経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

バランスシート不況と不合理な主体

2014年01月19日 | 経済
 現実をコンパクトに説明できるというのが理論の役割なのだから、リチャード・クーさんの「バランスシート不況」という考え方は、極めて有用と言えるだろう。それが良く分かるのが、このほど出された『バランスシート不況下の世界経済』である。バブル崩壊後の経済では、企業は債務返済に注力して投資をしないから、金融緩和は効かず、財政を使わなければならないとする立論は、今の欧米にとって、十分に示唆に富むものである。

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 それが遺憾なく発揮されているのが、第5章の「ユーロ危機の真相と解決」である。本コラムも、ドイツ経済の復活は、構造改革ではなく、輸出に恵まれただけという指摘をしたことがあるが、第5章では、事の発端がドイツのITバブルの崩壊にあり、それに対応した金融緩和が南欧にバブルを作ったところから説き起こされていて、問題の所在がクリアに分かる。むろん、必要なのは、財政需要となる。

 第2章の米国における量的緩和からの撤退が問題含みであるとする指摘も興味深い。クーさんほどは心配していないが、それも政治の協力があってこそだ。Fedの足を引っ張ることを議会が始めたりすると、容易ならざる仕儀となる。バランスシート不況にあって、財政の「崖」を作るようなことをしたのであるから、イデオロギーのために政策を誤るリスクは無視できない。

 他方、日本経済(第4章)と中国経済(第6章)については、クーさんは楽観的なようだ。しかし、中国は措くとして、日本の来年度の財政への評価はいかがなものか。1997年のハシモトデフレへの評価とは対照的にも見える。今年度の補正予算は、前年度と比較すると緊縮になっており、消費増税を緩和するものにはなっていないと見るべきだろう。 

 もう一つ、隠れた問題として、12/29に指摘した国・地方を合わせて4.9兆円の自然増収のデフレ圧力もある。これは2014年度内の伸びを除いても3.9兆円に上る。自然増収は、経済が「こなした」上で出てくるものではあるが、資金的には、いわば「揚げ超」になり、これを財政が堰き止め、民間に還元しないことの影響は考慮せねばなるまい。この自然増収の問題は、1997年当時にはなかったものである。

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 バランスシート不況の考え方は、その只中にある欧米については、十分に説得力があるが、バブル崩壊から20年以上が経過し、不良債権の処理が済んでいる日本については、説得力が薄れていることは否めないだろう。クーさんは、「一度痛い目を見た経営者は忘れないものだ」とするが、心理に頼っていては、説明が難しいこともある。

 例えば、情報通信のように、既に投資が活発な分野もある。ソフトバンクやKDDIはバブル崩壊には無縁だったかもしれないが、当時から在る自動車や電機も、リーマンショック前までは、過剰なほど投資をしていた。当時の設備投資のGDP比は、歴史的に見ても高い水準である。結局のところ、バランスシート不況の本質とは、金利が調整力を失った後は、目の前の需要が設備投資に極めて強い力を持ち、決定的に重要になるということだろう。

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 バランスシート不況という考え方には、いくつか批判もあるが、その根源には、不合理な行動を基礎にしているというものがあろう。つまり、債務を抱えつつも、収益が上がると見込めるものには投資をするのが合理的ではないかという疑問だ。現実として、それができる状況にないというなら、あえて問題にする必要はないが、理論としては、欠点があるようにも見える。

 しかし、こうした批判は、既存の経済学に囚われ過ぎに思える。そもそも、なぜアプリオリに利益を最大化する行動を基礎に置かねばならないのか。現実を説明できるのなら、「秩序だった不合理な行動」を基礎に据えても構わないはずだ。その事のみで、バランスシート不況という考え方を否定するのは適当でない。理論的な課題は、合理的な行動との接合とか、説明が広範に使えるものかといったことであろう。

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 金融緩和の無効性については、既に、ケインズ経済学で「流動性の罠」として説明されてもいる。貨幣は、実物の交換を媒介するものなのに、「腐らない」という困った性質があり、減価に欠かせない緩やかなインフレという条件が失われると、強い流動性選好(貨幣愛=投資忌避)が発生する。こうなると、金利にはマイナスがないから、金利の調整力をいくらでも強めて是正するわけには行かなくなる。かくして、ミクロの合理的な行動を前提にしても、マクロの不合理な状況が表れることになる。

 こういう説明の基礎を構築して、古典派的な同僚を説得しようとしたケインズは、尋常ならざる人物であったとは思う。だからと言って、ケインズの流儀に縛られることもあるまい。需要の動きに従い「秩序立って不合理に行動する」と考える方が遥かに直裁だ。すなわち、需要のリスクが大きくなり、万一の損害を負い切れないとなると、設備投資を縮小し、収益の機会を捨ててしまうのである。こうした考え方の違いは、政策に反映されるので、実益ある議論になる。

 それというのも、日本の政策エリートは、短期金利がゼロならばと、異次元緩和によって、長期金利を抑圧し、予想インフレ率を高めるとともに、マイナス金利の代替物に官製投資ファンドや投資減税・法人減税を用意して、こうしておけば、消費増税で大規模に需要を抜いても平気だろうという判断をしているからだ。需要の変動がもたらす不合理な行動を惹起する力は、金融的な調整の力なんぞ吹っ飛ばすという認識があれば、こういう挙に出ることはあるまい。

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 KitaAlpsさんが示しているように、財市場で需要不足であれば、債権市場では需要過多で低金利になっている。こういう状況における政府の合理的な行動は拡張財政である。クーさんは、非伝統的な金融政策によって、国債金利を歪めてしまうのは、政府の行動の正しさを測るためには問題だとする。これはリーズナブルな指摘だろう。そして、正しく示される金利に従い、政府が合理的に行動するなら、過不足の問題は生じないはずだ。

 ところが、日本の政策エリートは、あれこれと理屈をつけ、市場原理を無視し、緊縮財政を専らとしている。日本では、企業のバランスシートはきれいになっているから、本来のバランスシート不況ではない。ただし、政府だけは、財政の「バランスシート」を気に病み、1997年以来、金利に従わない不合理な行動に出ている。これが元凶となり、企業に無用なリスクを与え、適正な期待を潰している。その意味で、クーさんの議論は、日本において、未だ妥当し続けていると言えるのである。

(今日の日経)
 資金をアジアで現地調達。円借款の返済金が取材源。高島屋社長・増税後の売上は-5%が2,3年続くと想定して経営。エルピーダのマネー敗戦。読書・オバマの医療改革。
コメント (1)
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