仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

何の話ができるのか?

2011-04-29 04:00:16 | 生きる犬韜
少々時間が空いてしまった。授業も2週目に入り、だんだんと軌道に乗ってきた。体調も少しずつだが回復しつつあるようで、何とか新学期モードに対応してきたというところである。

生活のリズムもほぼ決まってきたが、日曜から月曜にかけてはほぼ徹夜ということになりそうだ。「日本史概説」の準備と9:00からの学生センターの会議があるためで、前者に時間をかけているとたいてい夜明けが訪れ、すぐに出勤の仕度をしなくてはいけなくなる。今週は、火曜のゼミの時間も講義を行ったうえ、同日の午前中にも奨学金を申請した学生の面接が入っていたので、やはり徹夜となってしまい、ほぼ2日連続。合間合間に仮眠はとっていたものの、これはさすがに応えた。火曜の夜はOBのN君、T君が訪ねてくれたので一緒に食事に行ったが(立派に社会人になっていたなあ)、帰宅してすぐに倒れてしまった。それでも月曜には、増刷になった『日本災害史』の字句修正作業も行えた。
水曜は修論演習だが、とくだん準備の必要はないので、終日事務仕事と、『日本書紀の謎と聖徳太子』のあとがき執筆(脱稿して提出)、翌日の豊田地区センターにおける生涯学習の授業の準備。何とか大学でプリントの印刷を済ませ、チェックは自宅で行うことができた。2時間ほど仮眠をとって横浜へ出発、片道2時間ほどかかるので、電車のなかでは懸案の単行本の執筆。3月に書き上げねばならなかったものが棚上げになっていたのだが、案外に筆が(キーが?)進んだ。GW中には溜まっている他の原稿を片付けて、単行本に専念したいところだ。豊田での講義は、震災の影響もあって2ヶ月ぶりであったが、皆さん元気そうで安心した。来月には待望のプロジェクターが使えるようになるらしいので、授業の幅ももっと広げられるだろう。帰りは自坊に寄って書庫から本を借り出し、昨年から進めている父親の論文集の出版へ向けて、また幾つかの原稿を預かってきた。
授業と校務の合間を縫ってだが、それなりにいろいろ作業を進められているのではないか…と思う、いや思っておこう。

ところで、今週もっとも気分が奮い立ったのは、東北学院での講演が決定したことだった。もともと、同大学に勤める友人の加藤幸治さんからオファーを受け、5月に環境史の理論的枠組みについて話をしにゆく予定だったのだが、これは震災によって中止を余儀なくされてしまった。しかしその後、ご自身が被災者でもある加藤さんの尽力によって、7月に別の形式で呼んでいただくことになったのである。今回は復興支援の意味もあり、環境史・災害史の枠組みから震災の体験を相対化できるような内容を、と注文を受けた。自分の言葉が仙台の人々にどのように作用するのか、これはよほど慎重に内容を練らなければ、被災した方々の傷口へ不用意に塩を塗ることになりかねない。恐らくは「災害を文化に変えてゆくこと」の利点と問題点を、歴史事象を通じて考察してゆくことになるだろうが、とにかく最大限の努力をしなければならないだろう。加藤さんとは、併せて上智の学生のボランティア活動の可能性についても、情報交換・意見交換をしてくる予定である。そうそう、震災関連でいえば、『現代思想』が真っ先に特集号を刊行したのには驚かされた(初動による考え方の偏向がないか、思考における充分な吟味がきちんとなされているかどうかは心配だが…)。また、研究者の先達である八重樫直比古さんが、最新のご研究とともに、『三代実録』の貞観地震記事に関する注釈を送ってくださった。ちょうど今年のゼミは『三代実録』を読んでいるので、早速学生たちへ配布することにしよう。

再びところで、上智の授業期間は結局2週間短縮ということになった。7月11日をみなし水曜日として終了である。補講どうしようかな…。
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家族の活躍

