もよく、自覚症状のなかった本人も含めて、誰も彼女の隠れた病に気がつかなかったのである。家族にとっては晴天の霹靂であった。早速入院生活が始まり、妻と、3月に結婚したばかりの義妹の娘2人が秋田へ戻り、献身的な介護をした。途中、義父までもが入院・手術を受けるというトラブルもあったが、一家4人の団結で、2ヶ月ほどの後に自宅介護を許された。
義母はそれからも驚異的ながんばりをみせ、義父や義妹の運転する車に乗ってドライブにも出かけ、自分の命を繋ぎ止めるように懸命の食事をした。「わがままと思えるほど、あれがほしいこれがほしいとよく食べる」と聞かされたが、当時の内臓の状態や治療のありようを考えれば、食欲があるほうがおかしい。食べなければ、生きなければ、という強い思いがそうさせていたに違いない。
驚いたのは、8月初めの竿燈の時期に見舞いにいったときのことである。台風の影響か、秋田が36度もの酷暑となっていた日、義母は、秋田駅に到着したぼくを、義妹の車に乗って出迎えてくれたのである。ちょっと前にあったときと比べずいぶん瘠せてしまっていたが、その力強さ、思いやりの心には言葉を失った。数日の滞在の間、義父のはからいで伊勢堂岱のストーンサークル見学にも出かけたが、台風の冷たい雨にもかかわらず、そのドライブにも義母は付いてきてくれた。途中、会話をしていた彼女がふと口をつぐみ、言葉をかけても答えてくれないことが何度かあったが、たぶん酷い痛みを堪えていたのだろう。しかし、決して「痛い」とは口にしなかった。彼女に何をいってあげればいいのか、どう話をしたらいいのか、ぼくには分からなかった。今まで、寝たきりや重病の老人、大事な家族を失った人々の家を訪ねることはままあったが、人間的にまったく成長していない。大事なときに言葉が出て来ない。

秋田の慣習に従い、告別式前の14日に秋田市内で火葬が行われ、逮夜は15日に能代の自宅で、葬儀は16日に菩提寺の日蓮宗本澄寺で行われた。妻、義父、義妹の憔悴ぶりは、当たり前だが甚だしい。しかし、県の内外よりたくさんの親戚が駆けつけ、何日にもわたって家族をサポートしてくれた。義妹の夫は、ほとんど休みのない苛酷な職場にも拘わらず、ぼくよりも早くに駆けつけて、細かい心配りで立ち働いてくれていた。ぼくはほとんど役立たずであったが、14日の火葬の際には本澄寺さんの随行がなかったため、真宗式の火屋勤行を勤めさせていただいた。葬儀の際にも弔電の披露を担当したが、その程度のことである。
17日には、水害で大変なことになる直前の秋田を後にし、葬儀に参列してくれた母・次兄夫婦とともに東京へ戻ってきた。連休の最終日であったため、早朝の新幹線も「立ち席以外なし」という混みようだったが、不思議なことに東京まで座って帰ってくることができた。世話好きだった義母の心遣いが想い出された。

秋田の葬儀はもちろん初めての経験だったが、自宅斎壇・火葬場での焼香の際、弔問者が間断なく水を供える光景が印象的だった。火葬場での供水は、「焼かれて暑いだろうから冷やすために」行うそうで、後付けの説明には違いないのだが、見送る者の心情が表れていて妙に納得させてくれた。本澄寺の葬儀における散華をみた義伯父(義父の兄)が、「Y(義母)が別れの挨拶をしているみたいだった」としきりにいっていたが、儀式を支えるのは参加者のメンタリティーであり、〈本来の意味〉などさほど重要なことではないのかも知れない。
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第2回四谷会談準備:『The Eye』再編集

2007-09-12 05:44:00 | ※ 四谷会談
10日(月)未明、夏休み2本目に取り組んでいた原稿「『栄花物語』の通過儀礼」がようやく終わった。締め切りが8月10日、出版社から催促が来てあらためて約束したのが8月末だったので、予定より1ヶ月遅れたというべきか、それとも10日間遅れたというべきか。今まで扱ったことのない領域だったので苦労したが、とりあえずは提出できたのでよかった。あとは編者の意見を反映させて、初校あたりで手直しができればいいだろう。

自宅向かいにあるファミリーマートで速達のメール便を送り、一息入れてから寝る間もなく明日の「四谷会談」の準備へ(その開催の様子はすでにもろさんどゐさんが書いているが、ぼくの実録はまた次回)。会場である上智の麻疹騒ぎなどで開催が延び延びになっていたので、実に4ヶ月ぶり。忙しい方々に集まっていただいているので、まっとうな研究会というより、ときには懇話会程度でもいいかと思っている〈ゆるい〉会である(しかし議論はコアにしていたい)。今回は懸案であったお岩稲荷参拝と、〈怪〉に関する意見交換がテーマ。他のメンバーがネタを持ってきてくれるかどうか分からなかったので、とりあえず話の種をと、最近「講義に使えるのでは」と思っている映画を再編集して持ってゆくことにした。

