【ちひろ美術館監修、新日本出版社発行】
今年は水彩画家いわさきちひろ(1918~74)の没後40年。約30年の画業生活の中で描いた作品は1万点近くに上るという。その中の愛らしい子どもの絵が新聞配達店から毎月届く「毎日夫人」の表紙を飾っていることや、約20年前「安曇野ちひろ美術館」の起工式の場面に遭遇したことなどもあって、ちひろの作品にはかねて親しみを抱いていた。
本書は副題の通り、ちひろと交流のあった人々の中に息づくちひろの記憶を書き残し、ちひろの実像を広く知ってもらおうと出版された。最初の数ページにわたって淡い色彩の童画が続く。「こげ茶色の帽子の少女」「絵をかく少女」「わらびを持つ少女」……。と、その後半にそれまでとは異なる色彩のない作品が出てきた。「戦火のなかの子どもたち」より「たたずむ少年」と「焔のなかの母と子」。ちひろもこんな激しい絵を描いていたんだ!
19歳で結婚、そして夫の自殺。満州渡航、戦況悪化による帰国。空襲と母の実家(長野県松本市)への疎開、両親の公職追放――。ひちろの前半生がその絵からは想像できないほどの過酷なものだったことを初めて知った。ちひろの絵が表紙や挿絵として使われた『窓ぎわのトットちゃん』の著者で東京、安曇野両ちひろ美術館館長の黒柳徹子も本書の中でこう告白する。「こんなに可愛い、こんなに綺麗な、なんの禍いもない、苦しみも悩みもないと思っていた方が、これほど苦しむ人生を送った挙句、あれだけの子どもを描いたんだと思うと、もう本当にびっくりしました」。
ちひろは31歳のとき8歳年下の松本善明(日本共産党元国会議員)と再婚する。松本によると「体験的に〝戦争と平和〟というのが彼女の中心的なテーマ」になっていた。ちひろの東京・神田のアトリエによく遊びに行っていた3姉妹たちも、ちひろが平等や平和の大切さについて度々話していたという思い出を語る。アニメ映画監督の高畑勲はちひろについて「子どもたちの尊厳というものを描き出すことに成功した、非常に稀な人ではないか」という。高畑の一番好きな絵は「戦火のなかの子どもたち」で「すごいなー」と思っていつも見ているそうだ。
ちひろが55歳で亡くなった2日後、松本は「ちひろの残したものを家族だけのものにせず人類の遺産のひとつとして位置づけたい」と長男夫婦に話した。それが今の2カ所のちひろ美術館として結実した。長男の松本猛は「母の絵が、一体何を描いているかって考えると、やっぱり〝いのち〟なんだろうと思う」。妻の由理子は「自分の理想の世界を守りたい、それが本当の世界になってほしい、そんな祈りにも近い思いを込めて、彼女は純なるものの象徴として、子どもの絵を描いた」とみる。ちひろの母親が奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)の卒業生というのも新しい発見だった。