く~にゃん雑記帳

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<奈文研藤原宮跡資料室> 速報展「弥生時代の脚付き編みかご」

2017年06月24日 | 考古・歴史

【謎の〝四方転びの箱〟はかごの脚だった! 箱の用途が判明】

 奈良県橿原市城殿町にある瀬田遺跡の円形周溝墓の周溝から弥生時代末期の「脚付き編みかご」が出土した。底に付けられた脚部分はこれまで〝四方転びの箱〟と呼ばれてきた台形の木製品。平城宮など各地の遺跡から同様の箱が単独で約50例見つかっていたが、その用途が不明だった。今回編みかごに留められたままの状態で見つかった結果、謎の箱がかごの脚だったことが初めて判明した。その調査結果の速報展が奈良文化財研究所藤原宮跡資料室(橿原市木之本町)で23日から始まった。

  

 瀬田遺跡は縄文時代から平安時代の複合遺跡。編みかごは一緒に出土した土器から弥生時代後期末(2世紀後半)から終末期(3世紀前半)のものと分かった。かごの直径は約30cmで、脚部分は台形状の四面の側板が斜めに立ち上がってかごを支える構造。側板は上辺9cm、下辺11cm、高さ2.5cmで、両端に小さな穴が2つずつあり、そこに紐を通して組み立てられていた。〝四方転びの箱〟はその用途がはっきりせず、これまで魚を捕るための箱めがねなど様々な推測が行われていた。(下の写真㊨はかごの復原イメージ)

 

 このかごには4種類の植物が使われていたことも分かった。縦材と横材にはヒゴ状にしたタケ類の稈(かん、茎)、上部の親骨はヒサカキの枝、脚の側板はツブラジイの柾目材、親骨の巻き付け材と脚の留め紐はツヅラフジの蔓。当時の人々が植物の特性をよく熟知し、部位に応じて使い分けていたことを示す。編み方も底部が網代編み、体部(側面)の上部がござ目編みなど部位によって変えていた。かごは食料の運搬・貯蔵に使われたと考えられている。

 この編みかごが出土し〝四方転びの箱〟が付いていると分かった瞬間、研究員の間から歓喜の声が沸き起こったという。整理作業は壊れないように細い毛先の面相筆で慎重に行われた。実物が脆いため速報展には出品されていないが、その代わりにポスターの中で実物大のカラー写真を紹介している。その編み目の緻密なこと。古代人の丁寧な手仕事ぶりが目に浮かぶようだ。完形のかごで最も古い国内の出土品は九州の有明海に面した佐賀県東名(ひがしみょう)遺跡から見つかったもの。約8000年前の縄文時代早期に当たるが、既に部位ごとに異なった植物や技法が使われていたことが分かっている。

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