2011-04-21 21:52:25 | 生きる犬韜
今週も、授業の合間、合間に会議、会議である。委員長を務めるホフマンホール運営協議会や、副委員長を務める学生生活委員会もあった。ぼくの数倍の仕事量を次々とこなす谷センター長をみていると弱音を吐いてはいられないが、しかしどうも今年度は開始早々体調が悪い。春季休暇のあいだ治まっていた咳も酷くなりだしたし、極度の肩凝りや偏頭痛も多く、疲労も毎日嵩んでゆく。頭の働きも異常に鈍く、瞬時の判断がしっかりできない。先が思いやられるが、何とかリズムを整えてふんばらねばならない。

今週からプレゼミ、ゼミも始まった。前者は哲学科から編入のO君を含めて6人だが、一人ひとりの個性は強いものの、まだお互いのフィーリングが噛み合っていない印象である。当然といえば当然だが、これから、それぞれが発言しやすい雰囲気をどう作ってゆくかが問題だろう。外歩きに連れ出す、というのはそれなりにいい結果を導くものだが、ま、追々考えてゆくか。
後者は、院生も加えて15人の大所帯。ゼミ室にぎりぎりの人数となった(隔年でこのような情況が訪れる)。2ヶ月ぶりでも懐かしさを感じるもので、落ち込み気味だった気持ちも少し盛り上がった。3年生のパワフルさが目立っているが、これから主役を担ってゆくのだから、いい傾向だろう。わいわいがやがや、何でも意見のいいあえる環境がいちばん素晴らしい。4年生は、もはや氷河期を通り越してアイスボール状態の就職活動のなか、やはりあまり元気がないようだった。不安や焦燥感でいっぱいだろうが、少しでも気を紛らわし、疲れた身心をリセットしてほしいものである。

原稿の校正ラッシュは相変わらずで、平凡社や勉誠出版、学会事務局などとのやりとりが続いている。『アジア民族文化研究』を皮切りに、『環境という視座』、『日本書紀の謎と聖徳太子』、『聖地と聖人の東西』、『人間の尊厳を問い直す』など、今度は刊行ラッシュとなってゆきそうだ。昨年の講義、シンポジウムの成果も含まれている。とくに、『環境という視座』に掲載の「〈負債〉の表現」には苦労した。抽象的で大雑把な内容にならざるをえなかったので、妥当な結論に至っているかいまでも不安である。読者諸賢に判断していただくしかない。

さて、先輩や友人たちからも研究成果をいただいているので、追々ここで紹介してゆきたいが、まずは家族の活躍から。先週、次兄から左の本が届いた。大学の教科書として作ったものだろう、次兄は「第2章 幸福の指標化と政治:世論に基づく政治から幸福感覚の政治へ」を執筆している。相変わらず鋭い批判的まなざしで、国民の幸福を指標化し政治的に利用しようとする権力の思惑や、それを支える社会調査の欺瞞と危険性を暴き出している。「調査が意見を創り出す」という議論は、学生時代に次兄によく聞かされ「教育」を受けたものだが、その論旨を追ってゆくといつも、歴史学の史料読解の危うさに思い至る。数値化のもたらす未来への警告も、実際に「成果の数値化」を強制されている教育・研究現場に身を置いていると、背筋の寒くなるような恐怖がある。クリティカルな態度を培ってもらうために、学生にぜひ読ませたい本である。
家族といえば、義姉もさらに活動の場を拡げている。以前にも紹介した原発・地震に関する海外報道の翻訳はそのまま、今度は「温暖化新聞」のライターも始めたとのこと。やはり、英語の温暖化関連報道を翻訳・要約したものらしい。ぼくの専門とも関わるので、今後も愛読してゆきたい。

最後にわが愛妻のモモだが、先日酔った勢いで故郷秋田の『秋田魁新報』読者の声欄に投稿したところ、これがなんと採用され、4月13日付の同紙朝刊に掲載されてしまったのである。『魁新報』は秋田人の過半は購読している?という超定番紙なので、地元では大騒ぎとなったらしい。内容は、東北の震災復興に関して「秋田の出番」を期待するもの。読みたい方はpdfファイルをお送りしますので、ぜひご一報ください。

家族もそれぞれに活躍している。ぼくも力を尽くそう。
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春学期授業開始

