【害鳥それとも益鳥? 田舎のスズメは都会組より美しい!】
人家の近くに生息し最も身近な野鳥といえば、やはりこのスズメだろう。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」(小林一茶)。スズメは古くから俳句や昔話に登場し、美術工芸品の題材となり、家紋にもなってきた。春日大社(奈良市)所蔵で源義経奉納ともいわれる国宝「赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)」にも竹・虎とともに百羽余のスズメがあしらわれている。スズメは小笠原諸島を除いて日本列島に隈なく分布するという。ところが近年その姿を見掛けることが少なくなってきたとの声もしばしば聞く。
ではスズメは日本にどのくらいいるのだろうか。そんな難問にあえて挑戦した研究者がいる。著書に『スズメの謎』(誠文堂新光社刊)がある三上修さんだ。秋田、埼玉、熊本の3県ごとに商用地・住宅地・農村・大規模公園・森の5つの環境を選び出しスズメの巣の密度を調査した。その結果、割り出した推定生息数は1800万羽。地道な調査にはただただ頭が下がる。スズメの減少について三上さんは1990年からの20年間に「少なくとも5割は減少した」とみる。スズメの少子化についても指摘する。NPO法人の協力で行った調査の結果、親スズメが連れている子スズメの数は商用地1.41羽、住宅地1.81羽、農村地2.13羽で、商用地では子スズメを1羽しか連れていない親スズメが目立った。「町中ほどエサが少ないことが理由だと考えられます」とのこと。
スズメは稲などの農業被害から〝害鳥〟扱いされてきたが、一方で〝益鳥〟でもあるという指摘もある。害虫を捕ってくれ、雑草の種子も食べてくれるからだ。90年ほど前に国がまとめた「鳥獣調査報告書」のスズメの項にはこう記されているという。「スズメが自然に、あるいは人が捕まえて減った結果、害虫の大発生を引き起こして、ひどい状況になった例は古来より多々ある」。実際、1950年代にスズメ撲滅運動が実施された中国では農作物の害虫が増えて全国的に凶作になったそうだ。
スズメはこの時期がちょうど繁殖期にあたる。孵化から巣立ちまでおよそ2週間。この間に親鳥が雛のために餌を運ぶ回数は1日に約300回、延べ4000回にも及ぶそうだ。親鳥の世話は巣立ち後も独り立ちまで続く。大きさが親とほとんど変わらない幼鳥が、羽を打ち震わせながら黄色いくちばしを大きく開けて餌をねだる。その光景がなんともほほえましい。スズメは羽模様が灰褐色のため地味なイメージが強い。ただ「都会のスズメは薄汚れているが、空気のきれいな農耕地帯のスズメは地味ではあるが美しい」(家の光協会刊『カラー版野鳥』)ともいわれる。
随分以前のことだが、大阪の長居公園で目にした光景が忘れられない。スズメがおじさんたちの手のひらに乗ってパンくずなどをついばんできた。日本のスズメはそこまで人に懐かないという先入観があっただけに予想外だった。「趣味はスズメ」という女性がいた。なぜか馬が合って何度か食事を共にした。庭を訪ねてくるスズメを見るたびに、若くして病没したその女性のことがしばしば頭をよぎる。