まったくの門外漢ですが、ある日本画とその作者のことをちょっと・・・
当地の新聞で、この25日から「道立函館美術館」で「蠣崎波響」の作品「夷酋列像」の展覧会が開催されるとありました。
明治期になってから初めて本格的な日本文化がはいってきたこの蝦夷地です(アイヌ文化は存在しました)
わずかに蝦夷地を藩領とされた「松前藩」で、細々と和の文化が息づいていました。
見るべきものの無い「松前藩時代の文化」のなかで、唯一光彩を放つのが 1790年(寛政2~3年・11代将軍/家斉)ころに「蠣崎波響」が描いたこの「夷酋列像」です。
「蠣崎波響」は藩主の子として生まれながら、家老「蠣崎家」の養子となります。幼児から絵の才能が認められ、若いころ「円山応挙門下」で修業したようです。
松前藩が一時陸奥梁川藩に移封された、約20年の間にひたすら描いた「蠣崎波響」の絵(代金)は、その大半が松前藩へ復帰する願いの賄賂(?)として幕閣要路にばらまかれたと伝えられています。
1組12枚の「夷酋列伝」は2組作成されたようですが、国内に残るのは函館中央図書館の2枚のみで、それ以外は写しだそうです。ところが2組目の11枚が、1984年にフランスの美術館でみつかり話題になりました。
今回はフランスからの11枚と函館の2枚が展示されるそうです。
北の国の貴重な文化に触れることのできるこの展覧会は見逃せないところですが・・・・
<サクラの頃の松前城>