2011-04-15 18:26:20 | 生きる犬韜
この1週間は非常に疲れた。手帳をみると、1日の予定とそれに関するメモがびっしり書き込まれている。毎日のように何らかの会議があるなか、授業の準備をし、依頼原稿の校正と執筆をこなした。9:00など早い時間に会議があるので、去年ならば絶対に来なかった時間に登校し、23:00過ぎに帰宅して食事を済ますと、もう何もする気力がなく倒れてしまう。研究日もなかった。深夜にがんばれればもう少し他の仕事もはかどるのだろうが、気力も体力も続かない状態である。単にリズムが作れていないだけならいいのだが、とにかく疲労感が大きい。まず半期保つのか心配である。

15日(金)から、ぼくの担当分の授業も始まった。とりあえずは特講、「神秘体験が紡ぐ歴史叙述」と題して、卜占や瞑想等の宗教的実践に歴史の初源を求める試みを開始した。とにかく学生と一緒に考えたいと練っている講義で、易筮の実践もしてもらおうと考えている。初回は講義のスタンス、全体のスケジュールを説明するガイダンスだが、40人強の受講者が集まってくれた。しかし、そうした学生たちには申し訳ないことながら、プレゼンの出来は酷かった。疲労が溜まっていたこともあるが、やはり2ヶ月のブランクは大きく、発話のリズムが掴めない。割り当てられた教室の構造もよくなかった。狭いくせに声が響かないうえ、教卓が低く椅子に腰掛けて話さねばならないので、声が出しにくい。かといってマイクもないので、変に大声を張り上げた結果疲労困憊してしまった。おまけに、学生ボランティアに規制をかける関西の大学を不用意に批判したりして、いうべきことをいわず、いわなくてもいいことを縷々述べる始末(被災地ボランティアから帰ってきた院生O君の報告によれば、やはり現地はまだまだ危険が多く、民間ボランティアにできることにも限りがあるようだ。学生の安全を図る立場からすれば、自粛要請もひとつの判断だろう)。これは最悪である。来週はもっとしっかりやろう。
その後は院ゼミ。『法苑珠林』講読を継続、今期からは敬仏篇観仏部に入る。まさに道宣の影響が絶大と思われる篇目で、他に比べ感応縁の採録数も異常に多い(まあ、ほとんどが『唐高僧伝』『集神州三宝感通録』の引用だが)。特講のテーマとも関連するので、自転車操業になるが、しっかり読み進めてゆきたい。参加者は10名近くにもなり、4名でやっていた去年が嘘のようだ。今年はやる気のあるM1が多く、東洋史はもちろん、西洋古代史からも参加してくれた院生があった。議論もワールドワイドにできそうで、いろいろ勉強になりそうである。
とにかく、毎週金曜日は気が抜けない。
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桜を眺めつつ

2011-04-12 12:18:32 | 生きる犬韜
真田堀の桜は、11日(月)の雨と風で見頃を過ぎたが、まだ新入生を祝うような花びらを湛えている。東京に広がる無数のソメイヨシノは1本のオリジナルから接ぎ木、挿し木された(自然繁殖できない)"クローン"なので、それらが一斉に咲き乱れる光景は、生物多様性の観点からすれば極めていびつといえる。「桜の木の下には死体が埋まっている」という凄まじさ、気味の悪さは、現代ではそのいびつさと結びつくものかも知れない。しかし、いくら"クローン"とはいえ、そこに生きているのは紛れもない個別の生命体である。その事実は大切にしたいところである。

11日は、9時から学生センターにて会議。新学期から毎週のこととなっている。話題は1週間の予定確認が主だが、その後の役職者会議ではさらに踏み込んだ議論が行われる。今回は被災学生への経済支援に関する話題が主だったが、最後に、被災地ボランティアの問題をどうするのか、せめて情報の収集と選別、公開くらいは早めに手を着けたいと振ってみた。そのときの感触では、未だ具体的に動き出しそうになかったのだが、夕方、震災から1ヶ月と3時間ほどで起こった巨大余震の被害情況をみるべくセンターへ寄ると、学生ボランティアの被災地派遣プランが一気に具体化してきていた。果敢な副学長、センター長の早技である。早速会議して細かなところを詰めたが、やはりカトリックの教区ネットワークが活かされているらしい。浄土真宗でも、同じような対応がとられているだろう。そちらの方の情報も集めながら、夏期休暇まで視野に入れて持続してゆきたい。

