仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

春学期授業開始

2011-04-15 18:26:20 | 生きる犬韜
この1週間は非常に疲れた。手帳をみると、1日の予定とそれに関するメモがびっしり書き込まれている。毎日のように何らかの会議があるなか、授業の準備をし、依頼原稿の校正と執筆をこなした。9:00など早い時間に会議があるので、去年ならば絶対に来なかった時間に登校し、23:00過ぎに帰宅して食事を済ますと、もう何もする気力がなく倒れてしまう。研究日もなかった。深夜にがんばれればもう少し他の仕事もはかどるのだろうが、気力も体力も続かない状態である。単にリズムが作れていないだけならいいのだが、とにかく疲労感が大きい。まず半期保つのか心配である。

15日(金)から、ぼくの担当分の授業も始まった。とりあえずは特講、「神秘体験が紡ぐ歴史叙述」と題して、卜占や瞑想等の宗教的実践に歴史の初源を求める試みを開始した。とにかく学生と一緒に考えたいと練っている講義で、易筮の実践もしてもらおうと考えている。初回は講義のスタンス、全体のスケジュールを説明するガイダンスだが、40人強の受講者が集まってくれた。しかし、そうした学生たちには申し訳ないことながら、プレゼンの出来は酷かった。疲労が溜まっていたこともあるが、やはり2ヶ月のブランクは大きく、発話のリズムが掴めない。割り当てられた教室の構造もよくなかった。狭いくせに声が響かないうえ、教卓が低く椅子に腰掛けて話さねばならないので、声が出しにくい。かといってマイクもないので、変に大声を張り上げた結果疲労困憊してしまった。おまけに、学生ボランティアに規制をかける関西の大学を不用意に批判したりして、いうべきことをいわず、いわなくてもいいことを縷々述べる始末(被災地ボランティアから帰ってきた院生O君の報告によれば、やはり現地はまだまだ危険が多く、民間ボランティアにできることにも限りがあるようだ。学生の安全を図る立場からすれば、自粛要請もひとつの判断だろう)。これは最悪である。来週はもっとしっかりやろう。
その後は院ゼミ。『法苑珠林』講読を継続、今期からは敬仏篇観仏部に入る。まさに道宣の影響が絶大と思われる篇目で、他に比べ感応縁の採録数も異常に多い(まあ、ほとんどが『唐高僧伝』『集神州三宝感通録』の引用だが)。特講のテーマとも関連するので、自転車操業になるが、しっかり読み進めてゆきたい。参加者は10名近くにもなり、4名でやっていた去年が嘘のようだ。今年はやる気のあるM1が多く、東洋史はもちろん、西洋古代史からも参加してくれた院生があった。議論もワールドワイドにできそうで、いろいろ勉強になりそうである。
とにかく、毎週金曜日は気が抜けない。
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