経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

この時代で失ったもの

2010年09月12日 | 経済
 日本経済を見るのに、失われた10年とか、20年とか、その長さは人によってまちまちだ。毎年、それが延びているというだけでなく、バブル崩壊から始まるのか、ハシモトデフレからなのか、はたまた、小泉改革からか、区切り方に違いがあるからである。

 後世の歴史家が見れば、バブル崩壊も節目にはなるが、時代の区切りは、1997年のハシモトデフレに置くだろう。ここには、経済・社会統計の断層があり、変化が客観的に明らかだからである。例えば、バブル崩壊後、成長率が停滞する中でも、消費は伸びていたが、ここで止まってしまう。1998年以降、我々は別の時代に生きている。

 消費が伸びないということは、家計が良くならないということであり、生活の苦しさを示している。若年失業率が高まり、非正規労働者が急増した。社会保険のカバーが万全でない非正規労働者の増加は、社会への不満を募らせる。ここで社会保障を強化するのではなく、財政を優先して圧縮したことが政治的軋轢を生むことになった。

 経済政策としては、主潮は、金融緩和と緊縮財政の組み合わせであり、円安による輸出拡大で景気回復を目指すものだった。結局、米国経済の失速で輸出が失われると、内需が抑えられていたために、経済は逆戻りするしかなかった。その徒労感は強く、頑なな従来路線と、それへの反動のバラマキ路線という両極端がせめぎあう政治情勢となる。

 むろん、正解は中庸にある。若年貧困層と非正規労働の増加に対応して、乳幼児期の育児支援や、社会保険の適用拡大と料率軽減によって、救済の姿勢を示していれば、社会への信頼は損なわれずに済んだろう。企業減税と規制緩和を主軸にするサプライサイドの優遇ばかりでは、成果が均霑しなければ、庶民の恨みは増すばかりになる。

 1997年に、我々は中庸の道を失ってしまった。橋本政権の極端な緊縮財政、それによる危機回避のための小渕政権の積極財政、その反動の小泉政権の改革路線、それが潰えたときの麻生政権の積極財政、今また、それを急速に萎ませたために、今年度後半の景気停滞が懸念されている。そして、それを代表選で批判する小沢一郎前幹事長。

 消費が回復するまで待てない財政再建への性急さ、救うべき者を特定できない苦し紛れのバラマキの粗暴さ。失ってしまったのは、穏健な財政政策と再分配の社会保障という中庸さなのである。

(今日の日経)
 インド「外」へ広がる企業。社説・日印貿易合意、円高抑制の本気度。尖閣沖接触、日中関係に影。自民・山崎派は解散検討。八ツ場ダム・中止の方がコストかかる。失われた時代・三重野康・公的資金に財界反発、乾いたまきに大蔵は不同意。読書・権力の館を歩く、援助じゃアフリカは発展しない、社会保障の不都合な真実。
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