12日(火)は、「上智学院・聖母学園の法人合併 / 上智大学総合人間科学部看護学科及び総合人間科学研究科看護学専攻 新設記念式典・記念講演会」に出席。記念講演をされた公益社団法人日本看護協会会長 久常節子氏の、まさに紆余曲折というべき人生に感銘を受けた(一部に激しい批判もあるようだが、それはひとまず措いておく)。自分の可能性を信じて前向きに生きてゆくことがいかに素晴らしいか、教員の我々が勉強になったのはもちろんだが、ぜひあらゆる学生に聴かせたい内容だった。しかし同時に、看護関係の学校を卒業して就職した看護師の実に1割が、過酷な労働環境に耐えかねて退職に追い込まれてゆく現実には胸を打たれた。夢と目標を持って看護師となった当の若者たちはもちろんだが、看護教育に携わる関係者の空しさ、無力感は想像して余りある。上智の看護学科、看護学専攻がその閉塞情況に風穴を空けうるのかどうかは分からないが、特色として打ち出している「リベラル・アーツ教育」の面では協力できることもあるだろう。
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離陸準備

2011-04-09 01:09:04 | 生きる犬韜
1週間ほど遅れたが、今年も真田堀の桜が咲いた。首都圏では日常の生活が急速に戻りつつあるが、実は、事態はほとんど改善されていない。みなが平穏に振る舞っているのは、終わりのみえないストレスに耐えかねて日常へ逃げ込んでいるだけだろう。「終わりなき日常の終焉」云々を声高に語っている連中もいるが、わざわざ画期を創り出し、曖昧さを分節することで安心立命を得ようとでもしているのだろうか。そもそもぼくは、「終わりなき日常」など生きていなかったので、相変わらず空虚な言論のようにしか思えない。まあだからといって、この情況をどうすることもできないわけだが。もろさんmonodoiさんは被災地への後方支援を実践しているし、今年度の新入院生であるO君は、7日(木)から現地入りして復旧活動に参加している。こちらもいまやるべきことをやるしかない。

4日(月)の新入生ガイダンスを皮切りに、今年も新入生オリエンテーションの時期が始まった。入学式はもちろん中止、歓迎会も中止、いつもは1泊2日で親睦を深めるオリエンテーション・キャンプも中止で可哀想だが、彼らは粛々とスケジュールをこなしている。例年よりも温和しくみえるのは、この情況のせいだろうか。ところで毎年、「推薦のときはお世話になりました。私を覚えていらっしゃいますか?」と尋ねてくる学生がいる。人の顔・名前はすぐ忘れてしまう方なのだが、特徴のある受験生はなぜか記憶に残っている。「こういうことがありました」といわれると、大体想い出すことができる。覚えていると学生が喜ぶので、今後も気を付けたいとは思うが、それで浮かんでくるのは史学科教員OBの鈴木宣明先生だ。彼は、オリエンテーション・キャンプのときには、すべての新入生の顔と名前が頭のなかに入っていた。あれは真似できないが、努力はしよう。
学生センターの仕事も本格化してきた。8日(金)には、サークルの代表者からなる代表委員会と、いわゆる部室棟であるホフマンホールの取り扱い説明書について協議した。施設使用の諸規定をみなおしてみると、前後に矛盾や古くなってしまった記述がかなりある。規定や施設紹介の載る『SOPHIAN'S GUIDE』にも困惑を招く記述がみられるので、来年度へ向けて改訂する方向で動き出すことになった。また、震災対応で忙しいセンター職員の皆さんには申し訳なかったが、3.11にキャンパス内で地震を経験した各サークルへアンケートを取り、危険を感じた点や避難上の困難などについて詳しく情報を上げてもらうことにした。秋には定例の防災講習が予定されているが、そちらへもフィードバックさせたいし、今年は節電等々の問題もある。災害関連の事項については、学生の知恵も借り、協議会にて継続的に審議してゆかねばならないだろう。来週からは、被災学生の経済支援に関する面接もスタートする。多忙になるが、こちらは高校時代の生徒会の延長のような感があるので、あまりストレスを感じずにやっていけそうだ。後手後手にまわっているが、あとは学内で教員・学生がばらばらに行っている被災地支援をどのように把握・援助し、またセンターから新しい方策を打ち出してゆけるかだが、被災学生への対応が一段落しない限り(マンパワー不足で)難しいかも知れない。

