く~にゃん雑記帳

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<小京都「飫肥」点景> 江戸時代の名残そこここに、落ち着いた佇まいの城下町

2016年08月11日 | 旅・想い出写真館

【九州で最初に重要伝統的建造物群保存地区に指定】

 この町に一目惚れした。九州の〝小京都〟といわれる宮崎県日南市の飫肥(おび)城下町。今から40年ほど前の1977年、九州で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。かねて一度訪ねてみたい場所の一つだったが、そこは今も江戸時代の伝統と文化がそこここに息づく閑静で落ち着いた町並みだった。景観を壊す電線や電柱は全て地中化。けばけばしい看板類などを目にすることも一切なかった。

 飫肥城は1588年、豊臣秀吉に仕えた伊東義祐(よしすけ)の子、祐兵(すけたか)が九州平定の功績により与えられ、以後、約280年にわたって飫肥藩主伊東氏14代の居城だった。明治維新の廃藩置県後、城の館(やかた)や櫓(やぐら)などは全て取り壊されたが、飫肥城跡南側の武家屋敷通り(上の写真)は往時の姿を今に留める。屋敷の規模は1戸平均900坪(約3000㎡)もあったそうだ。

 

 再建された飫肥城の大手門(上の写真㊧)をくぐって本丸跡に向かう。その途中、右手に飫肥小学校の運動場があり、夏休み中の子どもたちが元気に駆け回っていた。そこを過ぎて間もなく、四隅に1本ずつスギが立つパワースポット「しあわせ杉」があった。対角線の中心に立つと幸せのパワーをもらえるという。階段を登りつめた先の本丸跡には樹齢100年を超えるスギの巨木が林立し、緑色のコケがじゅうたんのように一面を覆っていた(写真㊨)。「癒しの森」と名付けられたこの場所もパワースポットとして人気を集めているそうだ。

  

 城跡の一角に江戸初期の書院造りの御殿を再現した「松尾の丸」がある。屋内に御座の間、御寝所(上の写真㊧)、茶室、湯殿、台所などが設けられていた。周辺にも見どころが多い。「豫章館(よしょうかん)」(上の写真㊨)は旧藩主伊東家が明治維新後に居を移した屋敷で、母屋は本丸奥御殿の書院を解体・移築したもの。母屋の周りは広い枯山水式の庭園になっている。

 

 武家屋敷通りの北側にあるのは旧藩校「振徳堂(しんとくどう)」(下の写真㊧)。その名前は孟子の教えにある「又従而振徳之」に由来し、江戸後期の1831年(天保2年)に開校した。日本の近代外交の礎を築いた明治の外交官、小村寿太郎も門下生だったという。伝建保存地区内には小村の生家や「国際交流センター小村記念館」も。保存地区東側の八幡馬場通りの突き当たりにある田ノ上八幡神社のクスノキの巨木(写真㊨)には圧倒された。初代藩主の伊東祐兵が入城した記念に自ら植樹したという。樹高30m、幹周9.2m。日南市の天然記念物で、「みやざきの巨樹百選」にも選ばれている。

 帰りに「四半的射場(しはんまといば)」に立ち寄った。四半的は飫肥藩に伝わる独特な弓術で、的までの距離が四間半(約8.2m)、弓・矢の長さがともに四尺五寸(約1.4m)、的の直径が四寸五分(約14cm)と、全て四半であることからその名が付いた。日南市の無形民俗文化財にもなっており、地元の人たちは焼酎を飲みながら、この四半的に興じるそうだ。10射で300円。少なくとも1回ぐらい的中するだろう。そう思って挑戦してみたものの甘かった。  

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