【一度も途切れず、今年でなんと1261回目!】
古都奈良に春を呼ぶ東大寺の修二会「お水取り」が始まった。といっても二月堂でお松明が見られるのは本行が始まる3月1日から。練行衆11人が2月20日から「別火」と呼ばれる前行に入ったのだ。お水取りは大仏開眼法要が行われた752年から一度も途絶えたことのない「不退の行法」。今年で1261回目を迎える。
「別火」は別火坊(戒壇院)にこもり、俗界の火とは別に火打ち石で起こした火で精進の生活をすること。別火最終日の2月28日、翌日からの本行に備え二月堂下の参籠宿所に移る。練行衆のお1人から以前うかがった別火や本行中の食事や勤行などは、凡人には想像できない実に厳しいものだった。
別火中はお供えするお餅や椿の造花、紙衣(かみこ)づくり、声明やほら貝のけいこなど本行への準備に慌ただしい。寒さはなお厳しいが、暖房は炭火の火鉢が1つあるだけ。前半の試(ころ)別火では雑談も認められるが、後半の総別火からは私語も一切禁じられる。
【食事も行の1つ、1日2回だけ】
3月1日からの本行は毎日、正午の「食堂(じきどう)作法」から始まる。目の前にご飯が盛られているが、すぐに口に運べるわけではない。ただひたすら祈りの言葉を唱え、食べるのは45分ほどたってから。冷えたご飯や汁物、たくわんを5分ほどで食べ終わると、また祈りが続く。
本行中は「六時の行法」といって1日6回の行がある。「日中」の後に「日没」「初夜」「半夜」「後夜」「晨朝(じんじょう)」と続く。本尊十一面観音を祀った二月堂内陣にはもちろん暖房はない。全ての行が終わるのは早くて深夜0時半、遅い日には未明の午前4時にもなる。この間の勤行中は食事なし、水なし。「晨朝」の後、半日以上たってようやく2回目の食事。湯屋(お風呂)で冷えた体を温めた後、「ゴボウ」と呼ばれる茶粥を口にする。
【お松明は12日・14日が11本、他の日は10本】
お松明は「初夜」のため二月堂に上がる練行衆の足元を照らすためのもの。練行衆を先導する松明が北側の石段を登り、懸崖造りの二月堂の欄干で火の粉が舞い落ちると、どっと歓声。いつもの光景だが、最近は観光客が増え、ひときわ大きい「籠松明」が出る12日などは二月堂の真下から見ることがなかなか難しくなってきた。
参籠宿所にこもるのは練行衆11人に世話役も含めて総勢およそ40人。1人ひとり役割が決まっており、1人欠けても支障があるという。練行衆には松明を抱える先導役の「童子」が1人ずつ付く。松明の数は12日と14日は練行衆の人数と同じ11本だが、それ以外の日は10本だけ。なぜ? 練行衆のうち雑用役の「処世界」が内陣掃除などのため一足先に二月堂に上がるため。
過去帳奉読(5日と12日)を担当するのは「南衆之一」と呼ばれる若手練行衆。聖武天皇に始まって大仏と大仏殿の造営に関わった功労者の名を延々と読み上げる。その中には「金知識(こがねのちしき)」37万人余、「材木知識」5万人余、「役夫」51万人余などもあって、総勢260万人にも上るそうだ。
それにしても不思議なのが「青衣女人(しょうえのにょにん)」。鎌倉時代、過去帳を読み上げていると、堂内は女人禁制なのに青い衣装を着た女性が「なぜ私の名を読み落としたのか」と恨めしげに。そこでとっさに追加したというのだが……。