先回の日記で、スポーツ部活の高校生が、指導者から受けた『体罰』を苦にして死を選んだと書きました。<o:p></o:p>
ですが、考えてみるとこの『体罰』という言葉の使い方に違和感を覚えてしまいます。<o:p></o:p>
広辞苑で『体罰』を調べますと<o:p></o:p>
スポーツの向上を志す子供たちや、親に養育されつつある子供たちが教え通りに実行できないからって、なぜ『罰』を受けねばならないのか?<o:p></o:p>
よく考えてみれば、指導者や一部の親たちの「身体に直接苦痛を与える」あの行為はまちがいなく『暴行、暴力』にほかなりません。<o:p></o:p>
いささか理屈っぽくなりますが、自分も含めて、報道や世間でも一連の行き過ぎ行為にたいして『体罰』という言葉を使うのは止めて『暴力、暴行』とつかうべきだと思うところです。
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そんなことを思っていた今朝からの報道は、女子柔道の日本を代表する選手たちが「監督の暴行、暴言、パワーハラスメントなど」をJOCに告発したとの記事でにぎわっています。<o:p></o:p>
べつに驚くことでもなく、スポーツ業界の世界ではいくらでもある事例と受け止めてもほぼ間違いないのでしょう。<o:p></o:p>
<浜の真砂は尽きるとも>、勝利至上主義のスポーツ界から、指導者の「暴力、暴行」が無くなることはありません。<o:p></o:p>
それは周りのわたし達が「真紅の優勝旗」や「金メダル」を必要以上に欲しがる所為かとも思ったりするのです。