経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

経済が目的とするもの

2010年09月23日 | 経済
 日本では経済は財政再建のために存在するようだが、世界的には国民生活のためにあり、最終的な目的は、より多くの消費ができるようにすることだ。投資も将来の消費を増やすためにするものと言える。

 その点で言えば、自国通貨安にして消費を押さえ、輸出を増やそうとするのは、どうにもおかしいことになる。以前のブッシュ政権のように、強いドルを唱え、消費を拡大することこそ、本質的に正しい行動のように思える。

 むろん、そうならないのは、輸出には設備投資を促進する効果があり、それによる雇用拡大と所得増を望むからである。本来は、そのあと、所得増に伴う消費拡大によって輸入も増え、輸出と輸入のバランスしていくというのが在るべき姿である。日本の高度成長期も半ばまでは、そうした理想的パターンであった。

 現在の米国は、財政と貿易の双子の赤字を抱えているのだから、金利を低下させてドル安にし、輸出を拡大させるのは、理にかなった政策である。リーマンショックまでは過剰消費にあったのだから、経済を拡大させつつ消費の割合を減らすのも何ら変ではない。

 政策を変えるべきは、新興国の方で、今日の日経の記事のように、外貨準備を増やすというのはおかしいのである。米国債を買って米国消費を拡大しようとするのではなく、自国の消費を拡大しなければならない。

 ただし、自国消費の拡大では、物価高を覚悟しなければならない。物価高は内需向け投資を促進するには必要な要素でもある。問題は、政治的に物価高に耐えられるかである。再分配の仕組みがないと、貧困層に強い痛みを与えるからだ。日本の高度成長期のように、物価高であっても暮らし向きは良くなったと、政権が支持を集めるようでないとならない。

 実際、インドネシアやブラジルは、それに成功し始めている。問題は、新興国の経済規模の半分を占める中国で、消費拡大は道半ばである。もし、中国に民主主義があるなら、物価高を覚悟で内需を拡大することもできようが、これを恐れざるを得ないところに問題がある。今後、物価高と再分配によって消費を拡大できなければ、中所得国として成長を続けることもできまい。

 さて、日本だが、貿易黒字があり世界最大の債権国なのだから、内需拡大はできるはずなのだ。問題は、財政赤字を気にして、度が過ぎた緊縮財政をとっていることである。前年度補正後から予算を10兆円も削減した上に、いまだ隠しているが、税収の上ぶれが4兆円ほども見込めるなら、デフレ圧力は巨大であり、いくら日銀が金融緩和をしたところで間に合うまい。デフレにならない方がむしろ変だと言える。

 日本も、中国と同様、ドルを買って米国債を積み増し、自国ではなく、米国の内需を拡大させる道を選んでいる。日本には民主主義はあるようだが、低所得層の生活向上を軽視するところは中国と同様だ。為替介入や量的緩和も結構だが、経済は何のためにあるのか、今一度、考えてみてはどうか。

(今日の日経)
 新興国の外貨準備急増、上位10か国6月末15%増で500兆円。新卒採用の解禁を夏以降に。米株、割安でも買われず・梶原誠。社説・追加緩和への備え急げ。中国、強気の裏の誤算。電子部品値下がり鮮明。日本拠点拡大、IT、サービス、金融、医薬。投信、8割が成績マイナス。日銀に量的緩和の風圧。戸別補償、EPA推進へ拡充。セブンが高級PB。セントケアの終末期訪問介護、介護は儲からず人手不足。大機・デフレスパイラル。超長期債の利回り低下。採用抑制、あふれる人材。経済教室・地方空港・上村敏之。
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