【キトラ古墳壁画発見40周年を記念し】
1983年11月7日のことだった。奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室内に挿入されたカメラのモニターに「Q」の字のような画像が映し出された。「あっ、玄武!」。玄武は四神の一つ、亀と蛇が絡み合う形で描かれる。高松塚古墳に続く国内2例目の極彩色の壁画発見に、関係者から驚きの声が上がった。それから丸40年。国営平城宮跡歴史公園(奈良市)の「平城宮いざない館」でいまキトラ古墳壁画発見40周年記念展「飛鳥のモティーフ~葬りのカタチ」が開かれている。
キトラ古墳は古墳時代末期から飛鳥時代にかけて造られた終末期古墳の一つ。その発見の11年前、1972年には高松塚古墳の壁画が見つかっている。ただ最大の違いは高松塚で盗掘によって失われたとみられる南壁の「朱雀」像が、キトラ古墳ではほぼ完全な形で残っていたこと。会場の企画展示室入り口正面には明日香村在住の日本画家・烏頭尾靖(うとお・せい)さんが描いた「発見された直後の朱雀再現図像」が飾られている(上の写真)。
朱雀は壁画4面のうち最後に見つかった。翼を大きく広げ、今まさに飛翔しようとする鳥の姿が生き生きと描かれていた。南壁は閉塞石としての役割も兼ねていることから、この壁のみ屋外で描かれたのではないかといわれる。会場には工作機械メーカー、DMG森精機が立体的に復元したほぼ実物大の朱雀像も展示されている。古墳の石室内部探査時に、カメラを挿入する穴のガイドパイプ設置のため利用された掘削用ドリル(長さ2m)も展示中。
飛鳥地方では高松塚やキトラより前の古墳から渡来人が活動していたことを示す出土品も多く見つかっている。渡来系氏族の古墳を代表するのが真弓鑵子塚(かんすづか)古墳。石室の天井は百済をはじめとする韓半島に特徴的なドーム状で、ミニチュア炊飯具や須恵器、ベルトを飾る獣面飾金具、馬具などの副葬品(上の写真)が見つかっている。(下の写真はカイワラ2号墳と真弓スズミ1号墳から出土したミニチュア炊飯具)。
7世紀に入ると巨大な前方後円墳に代わって方墳・円墳・八角墳が造られる。畿内で確認されている八角墳は5基あり、そのうち3つは宮内庁により天皇陵に治定されている。段ノ塚古墳(奈良県桜井市)が舒明天皇陵、御廟野古墳(京都市山科区)が天智天皇陵、野口王墓古墳(明日香村)が天武・持統天皇陵。また牽牛子塚古墳と中尾山古墳(いずれも明日香村)もそれぞれ斉明天皇陵、文武天皇陵とする説が有力。会場には野口王墓古墳の鮮やかな朱色の夾紵棺(きょうちょかん)や蔵骨器(いずれも複製)も展示されている。(下の写真は牽牛子塚古墳の出土品と墳丘斜面の凝灰岩)
また飛鳥時代に造られ、現在は吉備姫王檜隈墓に安置されている「猿石」4体(山王権現・女・男・僧)と高取城の「猿石」1体(いずれも複製)も会場中央に展示。明日香村の村内には他にも古い石造物が多く残っており、これらは斉明天皇の都づくりの一環として迎賓館や庭園など主要施設に配置されていたとみられる。記念展は12月10日まで。