校務の合間は研究室に籠もり、次から次へ押し寄せる校正に対応している。それなりによく書けたと思う文章でも、活字になったものを読み返してみると、その粗雑さや浅薄さ、見落としの多さに愕然としてしまう。余裕のないなか、月刊ペースで出力してきたのだから尚更である。「進展させられた」と確信できる箇所もあるのだが、やはり忸怩たる思いの方が強い。今年は何とか精度を上げてゆかねばならない。
少しずつ、授業の準備へも注意を向け始めている。やはり今期も自転車操業だが、語り口や運営の仕方にもう一工夫したいと考えているところだ。まあとにかくがんばろう。
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"まつり"

2011-04-03 10:11:13 | ※ モモ観察日記
昨日、朝がた新聞を読んだとき、テレビ欄に祭祀・芸能関係の番組をみつけたことを思い出して、確認して録画しようと、地下の書斎から吹き抜けで繋がった1階のモモへ声をかけた。
「教育テレビの深夜に、まつり関係の番組があったと思うんだけど、何時から何時までか、新聞で確認してくれない?」
返事とともにがさがさと新聞をめくる音がして、
「えーっとね、どれかな…。『天才!志村どうぶつ園 "春の赤ちゃんまつり"』?」
「…いや、確かにまつりだけども…」
実話です。ちなみにモモには、チャンネルの概念があまりなく、どの番組をどの放送局で流しているのかほとんど記憶できない。本人にいわせると、「チャンネルの少ない秋田で育ったからだ」ということである。
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新年度スタート

2011-04-01 10:51:16 | 生きる犬韜
今日は早朝から出勤、9:00から学生センターへ「出頭」した。准教授昇任ともうひとつ、「学生センター長補佐」なる辞令を受け取ったのである。センター職員の皆さんにご挨拶し、業務の説明を受けた。当初はもっと繁忙化するかと不安だったが、何とか乗り切れそうな範囲である。しかし、今年度はさまざまに不測の事態が予想されるので、責任は重大だ。職員の皆さんの足手まといにだけはならないよう、力を尽くしたい。まずは、課外活動の部室があるホフマン・ホールが管轄になるため、早急に運営規則等々を頭に入れておかねばならない。背筋を伸ばしてがんばろう。
昨日は在校生のガイダンスに出席し、久しぶりに学生たちの顔をみてちょっと安心した。しかし、今回の震災、原発問題の被害を直接に受け、落ち込んでいるものもいる。事態はまるで改善されてはいないわけで、今後は彼らの心身のケアが深刻な課題になってくるだろう。こちらにも充分配慮しておかねばならない。

原稿の方は、震災後に1本を脱稿し、3本を校正中である。授業が始まるまでに脱稿しなければならないものが、あと1本。その後は6月に1本、8月に1本、9月に1本。「滞納」している書評が2本、単行本が4冊。昨年報告したシンポジウムで、執筆依頼が来そうなものが1本。それから、11月にシンポジウム報告が1本。単行本については、2月に、「歴史とは何か、歴史学を学ぶとはいかなることか」という大命題を掲げたオファーを頂戴した。垂涎の企画で大変にありがたかったが、他の執筆が進んでいないので今回は辞退させていただいた。しかし、いつかは取り組みたい、取り組まねばならない書籍になるだろう。とにかく、昨年度の月刊状態よりは余裕がありそう?だ。これ以上はできるだけ増やさないようにして、何とか順次単行本を書き上げてゆきたい。

※ 写真は、偶然3.11.までだったSuica定期。
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