このところの世間の関心は「〇主党の分裂」や「原発再稼働問題」ではありません。
九州地方の集中豪雨も、天候が回復すれば人々の頭から抜けて行きます。
学校や教育委員会が官憲の直接的捜索を受ける・・・ということは異常なことでしょう。
――大津中学生自殺事件のことです。
私たちの耳目に触れる報道の全部が、必ずしも正しいとはかぎりません。
ですが、いままでの報道をかなりの率で割り引いて受け入れたとしても、学校・教育委員会・所轄警察の怠慢はだれもが認めるところでし
う。
教育現場の先生たちが、なぜ「見て見ぬふりを」をするのか、識者がいろいろと論じています。
ここ数年の間でも、子供たちのいじめによる自殺が後を絶ちません。
そのたびに教育委員会の、それらしき人が会見しますが、異口同音に「言い訳」と「責任逃れ」と「保身」の言葉だけです。学校現場の校長クラスも、ほぼ前者と同じようなものです。
不思議なことにどの地方の事件でも、判で押したように同じ会見にな
るのです。
「いや、いや、そんな教育者ばかりでは無いッ!!一生懸命取り組んでいる教育者も多く居るっ!!」との反論もあるでしょうが、なぜそういう人たちの手で事故や事件が起きないようにできないのか? と不思議に思うのです。
問題のある校内で、そのことに先生が一人も気が付かない・・・なんて考えられないのです。
けっきょく「生徒を守るより、己の生活と将来を守る」方に心がシフトするのでしょう。
一面でやむを得ないことかとは思いますが、将来この国を担う子供たちを教育しようとするには役不足の人たちだと思います。そういう人たちはさっさと転職されたらよろしいのです。
輪をかけて不思議に感じるのは「教育委員会」という制度です。
市町村の名士などと持ち上げられ、先生の殺生与奪の権を与えられ舞い上がって、本来何をするべきかとうに忘れてしまった人々の集団でしかありません。
委員会も含めた教育現場を、どう変えて行くべきか確かな考えは持ち合わせていませんが、ともあれ『根本的な改革』が無いかぎり「大津自殺事件」と同じようなことが後を絶たないと・・・そのことだけは確信できるのです。
政治も教育現場もすべてが「自分中心」から出ていることだと思います。
「自分が大事」
これではいけないと考える人は多くても、
「社会の変化の流れ」を止め変えるにはまだ足りないのでしょう。
変革には時間がかかるのでしょう。
気を引き締めていかなくてはと思います。
「良識」が死語にならないように!
完全に壊れてしまわないように、そっと支えなくてはならないのでしょうね。(なんかエラそう!!笑)
一昔まえならこいつ少し右よりなんて言われた
だろうけど道徳、家庭と学校で両立させて教え
る時代来たと思います。
人間、誰でも自分可愛いから保身に走る。
でもこれ命の問題なんですよね。
戦前の教育が良かったとは言いませんが、戦後の「自由主義」を取り違えた教育はゆがみを生んでいますね。
60有余年のゆがみを直すには、同じような年月が必要なのかもしれません。