kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考えに縛られる

2019-03-25 | 陸上競技

思うことを。

こういう性格ですから自分の考え方に縛られることがある。様々なことに対してあれこれ考える。それが本当に必要なのかどうか。そして考えてもどうにもならないこともな考える。我ながら嫌になることが多々ある。

こうやってblogを書くことで外に吐き出しているというのもある。が、その内容を誰が見ているのかも分からない。表現の一つ一つを批判される危険性もある。ある特定の人物にとって不愉快だと思われる内容があればバッシングを受けたり威圧的な発言をされることもあるだろう。そこを苦痛に感じてしまう自分がいる。だったら書くなという話になるのだが。

考え方に縛られる。それから抜け出したいなといつも思っている。深く考えずに生きていけばそれでいいのかもしれない。人に嫌われるのではないか?というのはあまり気にならない。元々そんなに好かれるタイプではないから。媚を売って誰かに擦り寄ることもない。誰かと群れて何かをするということもない。ある意味寂しい生き方をしているのかもしれない。

考える時間があるからこそ前向きになれない時もある。前を向かなければいけないと選手に言いながらも自分自身ができていないことが多い。情けない話だが。

土曜日に前任校の卒業生が学校に会いに来てくれた。1年ぶりくらいだろうか。もっと会っていないかもしれない。1人は結婚して仕事を辞めた。もう1人は知らないうちに東京に行っていた。たまたま連絡することがあった。そこから数日後に「会いに行っていいか?」と連絡をもらった。ありがたいこと。前の記事に書いた会議が長引いたので30分くらいしか話ができなかったというのはあるが。

この子達に会うといつのまにか元気になる。もう26歳になっている。初めてインターハイに進んだ年の選手。会いに来てくれたのはそのインターハイに進んだ選手。あの頃のことを話していると一気にその時の気持ちが蘇る。ありがたい存在。気持ちが少し落ちていたのでこの子達の顔を見るだけで、話をするだけでなんとなく救われる。

こういう時間が今の自分にとって本当にありがたいなと思う。気持ちが沈んでやる気を失いかけているときに救ってもらえる感覚。私自身、キャパもそこまで大きくない。自分自身で自分の考え方を縛っているところがある。そこを抜け出せるかどうか。自分にとって大きな意味を持つと思う。

簡単なことではない。自分の狭い世界の中から抜け出す。これまでの考え方を捨てていく。捨てる必要はないのかもしれないが、ある程度の事をしなければ今の自分は変えられない。そう思っている。「変わらなければいけない」という考えに縛られているのかもしれない。ここも本当に難しい。何が今の自分に必要で何が不要なのか。

選手に変わることを求める。私自身は変われているのか。本質的に変わることは難しいかもしれない。rinaやmikiに会った時になんだか落ち着くというのは変わっていない部分があるから。当時の私は今と比べてかなり厳しかったと思う。今でもこの子達は「練習の時の先生は怖かった」と言う。その割には適当に扱うが。怖かったという感覚はこの子達にしか分からないのだと思う。今の私からは想像がつかないかもしれないが。

それでもこうやって会いに来てくれる。ありがたいなと思う。こういう部分で本当に支えられらているなと思う。ずっと連絡を取っているわけではない。それでも話をすると当時の感覚になる。高校時代、競技を一生懸命にやって良かったと言ってくれる。それも支えになる。なにも形に残っていないが何かわからないものが心の中に残っているのかなと思う。

自分自身の考えに縛られる。抜け出したいなと思う。今の自分から変わらなければいけないなと思う。閉塞感を抜け出すためになにをするのか。分からない。結構苦しいなと思うことが多くある。それでも何かをしなければ進まない。分かっている。分かっているからこそ行動したい。

誰かの役に立っている。そう感じられることが今の自分の支えになるのかもしれない。誰からも必要とされない存在なのかもしれない。自己満足だとしても「誰かの役に立っている」という部分があればやっていける気がする。自分に足りないことが多すぎる。

きっと何も考えずにいれればもっと楽だと思う。それができれば...。出来ないからこそもがくのだと思う。抜け出したいけど抜け出せない考え方の縛り。変わりたいなと思う。これが一番難しい。

まとまらない。何書いているのか分からないけど。少しだけでも吐き出したい。そう思っている。

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自分にできることは何か

2019-03-25 | 陸上競技
合同練習の後に会議が。一応地区の競技力向上委員になっています。県内の委員が集まろうということになっていたのでうちの学校でやることに。県央部なので集まりやすいというのがあります。練習が終わって休む間もなく会場準備。バタバタの中で進みました。
会議はこれからの県の競技力向上について。色々と複雑な気持ちがあります。私は陸上競技が好きでやっています。しかし、世の中の全員が同じ感覚ではない。そこで何を求めるのか。県全体の強化を目指すのであれば指導者の育成が必須だと思います。が、陸上競技に興味関心がない人にとってはそういう部分を求められるのは苦痛かもしれない。
福岡では「同じ理論の元で指導する」というのがあるようです。1ヶ月に1度くらいの頻度で合同練習をする。それぞれの地区で中心になっている指導者が指導をする。それを学んで各学校が練習を積む。組織的にできていると思います。それと比べるとどうなのか。方向性を定めるための会議でした。温度差はあると思います。
私は競技指導と人間性の指導は両輪だと思っています。人によっては人間性の指導がメインだったりする。ガチガチにそこを求めていくのが部活動ではないかなという気はします。「陸上競技」がやりたくて所属している選手に対して「基本的生活習慣」の習得をメインに指導するのは方向性が違う。人間性の部分が不要だと言っているわけではありません。必要です。が、そこ一辺倒の指導は違うかなと。
もっとシンプルに学校間の垣根を低くしていつでも練習に参加できるようにすればいいと思っています。県全体の強化をするためにはまずは各学校の強化だと思うからです。これは私個人の考え方なので。少しずつ興味を持ってもらう。いつでもどうぞ、と言ってもほとんど誰も来ません。それは私の人望がないからなのかもしれません。それでも持っているものを誰かに伝えていかなければいけないのは間違いない事実です。
リレーについて。基本的には私はリレーで勝負したいと思っています。リレーであればスーパーエースがいなくても戦っていく方法があるからです。ある程度の所まではそれなりの選手がいてくれば戦える。が、本気でリレーでインターハイを目指そうと思えば「それなり」では無理。強い「個」が育っていなければ難しいと思います。個人でも戦える「個」がいなければ総合力としてのリレーでは戦えない。
それはもっと大きな視野で見る事ができるのではないか。リレーは「県」であり個は「各学校」になる。県全体のレベルアップを図るのであればまずは「各学校」を強化できるようにする。
そのために簡単なのは指導者がきちんと指導できる事だと思っています。技術的な事は指導者によって異なったり難しかったりする。そうであれば県である程度のトレーニングを紹介して導入するというが早いかなという気はします。身体作りができれば結果はある程度出るようになる。私見なので批判されると思いますが。
それぞれの価値観の中でやっている。そこは間違いないと思います。その中で共通項を見つけてやっていく。様々な意見があるのは間違いないと思います。すり合わせることが可能なのか。見えない部分はあります。
私みたいな人間が委員をやるべきではないと思っています(笑)。基本的に協調性がないので。視野が狭いと言われている人間ですから。大きなことをやるよりは足元を固めたい。その中でできることをやればいいのかなと思ってはいます。そう言いながらもやるしかないのですが。私に与えられた役割と責任は果たしていきたいとは思
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