<他人のふり見て我が身を正す>という意味のことわざとして、『他山の石として』というのがあります。<o:p></o:p>
学校の授業で、このことわざを何年生くらいで教わるのでしょうか?
高校の部活の指導者から受けた暴力を苦にして、一人の若者が自らの命を絶ちました。
正月早々の何ともやりきれないニュースが流れています。<o:p></o:p>
学校内で起こる「いじめ」や「体罰」が原因とされる不測の事態は、ここ数年日常茶飯事のニュースとして報道されています。<o:p></o:p>
そのつど学校当事者や当該教育委員会は「知らなかった」「調べたがそんな事実は無かった」「報告の必要が無いと思った」とか「因果関係は認められない」とかさまざまな理由を付けて事態をやり過ごそうと画策します。
なによりも「いじめ」にしろ「体罰」にしろ、その事実を多くの人が目にしているはずです。 とりわけ教師が普通の目配りをしていれば、「いじめ」にしろ「体罰」にしろかならず察知できるはずなのです。<o:p></o:p>
にもかかわらず、あえて「見て見ぬふり」をする人が多いようなのです。<o:p></o:p>
その結果が生徒を中心にした学校や、地域社会全体に大きなマイナスを負担させることになるのです。<o:p></o:p>
やむなく開く記者会見でも、校長など学校内管理者もそうですが、とりわけ「教育委員会」のメンバーが他人事のように、しぶしぶ事件の内容を小出しにする態度が目につきます。<o:p></o:p>
全国てきに、たびたび報道されるこの手の事件にまったく関心をしめさないのか、まさに「他人ごと」ととらえているように見受けられるのです。<o:p></o:p>
教育に携わる人であれば誰しもが知っているはずの『他山の石として・・・』ということわざですが・・・どうやら彼らは≪他山の石とせず・・・≫と、意識的に間違えて頭の中に入れているように思えてなりません。<o:p></o:p>
であれば、「いじめ」や「体罰」が原因となる児童の被害は、これからも止むことはないのだろう・・・と、案じられてならないのです。<o:p></o:p>