く~にゃん雑記帳

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<奈良大学博物館> 「好奇の人・北村信昭の世界『奈良いまは昔』展」

2016年08月24日 | メモ

【多彩な生涯を辿る…写真業、文芸、エスペラント、パラオ、民俗学】

 奈良大学博物館(奈良市)で企画展「好奇の人・北村信昭の世界『奈良いまは昔』展」が開かれている(9月2日まで)。北村信昭(1906~99)は奈良が生んだ文化人。写真家、文芸家として活躍する一方、エスペラント語や民俗学にも高い関心を抱き、交友範囲は国際的な広がりを持った。本展では遺族から寄贈された蔵書や遺品などを基に、好奇心の塊だった北村の生涯の足跡を辿る。

 

 北村の実家は奈良市の猿沢池畔にあった北村写真館。祖父北村太一は近代写真業の草分け的存在といわれる。地元新聞社で文芸欄などを担当していた北村は、当時奈良市高畑に住んでいた志賀直哉邸を度々訪ね、武者小路実篤の「新しき村」の奈良支部を自宅に置くなど、著名文学者とも交流を重ねた。タイトルの『奈良いまは昔』は北村が1976~78年に奈良新聞に連載した記事をまとめて出版したもの。「奈良ホテル」「春日山の狼」「おん祭余聞」など50項目から成る。

 北村は「奈良エスペラント会」で出会った南洋のパラオ出身の青年を通じて、当時日本の委任統治領だったパラオ諸島の民俗に高い関心を寄せる。現地の民俗伝承をまとめた『南洋パラオ諸島の民俗』を出版し、『パラオ島童話集 お月さまに昇った話』なども書いた(上の写真㊨はその原稿)。この童話集の挿絵を描いたのは洋画家の赤松俊子。夫の丸木位里と共に戦後「原爆の図」を描き続けたことで知られる。会場にはパラオの木皿や貝類、伝説画、ヤップ島の石貨など珍しい民俗資料も並ぶ。

  

 北村は家業である写真の技術を生かして、奈良の風景からパラオの民俗まで多くの写真を残した。「写真師として被写体に真摯に向き合うことにのみ傾注……いたずらに高性能なカメラを追い求めるよりは、写真館を開いた北村太一の撮影技法と意志を淡々と引き継いだ」。その祖父の手作り写真機(下の写真㊧)は圧倒的な存在感を示す。用材は黒柿、蛇腹は手織り木綿の墨染め。ただ、この写真機、初めネズミ捕りの装置と間違えられたそうだ。

 

 北村が戦時中の1941年に奈良ホテルで撮影したものに、スマトラから同ホテルに疎開していたドイツ人家族30人や元林院の芸者さんたちの集合写真がある(写真㊨=部分)。今年4月、当時7歳だったスイス在住のドイツ人(80)=写真の○印=が来日し、70余年ぶりに奈良ホテルを訪ねてきた。そして撮影者が写真家の北村だったことを知る。帰国後、そのドイツ人から本企画展に長文のメッセージが寄せられた。

 その人Eike.O.Tillnerさんは末尾をこう結ぶ。「『奈良の都』を再び訪ねてみると、『奈良いまは昔』となっていますが、この半世紀以上の間に作られた『新しいモノ』と、作り直された『元のモノ』や全く変わらない『そのままのモノ』なども多くありました。しかし、それらは昔からの『古いモノ』に隠されて在り、『むかしの奈良』は『いまの奈良』の後ろにいつまでもおとなしく控えて居るというのが『奈良の都』について新しく得た私の印象です」

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