その題材とは、双子のパン兄弟の監督作『THE EYE』(2002年、香港・タイ・イギリス・シンガポール合作)。ホラー映画というより、かつてのオカルトのジャンルだろう。公開当時、「角膜移植手術を受けた主人公の目に、ドナーがみた衝撃の場面が…」云々、というトンデモ医学的宣伝文句にまったく食指が動かなかったのだが、最近偶然テレビで観てその完成度の高さに驚いた。『コンセント』などよりかなり出来のよい〈成巫譚〉なのである。2才のときに失明した主人公の女性マンは、ずっと触覚と聴覚によって構築された認識世界で生活してきたが、20歳になって受けた角膜移植手術で、ついに視覚世界を手に入れる。新しい感覚に戸惑いながらも喜びを覚えるマンだが、視覚・触覚・聴覚を脳が一致させてゆくには時間がかかり、そのズレは彼女に不安を抱かせる。そしてさらに、(視覚世界が確立するまではっきりと自覚はできなかったが)彼女の目には、他の人にはみえないモノが映るようなのだ…。そう、その何かこそが死者なのだが、マンが怪現象に悩まされ混乱しつつ、「自分は死者がみえるのだ」と自覚してゆく過程が、まさにシャーマンとして覚醒してゆく成巫儀礼と読み解けるのである。いや、読み解けるというより、はっきりとそう意識して描かれているというべきだろう(日本のこの手の映画が現実感に乏しく失敗に終わってしまうのは、シャーマニズム的世界が日常的感覚の周縁に追いやられているからなのだろう)。演出は緻密かつ論理的、俳優の演技もしっかりしていて秀逸な作品である。ただし、マンがドナーの謎を解き明かすためにタイへ向かい、ラストに大事故に遭遇する後半部分は、あまりいただけない。あんなスペクタクルにしなくても、もっとそれらしい終わり方があったのではないか? ちなみに、霊の描き方は中田秀夫、死神?の描き方は黒沢清の影響を受けている気がする。

…というわけで、今回は前半部分のみを成巫譚的に再構成し、持ってゆくことにした。作業が終わったときには夜が明けており、1時間ほど仮眠をとって出発。電車のなかでは眠い目をこすり、高田衛『お岩と伊右衛門―「四谷怪談」の深層―』を読み直し、参詣の予習をした。う~ん、江戸古地図を用意しておくべきだった…と気づいたが(『タモリ倶楽部』になってしまうか)後の祭り。そのうち『江戸東京重ね地図』を入手して、ちゃんとした「江戸怪談伝承地フィールドワーク(という名の散歩)」を企画しよう。
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やや失速中:ブログを書く気も起こらない

2007-09-06 05:26:51 | 生きる犬韜
先週より平安の古記録・物語漬けで通過儀礼の文章を書いているのだが、予定を大幅に遅れてしまっている。今週頭に『上智史学』編集の事務作業が入ってきて、その処理のために火・水と出勤していたせいもある。今日(水)なんとかほとんどの原稿を入稿して、印刷会社の担当Nさんと今後のスケジュールを話し合ってきた。予定では、少し余裕をもって進めることができそうである。

…それにしても、10~11月は多忙を極めそうだ。後期千代田学が2回あるので、10月は多いときで講義が8コマにもなる。『上智史学』の編集実務も佳境で最終校正等々に時間をとられそうだし、史学科編『歴史家の工房』第2弾の締め切りもある。恐らく、9月の原稿が幾つかずれ込むだろうが、それを処理できる余裕はまったくない。ぜんたい、原稿というもの自体を書く時間があるのかどうかも分からない。そう考えると、ブログを書く気力も起こらなくなるし、いま取り組んでいる文章へのモチベーションも下がる一方だ(何ごとも勉強、と考えて取り組まねばならないが、そうそう殊勝な態度をとり続けていられないときもある)。10月末に学内共同研究の発表をといわれていたが、11月以降に移してもらわざるをえないだろう。

知り合いの若手研究者のブログに、若さゆえの焦燥が誠実に語られていた。ぼくも同じような懊悩を経験してきたクチだから、気持ちはよく分かる。しかし、勉強できる時間が余るほどあることにまずは感謝し、着実に歩を進めていってほしい。君には君なりのペースがある。

* 写真は、北門に新しくできた12号館。別名、7号館のつっかえぼう。中にはセブンイレブンが入るらしい。
Comments (3)
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