仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

桜を眺めつつ

2011-04-12 12:18:32 | 生きる犬韜
真田堀の桜は、11日(月)の雨と風で見頃を過ぎたが、まだ新入生を祝うような花びらを湛えている。東京に広がる無数のソメイヨシノは1本のオリジナルから接ぎ木、挿し木された(自然繁殖できない)"クローン"なので、それらが一斉に咲き乱れる光景は、生物多様性の観点からすれば極めていびつといえる。「桜の木の下には死体が埋まっている」という凄まじさ、気味の悪さは、現代ではそのいびつさと結びつくものかも知れない。しかし、いくら"クローン"とはいえ、そこに生きているのは紛れもない個別の生命体である。その事実は大切にしたいところである。

11日は、9時から学生センターにて会議。新学期から毎週のこととなっている。話題は1週間の予定確認が主だが、その後の役職者会議ではさらに踏み込んだ議論が行われる。今回は被災学生への経済支援に関する話題が主だったが、最後に、被災地ボランティアの問題をどうするのか、せめて情報の収集と選別、公開くらいは早めに手を着けたいと振ってみた。そのときの感触では、未だ具体的に動き出しそうになかったのだが、夕方、震災から1ヶ月と3時間ほどで起こった巨大余震の被害情況をみるべくセンターへ寄ると、学生ボランティアの被災地派遣プランが一気に具体化してきていた。果敢な副学長、センター長の早技である。早速会議して細かなところを詰めたが、やはりカトリックの教区ネットワークが活かされているらしい。浄土真宗でも、同じような対応がとられているだろう。そちらの方の情報も集めながら、夏期休暇まで視野に入れて持続してゆきたい。

12日(火)は、「上智学院・聖母学園の法人合併 / 上智大学総合人間科学部看護学科及び総合人間科学研究科看護学専攻 新設記念式典・記念講演会」に出席。記念講演をされた公益社団法人日本看護協会会長 久常節子氏の、まさに紆余曲折というべき人生に感銘を受けた(一部に激しい批判もあるようだが、それはひとまず措いておく)。自分の可能性を信じて前向きに生きてゆくことがいかに素晴らしいか、教員の我々が勉強になったのはもちろんだが、ぜひあらゆる学生に聴かせたい内容だった。しかし同時に、看護関係の学校を卒業して就職した看護師の実に1割が、過酷な労働環境に耐えかねて退職に追い込まれてゆく現実には胸を打たれた。夢と目標を持って看護師となった当の若者たちはもちろんだが、看護教育に携わる関係者の空しさ、無力感は想像して余りある。上智の看護学科、看護学専攻がその閉塞情況に風穴を空けうるのかどうかは分からないが、特色として打ち出している「リベラル・アーツ教育」の面では協力できることもあるだろう。
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